第63話 好き
どれくらい時間が経っただろうか。
「お見苦しいところを……すみません」
ロイドの隣に戻ったクロエが、頭を下げる。
しかしどこか満足げな様子だ。
「……それは、俺の台詞だ」
一方のロイドは居心地悪そうな表情でそんな事を言う。
視線を下に向けるその姿は、一見すると項垂れているように見えた。
年下の異性に抱き締められ赤子のように撫でられるなど、ロイドの人生において異例とも言える出来事だ。
全身が妙に擽ったいし、これまでロイドの中で固まっていたアイデンティティ的なものが崩れたような感覚があった。
ようするに、恥ずかしかった。
「だが……感謝している。うまく言い表せないが、胸のあたりがすっきりしたような気がする」
「いえいえ、そんな……たいした事は、してないので」
顔の前でぶんぶんと手を振るクロエ。
「でも、少しでもお役に立てたのでしたら、何よりです」
はにかみながらクロエは言う。
そんな彼女に、ロイドは尋ねる。
「君は俺といて……大丈夫なのか?」
「藪から棒に、どうしたのですか?」
ロイドの言葉の意図が汲み取れず、クロエは尋ね返す。
しばし逡巡してから、ロイドは口を開いた。
「今日、副団長と夕食をご一緒させて貰って、ご息女と家族ごっことやらをして、痛感した。俺はやはり、人として色々なものが欠けている」
どこか苦しそうに、言葉を続ける。
「いわゆる普通と呼ばれている価値観から、俺はズレている、人が当たり前に出来る事が出来なかったり、人が当たり前に感じる事を感じれなかったり……だから君にも、きっとたくさん迷惑をかけている……だから君を、俺の家に住まわせ、俺の近くに居させているのは、間違いなんじゃないかと……」
「そんなことっ……」
無い、と思わず強く否定してしまいそうになるのを押し込める。
(ああ、そっか……)
クロエは気づく。
(ロイドさんただ、わからないだけで……根は繊細で、優しい人なんだ……)
ロイドの生い立ちを知った今ならわかる。
人が当たり前のように学べる事を学べなくて、感じられる事を感じられなくて。
それはクロエにも共通している部分があった。
幼い頃から忌み子と呼ばれ虐げられ、まともな愛情を受ける事なく、当たり前の幸せの享受すら許されなかった日々。
ロイドの言葉を借りると、クロエの持つ“普通と呼ばれている価値観とのズレ”も、相当なものだろう。
(ロイドさんは……私と同じなんだ……)
似た者同士、という言葉が頭に浮かぶ。
──ロイドは感情表現が下手というか、ズレていると言うか……一匹狼なところがあってね。剣技や格闘術の実力はピカイチあるが、協調性は無いという点で、俺を含めた上司陣は頭を悩ませていたんだ。
フレディの言葉を思い出す。
ロイドはきっと、周りとの折り合いがつかなくて、長い間ずっと苦しんでいるんだと思った。
今の彼に必要なのは意見の押し付けではなく、寄り添う心。
落ち着いた口調で、クロエは言葉を空気に乗せる。
「私は、ロイドさんが欠けているとは思いません」
ロイドが顔を上げて、クロエを見る。
「そもそも、欠けているかどうかなんて、人によって違うと思うのです。確かに、大多数と比べると、ロイドさんは違う部分が大きいかもしれません。でも、それの何が問題なのですか? 人は皆、他人と比べて多少なりとも欠けている部分、満ちている部分があるのは当たり前です。それらを許し合って、受け入れ合っているだけ。大事なのは……“私とはどうか”だと思うのです」
ロイドの顔を真っ直ぐ見つめ、クロエは畳みかける。
「それで言うと私のような、人の悪意に敏感で、弱くて、いつも人の顔色ばかり窺ってビクビクしてしまうような人間には、実直で、誠実で、優しくて、裏表がなくて、不器用で、もう笑っちゃうくらい不器用なロイドさんのような人が……一緒にいて、とても落ち着くのです」
クロエの言葉に、ロイドはゆっくりと言葉を返す。
「……俺といて、嫌じゃないのか」
「嫌そうにしていた時なんてありました?」
「……わからない。そこまで嫌われてはいないと思ってはいるが……君に限らず、他人が何を考えているか察する能力に乏しく、断言できる自信はない」
「もう……それじゃあ」
こてん、とクロエがロイドの肩に自分の頭を乗せる。
「一緒にいて嫌な相手に、こんな事しますか?」
「……しない」
「そういう事です」
ロイドが申し訳なさそうに、目を伏せる。
「すまない、君を不安にさせるような事を言ってしまった」
「許します。そういうところも、私は受け入れているので」
クロエは寄り添うように、ロイドの身体に身を寄せる。
自分以外の体温を受け入れたロイドは、しばらくして口を開いた。
「君は……もう、ただの家政婦じゃない」
首を少し動かして、ロイドの方を見上げる。
真剣な表情で、ロイドは言った。
「とても、大切な存在だ」
その言葉に、クロエの心臓が大きく脈打った。
一気に上昇する体温、喉の奥がきゅうっとしまったように息苦しくなる。
思わずクロエは、ばっとロイドから身を離した。
「どうしたのだ?」
不思議そうに眉を顰めるロイドに、言葉を返すことができない。
嬉しかった。
本当に本当に嬉しかった。
ロイドのことは、おそらく出会った当初からずっと異性として意識していた。
でも、自分は身元不明の家政婦で、ロイドは王国に仕える凄腕の騎士。
淡い期待は止めろ。
釣り合うわけがないし、自分なんかに好意を持たれても迷惑なだけだろうと、低い自己肯定感が気持ちを押し殺していた、でも。
(そんなロイドさんが、私のことを“大切な存在”と言ってくれた……)
その言葉にどんな意味が込められているのかは定かではない。
もしかすると深い意味は無いのかもしれない。
だが、少なくとも、クロエにとっては、天にも上りそうな嬉しさがあった。
もっと、ロイドさんのそばにいたい。
ロイドさんの全てを受け入れたい。
ロイドさんの力になりたい。
ロイドさんを襲う全ての不幸から守ってあげたい。
次々と溢れ出るこの気持ちは何?
何って、もう、分かりきってることじゃない。
「ど、どうしたんだ。どこか、痛むところでもあるのか?」
ロイドがおろおろと狼狽えるようにクロエに話しかける。
(ああ、もう……)
そのわかりやすいところも、全部。
全部全部。
(好き……)
自分の気持ちにはもう、嘘をつけない。
(私、好きだ、ロイドさんのこと……)
もう一度、はっきりと胸に言葉を乗せる。
自覚した途端、一際大きな感情が到来した。
鼓動が聞こえてしまうんじゃ無いかと思うほど心臓がうるさい。
顔がのぼせそうなくらい熱い、もしかすると耳まで赤くなっているかもしれない。
大好きな人を目の前にして平常心を保っていられるほど、クロエの恋愛感情コントロール力は高くない。
なんなら人生で初めての“好きな人”なんだから、制御が厳しい感じになるのも無理はない。
「本当にどうした、なんだか様子がおかしいぞ?」
「……ごめんなさい、少し、考え事をしていました」
「考え事?」
困惑顔のロイドを見上げる。
凛として落ち着きつつも微かなあどけなさを残した、恐ろしいほど整った顔立ち。
形の良い鼻筋に、横一文字に結ばれたくちびる
短めに切り揃えられた、闇よりも深い漆黒の髪。
それらのパーツひとつ一つが夜空の星空のように輝いて見えた。
(ああ、いけない、これはいけない……)
口元がだらしなく弛みそうになるのを慌てて阻止する。
今すぐにでもこの気持ちをロイドに伝えたい。
そんな欲求が強く湧き出て思わずポロッと言ってしまいそうになる。
まだダメと、慌てて頭を振った。
(もし、この気持ちを口にするんだったら……)
自分の事をちゃんと、ロイドに話さないといけない。
辺境伯の令嬢であることも、背中の痣のことも、忌み子と呼ばれ蔑まれ虐げられたことも、全部。
話したくなかった、怖かった。
嫌われるんじゃないかって、そんな思い込みが心の根にこびり付いていた、だけど。
(私の事も、ロイドさんに知ってもらいたい……)
受け入れてもらえるかわからないけれど、何も話さず現状のままの方がもっと嫌だ。
恐怖よりもそんな欲求が上回って、クロエに勇気を与えた。
ロイドの目を真っ直ぐ見つめて、クロエは口を開く。
「実は私もロイドさんに、お話したいことが──」
クロエの言葉は、不意に中断させられた。
ロイドの身体が素早く動き、クロエの前に守るように立つ。
「ロ、ロイドさん……?」
「俺の後ろにいろ、決して離れるな」
低く、緊張感を纏ったロイドの声にクロエの背筋が伸びる。
ロイドの視線の先──夜闇の中から人の気配。
それも複数。
暗がりから、いかにも柄の悪そうな何人もの男が現れ……。
「久しぶりだなあ、“漆黒の死神”ロイドさんよぉ」
脳裏でバチンと音を立てて、クロエの記憶が蘇る。
王都に初めてきた日、クロエを無理やり連れてこうとしたチンピラ三人組の一人。
スキンヘッドの大男が、獲物を前にした肉食獣の如く舌舐めずりをした。




