第一話「魔女狩りの夜、紅(くれない)の逃走」1
リコリス・ミッドナイト・ヘブンの続編です。
第一章 聖なる断頭台
東帝都。かつて海を埋め立てて造られたこの巨大な人工都市は、今夜も分厚い鉛色の雲に押し潰されそうになっていた。空から絶え間なく降り注ぐのは、シロップのように粘着質で、微かな酸味を含んだ雨だ。 ネオンサインの光を乱反射し、アスファルトをどす黒く染めるその雨は、都市の排泄物であり、洗い流すことのできない涙でもある。
神宿の最深部、路地裏の雑居ビル。 その屋上に増築されたツギハギだらけのプレハブ小屋――『万事屋 リコリス・バロック』の事務所内には、外の陰鬱な天気とは裏腹に、安っぽいコーヒーの香りと、生きるエネルギーに満ちた騒音が充満していた。
平和だ。 退屈で、騒がしくて、泥臭い日常。1000年の間、彷徨い続けた吸血鬼が求め続け、決して手に入らなかった「居場所」が、今ここにある。
その時。 デスクの上の電話が、けたたましく鳴り響いた。
ジリリリリリンッ!!
全員の動きが止まる。 この深夜に鳴る電話は、ロクな知らせではない。酔っ払いの迷子相談か、警察からの呼び出しか、あるいは――。
「……ちっ。休憩終了かよ」
久遠灯が、不機嫌そうに吸いかけの「わかば」をもみ消した。 彼女は革張りの椅子をきしませて受話器を取る。
「はい、こちら『リコリス・バロック』」
灯の声は低く、しかしどこか楽しげだった。平和ボケした身体が、刺激を求めてうずいているのだ。
「……ああ、どんな厄介ごとでも引き受けるぜ。……代償は高いがな」
灯の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。 退屈な猫探しではない。 血と硝煙の匂いがする、極上の仕事の予感。
「行くぞ、野郎ども! ……仕事だ!」
灯が受話器を叩きつけ、立ち上がった。 その背中には、もう1000年の孤独の影はない。 頼もしい仲間たちの影が、重なり合っている。
「おっしゃあ! 暴れてやるぜ!」 響が拳を鳴らし、青白いスパークを散らす。
「まったく……人使いが荒いんだから」 美流愛がドレスの裾を翻し、ワイヤーを準備する。
全員が武器を手に取り、出動の準備を整えた、その瞬間だった。
ドォォォォォォン!!
雷が落ちたような轟音が、世界を揺るがした。爆発ではない。 圧倒的な「質量」による衝撃。 事務所の鋼鉄製の扉が、まるで濡れた段ボールのように内側へとひしゃげ、蝶番ごと弾け飛んだのだ。回転しながら飛来した鉄の塊が、鏡花の作業デスクを粉砕する。
「なっ……!?」
硝煙と雨風が、暴力的に室内に吹き荒れる。舞い上がる書類。砕け散るコーヒーカップ。 床にぶちまけられた黒い液体が、飛沫となって私たちの頬を汚す。
全員が、爆風に煽られてたたらを踏んだ。一瞬にして、安っぽい日常の空気は消し飛び、鼻腔を刺すオゾンと殺気の匂いが充満する。
入り口の粉塵が、夜風に流されて晴れていく。そこに立っていたのは、人間ではなかった。 いや、生物としての輪郭を持った、異様な「影」だった。
漆黒のロングコートに身を包んだ、長身の男。 その背中には、自身の身の丈ほどもある、巨大な十字架型の金属ケースを背負っている。 雨に濡れた軍靴が、プレハブの床を踏みしめるたびに、不吉な重低音を奏でる。 顔の半分は影に覆われているが、その瞳――碧眼だけが、暗闇の中で燐光のように輝いていた。獲物を前にした獣の目ではない。 汚物を処理しようとする、感情の一切ない、冷徹な清掃人の目だ。
「……見つけたぞ」
男の声は低く、しかし教会の鐘の音のように腹の底に響いた。 重厚で、厳粛で、そして絶対的な拒絶を含んだ声。
「不浄なる魔女たちよ」
男が一歩、足を踏み出す。 それだけで、室内の空気が凍りついたように重くなる。灯の本能が、けたたましい警鐘を鳴らした。コイツはヤバい。今まで戦ってきた狂信者や、怪物化した人間とは訳が違う。「強さ」の次元が違う。
「……誰だ、テメェ」
灯がS&W M500を構え、問う。 ハンマーを起こす指が、無意識に震えているのを自覚する。 男は表情を変えず、静かに名乗った。
「聖槍異端監察庁(H.L.O.H.)執行官、ルシウス・クロウリー」
彼は、背負っていた巨大な十字架を片手で掴み、床に突き立てた。ズンッ、とビル全体が悲鳴を上げて震える。
「神の名において……灰に還れ」
ガシャン、ガシャン!
機械的な駆動音が響き、十字架が変形を開始した。四方の装甲がスライドし、内部から露わになったのは、祈りの道具ではない。 殺戮のための凶器だ。右側面からは多銃身のガトリングガン。 左側面からは、杭打ち機のような太い銀色の槍。 そして中央部には、青白く発光する聖遺物のコアが埋め込まれている。
「殲滅する」
ルシウスの無機質な宣言と共に、ガトリングガンが回転を始めた。
「散開ッ!!」
灯が叫ぶのと同時に、轟音が炸裂した。
ダダダダダダダダダッ!!
毎分6000発の速度で吐き出される弾丸の暴風雨。それはただの鉛ではない。一発一発に聖句が刻まれ、聖水で祝福された「対魔弾」。壁が、床が、家具が、豆腐のように削り取られていく。直撃すれば、吸血鬼の再生能力すら阻害し、魂ごと消滅させる聖なる毒。
「きゃあっ!?」
「みんな、下がってください! 結界、展開!」
天羽祈が悲鳴を上げ、咄嗟に杖を掲げる。極彩色の魔力障壁が展開され、弾丸の雨を受け止めようとする。 普段なら、戦車の砲撃さえ防ぐ絶対防御。 だが。
パリーンッ!!
接触した瞬間、結界はガラス細工のように砕け散った。 物理的な貫通力ではない。「魔術」という概念そのものを否定し、中和する力が働いている。
「嘘……!? 私の結界が……!」
「させるかよ! 黒焦げになれ!」
辰巳響が咆哮し、迎撃に転じる。 彼女の全身から放たれた高圧電流が、狭い室内を奔り、ルシウスへと殺到する。 数億ボルトの雷撃。直撃すれば鉄骨さえも蒸発する威力。 逃げ場のない密室での電撃は、必中のはずだ。
しかし、ルシウスは動じない。 彼は十字架を盾のようにかざした。十字架の中央にはめ込まれた聖遺物が、強く輝く。
「無駄だ」
ジュッ。
雷撃が、十字架に触れた瞬間に霧散した。 まるで、最初からそこには何もなかったかのように、エネルギーが「消滅」させられたのだ。龍神の神気さえも無効化する、異端審問の絶対権限。
「なっ、アタシの雷が……消された!?」
「属性攻撃無効化……!? 馬鹿な、そんな技術が!」
鉄鏡花が驚愕する。彼女の演算が追いつかない。 科学でも呪術でもない、神の奇跡に類する力。 その隙を、ルシウスは見逃さなかった。十字架から、杭打ち機が発射された。
ドシュッ!!
聖銀の杭が、音速を超えて飛来する。
「ぐぁっ!!」
鏡花は反応しきれず、左肩のサブアームを根元から吹き飛ばされた。火花とオイルが舞う。 あと数センチずれていれば、脳殻を貫かれていただろう。
「お姉様!」
「援護します!」
白雪亞莉愛と白雪華琉愛が、左右からナイフを投擲する。だが、ルシウスの纏う見えない力場(聖域)に弾かれ、刃が届かない。 美流愛が放ったワイヤーも、聖域に触れた瞬間、焼き切れてしまった。
「チェックメイトだ、吸血鬼」
ルシウスが、灯に向き直る。一瞬にして事務所は半壊。仲間たちは全員、血まみれになり、壁際に追い詰められている。 圧倒的すぎる。相性が悪すぎる。この男は、魔女を狩るためだけに特化した、生ける天敵だ。
「……ッ」
灯はM500のトリガーを引いた。至近距離からのマグナム弾。 だが、ルシウスは避けようともしない。弾丸は、彼の法衣に触れる数センチ手前で、ジュッと音を立てて蒸発した。 鉛さえも、不浄なものとして浄化されたのだ。
「……化け物が」
灯が呻く。 ルシウスが、巨大な杭を構えて灯の心臓に迫る。その瞳には、慈悲も、憎悪すらない。 ただ、こびりついた汚れを拭き取るような、事務的な殺意だけがあった。
それは、これまで戦ってきたどんな敵とも違う。絶対的な「死」の具現化だった。1000年を生きた吸血鬼でさえ、肌が粟立つほどの「終わり」の予感。 走馬灯のように、この部屋で過ごした日々が巡る。 不味いコーヒー。腐った鍋。笑い声。それらが今、消えようとしている。
ルシウスの杭が、灯の胸板を捉える。
「神の御許へ」
銀色の閃光が、心臓を貫こうとした――その刹那。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




