第90話 ルークの苛立ち
「クロエか?」
その声を聞いて、その姿を目にした途端。
先程まで凍りついていたクロエの身体が、魔法が解けたように自由になった。
「こらルーク! 途中で入団式を抜け出したと思ったらナンパだなんて、何考えてんだ!」
野太い怒声が向こうから聞こえてくる。
「ちっ……」
とルークが舌打ちして気を離した隙に、クロエはたたっと駆けてロイドの元へ向かった。
「ロイドさん……!!」
思わずそのまま抱き着きそうになるのを寸前のところで耐える。
「なぜ君がここに?」
前までやってきたクロエに、ロイドが素朴な疑問を投げかける。
「突然お尋ねしてごめんなさい。お弁当を忘れていたので、届けに来ました」
そう言ってクロエは、布袋に入った弁当を差し出した。
ロイドが合点のいったように頷く。
「ああ、なるほど……すまない、面倒をかけた」
「いえいえっ……。私こそ、お渡しするのを忘れていて本当にごめんなさい」
深々と頭を下げるクロエに、ロイドは「気にするな」と声を掛ける。
「俺も、弁当を忘れていた事に気づいてどうしようかと困っていたところだ。だから助かった、ありがとう」
「ロイドさん……」
ロイドに褒められて、クロエがほっこりしていると。
「やあやあクロエちゃん、久しぶり」
「あ、フレディさん、こんにちは!」
ロイドの後ろからやってきたフレディにも、クロエは頭を下げる。
そんなクロエの格好をぱっと見てからフレディは言う。
「それにしても、今日はえらく綺麗だね」
「王城をお訪ねするとなると、変な格好は出来ないなと思って……」
「そんな気を張らなくても良いよ。男しか居ないむさくるしい場所だし」
肩を竦めて笑うフレディ。
その後ろからゾロゾロと、騎士服に身を包んだ男たちがやってきた。
皆それぞれ屈強だったり、引き締まっていたりと、一目でこの国を守る騎士たちだとわかる。
そんな男たちは「なんだなんだ」とクロエに視線を向けてきた。
「す、すみません。私、このままいたらお邪魔ですよね」
あせあせといった様子でクロエは言う。
「邪魔というわけではないが。昼食が済み次第、通常訓練に入るから居ても暇をさせてしまうと思う」
「通常訓練っ……」
どこか弾みのある声を漏らすクロエ。
普段は見られない、ロイドが剣を振るう姿を目にする事ができるという興奮が湧き出ていた。
「興味あるのか?」
「いえ! そんなそんな……」
ぶんぶんとクロエは頭を振る。
ここで「ある」と答えたら、ロイドはなんとかしそうな気がした。
だが流石に、部外者である自分はこのまま居座るのは良くないとクロエは判断する。
「お弁当は渡せたので、そろそろ帰ります。ロイドさんは気にせず、訓練頑張ってください」
「そうか」
相変わらずの無表情で言うロイドだったが、どことなく残念そうにも見えた。
その時。
「ちょっと待てよ」
低い声。
「何? アンタら、知り合い?」
クロエとロイドの一連の流れを見ていたルークが、面白くなさそうな表情で尋ねる。
「クロエは俺の家の家政婦だ」
「家政婦! へえー、なるほど……」
先程クロエがロイドに渡した布袋を見遣って、ルークは頷く。
「何か、問題でも?」
「別に問題はないさ。ただ、不釣り合いだなと思って」
「不釣り合い?」
ロイドが眉を顰めると、ルークは得意げな笑みを浮かべてクロエに歩み寄る。
「騎士爵ごときに君のような可愛い家政婦は似合わないよ。どうだい? うちに来る気はないかい? 我が屋敷の家政婦になれば、そこの貧乏な騎士なんかよりも多くの給金を出せるよ」
ルークの言葉に、クロエの胸にモヤッとした感情が湧き起こった。
騎士爵ごとき。
貧乏な騎士。
ロイドに対する明らかな侮蔑に、胸に沸いた感情はたちまちのうちに熱を帯びて、ルークに対する怒りへと変化する。
しかし、一方のロイドはそんな言葉なんぞどこ吹く風といった様相でクロエに尋ねる。
「彼とは知り合いか?」
「いえ、先程話しかけられたばかりです」
「なるほど。不快な思いをさせてすまない。彼は誰かまわず女性に話しかける癖があるようでな。第一騎士団の一員として謝罪をする」
「大丈夫ですよ、特に何か実害があったわけでも無いので……」
不快な思いをした事は確かだが、それをいちいち口にするほどクロエの心は狭くない。
「あとはこちらで対処する。クロエは家に戻っていてくれ」
「は、はい! ありがとうございます、では……」
「ちょっと待てよ! まだクロエとの話が終わっていない!」
そそくさと場を去ろうとするクロエに、ルークが声を張り上げる。
そこか面倒臭そうな表情で、ロイドはクロエに尋ねた。
「何か、彼と話す事はあるか?」
「いいえ、全く」
反射的に答えてしまってから、クロエはハッとする。
ルークに対する感情がそのまま出てしまった事に後から気づいても、時すでに遅し。
フレディが「くくく……フラれてやんの」と肩を震わせて笑う。
流れを見ていた男たちも、「ざまあねえな」と言わんばかりのニヤニヤ顔を浮かべていた。
「くっ……この……」
案の定、プライドが山よりも高いルークは顔を真っ赤にして怒りを滲ませた。
平民如きが俺を馬鹿にしやがってと、顔に書いてある。
このまま怒りに身体を震わせるだけなら良かったものの、ルークは思いもよらぬ行動をとった。
腰の剣をスラリと抜き、ロイドに向けて声高々に叫んだのだ。
「ロイド・スチュアート! 僕と勝負しろ!」




