妹へ
私には、3歳年下の妹がいました。
その言葉とおり、いました‥‥です。
妹は2歳のときに白血病にかかってしまい、それ以来ずっと入院生活を続けていました。
妹の病気が発覚したあと、両親は妹の看護をするのに必死でした。
休みの日にはいつもお見舞いに行っていたので、私には家族旅行の思い出がありません。
友達から、
「この前、家族でディズニーランドに行って楽しかった」
「お父さんにプールで泳ぎを教わったよ」
という話を聞く度に幼かった私は、
『僕はお父さんにも、お母さんにもどこへも連れて行ってもらっていないんだよ‥‥』
と寂しい思いをしていました。
『妹が病気のせいでどこにもいけない』
と妹を憎んでいた幼かった時期さえありました。
しかし、私が大学生になり自由な時間が増えると、病院にずっといなければいけない妹が可哀相に思えようになってきました。
それからは時間が空いている限り、自主的にお見舞いに行き必死に病気と戦っている妹を応援していました。
そんな12月のある日。
1時間くらい、テレビの話題や病院や大学であったことを話し合った後、
「もうすぐクリスマスだね。クリスマスの日もまた来るからね」
と言って帰ろうとすると、
「お兄ちゃん、クリスマスプレゼントに携帯電話が欲しい!」
とお願いされました。
愛おしい妹からのプレゼントの要望、嬉しかったです。
*
そしてクリスマスの日、病気の負担にならないようにできるだけ操作の簡単な携帯電話を探してからお見舞いに行くと、
「欲しがっていた携帯電話だよ。はい。プレゼント!」
とラッピングされた箱を渡しました。
嬉しそうにリボンを解き、包装紙を丁寧に外し、やっと出てきた箱に目が輝いていました。
その様子を見て私も、とても嬉しくなりました。
それから、感激している妹にメールや電話のやり方を教えてあげました。
*
その日の晩、妹から、
「お兄ちゃん、ごめんね。
私、小さな頃から、お兄ちゃんに迷惑ばかりかけているよね。
せっかくのクリスマスなのに‥‥病院に来てプレゼントもくれて‥‥
ごめんね、お兄ちゃん。
そして‥‥ありがとう」
というメールが届きました。
これが妹からの最初で最後のメールでした。
その日の晩、容態が急変して妹は亡くなりました。
看護師さんから妹が亡くなったとき、
「携帯電話をしっかりと握りしめていて離すのが大変だった」
と教えてもらった私は、
「妹が最後の挨拶をしてくれたんだな。辛かっただろうに一生懸命想いを込めてメールしてくれたんだ」
と思いました。
*
私たちが何となく生きた今日は、昨日死んでいった妹が、あれほど『生きたい!』と願った明日‥‥
普段、元気な人が急に病気になったり肉親が倒れたりすると、今までがいかに幸せだったのか、そこで初めて気づく‥‥
何となく、ぼんやりと生きることができる私は、本当はこのうえない幸せなのだ。
私は、いつまでも当たり前の幸せに気づける人でありたい。