【08-03】
ブルブルブル。
ドドドドドド。
ブワンブワン。
真夏のグラウンドの真ん中でスーツケースに座るように待っていた僕の耳に幾重もの重なり合った音が聞こえてくる。聞こえる音はだんだんと大きくなる。遠くから近づいてくるその音はやがて僕たちの頭上近くまでやってきた。
僕はこんなに近くでヘリを見たこともなかったのでヘリコプターがこんなにうるさいものだと思っていなかった。いや、ニュースやドラマとかでは見たことあるけど、こんなに大きいとは予想していなかった。よくあるのはプロペラの送り出す風でスーツのとかがバサバサなっているもの。風もうるさいけど機械音もうるさいな。
やがて降下してくるヘリコプター。
徐々に強く吹き付けてくる風の壁を必死に耐える。髪の毛は自身の後方へとたなびき、ワイシャツのボタンの隙間から上半身をなでる生暖かい風を諸に受ける。風圧と共に降りてきたヘリが地に足を着け、自然とリズムが奏でられている音を徐々に静かにしていった。
完全に停止したヘリコプターの操縦席のドアが開き、人が降りてきた。ベストらしき濃紺のベストにサングラスを着けた人だ。
「お待たせしました」
そう言ってサングラスを外した操縦士と矢澤コーチが何やら話を始めている。
手持ち無沙汰になった僕はどうしたらいいか考え、菊池さんに聞くことにした。勝手に荷物を乗っけるのもよくないと思うし。だからといってここでポカーンともしていられない。
菊池さんに話しかけるのは初めてなので少し緊張する。いや、さっきのは結果話しかけたと言えなくもないのか。
「菊池さん。先に荷物を載せた方がいいですかね?」
「まだしなくていいと思いますよ」
急に話しかけた僕の方を向いて静かに微笑みを返してくれた。
こちらもコーチと同じようにぴしりと黒のスーツを着ている。前回同様真面目な女性に見える。手ぐしで乱れた髪を掻いていた。髪の長い菊池さんの髪では先の風によって未だにボサボサだ。
僕はとりあえずスーツケースの伸びる持ち手をしまっておく。
「そう言えば、よく私の名前を憶えていましたね。一度会っただけでしたのに」
スーツケースの持ち手をたたんでいた僕に菊池さんが言った。
さっき思い出したんです、とは流石に言いづらい。僕はあたかも当然であるかのような表情で言った。
「あの時は緊張していましたから。記憶に残ってたんです」
僕は自然に言えたと満足して軽く笑みをこぼす。そんな僕を見て、菊池さんも笑みを浮かべた。
イタリアの紳士とかならここで「綺麗な女性でしたので」とか「あなたのような美しい方を忘れるなんてできません」なんて冗談も言えたのかもしれないが僕には無理だ。彼らは何を考えながらそんなことを言っているのだろう。
「そうでしたか。今日から少しの間ですが同じスタッフとしてよろしくお願いしますね」
「はい」
前回あったときもあまり話せていなかった。緊張していた僕だが、少し話をするうちにある程度親しく話せるようになったと思う。僕は矢澤コーチから声が掛かるまで今後の予定を聞いていた。
とりあえずの予定は、これから空港に向かって飛行機に乗るということ。その後はすでに予約してあるホテルで待機になるらしい。僕たち三人だけで行くというわけではないらしく。のちに数名合流するとも聞いた。
「じゃあ、荷物載せて」
矢澤コーチは僕たちの方を向いてそう言った。操縦士との話が終わったらしい。操縦士の人はすでにヘリの操縦席に戻っていた。
僕と菊池さんは矢澤コーチに促されるままに荷物をヘリに乗せた。
僕のスーツケース以外も小型の個人用のスーツケースだ。それらを専用のスペースに置いて僕たちは三人でヘリの座席に座った。
ヘリの中は、思いのほかすっきりとしている。向かい合わせに座れる座席と荷物置き。パラシュートらしきものや他の用途の分からない備品らしき物も散見されるが、ごちゃごちゃしたようには見えない。ただ、機械でできた内壁や備品の留め具等はどこか僕の男心をくすぐった。
席に着いた僕は隣に座る菊池さんにヘッドセットを渡された。別にしなくてもいいと言われたがしておくことにした。
ヘッドセットをした僕の耳には周囲の音が小さくなり、矢澤コーチと操縦士の話が聞こえてくる。左耳から伸びているマイクを通して会話ができるようになっているらしい。
「では、出発するので、シートベルトをお願いします」
僕は操縦士の人に言われるまま、座席に取り付けられたシートベルトを装着した。座席の両肩口と両腰付近からベルトが伸びていて腹付近に円形の留め具で止める形だ。
僕の隣の菊池さんもその正面の矢澤コーチもシートベルトがしっかりと装着されているのをみんなで確認する。それが終わるととうとう離陸だ。
操縦士から再度確認の声が聞こえる。
「大丈夫です」
二人に続くように僕も答えた。三人が答えると、ようやくヘリにエンジンがかかった。
エンジンがかかったような微妙な振動とプロペラが回り始めたことによるヘリの振動と同時に先に聞こえた騒音が静かに鳴り始めた。先よりも音の発生源に近いはずなのに耳に響く音の大きさは先より小さい。ヘッドセットを付けておいて良かったと思いながらも腰から伝わってくる細かい振動に身をゆだねる。どこか体を落ち着かせるその振動に僕は無意識に入っていた体の力が抜けていくのを感じた。
そして、静かな浮遊感の後、僕を入れた金属の箱は轟音を上げながら空への旅路に付いた。
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ヘリでの移動はあっけなく終わった。
時間にしても一時間も経っていないだろうか。それどこらか三十分ぐらいだと思う。てっきり空港まで行くのかと思いきや、学校のある山の麓までだったのだ。車でもよかったのでは、と疑問に思ったのは僕だけだったのか。
僕たちを乗せたヘリは麓に作られたヘリポートに着陸する。僕たち三人はそこで同行する他のメンバーと合流することになった。
操縦士の人の指示に従ってシートベルトを外して、荷物を下ろす。操縦士の人も降りてまた矢澤コーチと会話をしている。どうやらこのヘリはここで待機するみたいだ。なんでもこれはVR高校用のヘリなんだそうだ。
僕たちの他に二人のメンバーと車の運転手と合流した僕たちは新たにワゴン車に乗って町への道を急いだ。
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車内で過ごすこと数時間。
その間、最初に僕は麓のヘリポートで合流した二人の人物と互いに自己紹介した。
二人の内の一人は、仁科孝という男性だ。短く切られた黒髪に精悍で善良そうな顔をしている。聞くと、この人は今回の一行に通訳として参加すると言う。そう聞いてから、彼と話していると確かに会話をするときに品のいいしっかり話し方をしていた。
もう一人は、村山久美、女性だ。肩口まで伸びた黒髪を後ろで一口にまとめている。目元には小じわが密かにうかがえる。この五人の中では最年長だろうか。彼女も外国語が堪能で他国との調整をするための人選だと聞いた。最初に僕に話す口調は近所のおばさんのようなものだったが、矢澤コーチと話すときははきはきとしていてやり手のビジネスウーマンを彷彿させた。
そして、今回の僕たちの役目は、今年のVRオリンピック開催に関する最終調整だと聞いた。と言って、大会自体に関しては既に決まっていて僕たちが決めるのはおよそ現地での対応にだそうだ。だからこそ、選手たちに先駆けて現地に飛ぶ必要があるという。
助手席に座った矢澤コーチは早々に眠ってしまったが、他四人で一時間程話した僕たちはその後自然と眠りについていた。
僕が目を覚ましたのは、僕たちを乗せた車が空港の駐車場に入るための検問に着いた時だった。
検問では、どのような目的で訪れたのかを聞かれるのだが、僕たちはこれでも国の仕事で海外に行く。手続きは速やかに終わり、空港内へと入ることができた。
「では、私はここまでで」
そう言って運転をしていた男性はそこで別れ、僕たちは空港へと入っていった。




