第81話 伝えたい気持ち
「ふむふむ……なるほど……ああっ、まさかそんな……」
夜、ロイド家のリビング。
夕食も終わり、いつもはまったりしている時間。
クロエはソファに座り、今日購入した本を早速開いていた
「えええー……そう来ちゃいますか? うあああ、もう、だから言ったのに……」
読み進めるたびにリアクションを表情や言葉に表すクロエが、心の底から楽しんでいることは一目瞭然だった。
クロエの読書の特性として、本の世界に入り込んでしまうというのもあるが、前提として今回イアンが選んでくれた本──『騎士と恋』がシンプルに面白かった。
『騎士と恋』に対するサラのリアクションは正しかったようだった。
「ふ……」
食卓の椅子に座り同じように読書をしていたロイドが、先ほどから忙しなさそうにするクロエを見て小さく笑う。
「どうかされました、ロイドさん?」
ひょこりと顔を上げ、不思議そうに首をかしげるクロエ。
「いいや、なんでもない。なかなか、ユニークな挙動をしているなと思ってな」
「ああっ、ごめんなさい。うるさかったですよね」
「この程度の音で途切れるほど俺の集中力は脆弱ではない。だから、気にしないでいい」
ロイドの言葉に、クロエはほっと胸を撫で下ろした。
「むしろ、見ている分には楽しいからそのまま続けてくれ」
「うぅ……恥ずかしいです」
羞恥でほんのりとトマト色に染まった顔を、クロエは本を持ち上げて隠した。
悪戯が見つかった子供のような仕草に、ロイドの胸がきゅっと音を立てる。
お互いに集中できるよう、少し離れて本を読んでいて良かった。
もしいつものようにソファで並んでいたら、ロイドはクロエの頭を撫でくりまわしていたに違いない。
「ロイドさん?」
「あ、ああ、いや、なんでもない」
ごほんと誤魔化すように咳払いをした後、ロイドは尋ねる。
「ちなみに、どんな本を読んでいるんだ?」
「ラブロマンスものらしいです!」
「らしい?」
「本屋さんの人が教えてくれまして。なんでも、今、王都のレディたちの間で大流行りの一冊らしいですよ」
「なるほど。俺はあまり手に取らないジャンルだな。面白いのか?」
「ええ、とても! 高名な令嬢が戦争で囚われ奴隷となってしまうのですが、敵国の騎士に救われて一緒に暮らすようになって……みたいなお話です」
「ほう、騎士か」
心なしか、ロイドが興味を持ったように身を乗り出す。
「買う時にロイドさんの顔が浮かんで、一冊目で買うならこれだと思って購入を決めたんです。結果的に大当たりでした! 主人公の女の子は純粋で心優しくてとても良い子なんですが、厳しい境遇に陥っても折れない強さがあって、それから……」
はっと、途中でクロエが気づいたように目を見開く。
「ご、ごめんなさい、つい……」
「気にしないでいい」
まるで微笑ましいものを見るようにロイドは言う。
「楽しんでいるようで、何よりだ」
「お陰様で……」
「それで?」
まだ話し足りなさそうなクロエに先を促す。
「あ、えっと、身分差故に様々な障害が二人を襲うんですけど、ここぞという騎士の方が力を発揮して主人公を守る姿がもう、かっこいいんですよ!」
「当然だ。騎士は有能で強くなければならない」
「現役の騎士さんが言うと説得力が違いますね、でも……」
ロイドに向けた眼を細めてから、クロエは大事な宝物を撫でるように言う。
「ロイドさんも、とってもかっこいいですよ」
容貌も、中身も、所作のひとつひとつも。
ロイドという人間全般を指して、クロエは言った。
面白い本を読んでいる時の興奮に任せて出た言葉だった。
対してロイドは……過去、クロエを何度か助けた行為について指していると解釈した。
自分という人間が、いわゆる『かっこいい』の部類に入るという自覚が、ロイドには乏しかった。
「……騎士として、当たり前のことをしたまでだ」
といいつつ、どこか気恥ずかしそうに頭を掻くロイド。
(わわわ私……さらりとなんて事を……!!)
一方のクロエは、口に出してから後追いで恥ずかしさがやってきて再び顔を本で隠した。
それから自然な流れで、お互いに読書に戻って。
しばらくして、ふとロイドが口を開く。
「しかし今更の話になるが……」
素朴な疑問をクロエに、投げかけた。
「クロエは本、読めたんだな」
「はい! これでも、読み書きは得意な方なのですよ」
ふんすっとクロエが得意げに言うと、ロイドは「そうなのか」と不思議そうに眉を顰めた。
(あっ……そっか……)
ロイドの反応を見て、気づく。
本は読めるのか、というロイドの言葉の真意。
ローズ王国の識字率の正確な数字はわからないが、普通、読み書きは貴族か商人の技能で、平民には備わっていないはずだ。
「こ、子供の頃に、私に読み書きを教えてくれた人がいてですね! それで……」
誤魔化すようにクロエは言う。
自分は辺境伯の令嬢であると、ロイドにはまだ話していない。
明かす事にはまだ、抵抗があった。
「なるほど」
ロイドはしばし考える素振りを見せてから。
「その者は、なかなか優秀な人だったんだな」
それ以上、深掘って来る事はなかった。
掘り下げられたくないというクロエの心中を察したのは明白である。
ちくりと、クロエの胸が痛む。
先程、ロイドが自分の過去に触れた時とは違う種類の痛み。
ロイドに自分の詳細──辺境伯の令嬢であることや、背中の痣が理由で呪われた子として扱われていた事などを、まだ話せていない罪悪感だった。
「そう、ですね……とても頭が良くて……優しい人でした」
ぎこちない笑みを浮かべながら、クロエは言う。
(いつか、ちゃんと話さないと……)
と思いつつも、なかなか話すタイミングが来ない。
全部話して、気味悪がられてしまったら、嫌われてしまったら……。
そんな恐怖が、クロエの勇気を萎縮させてしまっていた。
ロイドに限ってそんな反応をするはずがない、と頭ではわかっている。
しかし、今まで家族に散々虐げられる中で育まれた低い自己肯定感が、後一歩を踏み出せないでいる。
つまるところ自分の弱さが、先延ばしにしているのであった。
(だめだなあ、本当に……)
自己嫌悪が胃の底の辺りから湧き出す。
自分の曇った表情を見せないように、また顔を本で隠してしまった。
(ちゃんと話したい……ちゃんと話して、それから……)
自分の、ロイドに対する気持ちも伝えたい。
あの日、フレディ家での夕食会の後に自覚した、ロイドに対する恋心。
きっと叶わぬ恋だとわかっていつつも、ロイドに対する想いは日に日に募るばかり。
今読んでいる本がまさに、本来なら決して叶う事のない身分差恋である事も、クロエの心をしっとりさせている要因だろう。
想いを伝えたいと思う一方で、今の距離感が心地よくて幸せで、壊したくないという気持ちもあって。
二つの想いの狭間で、クロエは揺れているのであった。




