第83話 距離が近くて、どきどき
イアンの本屋で新しい本を購入した翌朝。
「ふあ……」
朝食中、思わず欠伸を漏らしてしまうクロエ。
「眠そうだな」
「あ、すみませんっ」
ロイドに指摘され、クロエは慌てて目をぱちぱち瞬かせる。
それからごしごし目元を擦って、ぶんぶん頭を振った。
「目覚めました!」
「いや……そんな、無理しなくていいぞ?」
真顔で言った後、ロイドは尋ねる。
「昨晩は、夜遅かったのか?」
「うう……すみません。昨日買った本がなかなか面白くて、つい夜更かししちゃいました……」
目を「><」にして申し訳なさそうにするクロエに、ロイドは優しい言葉をかける。
「謝ることではない。人間、たまには夜更かしをするものだろう。むしろよく、今まで早寝早起きを徹底出来ていた」
「そんな、褒められるような事でもないですよ。家政婦として、当たり前のことをしていただけです」
「俺からすると、頑張り過ぎだと思うがな。クロエの働きっぷりは俺がよく知っている。だから、気にしないでいい」
「ロイドさん……」
目を伏せて、ちょっぴり照れ臭そうにクロエは言った。
「そう仰っていただけると、嬉しいです……」
◇◇◇
朝食後、お皿を洗っていたクロエがふと尋ねる。
「そういうロイドさんも、少し寝不足だったりしますか?」
出勤のための着替えをしていたロイドの動きがぴたりと止まる。
「…………よく気づいたな?」
「あ、やっぱりですか。ほんの少しですが、目元にクマが出来ているように見えたので」
「鋭い目をしているな。クロエ、やはり君には騎士の才能があるぞ。剣撃の予測において、目は非常に重要な要素だ」
「体がついていかないので無理ですねえ」
苦笑と共に返すと、ロイドは「そうか……」と残念そうな顔をする。
皿洗いが終わったので、クロエがちょこちょことソファに腰掛けロイドに尋ねた。
「昨晩は、眠れなかったのですか?」
「いや……クロエが本を読み始めて、俺の読書熱も再燃したようでな。それで少し、夜を更かし過ぎた」
「あら、ロイドさんも」
真面目な声色で言うロイドに、ふふっと笑みを溢すクロエ。
「面白い事を言ったつもりはないが」
「いえいえ、大した事じゃありませんよ。私と一緒で、読書で夜更かしをしていたんだなあって思うと、何故だが少し嬉しいなって思ったといいますか」
「不思議な感性を持っているな」
「自分でもよくわかりません」
クロエが笑って言うと、ロイドはどこか居心地悪そうに頬を掻いて話を変えた。
「今日は大事な式典の日にも関わらず、本の誘惑に負けてしまった。騎士として猛省せねばならない」
「式典……そういえばロイドさん、今日はやけに着替えに手間取っていますね」
「今日は新しい団員の入団式があってな。正装で行かねばならないのだ」
「なるほど、入団式。そういえば、もう春ですもんね」
実家でも、この季節になると新しい使用人が入ってきていた記憶がある。
ある者はこれまでお世話になった職場や学校に別れを告げ、ある者は新天地に心を躍らせる、春はそういう季節だ。
きっと、盛大な催し物なんだろうとクロエは予測する。
その証拠に、ロイドの胸元にはいつもより煌びやかな勲章が並んでいた。
ふと、ロイドが小さくため息をつく。
「どうかされました?」
「いや……今日入団予定の新人に、少々活きが良過ぎる者もいてな。面倒事になりそうな予感もあって、気が重い」
「ロ、ロイドさんが言うのなら相当ですね……」
「今日はなかなか、大変な一日になるかもしれん」
「ロイドさんなら大丈夫ですよ、ふぁいとです!」
眉を顰めて言うロイドに、クロエが胸の前で両拳を握って言った。
「……そう言ってくれると、助かる」
準備を終え、玄関に移動するロイドにクロエもついていく。
「入団式の後に、新人へのレクチャーもあるから、もしかすると今日は帰りが遅くなるかもしれない」
「わかりました! 私の事はお気になさらず、お仕事頑張ってきてください」
内心はちょっぴり寂しいクロエであったが、ロイドがなんの気兼ねもなく仕事に励めるよう笑顔で言うクロエ。
そんな彼女の表情をじっと見つめて。
ロイドが、クロエの耳元に顔を近づけた。
「ロ、ロイドさん……?」
「なるべく早く帰る」
ぽん、と優しくクロエの頭を撫でた。
「では、行ってくる」
「い、行ってらっしゃいませ……」
家を後にするロイドに、小さく手を振るクロエ。
ロイドが行った後、クロエはへなへなとその場に座り込んだ。
「び、びっくりした……」
急な接近と頭ぽん、そして耳元で囁かれる低音ボイスに顔の温度が急上昇してしまった。
「ひゃあああ〜〜〜……」
頬を押さえて、クロエはしばらく悶えてしまうのであった。
「……さて、と」
立ち上がり、こほんと咳払いをして切り替える。
さあ、仕事の始まりだと気合いを入れ直すと。
「ふぁ……」
また欠伸が漏れてしまった。
どうやら思った以上に睡眠時間が足りてないようだった。
作業の効率を考えると、まず少しだけ仮眠を取るのも良いかもしれない。
シャダフではそんな働き方をしようものなら使用人に告げ口をされ、母や姉に罵倒を浴びせられたものだが、ここではそれが出来る。
「ううん、いけないいけない」
頭を振る。
これからロイドが仕事だと言うのに、家でグースカ惰眠を貪る家政婦がどこの世界にいるのだろうか。
普通にいると思うが、クロエは申し訳なさが勝って出来なかった。
それに下手に仮眠をして眠り込んでしまったら、今晩の寝つきが悪くなってまた夜更かしして……の負のループに陥る可能性もある。
「頑張りましょうかね……」
眠気はあるが、気の持ちようでなんとかなる程度だ。
それこそ、三日三晩寝ずに働かされていたシャダフの頃と比べたら天国にも程があるだろう。
ぺちぺちと頬を叩いてから、ルーティンの家事に取り掛かる。
「ふふーんふふーん♪」
眠気覚ましも兼ねて鼻歌を歌いながら洗濯。
その後、家の中の掃除。
何箇所か綺麗にした後、台所の掃除に取り掛かろうとして。
「あーーーー!!」
クロエの大声が家中に響いた。
ロイドの昼食用に作った弁当。
それをものの見事に、台所に置き忘れている事に気づいたのだった。




