真衣 part4
緑の匂いをたっぷり含んだ風が「お待たせっ!」なんて言うように教室を吹き抜けていった。ベージュ色のカーテンはふわりと舞い上がり、そのカーテンが窓際の席の井上君の顔にまとわりつく、それを見て笑う平田君の机の上に置きっぱなしの英語の教科書がパラパラと捲れ、隣の席で次の数学の予習をしていた松田さんは吹き流される前髪を迷惑そうに片手で抑えていた。
何だか明衣を思わせる風だ。可愛げがあるような気もすれば、ただ鬱陶しいだけのような気もする。
そんな初夏の風を小さく吸い込んでいると後ろから声を掛けられた。
「真衣、今大丈夫?」
テルだった。
「なに?」
「いや、今日も明衣ちゃんの所に行こうかなと……」
「あんた、また行くの? いいよ別に、来週からテストじゃん。家に帰りなよ」
「いやっ、でもっ。最近行けてないからさ……」
テルが少し申し訳なさそうに俯く。
もう、そんなの気にしなくていいのに。しょぼくれたテルの顔は何だかとても可愛く見える。表情が緩みそうになったので慌てて言った「そんなの気にしなくていいって」って言葉の言い方がつい冷たくなってしまった。
「そっ、そうか?」
少し戸惑ったようにテルはそう言い黒縁の眼鏡をクイッと持ち上げた。私には分かんないけど、何だかその仕草は溜息が出る位、格好良く見えた、ような気がする。
「だけどそろそろ花火大会もあるしさ。明衣ちゃんの体調も気になるなって」
頭を掻きながらテルは言う。
「多分大丈夫だと思うけど」
「そっか。それならいいんだけどさ」
ホッと安心したようにテルは笑う。その笑顔にほんの少しだけ気持ちが搔き乱される。
「ちなみ、さ。もし花火大会に明衣が行けないってなったらどうする? 二人で行く?」
わざと悪戯っぽい軽い感じで聞いた。
「うーん、まぁあんまりそういうのは考えたくないよな」
そう言ってテルは困ったように笑った。
私は慌てて「あっ、当たり前じゃん。例えばの話よ。っていうか私も願い下げだし」と応え「もう次の授業始まるよ」と言い加えた。
テルは時計を見返り「あっ、やべっ」と呟いた後、「じゃあ、まぁ取り敢えず今日は明衣ちゃんによろしく言っといてくれないか」と自分の席に戻っていった。
「分かった」
私の声にテルは手を振り応えてくれた。
チャイムが鳴り皆いそいそと数学の準備をし始める。
ざわめきの中、私は一人さっきの会話を思い出していた。
私はほんのちょっぴり、とっても最低なことを言ってしまったかもしれない。
胸の中に苦い思いがこみ上げる。
また一つ、風が教室に吹いた。数学の村上先生はめんどくさそうに窓を閉め、さっさと冷房に切り替えてしまった。
無機質な冷たい風が私の背中を撫ぜては消えていく。
私は罪悪感を抱きながら三角関数を解いていく。
今日は優しくしてあげよう。誰に? なんて説明するまでもない事を固く決心した。