第167話 よく、頑張ったな
その後の事は朧げにしか覚えていない。
家の中にあったロープでイザベラを拘束した後、クロエはその足で近所の人に助けを求めた。
それから、すぐに憲兵隊が到着する。
おぼつかない言葉で、クロエは憲兵に事の経緯を説明した。
腕についた切り傷、またバルコニーの窓ガラスが破られているなどの状況証拠を踏まえて、クロエの説明が認められた。
こうしてイザベラは憲兵に連行されていった。
最後まで、イザベラは気絶したままだった。
クロエは連行する必要なしと判断され、自宅待機となった。
そんな一連の時間を、クロエはどこか現実味のない気分で過ごした。
ほどなくして、ロイドが帰って来た。
いつもの帰宅よりも早い時間だった。
「クロエ!!」
荒れたリビングのソファに座っていたクロエを見るなり、ロイドが声を上げる。
おそらく、王城から家まで全力で走って来たのだろう。
額に汗を浮かべ、息も切らしていた。
「ロイドさん……」
「大丈夫かクロエ!? 怪我はないか……!?」
ロイドが駆け寄ってきて、クロエの前に跪く。
そして、重傷の有無を確認するように身体に触れた。
ロイドの声を、手の感覚を感じて、ようやくクロエの胸に安堵が降りてきた。
「な、なんとか、大丈夫です……」
安心させるように笑ってクロエが言うと。
「無事で、良かった……」
心底安堵したようにロイドは言って、クロエの胸に額を預けた。
まるで、クロエが確かに生きていることを確かめるようだった。
「実の母親に襲われたと憲兵隊から報告を受けて、急いで帰ってきた。すまない、俺がそばにいれば。こんなことには……」
「そんな、お気になさらないでください」
ゆっくりと、クロエは頭を振る。
「母は、ロイドさんがいない時をあえて狙って侵入して来たんです。だから、ロイドさんが気に病む事はありません」
実際、ロイドにはどうしようもなかった。
あのタイミングでロイドが駆けつけるなんて、奇跡でも起こらない限り不可能だった。
それはロイド自身わかっていた。それでも、クロエの身が危険な時に駆け付けることが出来なかった悔しさを、ロイドは滲ませていた。
「怖かっただろう」
痛ましげな表情をして、ロイドはクロエの手を取る。
自分の手が小刻みに震えていることに、クロエは気づいた。
イザベラに反撃をすると決めてからは無我夢中だった。しかし終わって冷静になると、下手をすれば死んでいたかもしれないという恐怖が舞い戻って来る。心臓が痛いくらいに高鳴っている。
息も浅くなって、詰まってしまいそうになった。
「大丈夫だ、クロエ」
そう言って、ロイドはクロエを引き寄せる。
「終わった……もう全部、終わったんだ……」
優しい抱擁の中、ロイドは落ち着かせるようにクロエの背中をゆっくりと撫でた。
「はい……」
ぎゅっと、クロエもロイドの服を掴んだ。
ロイドの体温、匂い、そして鼓動のおかげで、乱れていた心が少しずつ落ち着きを取り戻してくる。
「ロイドさん、私、やりました……」
顔を離し、ロイドの目を見てクロエは言う。
「私の力で、私の意思で、自分の身を守ったんです……」
憲兵から詳細を聞いているロイドは、クロエが一人でイザベラを撃退し、拘束したことを知っている。
ロイドは深く頷いた後、冗談めかすように言った。
「言っただろう、クロエには一流の剣士になれる才があると」
それが、安心させるための気遣いから出た言葉だとクロエは察した。
「ふふっ……いっそ騎士を目指してみるのも、良いかもしれませんね」
言うと、再びロイドに抱き寄せられた。
今度は力強く、奮闘を讃えるような抱擁。
「よく、頑張ったな……」
ぽん、と優しく頭を撫でられる。
「はい……」
慈しむような言葉に、クロエの目の奥がじんわりと熱くなる。
「本当に、よく頑張った」
「は、い……うっ……あっ……ううぅ……」
そこでクロエは限界を迎えた。
ロイドの胸の中で、クロエは声を上げて泣いた。
我慢することなんて、出来なかった。
死の恐怖を乗り越えて緩んだ緊張感。
ロイドの温かな優しさ。
そして何よりも、『呪われた子』という呪縛から解き放たれたこと。
たくさんの感情が溢れて止められなかった。
ロイドの胸の中で、クロエは赤ん坊のように泣きじゃくるのだった。




