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わたしとその男の子【3】

 わたしはマラソン大会で自分の中では最高の結果を残したけれど、気持ちは全然晴れなかった。


 自分より結果を出して欲しい人が、可哀想なことになってしまったから。

 あそこまで頑張っていた人が、どうして。


 わたしを更に心配にさせたのは、彼があんまり悔しそうにしていなかったから。

 あんなに頑張っていたのに。震えるほど悔しいんじゃないの?


 もしかしたら心が折れてしまったのかもしれない。わたしはそれだけはあっては欲しくないと、彼の姿を見ることが怖くなった。


 でもすぐに、わたしは彼をまた近くで見るようになる。

 音楽の授業が音楽会に向けて学年合同で行われる時期になって、みんながまず自分の担当する楽器を選んだ。


 わたしには心配していることがあった。それは、ピアノの伴奏をやらされること。

 小さい頃から気がついたらお母さんに習わされているピアノ。

 弾けるようになって嬉しいと思う時も、習っていて楽しいと思う時もあったけれど、好きかと言われると今でもよくわからない。

 そもそもわたしの好きなことは、何なのだろう。


 前に、ピアノを習っている子を先生が聞いた時があって、わたしは何を思ったかバカ正直に手を挙げてしまった。なんであんなことをしてしまったのだろう。


 ピアノが好きかどうかはわからないけれど、少なくとも今わたしは、伴奏をやりたくないのだ。これだけははっきりしている。


 他の楽器なら、なんでも良かった。幸い、伴奏者はたくさんの人に推薦された子がいて、本人も満更でもならそうだったのでわたしは避けることができた。


 結局わたしは、一番ありふれたリコーダーになった。リコーダーの中にもいくつかパートがあり、それぞれに大体人数が均等になるように割り振られた。


 楽譜が配られ、それぞれの担当ごとに場所が指定されて、そこに移動して練習をしておくように指示された。

 移動した先の教室には二十人くらいがいて、その中にはるひ君の姿があった。


 危うく目が合いそうになって、わたしは慌てて視線を逸らした。

 きっと彼もわたしの姿だけは覚えてしまっているだろう。わたしは久しぶりにこの特徴的な髪の色を悔やんだ。


 さっき指示されたようにパートのリーダーを決める。リーダーになった子は、楽譜の最初から音階を読み上げ始めた。

 楽譜の読めない子達は、読み上げられた通りにメモしていく。


 読み終わった後、リーダーの子は各自で練習をするように言った。

 まあ今日楽譜が配られたばかりだし、そうするしかないよね。

 わたしは教室の隅に椅子を一つ置いて座り、膝の上に置いた楽譜を見ながら吹いてみた。


 うん。まあ妥当な難易度だと思う。これから練習していけば、みんなちょうど本番くらいまでには吹けるようになってくるのだろう。


 暇になったわたしは窓の外の景色を少しの間ぼーっと眺めていた後、ふと思い立って周りの人の様子を慎重に見渡した。


 はるひ君はわたしと同じように教室の隅に一人で座り、おぼつかない手つきでリコーダーを吹いていた。

 そういえば彼もさっき楽譜にメモしていたみたい。


 教えてあげようかという考えが一瞬湧いたけれど、流石にちょっとそれは…と思い直した。

 しばらくして、音楽の先生がやってきた。


「それじゃあ、一人ずつ順番に吹いてみてくれる?」

 みんなの顔色が変わった。

 えっ。今日楽譜が配られたばかりなのに、いきなり?


 仕方ないので言われたように吹き始める。当たり前だけど、出来ない人が多い。

 何人かの男の子に至っては、遊んでいて全く練習していなかったから、出来るはずがない。


 わたしの番になる。わたしは動揺しながら演奏する。

「うん。今日初めてなのによく出来てるね。それじゃあ、出来ない子にも教えてあげてくれる?」

 わたしの意識は別の方に行っていて、気の抜けた返事を返す。


 順番が彼のところまで回る。わたしは心の中で頑張れ、と強く念を送るけれど、やっぱり彼の演奏は何度もミスをして途切れた。

 はるひ君は、演奏した後とても恥ずかしそうにしていた。


「それじゃあ、出来なかった人は次の時間までにちゃんと練習してきてね。次の時間は、次の小節にも進まないといけないから。」

 このおばさん先生、プレッシャーを与えてやらせるタイプか。

 効率的かもしれないけれど、あまり好きなやり方ではない。

 

 わたしはやっぱり彼に声をかけようかと思ったけれど、チャイムが鳴り、タイミングを逃してしまった。




 翌週、次の音楽の時間がやってきた。例によって教室で各自好きなように練習をしつつ、先生が私たちのパートにやって来るのを待つ。


 わたしは今度こそ彼に声をかけてみようと思った。

彼が報われないところは見たくなかった。そのためにわたしの出来ることは力を貸そうと思った。

 あとは少し…彼と仲良くしてみたいと思った。彼の中でのわたしがマラソンの時のままの印象でいたくなかった。

 わたしはムキになってキミに勝ちたいわけじゃないんだよって。


 でもわたしは結局声をかけることはなかった。それは彼が一人で本当に一生懸命に練習していたから。

 彼の指は、前回より格段にスムーズに動いていた。


 今回も先生は一人ずつ順番に吹かせた。男の子達は、まあ吹けたり、吹けなかったり。

 明らかに何も練習していない子も何人かいて、次こそはちゃんとやってくるように少し強く言われていた。

 はるひ君は、息は少し震えていたけれど一つもミスをせず吹ききった。


「じゃあ、今日新しくやったところも一応やってみようか。また、最初の人から。」


 流石に困惑の声があがる。


「前回もそうだけど、新しくやったことがすぐに出来なくても怒ったりはしないよ。次の時間までには出来るようにして欲しいけど。一応ね、一応。」


 何が一応だ。他人の前でやらされるストレスをその程度の言葉で片付けられてたまるか。

 わたしはやっぱりこの人が好きになれない。


「うん。くれはさんはバッチリだね。他の人にも、どんどん教えてあげてね。」


 何となくムッとして、やっぱりそっけない態度をとってしまった。

 教えるのはいいから、一人ずつ吹かせる形式をやめて欲しい。


「おー。久方君上手くなったね。他の人にも教えてあげてくれる?」


 えっ?

 彼はこちらもミス無く吹ききった。

 先のところまで見越して練習してたんだ。


「はい。」


 彼は少し高めの、優しい声で少し恥ずかしそうに応えた。

 わたしはなんだか急に嬉しくなった。我ながら単純だと思う。

 人のことでこんなに嬉しいのは初めての経験だった。

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