第79話 本屋のイアンさん
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたか」
失敬失敬と頭を掻く男性は、見た感じクロエよりも五、六歳ほど年上に見えた。
日焼けを一度も経験した事なさそうな白い肌、柔和な目元にはアンティークな丸メガネ、長めに切り揃えた亜麻色の髪は中央で分けられている。
目鼻立ちも非常に整っており、屋敷の大きな窓のそばで読書をする姿が似合いそうな、知的で落ち着いた雰囲気を纏った美丈夫だ。
背はクロエよりもずっと高く、ロイドよりも少し低いくらいだろうか。
鍛えて肩幅の大きいロイドに比べると随分と線の細い体躯は、ワイシャツとクリーム色のカーディガンに包まれていた。
「こ、こんにちは! 初めまして、クロエと申します」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。僕はイアン、この書店のオーナーをしています」
ぺこーと行儀良く頭を下げるクロエに、男性ことイアンも挨拶を返す。
「店長さんなんですね。すみません、勝手に入っちゃって……」
クロエが言うと、イアンは不思議そうに目を丸める。
「うちはただの本屋なので、入店に制限はありませんよ。営業時間内なら、誰でも自由に出入りいただいて構いません」
「あ、そうなんですね、そうですよね……すみません、頓珍漢な事を」
見事な世間知らずっぷりを披露して顔を赤くするクロエに、イアンは「いえいえ、お気になさらず」と優しく笑った後、こほんと咳払いをして尋ねる。
「それで、どういったものをお探しですか? よければお手伝いいたしますよ」
「本当ですか、ありがとうございます! ……と言っても、特別これを! という訳ではなく、面白そうな本があれば……くらいの感じで来たんですよね」
「なるほど本自体は初めてですか?」
「小さい頃に読み聞かせで何冊か……くらいですね」
「なるほど、なるほど」
ふむふむと顎に手を当て頷くイアン。
「苦手なお話などはありますか?」
「怖いのと残酷なのは、ちょっと苦手かもしれません……以前、一回だけ怖い話を読み聞かせて貰った日の夜もう、お手洗いに行けなくなっちゃいました」
「あるあるですね」
微笑ましげに口元を緩めてから、イアンが言う。
「わかりました。では、王道ではありますが、ラブロマンスものの小説などいかがでしょう? 今、王都の女性の間で大流行りの作品があってですね」
「らぶろまんす……!!」
今までの自分とは全く縁のなかった、しかし妙に甘美な響きを持つジャンル名にキラキラと眼を輝かせるクロエ。
「興味、ありそうですね」
こくこくとクロエが頷く。
わかりやす過ぎる反応に、イアンは思わず笑みを溢した。
「それでは案内いたします。ラブロマンスものは、こちらの棚に……」
イアンの案内で、ラブロマンスものの小説が並んだ棚にやってくる。
「ここからこの辺りまで、全てラブロマンスものの小説です」
「わあ、たくさん……ありがとうございます!」
「おすすめとしてはこちらなど、今まさに王都で流行している作品です。由緒正しき令嬢が戦争に巻き込まれ囚われ奴隷となっていたところを、敵国の騎士に救われ一緒に過ごすようになって……といった、身分を超えた恋の物語となっております」
「騎士……」
思わず、呟いた。
頭にふんわりと、毎日一緒に過ごしている黒髪の騎士の姿が浮かぶ。
それに加え、元令嬢と騎士との恋というシチュエーションに、妙な親近感が湧いた。
買う理由としては、それだけで充分だった。
大きなハードカバーの本を手に取る。
表紙にはお洒落な書体で『恋と騎士』と書かれていた。
シンプルながらも、どこかすとんと胸に落ちる、素敵なタイトルだと思った。
尋ねる。
「これ、おいくらですか?」
「こちらの値段は……」
本は娯楽品ということもあって、イアンから告げられた価格は少し高めだったが、ロイドから貰っている給金的には問題なさそうだった。
(どうせ使い道もないし……)
それに、奴隷と騎士と身分を超えたラブロマンスなんて面白そうなもの、読まない手はない。
「では、これください!」
「毎度ありがとうございます」
「せっかくなので、もう一冊くらい買っていきたいのですが、他におすすめはありますか?」
「ありがとうございます! 他、評判の良い本と致しましては……」
イアンのお薦めによって、無事もう一冊の購入も決まった。
ちなみにそちらの方は、親の命で許嫁同士になった幼馴染の貴族の男女のラブロマンスもの。
表面上はいがみ合っているが、実は二人とも素直になれないだけで、貴族学園に入学した事をきっかけとして少しずつ距離が近づいていく……という、これまたなんとも面白そうなストーリーだ。
本を読みなれている人にとってはベタな設定も、今まで全く物語に触れてこなかったクロエにとってはとても新鮮で、面白そうな予感しかなかった。
「こちら、お釣りになります」
無事、本の購入を決めて、お会計をするクロエ。
本は紙袋に丁寧に包んで貰ってから手渡された。
両手にずっしりとした重さを感じる。
自分が働いた給金で買ったものだと思うと、なんだか嬉しい気持ちが湧いてきた。
「ありがとうございます! お薦めしてくださって、本当に助かりました」
「いえいえこちらこそ。クロエさんのような若い人に買って頂けるのは、私としても嬉しい限りですよ」
「イアンさんの紹介の仕方がとても上手で、普段本を読まない私でも、読んでみたい! と思っちゃいました」
「そう仰って頂けると、書店員としては嬉しい限りです」
「読み終わったら、また買いにきますね」
「ええ、また、是非」
その会話を最後に、クロエは書店を後にした。
(雰囲気も良かったし、店員さんも良い人だったし……良いお店だったな)
思い返しながら、帰り道を歩くクロエ。
いつもなら暇になって縁側で紅茶を飲む時間に、こうして有意義な時間を送れたことはとても良かった。
(また、来よう……)
胸に本をぎゅっと抱いて、そう思うクロエであった。




