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さんまいめ  作者: taka
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真衣 part2

 世界で一番情けない姉とは私の事を指すのだろう。

 五歳で余命半年を告げられた妹が「死んだらどうなるの?」って聞いてきたのに、私は何も答えられなかった。

 私が知らないせいで明衣を傷付けてしまった。折角こんな近くで慰めることが出来ると思ったのに。やっと何かお姉ちゃんらしい事を出来ると思ったのに。

 せめて嘘でもよかったじゃないか。死ぬっていうのはウサギが総理大臣の雲の国に行くことで、そこではおやつを食べることが仕事なんだって。

 自分の事を嫌というほど嫌いになると人は眠れなくなる。どうでもいい事を新しく知った。こんな事知る暇があれば死んだ後の事を知っておきたかった。


 眠れないまま夜が更けていく。気付けば時計の針は十二時近くを指している。こんな遅くまで起きているのは当時五歳の私にとって初めてだった。喉の渇きを感じた私は隣の明衣を起こさないようにベッドから降りキッチンに向かった。

 廊下の軋む音に微かなうすら寒さを感じつつも、冷蔵庫から麦茶を取り出しコップ一杯だけ飲むと妙に落ち着いた。

 すっかり目が覚めた私はベッドに戻る気もしないのでそのままリビングに向かいソファーに座った。

 ふすま一枚隔てた、隣の部屋でお母さんは寝ている。お父さんは今出張中だから到底叶わない夢だけど、何年かぶりに両親の布団に潜り込みたい。昔みたいに絵本を読み聞かせてほしい。私はお母さんの隣で、明衣はお父さんの背中の上に寝そべるのがいつものスタイルだった。本当に楽しい夢のような時間だった。いつしか私が一人で本を読めるようになってから自然とその時間は無くなってしまった。勿体ないことをしてしまった。明衣ともっと本を読みたかった。あぁ、自分の右脳が憎らしい。

 沈んでいく気持ちに抗いたくて、私はテレビのリモコンに手を伸ばした。藁にも縋る思いだった。


 リモコンにあるTVの電源ボタンを強く押す。

 日曜日の二十三時二十五分。テレビが点きリビングが青白い光に包まれた。

 誰か助けて! 

 祈る思いで点けた画面に映っていたのは、青やら黄色やらのどぎつい色彩を使って描かれている空飛ぶハンバーガーの絵だった。絵の端には宇宙人も描かれている。

 ゆり組のメグちゃんなら「いみわかんない!」と吐き捨てるだろう絵だ。

 そしてその意味わかんなさに拍車をかけているのが画面下部に映っている20人ほどの老若男女の後ろ姿だ。こんな絵を主に若女がお行儀よく簡素なパイプ椅子に座って眺めている。

 呆気に取られていると突然ダンディな男性の声に続きラップ音が響いた。

『Ladies and gentlemen !』

 一瞬暗くなった後、画面の右から2人のおじさんが現れた。

 飛び切りに気怠そうな2人。1人は派手な柄のジャンパーを羽織り何度も肩をゆするたらこ唇、もう1人は黒いスーツを着た丸坊主、ちなみにその坊主はネクタイの剣先を何故かシャツと一緒にズボンの中に入れている、サイズか合っていないのだろうか。

 2人は不機嫌そうに画面の中央に居座った。

 兎にも角にも怖い二人組。私、知ってる。この人達ヤクザだ。小説やドラマ、あとコンビニの暴露本によく出てくる、ほぼ100パーセント悪役で。主人公たちを追い詰める最低最悪な人達だ。確かによく見ればたらこ唇は笑いながら人を何度もバットで殴りそうだし、坊主は眉一つ動かさず銃の引き金を引きそうだ。

 なのに、なのにだ。なんでだろう。この時間のテレビってのはどこか違う世界の電波を受信するのだろうか?

 だってそのヤクザの二人は大歓声とうねるような拍手で迎えられている。まるでどうかしてる。

 ――随分と偏見の強い話だ。当時の私はテレビの向こうの仕事にあまり明るくなかった。

 2人は人を笑わせる事を生業にした芸人だった。

 暫くゴニョゴニョと喋った後、たらこ唇がハガキが大量に詰まったアクリル箱を画面端からキャスターに乗せ持ってきた。

 テレビの向こうで会場のお客さんが「おぉ〜」と突然色めき立つ。

 そんなお客さんの様子など一切意に介さず、たらこ唇のおじさんはマイペースに箱から一枚のハガキを取り出し、中身を読んだ。

 ハガキに書かれていたのは坊主の人への「質問」だった。

 たらこ唇は読み終わると一瞬坊主に視線を送った後、まんじりと押し黙り坊主の答えを待った。

 そんな唇の視線を一切気にせず、丸坊主はしばらく左手人差し指の第二関節を左の鼻の孔に突っ込み何かをじっと考える。

 私みたいなしかめ面を浮かべながら、じっと何かを考えている。

 妙に長く感じた数秒後、坊主はおもむろに口を開いた。


 丸坊主のその人はきっと何かとっても素敵な事を思い付いたのだろう。

 のらりくらりな喋り口調は一変し、仰々しい身振り手振りを交えながら真剣な顔をして、その人が口にするのは嘘だった。

 言っていることは嘘なのに、不器用に真面目に何で上手に伝わらないんだって苛立ちすらも込めながら、隣に立った人に何度も頭を叩かれながら、それでもその人は喋ることを止めない。

 その姿はまるで使者だった。誰かからの言伝を私達に届けに来てくれたみたいだった。


 テレビの電波に乗ったその嘘は音速を超え光の速度で日曜日の夜、私の夜に響いた。

 胸の中にほんのりと温かい感情が宿る。よもすればそれは間違いなく……

 うそでしょ? 信じられない。だって私は、ついさっき大好きな妹がもうすぐ死んでしまうって話を聞かされたところなのだ。

 私には落ち込む義務がある。世界中の誰よりも深く、長く、永遠に落ち込まなくてはならない。悲しまなくてはならない。そう思い込んでいた。

 目の前の36インチの中の人は、そんな私の苦悩なんて素知らぬ顔してまた嘘をついた。

 流れ星みたいな速さで笑い声が響く。私の夜に響く、響く。


 後ろでリビングのドアの開く音がした。

「おねぇちゃん?」

振り向くと明衣がいた

「明衣、寝てたんじゃないの?」

「今起きたんだ~おねえちゃんが居なくなったから寒くなっちゃって」

 悪戯っぽく明衣は笑い、背中から私を抱きしめる。

「あたしはあんたの湯たんぽじゃないんだけど」

「えへへ、それよりどうしたの? そんなに笑って?」

「え?」

「おねえちゃんスゴイ楽しそう。ずるいよ。何か面白いテレビしてたの?」

 明衣は屈託なく笑う。私の隣に座ると顔をまたグンと近づけてきた。明衣の手のひらがソファーに少しだけ沈んだ。

「……いや、その」

 私は、私は……笑ってしまったらしい。落ち込む義務を怠って私は一瞬だけ笑ってしまったらしい。

 信じられない。それこそまさに嘘みたい。

 ごめん、ごめんね……。

 私の世界が揺れた。物理的に。明衣が私の肩を揺さぶったのだ。

「ねぇ! 早く教えてよ! おねえちゃんなにとおい目してるの! こんなちかくにかわいいかわいい妹がいるんだよ!」

 そう言って明衣は笑った。最近前歯の抜けた跡が覗く明衣の少し間抜けなその笑顔は確かに、確かに可愛かった。凡そ、明日にも死んでしまうかもしれない女の子の顔じゃない。

 あぁ、あれもこれも全て嘘であれば良かったのに。明衣の笑顔が近くであればあるほど強く想う。

 私の世界はまた揺れる。今夜は何度だって揺れる。蒼白い奇跡が鈍く瞳の中で何度も何度も瞬いて零れそうになる。慌てて明衣に背を向ける。テレビの中の笑い声が遠くなった。

「おねえちゃん……泣いてる?」

「……んなわけないでしょ」

 私は明衣にバレないように自分の目元を袖で拭った。

「ふーん……ねぇ早く面白いこと教えてよっ!」

 そう言うと明衣は私の目の前に回り込んできた。少し小首を傾げたその姿はついさっきどこかで見た事があった。

 あぁ、そうだ。ベッドの中で「死んだらどうなるの?」って聞かれた時だ。何も答えられなくて私が最低に情けなかった時だ。思い返せばあの瞬間が、目が冴えて眠れなくなった今に繋がっているのだ。

「おねぇちゃん、おーしえて!」

 明衣の悪戯っぽい表情が私の胸に熱い何かを灯らせた。

 坊主の人の大嘘でテレビの向こうに笑い声が起こる。

 私は顔を上げ大切な妹の顔をじっと見据えた。

 唇の人のツッコミでテレビの向こうの笑い声が大きくなっていく。


 私は今度こそ教えてあげたい。明衣の知りたいことを全て伝えたい。

 嘘でいい。

 それが明衣の笑顔に繋がるなら嘘で構わない。


 この世界には星の数ほど嘘があって、その中には吐いていい嘘と信じていい嘘があるんだってテレビの向こうの使者は言っている。

 嘘を吐くときは胸を張って真面目な顔をして話すのがコツらしい。

「あのね……」

 私は明衣の耳元にそっと口を寄せた。

 この世界でまるで二人きりなんじゃないかと錯覚するほどの距離。

 明衣の笑い声を私は全身で受け止める。

 笑った時のえくぼが私達はそっくりなんだ、そんな事をふと思った。

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