真衣 part11
約一か月ぶりの病院は当たり前だが明衣が生きていた時と何も変わってなかった。
白と灰色まばらに赤で塗りつぶされた大きな大きな棺桶みたいな建物。ロビーに漂う消毒液の匂い、死んだ魚のような目をした事務員さんその全てが懐かしい。
ただ爽療祭の会場である中庭だけはいつもと違った。手作りのアーチに色とりどりの風船が結われており、肩を寄せ合うように設営された五つの白いテントの屋根には引くくらい誇らしげに「第一小学校寄贈」と書かれている。
そして会場の中央の奥側にある、木箱を積み重ねた上に白い布を掛けただけのイベントステージ上では院長が何とも気持ち良さそうに松山千春の『大空と大地の中で』を熱唱している。
そこかしこに懐かしい人がいて声を掛けようか迷っていると「いたっ!真衣ちゃん! こっちよ! こっち!」と顔なじみの看護師さんに声を掛けられた。
「来てくれるって信じてたんだから。ほらっ、もう次が出番よ」
看護師さんはそんなことを言いながら私の腕を掴みグイグイと引っ張って行く。「えっ? あっ、いや、私は……」と戸惑う私の様子なんかまるで意に介していないようだった。人波をかき分け着いた先はステージの端に設置されたミニテント、所謂舞台袖だった。
「じゃあ後は任せたよ。中で彼氏さんも待ってるから」そう言って看護師さんはステージの反対側にある運営本部用らしきテントに消えていった。
思えば、明衣が入院していた時からテキパキ点滴を交換する看護師さんだったなと思いながら目の前のテントの扉部分にあたる布をめくって中に入った。
薄暗く、じめじめとした空間。誰かが出し物で使ったのであろう小道具がそこら中に散らばっており、院内は禁煙のはずなのに何故かタバコの吸い殻も落ちている。そんな場所から見るステージは妙に白く輝いて見える。今はそんなステージ上にカラオケ大会の参加者が整列している。忖度でどうせ優勝することが決まっているのに院長の横顔は子どもみたいに無邪気に結果発表を今か今かと待っている。
「やっと来た」
暗闇の向こうから声を掛けられた。
私は黙ってその声の主の横に並ぶ。
「次、呼んで貰うことになってるから」
声の主はそう言って胸元のネクタイを締め直す。
本当はもっと他に言うべき言葉があるのに、私の第一声は「テル、その恰好なに?」という憎まれ口だった。
「衣装だよ、衣装。演劇部に借りてきたんだ」
私の憎まれ口に嫌な顔一つ浮かべず笑いながらテルは応えてくれた。
そんな優しいテルは上下青色のスーツに赤色のネクタイに身を包んでいてそれはどこからどう見ても……。
「銀シャリじゃん」
私のツッコミにテルは首を捻りながら「いやここ数週間、youtubeで色んな漫才師の動画見て一番華やかだったからさ」と困ったように呟く。
テルの真面目な性格がダメな方に出たパターンだ。見た目だけならテルの方がボケみたいになってしまっているが、明衣と作ったこのネタはテルがツッコミで、明衣の代わりの私がボケなのに。まぁテルが横山たかし・ひろしの動画を見なかったことが不幸中の幸いかもしれないが。
そんなやり取りをしているとステージ上では例年通り院長の優勝が決まり、まばらな拍手が響いた。大会参加者は皆早々に私達とは反対側の袖にはけていく。
院長が「いやはや三連覇とは信じられない」とバカみたいなコメントを言っている中、司会役をさせられている研修医の先生が私達の方にアイサインを送ってきた。
「さぁ、呼ばれるぞ」
テルはそう言ってステージに続く出入り口の布をまくってくれた。
「ネタ、覚えてるよな」「やりながら思い出すと思う」「おいおい、そんなんで大丈夫かよ」「いざってときはアドリブでね」「待て待て……俺はそんなの無理だぞ?」「……嘘だよ。全部覚えてる。忘れるわけないじゃん」
私がそんな事を言った時、ステージ上から舞台袖に向かって一陣の風が吹いた。少し肌寒いその風は、夏の終わりを告げる風だ。
胸の奥に寂しさが積もる。
ふとテルの横顔を見つめる。
「いつのまに、夏が終わるな」
テルは誰に言うでもなくそう呟いた。
私はほんの少し嬉しくなった。
私達はお揃いだ。おんなじ哀しみを背負っている。
きっとこんな哀しいコンビなら、いい漫才が出来るだろう。
舞台袖から会場を見渡してみた。ヨーヨー釣りの出店の所にお母さんが、ごみ回収所にお父さんが、そして観客席の奥の奥にえみちゃんとえみちゃんのお父さんが2人でちょこんと座っていた。
隣に座っているえみちゃんのお父さんが何か一生懸命話しかけているが、えみちゃんは泣いている訳でも当然笑っている訳でもなくただ穴ぼこのような目を舞台上にぼんやりと向けていた。
司会役の研修医が私達の名前を呼んだ。
————待っててね。
出囃子が響く。
私達は舞台に駆けあがった。
次で終わりです。
今まで読んでくれていた人がいたなら、本当にありがとうございました。