第40話 原因
「よかったら、聞かせてくれないか」
真剣な面持ちで、ロイドが尋ねる。
「何故、刃物がダメになったのか。何か、力になれるかもしれない」
その言葉に寄りかかりそうになるのを、ひと匙の理性が押し止めた。
(大丈夫、かな……こんな重苦しい話……)
そんな考えが、一瞬だけ思考を過ぎる。
しかしすぐに霧散した。
クロエの方を見るロイド。
いつもの真面目な表情。
だからこそ、どんな話をされようと動じない頼もしさがあった。
息を深く吸い込んで、腹を決め。
言葉を空気に乗せる。
「母に……ナイフを向けられました」
ぎゅ……と膝の上の拳に力が籠る。
ロイドの目が大きく見開かれた。
「一撃目はなんとか、避けたのですけど、私のいた床にナイフが深く刺さっていて、多分、避けてなかったら、大変な事になっていました……」
言葉にするだけで蘇る、あの日の悪夢。
少しずつ声が震えていって、言葉が体を為していかなくなりつつも、クロエは続ける。
「それから私……怖くて逃げ出して……それなのに母は、ナイフを手に追いかけてきて……やっとの思いで離れに逃げ込んだんですけど、ドンドンドンドンってドアを叩く音が、開けろ開けろ開けろって叫ぶ声が、ずっと、頭にこびりついて離れないのです……」
ロイドの質問の趣旨からはズレつつあることを自覚しつつも、クロエは言葉を溢し続ける。
今でもたまに、夢に見ることがあった。
記憶の奥底に押し込んで思い出さないようにしていた記憶が、自分の意思と関係なく夢に現れ、感情をぐっちゃぐちゃに掻き乱す。
あの時の恐怖を、絶望を、思い出してしまう。
「……刃物が駄目になったのは、その時の出来事が原因です……あれ以来、刃物は私を傷つけるものだって、そんな思い込みがあって、怖くて、怖くて……それで、刃物を見るのも、包丁を使うのも、厳しい感じになりました」
話を終えると、胸が少し軽くなった感覚があった。
一人で抱えていた悪夢を共有したことで、多少なりとも心労が緩和したのかもしれない。
「……ふざけているな」
今までずっと、一言も言葉を挟まず聞いてくれていたロイドが呟く。
その声には、静かな怒りが灯っていた。
「どんな事情があったのかは知らんが、自分の子に凶器を向けるなど、正気の沙汰じゃない。どんな理由があれど、決して許されないことだ」
「ロイドさん……」
理不尽が嫌いだと言っていたロイドにとって、先程クロエが語った内容は怒りを覚えるなという方が無理な話であった。
自身の拳が硬く握られていることに、ロイドはハッと気づく。
「……すまない、取り乱した」
「いえ……大丈夫、です」
むしろ、嬉しかった。
自分のために怒りを覚えてくれた。
その事に、胸が震える思いだった。
「何はともあれ、まずは克服法だな」
大きく息を吐いてから、気を取り直して続けるロイド。
「つまりは、刃物は自分を傷つけるもの、という思い込みが今のこの状態を作り出しているのだな」
「はい、仰る通りかと」
「ということは逆に、刃物は自分を傷つけないもの、という認識になれば大丈夫になるのではないだろうか?」
「確かに……そうなると多分、刃物は怖くなくなると思います」
シンプルな話だった。
しかし、一つだけ大きな問題がある。
「でも、どうやってその認識にすれば……」
「…………」
二人して顎に手を添えて考えるが、次の言葉が告げられない。
「難しいですよね……」
刃物は基本、刺せば痛いし傷がつくものだ。
刺しても傷がつかないなら、もはやそれは刃物ではないだろう。
「すまない、力になれると豪語したのにこのザマだ。騎士の風上にもおけん」
「いえいえいえ! とんでもないです、そもそも私自身の問題なので……それに……」
ロイドの方を見やって、クロエは確信を持って告げる。
「こうして話を聞いてくださっただけでも、かなり楽になりました。本当に、ありがとうございます」
「……そうか、それなら、良かった」
ぽりぽりと、ロイドは頭を掻いた。
「しかし、そもそもの疑問なのだが」
ふと気付いたように、ロイドが尋ねる。
「何故、母親にナイフを向けられたのだ?」
息が、詰まった。
おそらくロイドにとっては、何気ない疑問だったのだろう。
だがクロエにとっては、母親から狂気を向けられる原因というものは、自分の最も敏感な部分に絡むものだった。
「それ、は……」
言葉にも詰まってしまう。
急に背中だけ熱が生じたように疼く。
──お前は忌み子なの! 災いしかもたらさない! 生きてちゃいけない存在なのよ!
今にも鼓膜を突き破ってきそうな声が脳裏を劈く。
心音がまた、不規則に高鳴り思わず胸を押さえた。
そんなクロエの変化を察知できないほど、ロイドは鈍感ではなかった。
ぽん、と再び頭に感触。
「……今日は、寝るか。もう、随分と遅いしな」
そのまま優しく撫でられる。
意図的に話を切ってくれたのだと、すぐに理解した。
「そう、ですね。明日もお仕事ですもんね……お心遣い、ありがとうございます」
「俺の方こそ、すまない。踏み込みすぎた」
「ロイドさんが謝ることは、ないです」
これも、向き合いきれていない自分自身の問題なのだから。
「あ、あのっ」
最後に、ロイドにこれだけは伝える。
「……いつか、心の整理ができたら、きちんと話しますから」
ロイドは頷き、クロエの頭をぽんと撫でて言った。
「気負わず、ゆっくりでいい」




