【2-4】桜の香り
アユに案内され牛車に乗った俺達は、それから半日かけて桜宮へと向かった。
徒歩ではない分まだ楽だが、馬車よりは速度も遅く。桜宮に着いた頃には、日はすっかり暮れていた。
牛車から降りると、鼻腔をくすぐるのは桜の香り。花はすでに散り、殆どは新緑の葉が生えていたが、山桜の類はまだ花が咲いている様で、地面に降りた途端息が浅くなるのが分かった。
(……だめか?)
短く息を吐き、過呼吸になりかけるのを堪えていると、前にいたマコトが振り向き名前を呼ぶ。
「大丈夫か?」
「……ああ」
無意識に気付かれない様に小さく頷くが、数歩歩いた所で冷や汗が肌に浮き上がるのが分かると、俺は再び足を止めた。
足が震える。目の前が揺れる。怖くないと自分に言い聞かせるが、身体が明らかに拒絶していた。
赤い羽織を握り締め俯くと、マコトが歩み寄る。して、俺の手を握った。
「……すまない」
途端に謝罪の言葉が出てくると、マコトは慌てる事なく静かに首を横に振る。一向にやってこない俺達を案じてか、レンが名前を呼ぶ声が聞こえてくると、マコトが振り向き言った。
「すまないレン。牛車で少し酔ってしまったから、キサラギと夜風に当たってから向かうよ」
「えっ、大丈夫?」
「ああ」
そうマコトはレンに伝える。けど、彼女の顔を見れば嘘をついている事位分かる。それでも、レンは疑う事なく、「わかった」と返した後、奥にあると話していた屋敷へ向かって行くのが見えた。
マコトは間を置いて俺の手を引くと、山桜から離れる様に、屋敷とは別の方向へ進む。
道の端に置かれた燈篭を手掛かりに、あてもなく歩いていけば、やがて一目に付かなそうな丘の上で止まり、マコトはこちらを見る。
「ここまで来たら大丈夫か?」
「……ああ」
少し冷たい夜風が髪を撫でる。桜の香りはもう感じなかった。
深く息を吐いた後、顔に手をやりながら俺は呟いた。
「もしかしたら行けるんじゃないかと思ったんだが……駄目だった」
「……」
俺の言葉にマコトは黙って耳を傾ける。俺は俯いたまま立ち尽くしていると、マコトは引き寄せる様にして腕を俺の首に回した。
回された腕は、そのまま背中まで降りてくれば、優しく摩る。言葉にはせずただ摩り続ける彼女に、俺は目を閉じた後されるがままになる。
早くなった脈が落ち着き、ゆっくりと瞼を開けば、そっとマコトに体重を傾けた。
「……甘えるつもりはなかったんだが」
「うん」
「けど……助かった。ありがとう」
そう礼を伝える。それにマコトは笑んで頷けば、身を離す。その後、桜宮の屋敷の方を見れば、行けるかどうか訊ねてきた。
「もし無理ならば、今からでも伝えに行くが」
「いや。大丈夫だ」
多分。そう漏らすと、マコトは苦笑して「多分か」と返す。マコトのおかげで落ち着いてきたとはいえ、向かおうとすれば、僅かに足が震えるのが分かる。
今更ながら、こんな事で行けない自分が情け無く感じるが、それでもどうにかして行こうと、手を強く握り締めて向かおうとした時、視界にライオネルの姿が目に入る。
「レンから聞いて心配して来たんだけど……大丈夫?」
「……」
ライオネルがそう気遣う様に声を掛けてくると、俺は小さく頷き側を通り過ぎる。
大丈夫。大丈夫。そう再び念じながら、先程牛車に降りた所までくれば、桜の香りもまた感じ始めた。
あの日も今の様に暗く肌寒い、桜の時期だった。
一歩踏み出す度に脳裏に浮かぶのは、燃える村に倒れた頭領達と花が咲いた桜の木。
何年経とうがあの光景は色褪せる事無くこびり付き、俺の身体を恐怖で支配していく。それが進む度に大きくなり、最終的にまた足が止まりそうになった時、後方からやってきたライオネルによって、瞬間的に屋敷内へと移動された。
「っ⁉︎」
畳部屋に膝をつき呆然とする。
共に連れてこられたのかマコトも横で驚いていると、ライオネルは「ごめんね」と謝って、傍に座った。
「ここは屋敷の離れで桜はないから。だから、桜の香りもしないし、香も炊いているから」
そう言われ部屋を見回すと、隅に置かれた棚に香炉があった。その香りに身体から無駄な力を抜くと、俺は顔を上げてライオネルを見た。
「どうして、桜が駄目と分かったんだ」
「……そりゃあ、ね」
分かるよと、ライオネルは眉を下げつつ笑う。
マコトはマコトで俺達を交互に見た後、「桜」と言葉を漏らした。
ライオネルはマコトの言葉に頷くと、俺を見て言った。
「今まで桜宮に来れなかったのは、桜が駄目だったからなんだよね」
「……」
否定はしなかった。
とはいえ、春以外であれば桜宮にも何度か訪れた事はある。……あるが、まさかここにライオネルが居るとは思っていなかったのである。
「ま、俺自身しばらくは隠されていたから、知る人はあまりいなかったんだけどさ」
ライオネルはそう言って、片膝を抱える。
俺がいつもいた白蛇の森と桜宮はあまり離れていない。それにもかかわらず、ここまで時間が掛かってしまったのは、互いにそれぞれ事情があり、そのせいで情報も接点もなかったからである。
俺はライオネルを見ると、真顔で「お前のせいだからな」と半ば八つ当たりの様にして言った。
「だいぶマシになってきたとはいえ、桜が咲く季節は身体が動かない」
だからその時期だけ森に引き篭もる生活をしていた。
梅が咲き始めた頃に、橙月であらかた食料を買い込み、あの炭鉱跡地で過ごしていたのである。
それを恨めしく話していると、合点がいったのかマコトが納得するかの様に強く相槌を打った。
「通りでやけに生活感があった訳だ」
「ああ」
とはいえ大体は数日も経たぬうちにマシロに見つかり、家に連れて行かれるのだが。
その為居住地とはいえど、どちらかというと秘密基地に近い所がある。
その説明をマコトにすれば、マコトは笑顔で返す。
「まあでもそのおかげで私は助かったからな」
「それはそうだが、あまり見知らぬ地には入り込むなよ」
これがもし俺のではなく山賊や魔物の住処であれば、マコトの命は無かったかもしれない。
忠告も交えつつ言えば、マコトは分かったと返し、履いていた靴を脱ぐ。
それに釣られる様に俺も草鞋を脱いだ所、ようやっと立ち上がると、草履を置きに部屋に出る。
縁側付きの廊下に出れば、確かに桜の木はなかった。
玄関に草履を置いて部屋に戻れば、ライオネルの姿が消えていた。
「レン達の元に行ったのか?」
そう呟きつつ、マコトと共に部屋に入る。と、「そうだよ」とライオネルとは違う声が聞こえてきた。
振り向き様に、マコトを庇いつつ警戒すれば、そこに立っていたのは、龍封じの山脈で会ったあの神だった。
「スターチス……!」
「あ、名前覚えててくれたんだ。良かったー」
「っ、何の用だ!」
声を荒らげ短刀を抜けば、スターチスは腰に手をやりながら「別に」と笑って、勝手に部屋に入ってくる。桜宮の誰かに呼ばれて来たのだろうか。
視線で追い、部屋に入らずに睨んでいれば、スターチスは部屋の真ん中でこちらを向くと、「で」と話しかけてくる。
「仇討ちは出来た?」
「っ……」
「……その様子だと出来なかったんだ」
残念だったね。そう笑み混じりに言われ、俺は舌打ち混じりに視線を外す。
マコトは険悪な俺達の空気を察してか、俺の背から動かずに様子を静視していると、スターチスがマコトを見た事でびくりと彼女が震えたのが分かった。
「それにマコトもまたこちらにきたんだ?」
「……は、はい」
「戻りたい? 戻りたいなら今すぐにでも戻してあげるけど」
スターチスの問いにマコトはしばし考えた後、「いいえ」と言って俺の手を握る。断ったマコトに俺は驚き見つめれば、彼女は真っ直ぐとスターチスを見て言った。
「恐らくまたこちらにくると思います。ならば、その原因を見つけるまでは私はここに残るつもりです」
「ふーん。そっか。……けど本音は?」
「本音?」
マコトは目を丸くする。スターチスはそんなマコトに口角を上げつつ言った。
「彼の事が心配なんでしょう? だから帰りたくない。違う?」
「それは、そうですが……」
そう訝しげにマコトが言えば、その間に入る様にライオネルが襖を開けて現れる。
手には急須や湯呑みが乗った盆を抱えていたが、スターチスを見るなりその盆を畳の上に置くと、ライオネルは低い声でスターチスを見て言った。
「突然現れて何の用?」
「あ、久しぶり桜宮の魔術師。生きていたんだね」
「話聞いてる? 何してんのって聞いているんだけど」
そう言いながら俺達の前に立つと、腕を組みつつスターチスを睨む。
スターチスはというと、笑んでこちらを見つめたかと思いきや、スッと笑みを消して返した。
「別に。この間こいつとやり合ったからさ。その続きでもと思ったんだけど」
「やり合った? キサラギと? 何があったの」
「……ちょっと色々?」
拗ねた様にスターチスは返す。それにライオネルは溜息を吐けば、「やめてよね」と呆れつつ言った。




