第31話 公園での一幕
「……あら?」
夕食の食材も買い終え、帰路に就いていたクロエ。
家まで後少しという距離にある公園に差し掛かった時、何かに気づいて声を漏らした。
公園に入ってすぐのところにある木を、五歳くらいの女の子が不安げな表情で見上げている。
背中まで伸びたふわふわで柔らかそうなブロンドの髪、くりくりっとしたブルーの瞳。
可愛らしいフリル付きの洋服を着ていて、良いところのお嬢さんな印象を受けた。
見た感じ女の子は一人で、周囲に大人の姿は無い。
(どうしたんだろう……)
気になったクロエは、女の子の元に歩み寄って尋ねた。
「ちょっといいかな?」
女の子がクロエの方を見て、首を傾げる。
「……おねえさん、お引っ越しの人?」
「ううん、お買い物の人よ」
パンパンになった大きなリュックを背負い、両手も大荷物で塞がっている今の状態を見てそういう感想を抱かれるのも無理はない。
「どうしたの、何かあった?」
改めてクロエが訊くと女の子は木の上を指さした。
釣られて視線を上げると、上の方の枝で一匹の子猫がぷるぷると震えている
よく耳を澄ますと、みゃあ……みゃあとか細い鳴き声が聞こえてきた。
「あの猫ちゃん、降りられなくなったみたいなの。可哀想で、放っておけなくて……」
「なるほど……」
それだけで、この女の子が優しい心の持ち主だとわかった。
「買い物のおねえさん……なんとかならない?」
不安げな瞳でクロエを見上げる女の子。
同じように心優しく、お節介好きのクロエがこんな小さな女の子の願いを無下にするなど出来るはずもなかった。
(何か餌で誘き寄せる、もしくは木の棒で気を引く……でもそもそも怖くて降りられないみたいだから、自分から降りてきてもらうのは厳しいよね……だったら……)
再度、クロエは木を見上げる。
高さはおよそ家の三階建てくらい。
程よく凸凹があり、太い木の枝も伸びている。
(これだったら……)
クロエは口角をほんの少し持ち上げた。
「ちょっと待っててね」
「……えっ」
ドサドサと背中両手から荷物を下ろし始めるクロエに女の子が目を丸める。
女の子が“まさか”といった表情をする頃には、クロエはすでに木に手足をかけていた。
「お、おねえさん! 危ないよ!」
「このくらいなら平気平気ー」
呑気な言葉と共に、クロエはひょいひょいと木によじ登り、あっという間に子猫の元へ。
「おいで、おいで、怖くないよ〜」
ビクビクと怯える子猫に、クロエは人差し指をちょいちょいする。
落ちたら普通に大怪我な高さにいるにも関わらず、クロエに緊張感はない。
むしろ地上にいるかのような余裕たっぷりな様子だった。
まるで、これが最善手とわかっているとばかりに、時間をかけて子猫の警戒を解く。
「うん、いい子いい子」
いつの間にかそばに寄ってきた子猫を胸元からドレスの中に入れて、クロエはするすると木を降りた。
「すごい……お猿のおねえさんだ……」
クロエの一連の動きを、ぽかんとした顔で見つめていた女の子が呟く。
「貴方の子?」
先程の怯えた挙動は何処へやら。
クロエの胸の中からひょっこり顔を出して毛繕いする猫を指さしクロエは尋ねる。
ふるふると、女の子は首を振った。
「そっか」
クロエは胸元から子猫を解放する。
子猫はとてててっと歩いた後、一度クロエの方へ振り向きみゃあと一鳴きして去っていった。
「お猿のおねえさん、ありがとうって言ってる」
「お猿のお姉さん……?」
「それよりも、さっきの木登りすごいかった! どうやったの、どうやったの!?」
きらきらと目を輝かせて聞かれても、クロエには「……なんとなく?」としか答えられない。
ド田舎アルデンヌ領の実家の敷地内には森があった。
その森に生い茂る木々に、子供の頃よくシャーリーに登らされ身体に染み付いていた。
田舎だと誰しも朝飯前に持っているスキルだと思っているので、クロエは特段褒められた事をしたつもりはなかったが。
「おねえさん、ありがとう!」
女の子にはおそらく、クロエがヒーローか何かに見えているようだった。
ぺこりと勢いよく頭を下げる女の子に、クロエは戸惑いながらも応える。
「ど、どういたしまして」
「ミリア!」
ちょうどそのタイミングで、若い大人の女性が小走りにやってきた。
顔立ちはとっても整っていて、薄桃色の髪はとても艶やかだ。
「あ、おかあさん!」
「もう、勝手にどこか行っちゃダメって言ったでしょう?」
「だってだって、家にいてもつまんないんだもん」
微笑ましい光景に思わずクロエが口元を緩めてしまう。
「ミリア、この方は?」
「んとね、お猿のおねーさん!」
「お猿……?」
「あ、ごめんなさい、えっと……」
女性──母親の目が不審者を見るそれになる前に、クロエは事情を説明した。
「そうだったのですね……娘がご迷惑をおかけしました。ほら、ミリアも謝りなさい」
「ごめんなさい……」
「いえいえそんな、頭を上げてくださいっ……」
誰かに頭を下げられる経験に乏しいクロエはそれだけでおろおろしてしまう。
「それと、娘の我儘を聞いてくださってありがとうございました。素敵なドレスも汚してしまって……何か是非、お礼をさせて欲しいわ」
「いえいえいえいえいえ! それこそ大丈夫ですよ、ほんと大したことはしていないので……」
山越えの時に散々汚したドレスなので、今更どうってことなかった。
「では、せめてお名前を」
「名前は……クロエ、と申します」
「クロエさん、いい名前ですね。私はサラと申します」
ぺこりと小さくお辞儀をする母親改めサラ。
クロエも慌ててお辞儀を返した。
「ふふ、そんな畏まらなくて大丈夫ですよ。楽にしてくださいな」
「あ、ありがとうございます」
にっこりと、サラが微笑む。
間違っても娘に手を上げる事など決してしない、とても優しそうな印象を受けた。
それから二言三言、街で買い物をしていた事や夕食のメニューの事など話題を交わした。
印象通りとても人当たり良く優しいサラと、クロエはすぐに打ち解けた。
「もっとお話したいですが、そろそろ主人が帰ってきますので……」
「ああっ、そうですよね、すみません引き止めてしまって」
「いいえ、どうかお気になさらないで。私の方こそ、とても楽しかったわ。それでは、また会えることを祈って」
「はい! また、是非」
「お猿のおねーさんばいばーい!」
大ぶりでばいばいした後、母親に手を引かれ去っていく女の子。
二人分の人影にクロエも控えめに手を振った後、ぽつりと呟く。
「……いいなあ」
あれが普通の親子、というものだろうか。
だとしたら自分はなんて……と思考が下の方向に行きそうになった所で頭を振る。
「さて、早く帰って夕食を作らないと」
今度こそ帰路に就く途中、誰かに感謝されるっていいなと改めてクロエは思うのであった。




