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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。

作者: 当麻月菜

 人の心を傷付けたのに、どうして罪に問われないのだろう。

 人のモノを奪ったのに、どうして罪に問われないのだろう。


 泣くことすらできないほど心をめった刺しにされたのだから、これは立派な傷害罪だというのに。

 婚約者を奪われたのだから、これは立派な窃盗罪だというのに。


 なのに、どうして「ごめんなさい」の一言で片付けられるのだろう。

 「仕方が無い」という一言で諦められると信じ切っているのだろう。


 恋を、愛を、未来を、奪われた人間がここに──目の前にいるというのに、どうして笑っていられるのだろう。


 私は、貴方たちにとってその程度の人間なのでしょうか?

 貴方達は、私には心が無いとでも思っているのでしょうか?


 どうか教えてください。


 私が納得できるまで、私の質問に答え続けてください。


 ──私の人を信じる心まで、奪わないでください。


(……そう言えたなら、どれだけ楽になるかしら)


 フェルベラ・ウィステリアは、目の前にいる家族と婚約者──いや、もう元婚約者と呼ぶべき相手に向け、そう目で訴える。


 しかし、ここに居る誰もが、フェルベラの血を吐くような訴えに気づかない。




「──そういうことだからフェルベラ、もういいな?ロジャード殿だって忙しい身なんだ。あまり困らせるな」

「そうですわよ、フェルベラ。もう決まったことなの。ワガママはおよしなさい。見苦しいわ」


 悲愴な顔で立ちすくむフェルベラを、彼女の両親は無言の抵抗だと受け取った。そして、心底うんざりした表情を作って嗜める。


 しかし視線を別のところに移したフェルベラの両親は、柔らかな笑みを浮かべた。


「さあ、シャーリー。話は終わったのだから、ロジャード殿をお見送りしてきなさい。あと──ロジャード殿、お手を煩わせました。ですが、これからもどうぞよろしく」

「ふつつかな娘でありますが、どうぞ末永くよろしくお願いしますわね。ああ。シャーリー、まだ外は寒いのだからきちんとショールを羽織るのよ」


 つい今しがた、鋭利な刃物のような言葉を長女に向けたことなど忘れたかのように、次女シャーリーに慈愛のこもった眼差しと言葉を送る。


 すぐ傍にフェルベラがいるというのに。


 彼女の両親は、もうフェルベラを見ていない。

 

 かつてフェルベラの先祖は、私財を売り払い、孤児の為の学び舎を建設した。そのことを国王から高い評価を受け、ウィステリアという家名と共に伯爵位を賜った。


 ウィステリアは花の名前。薄紫色の春の終わりに咲く【優しさ】という花言葉を持つ綺麗な花。


 でもその家名を持つ人間は、ちっとも優しくなんかない。 


 そして、その家名を持つ者を婚約者にする男も。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。まぁ……少々、手違いがありましたが、互いにこの件はなかったことにして、今後とも変わらぬ関係でいましょう」


 公爵家嫡男であるロジャード・エリドは、次期当主らしい堂々とした口ぶりだった。


 その隣に居るシャーリーは、正式に婚約者になったばかりの彼を、うっとりと見つめている。


 ロジャードと婚約したのはフェルベラが12歳になった春。それから6年。ずっとずっと彼に相応しい女性になる為、血の滲むような努力を重ねてきた。


 けれど、妹のシャーリーはたった半年で彼の心の全てを奪った。


 半年?……いや、一瞬だったのかもしれない。あの日、何気なく誘ったお茶の席で、ロジャードはシャーリーばかりを見ていたのだから。


 シャーリーはフェルベラの2つ年下の16歳。波打つ金髪に、秋の空のような澄んだ青色の瞳。誰もが人形のようだと、褒め称える容姿を持っている。


 対してフェルベラは、枯葉のような茶金色の髪に、くすんだ緑色の瞳。細すぎる体形はまるでホウキみたいだと誰かが言っていた。


 あの日の茶席では、自分はシャーリーの引き立て役でしかなかったのだ。


 そう気付いていながら、見ないフリをした。6年という彼と過ごした時間を信じた。


 その結果がこれだなんて……なんて愚かな末路なのだろう。


 フェルベラは、幸せそうに微笑む元婚約者と妹を見ながら自嘲する。本当は今すぐ泣き崩れたいのに。


 でも、ロジャードの瞳に最後に映る自分は奇麗でありたいという、ちっぽけなプライドが邪魔してできないのだ。 


 それなのにロジャードは、最後の最後までフェルベラの心を蔑ろにした。


 暇を告げ扉に向かう途中、フェルベラに向けてこう言った。


「ああ、フェルベラまだ居たんだ。じゃあ一応伝えておくけど、君との婚約期間は()()()()楽しかったよ。じゃあね」


 取ってつけたような、それでいて何の罪悪感も覚えていないその台詞に、フェルベラはプツンと何かがキレた。


「へぇ、そう」


 淑女の鑑のようだった自分の口から到底吐くはずの無い台詞を口にして、フェルベラはスカートの裾をむんずと掴むとロジャードに駆け寄った。


 そして、何事だと怯えるロジャードにめがけて──渾身の回し蹴りをお見舞いした。


「そうね、ロジャード。わたくしも()()()()楽しかったわ。それでは、失礼」


 死んだカエルのように床に突っ伏した元婚約者の背中をピンヒールで踏みつけて、フェルベラは颯爽とサロンを去っていった。





 伯爵家の長女が、婚約を破棄された腹いせに公爵家嫡男を回し蹴りした──これは家門の存続に関わる問題だ。


 加えて、妙齢の淑女が、貴族青年の背中をピンヒールで踏み付けた──これもまた親の教育を疑われる問題行動である。


 当事者であるフェルベラは、両親から狂犬認定され私室で監禁されること3ヶ月。


 やっと監禁を解かれたと思ったら、今度は最果ての北地を治める領主の元に嫁げと言い渡された。結婚相手は独身ではなく、妻帯者。しかも噂によると、全身毛むくじゃらの雪男のような容姿らしい。


 そんな人間の枠からはみ出た相手の愛人になるため、フェルベラはルグ領に向かう。ま、体の良い島流しである。


 しかしフェルベラは、こうなることを覚悟してロジャードに蹴りを入れたのだ。島流しされたところで、不満などない。


 それにフェルベラが嫁ぐ最果ての北地は、国境に面した剥き出しの岩山しかないルグ領。はるか遠くのそこなら、都会の噂話など届いていないはず。


 不幸だと思えば、気持ちはとことん暗くなる。


 なら生まれ変わったつもりで心機一転、この地でのびのびと過ごさせてもらう心づもりである。


 願わくばルグ領の領主が飽き性でありますように。自分への興味は秒で消え失せていただけますように。


 そんなささやかな願いを胸にルグ領に足を踏み入れたフェルベラだが、現実は思い通りにはいかなかった。






「──あら?……雪男じゃ……ないわ」


 出迎えてくれた領主を見た途端、フェルベラは思わず呟いてしまった。


 対して雪男ではない領主も、フェルベラと同じように目を丸くする。


「ダチョウじゃない」


 彼のたった一言で、自分の親が彼に何を伝えたのか大方見当は付いた。


 一瞬、額に青筋を浮かべそうになったフェルベラだが、自分だって、まあまあ失礼なことを口に出してしまったことを思いだす。


 彼に文句をつける権利は無いし、ダチョウよろしく元婚約者にキックをかましたのも事実である。


 そんな殊勝なことを思ってしまうのは、フェルベラが波風立てずひっそり生きていきたいからではない。


 目の前にいる青年が、雪男とは真逆の容姿だったからだ。


 大聖堂に描かれている神の御使いのような、プラチナブロンドの髪に若葉色の瞳。背はそれなりに高いけれど、ドレス着せたらスレンダーな美少女になれちゃうくらいの華奢な体型。


 それはもう、非の打ち所が無い美青年なのだ。


(一体全体、これのどこか雪男なのか)


 噂というのは本当にあてにならないことを、フェルベラは身をもって知った。


 きっと領主も同じことを思っているのだろう。まじまじと自分を見つめたかと思えば、隣に立っている執事らしき人物に何やら耳打ちをしている。


「……卵料理、出してもいいって料理長に伝えて」

「……かしこまりました」


 ああ、なるほど。ダチョウが卵料理食べたら、共食いになっちゃうもんね。などとフェルベラは、心の中で頷く。


 ついでに「あれ?ちょっと噂と違くね?」という、こそこそ話も聞こえてくる。


 これもまた、同感だ。可能なら自分も、誰かとこの驚きを共有したい。


 雪がちらつく中、フェルベラはそんなことを思いつつ、小さなくしゃみをすれば、あれよあれよという間に領主の邸宅に押し込まれてしまった。





「改めて、はじめまして。リヒタス・ケーヌです。どうぞリヒタスとお呼びください」

「こちらこそはじめまして。フェルベラ・ウィステリアです。フェルベラとお呼びください」


 初対面では度肝を抜かれた二人だが、応接間のソファに向き合う頃には平常心を取り戻していた。


 暖炉の薪がパチパチはぜる中、二人は沈黙を誤魔化すために茶を啜る。


 ただ会話のネタが無いわけじゃない。むしろ有りすぎる。ありすぎて、一体どこから切り出せば良いのかわからない。


 とはいえ、互いの胸に抱えるネタは、どれもこれも有耶無耶で終わらすべきではないものだ。


「……あの……単刀直入に伺いますが」


 沈黙を破ったのはフェルベラだった。


 リヒタスはすかさずティーカップをソーサーに戻すと、「どうぞどうぞ」と続きを促す。


「リヒタス様のお歳はいくつですか?」

「今年17になりました」

「そうですか」


 つまり年下の青年は、この若さで愛人を望んでいるらしい。へぇ、マセてるじゃん。


 そんな気持ちは思いっきり顔に出ていたようで、リヒタスは慌てた様子で口を開いた。


「あ、あのっ。誤解をされているかもしれませんが、僕は独身です!それと先月までルグ領の領主は僕の父親だったんです。でも持病の腰痛が悪化して、急遽僕が当主になりました。あ、両親は今、静養の為に西の友人宅にいます。その……顔合わせできずに申し訳ありません」

「い、いえっ。そういうことだったんですか。あー……えっと、ご両親の件はお気になさらず。それより一日も早くお父様の腰痛が良くなることを祈ってます」


 一先ず納得したフェルベラだが、リヒタスはまだ言い足りないようで、お茶を二口飲んでから再び口を開いた。


「フェルベラさんとの婚約は、父が決めました。17歳の僕が当主となれば若過ぎるせいで、色々軽んじられるかもしれない。見た目はこんな女の子みたいだし。だから、年上のちょっとやそっとじゃ物怖じしない頼りがいのある女性を探してまして」

「で、わたくしダチョウ女が選ばれたのですね」

「はい。……いっ、いえっ。ダチョウだなんて……あの失礼なことを言ってしまい申し訳ありませんでした」

「とんでもないです。わたくしこそ雪男などと言ってしまい申し訳ありませんでした」

「いえっ。雪男は父の代名詞だったし、僕が家督を正式に継いだのはフェルベラさんがこちらに向かう途中だったから、誤解するのは当然です!!」


 アタフタしながら頭を下げるリヒタスに、フェルベラも深く頭を下げる。


 だいぶ和気あいあいとしてきたが、これで全ての誤解が解けたわけじゃない。


「あの、ズバリ聞きますがわたくしがダチョウ女と呼ばれる経緯について……父からどう伺ってます?」


 悩んだ挙げ句どストレートにフェルベラが問うた途端、リヒタスは豪快にむせた。


「ゴホッ、ゴホッ……あ、それはまぁ……済んだことですので」

「はい。済んだことですから、ここははっきりリヒタス様の口から聞きたいのです。まぁ……大体の予想はついてますが」

「恐らく予想通りですので、僕から話す必要は……いえ、お伝えさせていただきます」


 年上のフェルベラに気圧されたリヒタスは、そっと視線を外して語りだした。


「フェルベラさんは、妹君の婚約者に一方的な想いを寄せていましたが、想いが叶わないと知るや否や激怒され……その……お相手の男性を回し蹴りした、と伺ってます」


 ──違うんですか……いえ、違ったようですね。


 恐ろしいほど無表情になったフェルベラを見て、リヒタスは全てが嘘であったことを知る。


 だがフェルベラは言い足りないようで、お茶を3口ゆっくりと味わってから訂正を入れる。


「真実はもっと笑い話ですわ。婚約者だった男は、2つ年下の妹に心変わりしただけですの。そして元婚約者があまりに不誠実な態度を取ったので、わたくしもそれに相応しい行動を取っただけですわ。ほほほっほほっ」


 笑い話を締めくくるように、豪快に笑い飛ばしたフェルベラとは対象的に、リヒタスはゾッとするほど冷たい目をしている。


 あ、ムキになってしまったが、さすがに嫁ぎ先の男に話す内容じゃなかったなとフェルベラは内心冷や汗をかく。


 でもリヒタスの怒りは、フェルベラに向けてのものじゃなかった。


「なぜそんなゴミクズのような男を斧で真っ二つにしなかったのですか?」

「……は……い?」


 あまりに物騒過ぎるその発言に、フェルベラは目を丸くする。


 一瞬、これはルグ領ジョークかと思ったが、向かいの席に座るリヒタスはどこまでも真顔だ。


「お、斧が目に付くところになかったので……」

「そうなんですか。都会は何かと不便なんですね」


 最果ての地の民に同情されたフェルベラは、とても複雑な気持ちになる。


 でも彼の発言は、物騒さをかき消すほど嬉しかった。


「ありがとうございます、リヒタスさん。おかげで気持ちが軽くなりました。ダチョウ女と二つ名をもらえるほど蹴りは上手くはないですが、これからどうぞよろしくお願いします」


 晴れやかな笑顔を浮かべるフェルベラに、リヒタスも顔を綻ばせる。


「僕こそ。君に会えて良かった。実はルグ領は閉鎖的なところだから、君が嫌だと泣いてしまったらどうしようかと不安だったんです。こんなにも早く笑顔を見せてもらえて嬉しいな」


 天使のような神々しい笑みを間近で見て、フェルベラは目がチカチカする。


 でも、それだけ。


 だって二度目の婚約者には、なぁーんの期待もしないと決めているから。



 *


 

 リヒタフに心の壁を作ったフェルベラの、ルグ領生活が始まった。


 ルグ領は、岩山で採取できる鉱石が主な収入源。そのため領民のほとんどが鉱山で働き、リヒタスは責任者として毎日、そこに顔を出す。


 ちなみに鉱夫は血の気が多くて、言葉遣いも乱暴だ。鉱夫を支える女性は、もっと気性が荒い。


 王都という温室でぬくぬく育ったフェルベラは、さぞ住みにくい地だろう。


 周りの人間はそうとう心配したけれど、それは杞憂に終わり、フェルベラはあっという間にルグ領に馴染んだ。




「──るるるぅ~。一言で表すなら快適ぃ~。もう一言付け足すなら超快適ぃ~。ここはルグ領、最後の楽園~」


 変な節を付けて歌うフェルベラの両手には、巨大な匙が握られている。


 ここは鉱山の麓にある休憩所。鉱夫達は毎日ここで、女性達が頑張って作った賄い飯を食べる。


 ルグ領での生活が始まり、早二ヶ月。フェルベラは炭鉱で働く女性達に混ざって、賄い飯を作るのが日課となっていた。


 もちろんリヒタスに命じられたからじゃない。自主的にそうしている。だってもう箱入り娘は卒業したから。


 幸いダチョウ女のエピソードは、良い方向に受け取ってもらえ、領民たちはフェルベラのことを都会育ちの鼻持ちならない小娘ではなく、やる時はやるデキる女と評価してくれている。大変有難い。


 そんな心根の優しい領民と、元婚約者のことを一切触れないでいてくれる領主のために、フェルベラは何かできることはないかと考えた結果、こうして鉱山の休憩所で賄い飯を作ることにした。


 ただ料理などこれまでやったことがないフェルベラにできることは、大鍋に入ったスープを焦がさぬようかき混ぜることだけ。


 予想より少々しょぼい役だけど、それでもフェルベラは、毎日汗かきかき与えられた仕事を一生懸命頑張っている。


 只今の時刻は昼食10分前。これからこの厨房は戦場と化す。


 フェルベラは更に気合を入れて、鍋の中でぐつぐつ煮だっているスープを、ぐるんぐるんかき混ぜていた、が。


「フェルベラさまぁ~、なんか領主さまがお呼びですよぉ。急ぎお屋敷に戻って来て下さぁ~い!!」

「ええー!今ですか!?」


 窓から顔を出してきたリヒタスの護衛騎士からそう叫ばれても、フェルベラはつい不満の声を上げてしまう。


 だって今日に限って、とろみのある具だくさんスープなのだ。かき混ぜる手を止めると、すぐに鍋底が焦げ付いてしまうので、フェルベラはいつも以上に手を抜けない状況にいる。


「あ、あの……もう少しだけ待って──」

「はいはいはい!こっちは良いから!!若様のところに行っておあげっ」


 オロオロとしたのは一瞬で、近くにいたご婦人にでっかい匙を取り上げられてしまう。


 フェルベラが「いやでも」と言えば、今度はもう一人のご婦人に「ほら早く!」と、背中をバンッと叩かれ──追い出されるようにフェルベラは、護衛騎士と共に領主のお屋敷へと向かった。





 季節は冬真っ盛り。ルグ領はどこもかしこも銀世界。その為、雪が解けるまでの移動手段は、もっぱらソリだ。


 ルグ領歴2ヶ月のフェルベラは、まだ寒さに弱いので、普段はソリに幌を付けて移動するのだが、今日は急ぎのため、幌無し走行。


 おかげでリヒタスの執務室に顔を出した時には、鼻が真っ赤になってしまっていた。


「ごめん。かなり急がせちゃったようだね。……良かったら飲んで。あったまるから」


 手渡されたのは、ホットショコラ。ガクガク震える身体には、最高の飲み物だ。


「あ、ありがとうございます」 


 ずびっと鼻水を啜りながら、フェルベラは湯気の立つコップを受け取る。


 そして暖炉の前に用意されている椅子に腰掛けて、ゆっくりと味わう。ああ、五臓六腑に染みわたる。美味しい。


 ……と、ホットショコラに舌鼓を打てたのはここまでだった。


「早速だけど、君の妹君から夜会の招待状が届いたんだけど」

「っ……!?」


 執務机の引き出しから、一通の封書を取り出しながら言ったリヒタスの言葉に、フェルベラは咽た。


「はぁ!?シャーリーから夜会の招待状!?はぁ?!どうして!?」


 コップを持ったまま執務机に詰め寄れば、リヒタスは黙って招待状を手渡してくれた。


 一先ずフェルベラは、コップを机に置いて招待状を黙読する。


 待つこと1分。読み終えたしたフェルベラは、にこっと笑った。


「今日はいつもより冷え込みますので、もう少し部屋を暖めましょうか」


 そう言ってフェルベラは、ルンルンとスキップをしながら招待状を暖炉に放り込もうとした。だが、寸前のところでリヒタスに止められる。


「薪以外は暖炉に入れては駄目という決まりがありましたか?」

「ないけど、これは燃やしちゃいけないですよ」

「じゃあ、斧で粉砕しましょう。そういう時の為の斧ですよね?」

「……それも駄目です」

「じゃあ、えっと」

「フェルベラさん」

「なんですか、リヒタスさん」


 急に声音が変わったリヒタスに、フェルベラはぎこちなく小首を傾げてみた。


 案の定、予想通りの言葉が返って来た。ものすごく聞きたくなかったけれど。


「僕は夜会に出席したいと思ってます。フェルベラさんと一緒に」


 こんなにも強く、リヒタスがフェルベラに向けて主張をするのは初めてだ。


 年上という気遣いもあって、リヒタスはこれまでずっとフェルベラの意思を尊重してきてくれた。


 そのことはフェルベラもわかっている。正直、今まで自由に過ごさせて貰っていたのが不思議なくらいである。


 だから本当なら、ここはフェルベラが折れて、リヒタスの要求を呑まなければならない。


 でも、この招待状は、シャーリーと元婚約者の婚約披露パーティなのだ。


 捨てられた女が捨てた男を祝うなんて、とんだ茶番だ。自分と一緒に参加するリヒタスは、最高に居心地が悪いだろう。


 そう思っているから、やっぱり要求を呑むことはできない。

 

「ねえ、リヒタスさん。あのね、他のことならわたくし何でも」

「いや、僕は君と一緒にここに行きたいんだ」

「……でも」

「行きたい。行くと決めた」

「……」


 まるで駄々っ子のようになってしまったご当主様に、フェルベラは渋面になる。


 普段は17歳とは思えない程、大人然しているのに、今日に限っては手のかかる弟にしか見えない。


 ……嘘である。フェルベラは、リヒタスのことをずっと弟として見ている。


 婚約者として何も期待はしていないし、異性として意識しないよう努力もしている。それでも、彼の人柄は贔屓目無しに素晴らしいので、おのずとそうなってしまうのだ。


「リヒタスさん、じゃあどうしてそんなに行きたいのか教えて下さいますか?」


 これはフェルベラにとって最大の譲歩である。


 政治的な理由なら断ることはできないし、義理的なアレなら、懇切丁寧に自分の親がどんな存在なのか教え込むつもりだ。


 もしかして元婚約者に何かしらの意趣返しをしてくれるのかと一瞬思ったけれど、秒で打ち消した。そういう期待は持たない方がいい。


 そんな気持ちから強く理由を問いただせば、リヒタスは根負けした。


「僕さぁ……隣のマルグルス国の大公爵と友達なんだけど、彼、実は最近、好きな人ができて、しかも運よく婚約までできてね、浮かれポンチになったんだ。そのノリで面白いものを贈ってくれたんだ。それをちょっと使ってみたくってね」


 期待はしていなかったが、恐ろしいまでにくだらない理由だった。


「……は、はぁ」


 リアクションに困ったフェルベラは、曖昧に頷いてみた。


 その態度は、リヒタスにとって是と受け取れるものだった。


「じゃあ、そういうことで参加決定ってことでよろしくお願いします」


 ペコっと領主様から頭を下げられてしまえば、フェルベラはもう諦めるしかない。


 だって、弟のおねだりを聞くのが姉の務めだから。


「……わかったわ。でもあまり長居は……したくない」


 せめてこれくらいは譲歩してほしいと、フェルベラが上目遣いで訴えたら、リヒタスはニコッと笑って頷いてくれた。





 それからフェルベラは、夜会まで怒涛の日々だった。


 鉱山の麓にある休憩所での仕事が忙しくなったわけではなく、毎日毎日、夜会の衣装合わせでてんてこ舞いだったのだ。


 ルグ領は閉鎖的な地である。だから物流も盛んではないと思いきや、一体、どこから湧いて出て来たのかと首を傾げるほど、商人達が屋敷に訪れた。


 リヒタスはドレスの生地を始め、髪や胸元を飾るアクセサリーに靴やショールといった小物まで、全部新品の特注にするよう命じたのだ。


 彼の張り切りように、フェルベラはちょっと引いてしまったが、これまで無駄遣い一つしなかった領主の大人買いを止めることは誰にもできなかった。無論、フェルベラも。


 ということで結局、大公爵からどんな面白いものを貰ったのか、リヒタスに聞く時間も取れないまま、夜会当日を迎えてしまった。





(一体、ここで身支度を整えてどうするんだろう??)


 フェルベラはメイド達があくせく動く中、ぼんやりと姿見に映る自分を見つめている。


 それ以外、やることが無いから。首一つ動かすことすら、許されていないから。


 ウィステリア家は、王都に邸宅を構えることができるくらいの財力を持っている。そこで生まれ育ったフェルベラであるが、これほどまでに豪華な衣装を身に着けたことは過去一度もなかった。


 とろりとした肌触りの淡い水色と銀糸を織り込んだ生地で仕立てたドレスは、一見、定番のハイウエスト型である。


 しかしよく見れば、何層にも重なるチュールでできており、一枚一枚全て異なる色の生地が使われているので、光の当たり具合によって、水色にもなれば銀色にもなる不思議な色合いだ。


 加えて腰の切替部分には、細い細い飾りチェーンが縫い付けられており、等間隔に藤色と若草色の宝石が輝いている。


 胸元と髪を飾るアクセサリーも同様に、藤色と若草色の宝石が仲良く並んでいて見る人が見たら「ぅうーわもう、あっつ」と冷やかしたくなるほど、リヒタスの想いが詰め込まれた一級品だった。


 ……でも、フェルベラは、そこに気付いていても、気付かないフリをする。


 だって、もう愛とか恋とかはこりごりだから。期待して裏切られたら、傷つくのは自分。なら最初から期待しなければ、痛みも苦しみも味わうことは無い。


 何よりまた裏切られた時にリヒタスを憎みたくないし、回し蹴りなんて絶対にしたくない。


 そう思っているフェルベラはリヒタスと同じ屋根の下で暮らしていても、婚約中なのに恋人のような触れ合いを求めていないし、無駄に一緒に居ようとも思っていない。 


 この婚約は、互いの両親が勝手に決めたもの。だから彼とは、悪いところはそっと目を逸してただただ穏やかに暮らしていきたいと思っている。


 ただそれは、フェルベラの一方的な思いでしかなかった。


 身支度を終えてフェルベラの部屋にやってきたリヒタスは、全く別の想いを抱いていた。


「うん、綺麗だ。とっても綺麗だ。最高に綺麗」

「……ははは」


 神の御使いのような美青年に褒められた三流の自分は、惨めさを通り越して滑稽だった。


「マルグルス国の大公爵の婚約者は春の妖精だって聞いたから、僕の婚約者は雪の女神だと思って仕立ててもらったんだ」

「っ……!」


 ダチョウ類ヒト科の間違いではなかろうか。と、フェルベラは思ったけれど黙っておくことにした。リヒタスがあまりに嬉しそうだったから。


 そんな微妙なフェルベラの思いに気付かないリヒタスは、更に言葉を続ける。


「マルグルス国の大公爵は婚約者を迎えてから本当に浮かれポンチになってね、正直僕は気味悪がっていたんだけど……今ならその気持わかるな。うん、婚約者がいるのって本当に浮かれちゃう。うん、うん、婚約者は大事にしたい。大事にするべきだ」

「は……はぁ」


 一体何を張り合っているのかわからないが、やたらと婚約者というワードを出すリヒタスに、フェルベラは若干引いている。


 でも普段は、若き当主として舐められないよう頑張っているリヒタスが、年相応にはしゃいでいるのを見るのは新鮮で悪い気持ちではない。


 だがこのまま彼を放置していれば夜明けまで賛辞を述べ続けそうな予感がして、フェルベラはオホンッと咳払いをして口を開いた。


「ところでリヒタスさん、今日は夜会と聞いてますが、間に合うのでしょうか?」


 なにせここは最果てのルグ領だ。馬車でえっちらおっちら向かっても、到底間に合わない。でも彼も夜会服に身を包んでいるから一応参加する気はあるのだろう。


 などということを遠回しに言葉を選びつつ付け加えたら、リヒタスはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「余裕。あと、丁度いい頃合いだから、今から出発しよう」

「え?は?……──ちょ、ちょっと!!」


 まったくもって意味不明なリヒタスの発言に首をかしげた途端、彼に強引に横抱きにされてしまった。


「リヒタスさん!腕折れますからっ。降ろしてください!」

「大丈夫、大丈夫。平気だよ。っていうかフェルベラさんはちょっと軽すぎるよ。もっとご飯を食べてくれないと心配だ」 


 本気で不安な顔をするリヒタスに「毎日完食してますよ」と訴えたい。あと彼の細腕が折れてしまいそうで、怖くて仕方がない。


 でもフェルベラは何も言うことができなかった。


 突然、温かい風が吹いたと同時に、視界が一気に変わったから。





 公爵家の迎賓ホールは嫡男の婚約を祝うために大勢の客で賑わっていた。


 無論、婚約者となったシャーリー・ウィステリアの姉と、過去に婚約関係にあったことは誰もが知っている。しかしそれを、おおっぴらに口に出すことはしない。


 喋りたい奴は扇で口元を隠して囁き合うか、個室で葉巻を咥えて語り合えばいい。


 本人達がいる前では、ただただ祝いと賛辞の言葉のみを吐き続ける。それが社交界のマナーである。


 だがしかし、それを打ち破る猛者がいた。本日の主役──シャーリー・ウィステリアである。


 彼女は、出来の良い姉が大嫌いだった。姉と比べられることが、死ぬほど嫌だった。「お姉さまとどうして同じようにできないの?」と叱られるたびに、いっそ屋敷に火をつけたくなった。


 唯一、姉より勝るものは容姿だけ。


 だから自分が持つ全ての愛嬌を使って、姉の婚約者を奪った。達成感は半端なかった。


 でもまだまだ、足りない。遠い地に消えてしまった姉を呼び寄せ、ここで最高に幸せな自分を見せつけて、そんでもって雪男の愛人に成り下がった姉を嘲笑わないと気が治まらなかった。


「ふふっ、もう到着しているかしら」


 シャーリーは、この日のために用意したドレスに身を包んだ自分を見て、うっとりと目を細める。


 今日のドレスは、人形のようだと褒め称えられる自分にふさわしいシフォンをふんだんに使った桃色のそれ。


 愛人としてひどい扱いを受けている姉は、きっとみすぼらしいドレスを着てくるだろう。両親だって持参金などほとんど持たせなかったと言っていた。


 始まりを告げるメイドに促され、シャーリーは迎賓ホールに続く廊下に出る。すでにロジャードは、自分をエスコートするため待機していた。


 これから優雅に中央階段を降りて、皆の前に出る。


 公爵家の嫡男の隣で、最高にドレスアップした自分を見上げる姉は、さぞかし惨めだろう。


 得も言われぬ高揚感に鳥肌が立ちそうなシャーリーとは対象的に、ロジャードは浮かない顔をしている。


「どうしたの?ロジャード、まさか緊張してるの?」

「いや……そうじゃない……けど……」


 端切れの悪い返事に、シャーリーはピンときた。


 薄々気付いてはいたが、ロジャードは姉フェルベラに未練がある。今日、招待するのも乗り気ではなかった。


 でも結局、招待状を送ったのは、もう一度フェルベラに会いたいという感情があったからなのだろう。


「お姉さまはもう人のものよ。変なことを考えないでちょうだいね」

「わかってるさっ」


 茶目っ気のある口調で釘を刺したら、ロジャードはムキになって返事をする。かなり面白くない。


 でもさすがに、権力のある公爵家だって二度の婚約破棄は避けたいだろう。だから自分は何をしても大丈夫。好きに振る舞っていい。


 そう言い聞かせてシャーリーは、お得意の微笑みを浮かべて中央階段に向かう。


 そしてロジャードに手を引かれ、ゆっくりと階段を中程まで降りた時──突然、ホールに一陣の風が吹いた。


 真紅のバラの花弁が舞う。キラキラと光の欠片が踊る。


 これは自分の魅力をより引き立たせてくれる演出なのね、とシャーリーは目を輝かせた。


 しかしその一拍後、花びらと光の欠片の中央に美青年に横抱きにされている姉フェルベラを見て、死んだ魚のような目になった。



 


「……ここ、どこ?」


 ひらひら舞う真紅の花びらを受けながら、フェルベラは自分を抱き上げている美青年に問うた。


「エリド邸の迎賓ホールみたいだね。すごっ、座標もタイミングもバッチリだ」


 自画自賛するリヒタスを捨て置き、フェルベラは彼に抱かれたまま辺りを伺う。


 キョロッと首を動かした途端、鋭い視線を感じてそこに目を向ければ、バチッと音が鳴るほど着飾ったシャーリーと目があった。次いで元婚約者ロジャードとも。


 どうやら二人は中央階段から入場する途中だったらしい。そして自分たちは、最悪のタイミングで登場してしまった。


(あ、これはシャーリーの逆鱗に触れてしまったわ……)


 人から称賛を浴びることが三度の飯より好きな妹は、予想通り般若の表情で階段を駆け下りてくる。


「ちょっとお姉さま!何をなさっているの!?」

 

 人前じゃなければ爪で引っかかれそうな勢いで叫ばれ、フェルベラは目を泳がせる。


 自分自身も現状を把握できていないので、うまく説明できないのだ。


「マルグルス国産の転移魔法の術式が埋め込まれた魔法石を使ったんですよ、シャーリー嬢」

「そうなの?」

「なんですって!?」  


 リヒタスの返答に、普通のテンション問うたのはフェルベラで、悲鳴の如く叫んだのはシャーリー。


 高価なものが大好きなシャーリーは、軍事に強いマルグルス国の魔法石がどれほど高価で希少なものか知っている。それをフランクに使うこの人物は、かなりの権力者であることを悟った。


 招待客の中でもシャーリーと同じように、リヒタスが凡人でないことに気付いた者はいる。


 でもそれより、同じ血を分け合った姉妹でこれほどリアクションが分かれるのかと、周囲の招待客は変なところに関心を持っている。


 つまり、全員が全員、驚いて思考を放棄しているのだ。


 そんな中、至って冷静なリヒタスはそっとフェルベラを床に降ろしながらニコニコ顔で口を開く。


「マルグルス国の大公爵と少々交流がありまして。それで僕の婚約記念に、この希少な魔法石を贈ってくれたんです」


 微妙に答えになっていないが、シャーリーはそれより別のところにがっつり食いついた。


「婚約!?え、まさかあなたが……お、お、お姉さま……と?」

「はい、そうです。あ!自己紹介がまだでしたね。はじめましてリヒタス・ケーヌです。腰痛で引退した父に代わり、今は僕がルグ領の領主を務めてます」


 ──以後お見知りおきを。


 そう言って礼を執ったリヒタスは、これまでとは別人のように凛々しい姿だった。


「……嘘」


 シャーリーは、信じられないと言った感じで後退する。


「嘘よ、だってお姉さまなんかに……こんな人が婚約なんて……嘘よ、嘘……!信じないわ!!」


 随分失礼なことを言ってくれるなと、フェルベラは呆れるが、実際自分も、この現実にびっくり仰天した一人である。


 そのため、ムッとせずに苦笑を浮かべてしまったが、シャーリーからすれば勝利の微笑みに見えてしまったようだ。

 

「ふぅーん、お姉さま幸せなんですね。おめでとうございます。でも、また他の女に奪われないようになさってね。裏切られるのは、お姉さまの得意とするところだから……心配だわ」 

 

 シャーリーはわざと憂えた表情を作ってそう言った。ただこれは、自爆でしかない発言だ。


 でも何か言わなきゃ気がすまない。自分より高価なドレスを着て、自分より見目の良い婚約者を従わせて、自分より財がありそうな男を手に入れた姉の悔しい顔を、どうしても見たかった。 

 

 そんなシャーリーの捨て身の反撃は、フェルベラにとって痛くも痒くもなかった。


「心配してくれてありがとう、シャーリー。でもね、もしリヒタスがわたくしを裏切ることがあるなら、ね」


 中途半端なところで言葉を止めたフェルベラは、身体の向きを変えてリヒタスに寄り添う。片手は、わざとらしく彼の頬に添えて。


「それは、わたくしが先に彼を裏切った時だけよ」


 言外に、リヒタスは裏切らないと宣言したフェルベラに、シャーリーは意地悪く笑う。


「へぇ……随分と信用なさっているんですわね」

「あら、違うわ。信用じゃなくて信頼よ」


 その違いわかる?と言いたげにフェルベラはゆったりと首を傾げてみせた。


 勉強嫌いのシャーリーは、なんとなく違いがわかるが、言葉に出して説明ができない。


「な、なによっ、人の婚約披露パーティをメチャクチャにしたくせに、いい気にならないでよね!謝って!!」


 負け犬の遠吠えにも聞こえるそれに対応したのは、フェルベラではなくリヒタスだった。


「申し訳ありません。僕が婚約者に長い移動で疲れさせたくないと思ったばっかりに……」


 シュンと肩を落としてそう言いつつ、ちゃっかりリヒタスはフェルベラの肩を抱く。


 これでは、年上の婚約者にメロメロになっている若き領主にしか見えない。


 だがフェルベラは知っている。リヒタスが故意にこの場所を選んで登場したことを。


 でも知らないふりをする。彼はおそらく自分のために、こんな派手な登場をしてくれたんだ。加えて、シャーリーを苛立たせる言動を、わざとしてくれている。


 これは謂わば、リヒタスが考えてくれた自分へのサプライズプレゼントなのだ。


(ありがとう、リヒタスさん)


 フェルベラは演技ではない笑みを浮かべて、リヒタスを見上げる。


 自然と視線を絡ませれば、彼は尊い何かを見るように目を細めてくれた。あらまあ、演技がお上手だこと。


 なぁーんていう勘違いをしているフェルベラだが、リヒタスは本気であり、まだまだ足りなかったりもする。


「騒がしい真似をして申し訳ありません。シャーリー嬢の婚約者──ロジャード・エリド殿。今日はお招きいただき感謝します」


 ずっと無言で、フェルベラに向けて未練たらしい視線を向けていたロジャードは、リヒタスに声をかけられ、はっと我に返った。

 

「あ、いえ。ようこそ。今日は楽しんでください」


 棒読みで、ありきたりなことを言ったロジャードの視線は、フェルベラに向けられている。


「僕の婚約者が、そんなに綺麗ですか?」

「なっ……べ、別に」


 みっともなく狼狽えるロジャードに、リヒタスはにんまりと笑う。


「いえいえ、つい視線が行ってしまうのは無理ないです。わかりますよ、だって僕の婚約者は綺麗ですから」


 見るなと噛み付けば、子供だと思われる。気付かないふりをすれば、この先ちょっかいを出される可能性がある。


 だからリヒタスは敢えて、ロジャードの行動を肯定した。でも視線で「あと2秒見たら殺す」と脅すことは忘れない。


「僕はこんな素敵な婚約者に選ばれて、本当に幸せです。それでは、主役二人を独り占めしていたら他の招待客の皆さんに失礼ですから。これで」


 軽く一礼したリヒタスは、完璧な所作でフェルベラをホールの奥へとエスコートする。


 しかしすぐ、ロジャードに呼び止められてしまった。


「一応忠告しておくけど、彼女は気に入らない人間に飛び蹴りをする狂犬だ。これから先、苦労すると思うが頑張りたまえ」


 悔し紛れに吐いたロジャードのセリフは、シャーリー同様に我が身の失態を曝け出すもので、フェルベラとリヒタスは同時に吹き出しそうになる。


 しかしなんとか堪えたリヒタスは、お礼にとこんな言葉を贈った。  


「ご忠告どうも。さすが先週も、先々週もスネと脇腹に蹴りと拳を入れられた方の言葉は重みがありますね。でも、お相手はか弱いご令嬢じゃないですか。仮に痛めつけられたとしても、そう騒ぐことではないでしょう。それより、なぜそうされたかを考えるべきでは?──では、失礼」


 さらっと、婚約中にも関わらず浮気をしていたことを暴露されたロジャードは、顔色を失う。


 すぐにシャーリーが鬼の形相で「どういうこと!?」と詰め寄り、修羅場と化した。


「──さっきのは嘘?それとも実話?」


 リヒタスの腕に己の手を置きながら、フェルベラはそっと問いかける。


「実話だよ。ま、僕には親切な友人がたくさんいるんだ」

「ふふっ……そうなのね」


 クスクス笑うフェルベラの足取りは軽い。


 きっと、失血死するんじゃないかと思った心の傷が、完全に癒えたことを実感できたから。


 本当は、夜会の準備に追われている最中、自分を捨てた男と自分から婚約者を奪った妹を前にして、平常心を保てるか不安だった。


 でも、会場に到着したら、ぜーんぜん動揺しなかった。奇想天外なリヒタスの言動に、おどろっきぱなしで、それどころじゃなかった。

 

「どうせ来たんだし、せっかくだから1曲踊って帰りましょっか?」

「うん。そうこなくっちゃ」


 意気投合した二人は、身体の向きをダンスホールへと変える。


「ところで、リヒタスさん。帰りは……馬車とか?」

「ご冗談を、フェルベラさん。魔法石はまだ残ってるから、大丈夫だよ」


 行きはよいよい、帰りはキツイ。なんていうオチは笑えないフェルベラは、ほっと安堵の息を吐く。


 そしてちゃちゃっと踊って、皆が待つルグ領に戻ろうと思ったその時──


「フェルベラ、久しぶりね」

「元気そうで良かった」


 聞き覚えのある声に一瞬だけ足を止めたフェルベラだったが、すぐに歩き出す。リヒタスも同様に。


「こら、フェルベラ!親に向かってなんていう態度だ止まりなさい」

「そうよ。どうしちゃったの?あんなに素直で良い子だったのに……」


 威圧的な父と憐れみの声を出す母親に、フェルベラはうんざりした表情を浮かべて、振り返った。


「おそれながら、どちら様でしょうか?」


 他人行儀な娘の態度に、フェルベラの両親はぎょっとする。


「な、何を言ってるんだ。どうしたんだフェルベラ。父の顔を忘れたなど──」

「忘れましたわ」


 ニコッと微笑むフェルベラは、父親が口を開く前に早口で言葉を重ねる。


「わたくし、二度目の婚約者の元に向かう直前、両親にこう言われましたの”門を出たら、お前とは他人だ。今より親子の縁を切る。何があっても戻ってくるな”と。ですので、わたくしには両親はおりません」


 あんぐりと口を開けるフェルベラの両親は、確かにそう言い放った覚えはある。


 だがしかしそれは、雪男の愛人に成り下がる娘に対して向けたセリフであり、娘が当主の正妻になるなら話は違う。


 もちろんフェルベラは、両親が手のひらを返したことは知っている。ウィステリア家の経済状況は、今、かなり危険だから。


 平民あがりの学者風情と馬鹿にされた父親が、手っ取り早く地位を上げるために、公爵家に多額の持参金を明示して縁談を結んだ。ただ用意するはずの持参金は、手元にない。


 欲を出した父親が無作為に投資をした結果、ウィステリア家は多額の借金を背負う羽目になったのだ。

 

 このままでは、シャーリーとロジャードの縁談は破綻する。


 そのことをフェルベラは、ウィステリア家の私室で監禁されていた三ヶ月間で知った。


 厄介な娘を捨るかわりに、ルグ領の領主から定期的な援助を受ける魂胆だったということも。


「素直で良い子なフェルベラは言いつけどおり、ウィステリア邸の門を出た瞬間から家族のことは忘れました。どうぞ褒めてくださいな。では、失礼」


 なおも親子の縁は切っても切れないと言い張る両親に向け、きっぱり言い放ったフェルベラは、今度こそ足を止めずにダンスホールへと向かった。





「──軽蔑されましたか?」


 向かい合ってダンスの型を組んで、ステップを踏み出したと同時に、フェルベラは恐る恐るリヒタスに問いかけた。


「まさか。惚れ直したよ。さすが僕の婚約者だ」

「ふふっ。リヒタスさん、今は私たちの会話なんて誰も聞いてないですから、演技しなくてもいいですよ」


 意外に完璧主義なんだなとフェルベラは感心したけれど、リヒタスはなぜかムッとする。


「僕は今日は一度も演技なんてしてないよ」

「……っ……え?」

「今日言ったことは全部本心。僕さぁ、ずっとフェルベラさんに惚れてるんだけど?」

「ど?って言われても……そんな……」


 ダンスを踊りながらの、だだくさな愛の告白。もう、何だそれと言いたい。


「気付いてなかったようだね。もしかして弟として僕のこと見てた?」

「ここはやっぱり王都。さすがに雪はそんなに降ってないですねー」

「誤魔化さないで」

「……っ」


 キツイ口調で窘められて、フェルベラは目を泳がす。


 だって二度目の婚約者に、期待なんてしてなかったから。


 リヒタスが自分のことを大事に扱うのは、義務でしかないと思い込んでいたから。今日だって、共同生活を送る者への労いからくるものだとしか思ってなかった。


 などということを、どうして口に出して言えようか。


「ごめんなさい」

「あー、今ので全部なんかわかった」

「ほんと、ごめんなさい」

「謝罪は時として人の心を抉ることをフェルベラさんは覚えた方がいいよ」

「ごめ……いえ、心に刻みます」

「そうしてください」


 ムスッとしたまま、リヒタスはダンスを踊り続ける。心なしかリードが荒いけれど、それに文句を言う権利はフェルベラには無い。


 とにかく、黙ったまま踊る。ある意味、こんなに緊張するダンスは生まれてはじめだ。


「……僕さぁ……これからもっと頑張るよ」


 しばらくフェルベラを好き勝手に振り回していたリヒタスは、急に優しいリードに変えてそう宣言した。


「だから、フェルベラさんも僕のこと、ちょっとは異性として意識して。ね?」


 強く同意を求める「ね?」は、あまりに魅力的で、フェルベラは目眩すら覚えてしまう。


「……あんまり期待しないでね」

「うん。期待を超えるほど頑張るよ」


 ルグ領に向かう途中に、フェルベラは何度も自分に言い聞かせた。


 二度目の婚約者には何も期待しない。しちゃいけない。するだけ無駄、と。


 ──なのに。それなのに、


 胸に埋め込んだ呪いを容易く打ち砕くリヒタスに、フェルベラはどうしたって彼との明るい未来を描く自分を止めることはできなかった。



◇◆◇◆おわり◆◇◆◇

最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] さすがうかれぽんち大公爵、いい仕事をしますね…!
[一言] 初々しくて微笑ましい二人ですねー(^^)
[良い点] 全体が素晴らしいです! [気になる点] あるわけないですよ! [一言] 今後がすごく気になる・・・! できれば連載版が読みたいです!
感想一覧
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