顕現する異界の門
(Previously) 記憶を失い荒野を彷徨っていたという少年は旅の二人組に助けられる。
二人と別れとある集落に落ち着きかけた彼だが、そこには怪物に生贄を捧げるという因習があった。
「…!話が、違う…!」
薄曇りの空光に、重く照らされた廃墟の一室。
メイド服の姿の僕は後ろ手に縛られ、ぶざまに転がっていた。
叫んだところで、誰に聴こえる筈もない。
手首を背後で縛るのは、重い鎖。
反対側は頑丈な配管に結わえられ施錠され、座ったり立ったりも出来るが部屋からは出られない。
あらゆる努力を重ねてみたが、自力の脱出は不可能に思えた。
が、助け人なんて思いつかない。
再び立ち上がる。
思い切りスカートの端を踏み、盛大にコケる。
なぜ。なぜこんなことに。
ひとり情けなさに涙目の僕は数刻前の出来事を、もう一度思い出す。
※※※
真昼の曇り空が、寂びた荒れ山の小道の先を重たく覆っていた。
ごつごつとした足裏の感触。だらだらとした登りの坂道の左右は、どこまで行っても天の灰色と、地の土色の景色でしかない。
老婆に案内されて、僕は『北の祠』と呼ばれる廃墟へと向かっていた。
生贄になるためじゃない。
調査と、可能ならそれが機械であり神様などではない…という何かの証を手に入れられないか、と思ったからだ。
それを見せることができれば、もしかしたら村人たちの説得も成るかもしれない。
…まあ、女物の服装のままではあるのだが。
今さらそこに言及しても仕方ない。よね。
得物はスカートの内側に隠したナイフ二本だけ。
戦える装備じゃない、普通に心細い。
…あの人たちなら、どうするのだろう。
二人の顔が、なぜか脳裏に浮かぶ。
…簡単に投げ出しそうではあるな。
なにせ自由な人たちだ。
今ごろは、どこでどうしているのやら。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて古い廃墟が見えてきた。
飾り気のない直方体、三階建て程度の高さ。
かつての用途は医療か、軍事か…なんとなくだが、そういった雰囲気を感じた。
「…あれが…」
何年もかけて何人もの命が捧げられてきたことを思うと、どこか禍々しくも感じられる廃墟。
が。僕の中では、怒りが怖さを上回っている。
…バカバカしい。何が蛇神様の祠だ。
道に沿い、近づく。集落からの遠目では小さかったが、こうしてみるとそれなりのサイズ感だ。
正面中央入口の扉そのものは喪われて、閉じない口を開き続けている。
「ここから入るんですか」
「うむ」
僕は老婆の背に更に従い、昼なお暗く冷えたその祠の内側へと侵入した。
しんとした玄関ホールの残骸。ドラムカンがいくつか転がってる。
老婆は迷うことなく、左手の階段を登る。
壁。天井。手すり…特に異形の痕跡のようなものは見えない。
警戒しつつも小さな背について歩くと、やがてある部屋でその歩みは止まった。
「ここが奥の間じゃ」
「うわぁ…」
部屋の広さは…一人分の生活スペース、といったところだろうか。
絶景に、つい声が出てしまった。
はるか遠方まで見て取れる、壮観な眺望。
入口から見た正面に、大きな明かり取りの窓。外の風が少し入ってくる。
その下は断崖絶壁、遠くには小さくヤクバの集落が見える。
地形全体を見渡すと同じような土山に囲まれた、円い盆地になっていたようだ。
「両手を正面で組め」
「?」
「こうだ。早くせよ」
見ると老婆はもう組んでいる。
そうか、ここは聖地なのだった。立ち入るのに、何か儀式的なものが必要なのかな。
「目を閉じよ」
素直に閉じて、祈る。
偽物の神様などにではなく。
迷信の犠牲になった人々へ。
「決して目を開けず、次は背後で手を組め」
「…?変わった祈りですね…?」
がちゃり。
ん?
背後。両手首が、離れない。
「お…おばあさん?目を開けていい?」
薄目をチラッと開けて見る。と、配管のパイプに僕から繋がる鋼鉄のチェーンの反対側を結わえ終わったところだった。
「悪く思うなよ」
「いや、…え?あの」
老婆は、一人で入口から消えた。
……はじめからこのつもりだったの?
がちゃがちゃ。
「………おーい」
底抜けに間抜けな自分の声が、広い廃墟の静寂に吸い込まれた。
僕はへたりと脱力し、床に座り込んだ。
ついでにパタリと寝転んだ。
もう誰も信じるものかと、僕は固く心に誓った。
※※※
入口横に、腕を組んで壁に凭れる人。
その姿形は僕と同じ。幻を見ている。
何をやっているんだ。幻が語る。
うるさい。幻に語る。
お前はもう、死んでいる。出てくるな。
「……は」
目を開ける。現実。薄らぐ記憶が、消えていく。
右目に微かな痛み。誰も居ない。いるはずもない。
…まだ明るいけど、どれくらい経ったやら。
24時間、30日。12ヶ月、1年。
過去の記憶はないのにそんな知識だけは確か。考えれば不思議だよな――そこから現実逃避に流れそうになった瞬間。
「……何か…居る?」
微かな音のような、空気の揺らぎのような。
人か、…他のモノか。何かの気配。
頑丈な鎖への抵抗に疲れ、不貞腐れて寝転んでいた身を起こす。
レギオンか。野盗か。はたまた犠牲者の死霊…
――。
静寂。
不気味な風の音は、曇天の屋外。
気のせいか。
「…?」
ほんとに気のせいか…?
縛られたまま座り込み、動かずに耳を澄ませる。
「…ほぅ。美味そうじゃな」
全身の毛が、一気に逆立つ。
すぐ耳元で。
「後ろ手に縛られ、神への供物とされた幸薄き美少女――いやさ美少年の、無防備な肉体」
――?!
完全に孤独だったはずの廃墟の一室内で。
いつの間にか、背後に何かが忍び寄っていた。
「抵抗もできない。助けも来ない。強がってはいるが、心は絶望の淵に墜ちる寸前――なんとも美味そうな、たまらない光景じゃあないかね…」
首筋にかかる吐息。肩にかかる指先。
若い女の声。そんなバカな。
相手はレギオンだ、と言っていたはずじゃ…?
「……」
居る。
密着に近い、すぐ背後。
鼓動が高まる。冷や汗が吹き出す。
人型の?レギオン?
いや、そんなものは居ない。いたとしても会話などできるはずがない。
――ここを根城とする野盗の類?
しかし、だとしてもおかしい。
背後には大窓しかなく、その下は絶壁の断崖で。動けない僕は入口を向いていたのだ。
普通の、無力な人間ならば。
いつどうやって部屋に入ってきたというのか。
心臓が、早鐘を打つ。汗が流れ落ちる。
「ふふふ…まあそう怖がるなよ」
後ろ髪を撫でられる。身体の緊張が最高潮に達する。
ヘビガミ……サマ……。
「おっと振り返るなよ。下手に動くと手元が狂うぞ」
もとより動けない。声も出ない。
「なに、一瞬だ。すぐに楽になる…」
なんなんだ、何をされようとしている。どうするのが正解なんだ?抵抗?命乞い?
生贄。食われるのか。僕は、ここで、
「――ん?」
足音。パニクった僕にも聴こえた。ゆっくりと、しかし確かに。近づく、音。
さらに、誰かが来た…ということ。
背後の化物とは異なる、ぱたぱたと、どこか頼りなさげに歩く人間の気配。
「ど…どこですか!?大丈夫ですか?!」
シラ…さん!
助けに来てくれたのか!
「おやおや、邪魔が入ったか。仕様がないな」
背後の気配が、す、と引いてゆく。
振り返る勇気は出ない。
「少年、ひとつ言い渡しておこう。命が惜しければ、今からあの娘に近づかないことだ。あれは」
冷酷な声が、厳かに告げる。
「片付けさせてもらう。これから、直ぐに」
……!
意を決して、振り返る。
誰も居ない。いや。消えた。
「ど…どうしたんです?大丈夫ですか」
振り返る。黒髪。驚いた顔のシラ。
その上、…鉄骨が剥き出しの廊下通路の天井に。
「あ、あ、…」
あり得ない。
逆さまにぶら下がる、女の。
白い両手が。
シラの首と右手を、がしりと捉えた。
悲鳴が、廃墟に響き渡った。
※※※
天井から少女を捉えた、怪物の顔。
その顔…綺麗な顔をして…
…いや。え。
それはあまりにも場違いな。
逆さになってもどこまでも、無邪気でお気楽な。見覚えのある、その満面の笑み。
いや、ウソだろ……?
「『ミミ』さん!?!?」
先日出会い、別れたはずの女性。もう何がなんだか分からない。
混沌の状況が到達した頂点は、僕に恐怖とは別の叫びを上げさせた。
「はーいボクだよ〜。こないだぶりだね〜」
天井に逆さに立った彼女は、その姿勢でシラさんを捉えたまま、いとも気楽に挨拶を返した。
「なんでここに?なんでどうやって天井に直立してるんですか?!タマさんは…!?」
「アタシはさっきからいるだろ」
後ろ!!
アンタだったのかよ!!!
バニースーツに、グリーンのフライトジャケット。
怪しげな白衣にセーラー服。
間違えようがない、こんな変人。変人たち。
「いや普通に話しかけて下さいよ!完全に化け物に捕まったと思ったじゃないですか!」
「スマンな。好みのシチュについ興奮して、オタ特有のババァ口調に」
「つい興奮しないで下さい!!」
あっこれは腹立つニヤニヤ笑い。絶対わざとやったな。
「いや、これは…どういうことなんです」
とりあえずシラさんを離してあげてもらえないだろうか。
「まあ少し待て。言った通り楽にしてやるよ。電子ロックでよかったな」
アタシに外せない電子錠は無いんだ。
言いながら彼女がごそごそと僕の手首と自前の機器をいじると、数秒で呆気なく僕を縛めていた拘束具は床に落ちた。
…今。
凄い事を言ったんじゃないのか。
「よーいしょ、っと」
ミミさんがふわりと床に落ちつつ、同時にシラさんに伸し掛かり巧みに拘束する。
「くっ!離せ!」
あまりに流麗な動きに一瞬、魅入られた。こちらも普通の技能じゃない。
「あの…貴方がたはいったい…?」
「さて、不幸なお人好し君に全部説明してやろう。解決編に続く、だ」
は?




