第一話:詐欺師
質素な部屋とは、それだけで寂寥感を感じさせるものがある。というより、感じるも何もその部屋にはデスクと電話機、パソコンにソファベッドくらいしか置かれているものがないのだ。およそ生活臭と呼べるそれが一切排斥されたような、そんな印象を受ける部屋だった。
部屋の中に遮るものがないためか、はたまたその場の雰囲気か。男が電話機を叩く度に軽く無機質な電子音がいやに大きく響き渡る。
「――突然のお電話失礼致します、宮本様のお電話でお間違いないでしょうか。私さいたま市役所の国民健康保険課、蔵前と申します。本日は宮本様が以前お支払いいただく予定でした高額医療費について、滞納金の確認が取れましたので――」
「――ええとですね、宮本様は半年前の四月八日に◯◯総合病院で心筋梗塞の手術を受けておりまして、病院からの請求が――」
「――はい、ですので至急指定する口座への振り込みをお願いしたいのですが――」
二言、三言。男は時折メモを読み上げつつ話を進めていく。名前、住所、口座番号、エトセトラ。傍らに置いた昔ながらの電話帳、そこに書かれた事前調査と照らし合わせながらただの作り話をでっち上げるだけの作業――そも、電話相手とはなんの面識もなければ、高額医療費の滞納など存在しない話だ。
「では、失礼致します」と受話器を置くまでに五分もかからない。が、これで男の手元には大量の金が舞い込むことになった。時給ではなく分給数万円と言ったところだろうか。実に上手すぎる話である。
男は市役所の人間ではない。というか、そもそも国民保険課などというものも存在しない。つまるところ、
「やっぱむしり取るなら老人からが一番手早く上手くいくもんなんだよなぁ」
彼は詐欺師なのだ。
滝原優人。二十三歳。何事もなく高校を卒業したあとに「ここが一番近いから」と適当な気分で近所の県立大学に入学、これまた何事もなく卒業し、現在はとある街のマンションに移り住んでいる。
就職しているかと問われると、彼はしていない。ではフリーターなのかと問われればそうでもない。よもやニート、あるいは適当な女でも作ってヒモ生活を謳歌しているのかと言われても答えは『否』である。
一応彼とて仕事はある。ただ、一般的に公に出来ないだけのことで、事実彼はそこらのサラリーマンよりも高い月収を受け取っている。
ただそれが真っ当な職種ではなく、詐欺師である……ただそれだけのことだ。
適当なスーツに着替え、バッグに適当な書物を詰め込む。九月の中旬、時刻は正午を過ぎた辺りで未だ陽は空の高いところにある。残暑真っ只中とも言うような暑さにゲンナリした。
着崩したスーツにいかにも気だるそうな表情、傍から見ればどこにでも居る普通のサラリーマンだった。そもそも、平日の昼間にアパートにいるサラリーマンなどいやしないだろうが。
わざわざ着替えた理由など言うまでもない。こんな時間帯にいい歳した大人が外を出歩くなど、今のご時世それだけで不審者扱いされる。面倒事を避ける為にも、この『変装』は必要なものだった。
というのも今から行く場所は銀行であり、先の電話で手筈通りに騙し取った金銭を確認する為である。私服で、しかも手ぶらの男性が理由もなく大金を下ろすよりも、社会人が仕事のついでに経費かなにかを落としに来た、そういう風に見せる方が自然だろうという考えだ。
最小限の準備を済ませ、さて外へ出ようとしたその矢先だった。
「失礼、私埼玉県警の篠宮と言うものです。滝原優人さんでお間違いないですか」
「違います、僕は中本です。滝原さんはふた月前に引っ越されましたが」
いざドアノブを回そうとした矢先、インターホンが鳴ったのだ。ゆっくりとドアスコープを覗くと深い青のジャケットを着込んだ強面の男達が数人そこに立っていた。
詐欺師のもとにわざわざ警察官が、それも複数来るのだから目的などひとつしか考えられまい。バカ正直に名前を聞かれてバカ正直に答えるつもりなど微塵もなかった。
反射的にまたか、と呟いてしまったが、幸いにも彼らの耳には届かなかったようだ。事実、彼の元に警察が尋ねてくるのはもう両手の指では足りないくらいだった。
とは言うものの、だんまりを決め込んでも連中が退くなんてことはありえないだろう。仕方なしにドアチェーン越しに警察達と対面することにすると、鎖の独特な音と共に蒸すような熱気を顔に浴びた。
「はぁ、そうでしたか…てっきりご在宅かと」
「住民票の移動がされてないんでしょう。で?その『滝原さん』になにかご要件が?」
あぁいえ、と集団の先頭に立ち始めに話しかけてきた警察官――篠宮は言いにくいような表情をした。どう説明しようか、と言った顔だろうか。厳つい顔の割に、随分と表情が豊かだ。
「ココ最近、詐欺まがいの事件が後を絶たない状態でしてねぇ……被害のあった方々の電話先が、この住所に集中しておりまして。家宅捜索の礼状もこちらに。よろしいですか?」
「へぇ……でもおかしいですね、僕の家に電話は引かれてないんですがね。ここのアパートの管理人さんが『夜逃げ同然で部屋を空けられたから物を取っ払うのに苦労した』とボヤいてたので多分それじゃないかと」
少し考えれば、いや考えなくとも見え見えの嘘であることは明白なのだが、
「そうでしたか、それは失礼を」
疑う素振りも見せずに頷く篠宮。あろうことかこんな程度の低い嘘を信じ込んでいた。
彼の言葉には、『人を騙す力』があった。
「いえいえ、仕事なんですから仕方ないですよ」
「そう言っていただけるならありがたい。それで、いくつかお話を聞かせて頂いても?」
「申し訳ないですが、今から出なければ行けないんです。また後日ということは出来ませんか」
「ふむ…」
そう言うや否や篠宮は懐から手帳を取り出し、険しい顔をする。いや、もともと顔は険しいのだが。
「分かりました、それでは後日、改めて伺わせて頂きます」
踵を返して帰っていく篠宮とその他諸々。その背中を見送りながら、優人は心の中で胸をなでおろす。と同時に、トンボ帰りしてった刑事達は後でドヤされるのだろうなと哀れんだ。
自分の言った事を信じ込む――そんな一種の洗脳じみた特異な力を自覚したのは、彼が小学5年生の頃である。無論、当然ながらその前までも嘘をつく機会などごまんとあったのだし、もしやと思う瞬間もあっただろう。ただ、そんな力があるという事を知る決め手になった出来事が起きたのがこの時だった、というだけである。
滝原優人、十一歳、小学五年生。
事の発端は誤って教室のガラスを割ってしまった際に咄嗟に友人Aが割ったと嘘をついてしまった時のことだ。
ガラスを割ったその瞬間の場面では幼き日の優人と友人A、そしてその周りにも数人の児童が見ていた。
本来であればガラスを割り、ましてやそれを他人になすりつけようとした優人が弾劾されて然るべきだろう。
だが結果は違った。周りの生徒達は友人Aを責め、教師が叱り、あまつさえ濡れ衣を着せられた友人A本人ですら自身がガラスを割ったと思い込み小さく縮こまっていた。
もしや、と彼は思った。そして、いやそんなはずはない、とも。
小学生といえどそれがとんだ空想の産物であると思うことくらい自然な事だ。嘘がまことになるなどと下手な子供騙しのアニメのような能力、それも大して取り柄もない普通の少年にそれが宿っているとは思う筈もなかった。
とはいえ話題に飢えた小学生の事だ、次の日に優人はその日起きた出来事を他の友人に話して聞かせた。そんな事があるわけない、と。
その翌日から、友人達は優人と口を聞かなくなった。それどころか、気味の悪いものを見るように遠巻きに見る者さえいるようになった。こともあろうに、その話さえ彼らは信じてしまったのだ。
突然クラス全体、ひいては学年の輪から弾かれた優人は当然戸惑った。まさか、本当にそんな事があるわけが――だが、事実として彼らは優人の言い分を何の根拠もなく信じ込んでしまっている。こんがらがる思考回路の中、優人は考え、考え、考え抜いて――やがて、ひとつの結論に収束する。
そうして、クラスの中央に立って高らかにこう宣言した。ある一種の、確信を持って。
『昨日言ったことは嘘だ。皆仲のいい友達だ、そうだろ?』
……集団で無視を決め込まれてから僅か二日あまり。彼は元の生活に戻った。それからというもの、自身の言動には細心の注意をはらうようになって。
この時初めて彼は自分の力を自覚し、正しく理解した。
そして、時は過ぎて現在に至る。
能力を自覚した優人はその力をいいように使っていた。そこにあるのなら使ってしまうのが人の性というものだ。
小学生の間まではせいぜいが忘れた宿題を誤魔化したりだの、友達に悪戯をするだのといった可愛いものだったが、中学、高校と上がる度にエスカレートしていき、買い物の際は(代金を払いもせずに)精算は済ませただとか、人の所有物を盗んではそれは元々僕が持っていた物だとか、兎に角様々な悪事に利用していた。今では立派に詐欺師なんて看板をぶら下げている。
ただ悪党ではあるが悪人ではないらしく、強盗として他人の家に押し入ったり無闇に他者を傷つけたりという事はしなかった。それくらいが唯一の救いだろうか、と優人は一人自嘲げに考える。
「ま、こんな事やってる時点でろくでもねえ奴なのには変わりないか」
誰に言うまでもなくひとりごちる。自身の倫理観が欠如している事は自覚してるが、便利な力があるのだからありがたく『有効に』『効率的に』使わせてもらう、それが道徳的に間違っていようが構うものか。彼からすれば、そんな正論など聞きたくもないし聞く耳も持たなかった。
「にしても、この場所も嗅ぎつかれたか……早いとこ引き払って活動場所移さないとなぁ」
事務所のような佇まいの部屋を見渡して、それとなしに処分するものと逃げる際に持っていくものを分ける。そもそも部屋に物があまりないせいか、持っていくものなど精々が押収されたら足がついてしまいそうなパソコンと自身の筆跡の残る資料が少々といった程度だったが。
ものが少ないとはいえ、引越しには労力と金銭と時間がかかる。近いうちに場所がバレるのは想定内だったが、それでも気分的には面倒極まりない、という心境だ。
「――出る前に、一応保険くらいかけておくか」
これまでに数度警察が来る度に追い返していたが、たまに手元にあった礼状を元にしつこく食い下がる警察がいたことを思い出す。その時は無事事なきをえたが今回もそう上手くいくとは断言できない。もしもの事が起きた時のために、早めに手を打って置く必要があった。
今しがた置いたばかりの受話器を再度手に取り、キーパッドを叩く。通話先は、先程押しかけた警察達の所属先――埼玉県警。電話番号で身元が割れるかもしれないが、なに、どうせすぐに解約するのだし、割り出されたところで行き着く先は(勝手に)情報を貸していただいた何処の馬の骨かもわからないどこかの誰かだ。
数回の呼び出し音の後、特徴のない事務的な声が電話に応じた。
「ああもしもし。ちょっとご相談なんですけど、最近この辺りで流行ってる詐欺事件に関してですね――」
そう告げると、数分ほど保留をかけられて管轄の刑事に取り継がれる。優人は順調に予防線を張っていった。
篠宮率いる警察たちの来訪からおよそ数十分。当初の目的から随分と時間が経ってしまったが、これで万が一があっても捕まることは無いだろう、と心の中でほくそ笑む。
彼らが追っているのは今街を脅かしている詐欺師であって優人本人ではない。そこに優人が逃げ切る為の要素があった。
それからややあって通話を終え、時刻は十三時を向かえた所だった。昼食を終えたのであろう会社員がビルの中に吸い込まれていくのが見える。
作業を一段落終えてほっと一息つく。蒸し暑さが憂鬱だが、そろそろ銀行に行かなくては。
優人は今一度バッグを手に取り、身なりを整えてからドアノブを捻った。




