第75話 やりたいこと
「あ、ちょうちょ」
ロイドの家。
庭先の縁側で午後のティータイムを決め込んでいたクロエが呟く。
ぱたぱたと羽根を揺らして飛ぶ黄色い蝶々を見ると、春の気配を感じて何処かほっこりした心持ちになった。
(そういえば……実家でよく見ていた蝶々は、黄色じゃなくて青だったっけ……)
シャダフは山岳地帯にある町という事もあり、春や夏になるとよく色々な虫が姿を現していた。
余計な殺生を望まないクロエは、屋敷で虫を見つけた時はよく窓から逃してあげたものである。
「そういえば……」
王都には、見るも悍ましい姿形をした害虫がいると、シャーリーが言っていた気がする。
『いいですか、クロエ様。シャダフでは年中通して気温が低いので出てきませんが、王都ではもうそれは恐ろしい悪魔のような害虫がいるのです』
『ええー、どんな虫なのー?』
『大きくて、茶色くて、平べったくて……目にした瞬間、全身の毛という毛が逆立って悲鳴を上げてしまうような虫なんです』
『んんー……見たことないからよくわかんない。なんていう虫?』
『その虫の名前は──』
「なんだったっけ……」
思い出せない。
一度も見たことのない虫なので、頭が重要じゃない言葉として記憶の彼方に飛ばしたのだろう。
すぐに関心も無くなってしまった。
……。
…………。
………………。
……………………ずずっと、紅茶を啜って一言。
「…………暇だな」
時刻は午後の三時過ぎ。
掃除も洗濯も買い出しも夕食の準備も全部終わってしまって、クロエは手持ち無沙汰になっていた。
シャダフにいた頃は、そもそも実家がべらぼうに広く掃除だけでも一日じゃ終わらない程の作業量だったのと、何かと理由をつけて仕事を作り出す使用人たちの押し付けが絶えなかったので休む暇がなかった。
なんなら深夜に一日の仕事が終わったかと思えば、姉リリーから「このドレスに刺繍作っといてね♡」といった無茶振りも降ってきて朝まで寝られない日も多々あった。
しかし、ロイドの家で家政婦になってからは一転。
実家と比べると家もお手頃な広さのため掃除もすぐに終わるし、仕事を押し付けてくるような人もいない。
家政婦として任されている事はルーティン化してしまっているため、昼を過ぎたあたりで全ての業務が終わってしまうようになっていた。
仕事は与えてもらうものではなく、自分で作るものだという意識が強いクロエは最初こそ目に見えない細かい場所を掃除したり、ロイドの生活スタイルを考え必要になりそうなものを買ってきたりしてたが、思いつく限りの事はやり尽くしてしまっていた。
「好きにすれば良い、皆そうしてる……か」
『一人でいる時、自分は何をすれば良いのか』と、以前ロイドに尋ねた時の返答を口にする。
それからクロエは、家事手伝いをしてロイドに褒められる事が自分のしたい事だとわかって、その流れで家政婦となったわけだが……それ以外の時間をどう使うべきかが、ここ最近の目下の悩みであった。
ロイドが帰って来るまでまだ時間がある。
散歩でもしようかとも思ったが、ここ最近の時間潰しとして随分と歩き回っているため、あまり前向きな気持ちにはなれなかった。
あるのは、ただ漫然と時間を過ごしている虚しさだけである。
「貴方は良いよね、しっかりと目的があって」
花に抱きすがって、蜜をちゅうちゅう吸い取っている蝶々を見て呟く。
家事が終わって余った時間をぼーっと過ごしていると、蝶々よりも無駄な時間を過ごしている感じがして空虚な心持ちになった。
「私のやりたいこと……」
雲ひとつない空を見上げて、考える。
「なんなんでしょう、ね……」
考えるも、これと言って浮かぶものはない。
ただ人に言われるがままに生きてきたクロエには、自分の『これが好き』『これが嫌い』といった自我が全くと言って育たなかった。
自分が思った以上に空っぽな存在という事を改めて痛感して、クロエはそっとため息をつくのであった。




