第三話「虹海の陰謀」1
第一章 紅い霧と老いた道士
密輸船『黒龍号』が接岸したのは、極彩色のネオンに彩られた東帝都とは似て非なる、混沌の掃き溜めだった。虹海の下層エリア、通称『澱河』。
その名の通り、ドブ色に濁った運河の上に、無数の廃船、違法建築、そしてプラスチックの瓦礫が複雑に積み重なり、巨大な迷路を形成している水上スラムだ。 空を見上げれば、この街を覆う分厚い「紅霧」が、下層のネオンサインを乱反射させ、視界を毒々しいピンクや紫色に染め上げている。 太陽の光など、ここには届かない。 あるのは、人工的な極彩色と、湿った暗闇だけだ。
「……ひどい瘴気だ」
鉄鏡花が、マスク越しに顔をしかめた。 彼女のセンサーが、大気中に漂う有害物質の濃度を警告音と共に伝えている。 排気ガス、下水のメタン、そして微量ながらも確かな魔力の残滓。 それらが混じり合い、呼吸するだけで肺が腐りそうな悪臭を放っている。
「フィルターなしでは、長時間の活動は推奨できない。……有機生命体にとっては毒の霧だ」
「うえぇ……。お肌に悪そう」
白雪美流愛が、ボロボロのドレスの袖で口元を覆う。 彼女の背後では、双子の亞莉愛と華琉愛が、即席で作った布マスクを姉に差し出していた。
「お姉様、これを! 活性炭入りです!」
「この街の空気など、お姉様の肺に入れる価値もありません!」
久遠灯たちは、顔を隠してその迷路のような桟橋を歩いた。 すれ違う人々もまた、異様だった。蒸気機関を背負い、身体の一部を安価な機械部品に置き換えた労働者。 顔に怪しげな黄色い護符を貼り付け、生気のない足取りで荷物を運ぶキョンシーのような老人。 そして、路地裏の影から、獲物を品定めするような鋭い視線を向ける、異形の密売人たち。
ここは、人間と人外、科学と呪術が、泥の中で混ざり合い、腐敗発酵した魔都の底だ。東帝都の洗練された冷たさとは違う。ここにあるのは、熱を帯びた腐臭と、生きるためのむき出しの欲望だ。
「……うっ」
天羽祈が、不意に立ち止まり、胸を押さえた。彼女のオッドアイが、周囲の情報の奔流に当てられ、明滅している。
「大丈夫か? 祈」
灯が背中を支える。
「は、はい……。でも、色が……濃すぎて……」
祈の視界には、この街の住人たちの魂の色が映っているはずだ。だが、それは単一の色ではない。 機械の油汚れのような虹色、血のような赤、絶望の灰色。 それらがマーブル模様に混ざり合い、渦を巻いている。 正気と狂気の境界が曖昧な街。
「……甘い匂いがする!」
突然、辰巳響が鼻を鳴らした。彼女は、澱んだ空気の中から、一筋の「美味そうな匂い」を嗅ぎつけたようだ。 先ほどまでの衰弱が嘘のように、瞳孔が開き、よだれを垂らさんばかりの勢いで走り出す。
「おい、響! 勝手に行くな!」
「こっちだ! 絶対にこっちだ! ……アタシの勘が叫んでる!」
響に引きずられるようにして、灯たちが辿り着いたのは、スラムの奥まった路地裏だった。積み上げられたコンテナの隙間、薄暗い一角。 そこには、周囲の極彩色とは対照的な、古びた一軒の屋台があった。
赤い提灯が揺れ、鍋から白い湯気が立ち昇っている。 その湯気だけが、この街で唯一、清浄なもののように見えた。
「いらっしゃい。……珍しい客だな」
店主は、薄汚れた人民服を着た、小柄な老人だった。 白髪交じりの髭を蓄え、手には長いキセルを持っている。一見すると、ただの冴えない屋台のオヤジだ。だが、灯の直感は告げていた。 この老人、ただ者ではない。 その佇まいは、周囲の喧騒から切り離されたように静かで、双眸の奥には、長年修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、鋭く静かな達人の光が宿っている。
『陳 幽寂』。 通称、チェン爺。 この澱河の住人なら知らぬ者はいない、スラムの顔役にして、古の道士。
「へえ。……日本の吸血鬼に、サイボーグ、それに……龍神様か」
チェン爺は、一目見ただけで彼女たちの正体を看破した。煙管をコンと叩き、灰を落とす。
「ずいぶんと賑やかな逃亡者だ」
「……アンタ、何者だ?」
灯がM500のグリップに手をかける。 だが、チェン爺は気にした風もなく、響の蒼白な顔を見て、ニヤリと笑った。
「腹が減ってるんだろう? 嬢ちゃん」
「……食わせろ。金なら、ある」
響が、震える手でポケットから東帝都の小銭を取り出す。チェン爺はそれを受け取らず、鍋の蓋を開けた。
「金なんぞ要らんよ。……腹を空かせた龍に飯を食わせるのも、道士の務めだ」
鍋の中には、見たこともない液体が煮込まれていた。 虹色に発光するスープの中に、黒真珠のような大粒のタピオカが踊っている。 甘い香り。だが、それは砂糖の甘さではない。 数千種類の薬草と、高純度の魔力が練り込まれた、濃厚なエネルギーの塊。
「これを食いな。……特製の『七色龍珠』だ」
「……タピオカ?」
響が、疑わしげに器を受け取る。 東帝都で飲み慣れた、ミルクティー色のそれとは似ても似つかない。 だが、本能が「食え」と叫んでいる。
「いただきまーす!」
響が一気に飲み干す。 モチモチとした粒を噛み砕いた瞬間、彼女の体内で爆発的な反応が起きた。
バチバチッ!!
響の全身から、青白い稲妻が迸る。 逆立っていた髪が元に戻り、肌の血色が瞬時に蘇る。 枯渇していた霊力が、乾いた大地に染み込む水のように満たされていく。
「うめぇ! ……力が、湧いてくる!」
響は空になった器を掲げ、歓喜の声を上げた。 口の周りを虹色に光らせながら、彼女は目を輝かせる。
「なんだこれ!? 東帝都のタピオカより全然効くぞ! 五臓六腑に染み渡る!」
「そりゃそうだ。こいつは、龍の鱗を煎じて作った秘薬だからな」
チェン爺は、キセルを吹かしながら涼しい顔で言った。
「龍の鱗……!?」
「ああ。この街の地下には、古い龍の死骸が眠っている。……そのエキスを抽出して、芋の粉と練り合わせたのがソレだ」
とんでもない代物だ。 ただのスイーツではない。霊薬そのものだ。
「あんた、ただ者じゃねぇな?」
灯が、鋭い視線を向ける。 ただの屋台の店主が、龍の素材を扱えるはずがない。 そして、響が龍神であることを一目で見抜き、適切な「餌」を提供した洞察力。
「ただの隠居老人さ」
チェン爺は、煙の中に顔を隠すようにして笑った。その皺深い顔には、長い年月を生き抜いてきた者特有の、深い哀愁と愛嬌が刻まれていた。
「昔は少しばかりヤンチャもしたがね。……今はこうして、腹を空かせたガキに飯を食わせるのが趣味なんだよ」
彼は、新しい器にタピオカをよそい、灯たちにも差し出した。
「食いな。……この街は、食わなきゃ食われる地獄だ。生き残りたきゃ、まずは腹を満たすことだ」
灯は、差し出された器を受け取った。 温かい。 東帝都を追われ、冷え切っていた身体に、その熱が染み込んでくる。
「……恩に着るよ、爺さん」
灯が一口啜ると、チェン爺は満足そうに頷いた。
「だが、気をつけな。……お前さんたちの背後には、厄介な影が憑いている」
老人の目が、スッと細められた。 それは、ただの警告ではない。予言めいた響きを持っていた。
「この街で生き抜く知恵くらいは、貸してやれるよ。……だが、運命までは変えられん」
その言葉は、迷える異邦人たちへの、最初の手引きであり、これから始まる過酷な運命への序章だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




