第二話「鉛色の海と龍の胃袋」1
第一章 カロリーの欠乏
東鳳海、公海。 ベルベット・ミラーが手配した密輸船『黒龍号』は、鉛色の波を掻き分け、船首で白い飛沫を上げながら進んでいた。老朽化した貨物船の内部は、重油の焼ける臭いと、湿った潮風、そして安っぽいカップラーメンのチープな香りが混ざり合い、独特の閉塞感を生み出している。 錆びついた鉄板の継ぎ目から、波の音が絶え間なく漏れ聞こえてくる。それはまるで、巨大な鉄の棺桶の中で、自身の鼓動を聞かされているような不快なリズムだった。
船室の隅。 積み上げられた木箱の陰に、辰巳響がうずくまっていた。
「……足りねぇ」
響の周囲には、スナック菓子の袋、チョコレートの包み紙、空になった即席麺のカップが山のように散乱している。彼女は今、コンデンスミルクのチューブを直接口にくわえ、甘い粘液を啜っていた。 だが、その顔色は死人のように青白い。瞳孔は開ききり、指先は時折、接触不良を起こしたネオンサインのようにチカチカと明滅し、向こう側の壁が透けて見えている。
「もっとだ……もっと、濃いエネルギーを寄越せ……」
東帝都を離れた代償。 土地からの霊的エネルギー供給を断たれた土地神は、物理的なカロリーを燃焼させ、強引に魔力へと変換し続けなければ、その存在を維持することさえできない。 今の彼女は、底の抜けたバケツだ。注いでも注いでも、生命力が漏れ出していく。
「……ハァ、ハァ……。腹減った……。タピオカ……」
響は、乾いたスポンジが水を求めるように、ただひたすらに「物質」を貪り続けていた。 その姿は、神の威厳など欠片もない、飢餓に苦しむ亡者のようだった。 だが、その瞳の奥には、消え入りそうな命の灯火を必死に守ろうとする、獣の如き執着が宿っていた。
「……見てられないわね」
白雪美流愛が、眉をひそめて響を見る。 彼女は船室の簡易ベッドに腰掛け、破れたドレスを修復しながらため息をついた。その手つきは繊細だが、視線は鋭く響の状態を観察している。
「まるで餓鬼道に堕ちた妖怪みたい。……あんな状態で、本当に虹海までもつの?」
「お姉様、ご安心ください! 私たちが厨房からさらなる食料を調達してきました!」
「ベーコン、チーズ、バター……高カロリーなものを厳選しました!」
双子の白雪亞莉愛と白雪華琉愛が、両手いっぱいに盗んできた食材を抱えて戻ってくる。彼女たちは、響の足元に食料を積み上げると、心配そうに声をかけた。
「響様、どうぞ。……これ以上透けないでくださいね。幽霊はお姉様が苦手ですから」
「食べてください。……死なれると、戦力が低下してお姉様のご負担が増えます」
響は、礼も言わずにベーコンをひったくり、生のまま齧り付いた。 獣のような咀嚼音。 脂身が喉を通る感触だけが、彼女を現世に繋ぎ止めている。
「……効率が悪い」
船室の奥で、鉄鏡花が呟いた。彼女は、剥き出しになった配線に自身のコネクタを接続し、船の制御システムをハッキングしながら、響のバイタルデータをモニターしていた。
「有機物の燃焼効率では、神格の維持に必要なエネルギーを賄いきれていない。……神様って、燃費が悪いんだな」
鏡花は、キーボードを叩く手を止め、振り返った。
「このままでは、虹海に到着する前に、彼女の自我が崩壊する。……カロリー摂取は、あくまで延命措置に過ぎない」
「じゃあ、どうすればいいんですか!?」
天羽祈が、悲痛な声を上げた。 彼女は響の背中に手を当て、自身の魔力を注ぎ込んでいる。だが、その顔色は祈自身も蒼白だった。
「私の魔力じゃ……全然足りません。……注いでも注いでも、虚空に消えていくみたいで……」
祈のオッドアイが揺れる。 響の魂の色が、徐々に薄れ、透明になりつつあるのが見えているのだ。
「根本的な解決策が必要です。……響ちゃんを、完全に復活させる方法が」
「あるにはある」
久遠灯が、低い声で割って入った。 彼女は壁に寄りかかり、火のついていない「わかば」を指で回していた。
「土地神なら、土地から力を貰えばいい。……簡単な理屈だ」
「土地って……ここは海の上ですよ?」
祈が問う。
「海じゃねえ。……目指す場所だ」
灯は、西の方角を顎でしゃくった。
「虹海。……あそこにも、巨大な龍脈が流れているはずだ。響、お前ならわかるだろ?」
響が、ベーコンを噛む手を止めた。虚ろだった瞳に、微かな理性の光が戻る。
「……ああ。感じるよ。……ドブ川みてぇに汚れてるけど、とてつもなくデカい力の奔流がな」
「なら、話は早い」
灯はニヤリと笑った。
「そこから吸えばいい。……現地の龍脈に接続して、お前の器を満たすんだ」
「はあ!? 無茶言うなよ!」
響が叫んだ。
「土地神ってのは、その土地と契約して初めて力を引き出せるんだぞ! ……余所の土地の龍脈を勝手に吸うなんて、泥棒と変わんねぇ! 現地の神と戦争になるぞ!」
「泥棒? 上等じゃないか」
美流愛が、冷ややかに言い放った。
「私たちはもう、世界中から追われる指名手配犯よ。……今更、罪が一つや二つ増えたところで変わらないわ」
美流愛は立ち上がり、響を見下ろした。
「響。あんたが消えたら、私たちは戦力を失う。……生き残るためには、綺麗事なんて言ってられないの」
「……でもよぉ」
「奪わなきゃ死ぬなら、奪うだけだ」
灯が断言した。 その言葉には、1000年を生き抜いた吸血鬼の、冷徹な生存本能が宿っていた。
「虹海の龍脈が誰の持ち物か知らねえが……。ウチの龍神の腹を満たすために、少しばかり『献血』してもらうさ」
「……献血、ね」
鏡花が、眼鏡の位置を直した。
「論理的だ。……ただし、そのためには、現地の龍脈を支配している『管理者』を排除、あるいは無力化する必要がある」
「喧嘩なら得意分野だろ?」
灯は笑い、ドアノブに手をかけた。
「ま、詳しいことは着いてからだ。……今は、少しでも食っとけ」
灯は船室を出て、甲板へと向かった。 響は、手の中のベーコンを見つめ、そして力強く噛みちぎった。 迷いは消えた。 生きるために、奪う。 それは神の道ではないかもしれないが、獣の道としては正しい。
甲板に出ると、湿った夜風が頬を叩いた。 灯は手すりに寄りかかり、暗い海を見つめた。
「……妙だな」
鏡花がハッキングした通信ログによれば、この海域では船舶の消失事故が多発しているという。 救難信号(SOS)すら発信されずに消える船。 海賊か? それとも、もっとたちの悪い何かか。
波の色が、おかしい。 夜の海は、本来なら黒インクのような闇色をしているはずだ。 だが、船底を叩く波飛沫が、微かに赤く発光している。 それは夕焼けの反射ではない。 海中から滲み出す、何かの体液のような、不吉で粘着質な赤。
「……血の匂いがするな」
灯が呟いた。 吸血鬼の嗅覚が、潮風に混じった濃密な鉄錆の臭いを捉えていた。 これは、ただの海水ではない。 何千、何万という生物が殺され、その血が溶け込んだスープだ。
「来るぞ」
灯の本能が警鐘を鳴らした。 海が、割れる。
ズズズゥゥゥン……!!
船の真下から、腹に響くような重低音が鳴り響いた。 それはエンジンの音ではない。 深海から響く、巨大な何かの咆哮だった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




