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迷穀抄  作者: 雨森かえる
第一章 大鵬の都
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偽りの身分

 日も南中を過ぎて傾き始める頃、手形を手に入れたら用はないとばかりに破落戸ごろつき彷徨うろつく街から離れ、山吹とナギは外城とじょうの真ん中を東西に貫く大路へ足を踏み入れた。

 外城を守る郭壁かくへきの西側最大の門である西池門と東側最大の門の東丘門を結ぶ大路は、西の市に負けず劣らない賑わいを見せている。石で舗装された広い道の上には魚や野菜、花を桶に載せて道を行き来する行商人や、内城ないじょうに向かう馬車や駕篭、家路を急ぐ人で溢れ返っている。


「あの、本当に人を殺めたのですか」


 雑踏の中、ナギの背中を懸命に追いかけながら、おずおずと山吹が尋ねた。

 小刀を手に男と対峙したときのナギの様子は尋常ではなかった。宮城を守護する郎官たちとも違う激しい気迫を山吹は感じ取っていた。

 ナギのうなじに入ったすみは殺人を犯した証なのだろうか。もしナギが殺人鬼だとしたらと思うと、恐ろしくてたまらない。


「はったりだよ。彼の者たちは仲間しか信用しない。手引きがあれば話は別だが、生憎紹介してもらえそうな知己もいない」


 怯える山吹を見てナギは小さくため息を落とすと、むざいを証明するように手形を山吹に見せた。

 木の札には墨でナギの名と身分である鵬尾門ほうびもん門衛と書かれており、門衛を管理する監門府かんもんふ羽紋うもんに並んで見慣れない魚の紋が焼印してある。皇家の直轄地である武州ぶしゅうを除いた十五州の州花紋や、皇都双陽、貴族たちがそれぞれ持つ紋のいずれとも異なる。それに、魚の紋自体が珍しい。


こんという。玄冥官げんめいかんの紋だ」


 山吹はじっと鯤紋を見つめた。記憶は朧気だが、見たことがあるような気がする。

 山吹が鵬皇ほうおうに即位した日、宮中には山吹個人の紋である山吹の花紋、皇家の鵬紋ほうもん、武州以外の十五州を治める州司が各々忠誠を示すために掲げた州花紋に混じって、鯤紋の入った旗が立っていた。


「それから、これがあんたのだ」


 山吹はナギから木の札を受け取った。男が山吹の言い間違いを勘違いしたらしく、札の表面には「山木萌黄」と名前が入っていた。その横に山吹の偽りの身分が書かれている。


(小作人)


 新たに手に入れた身分を凝視して、山吹は心臓がどくりと波打つのを感じた。

 ナギに気取られないように平静を装って、木札の表を隠すように裏へ返す。裏には十五州の一つ魯州ろしゅうの見知らぬむらの名前と魯州を治める魯州司の長官である魯州刺史ろしゅうししの名が黒々と書き入れられ、魯州花紋である南天の焼印が押してあった。


「怪しまれませんでしょうか」


 山吹の手が震える。怪しまれないかという不安と一緒に、鵬皇であるはずの自分が何故一介の小作人に身をやつさねばならないのかと不満や情けなさが沸いてくる。


「そんな余裕はないだろう」


 山吹の黒い感情を察した様子もなく、ナギはちらりとはるか遠くに見える高い城壁を見る。

 山吹はナギが何を言わんとしているのか分からず首を傾げた。ナギが見ている方へ視線を向ける。東の方から複数の馬蹄が近づいてくるのが聞こえる。


「随分と気の早いことだ」


 ナギは笠を目深に被り、山吹の着物の袖を掴んで道の端に寄せた。

 二十騎ほどの騎兵が大路の中央を駆けてくる。いずれも宮城の郎官ろうかんであることを示す羽紋の付いた褐衣かちえに、服喪を示す鈍色の布を付け、先頭の二騎は手に薄墨に黒の鵬紋を染め抜いた旗をはためかせている。

 郎官たちは何やら大声で叫んでいるようだ。山吹は湧き起こるざわめきの中から郎官の言葉を拾おうと耳をそばだてた。


「鵬皇、崩御」


 山吹は全身から血の気が引いていく音を聞いたような気がした。


「予はここにいる!死んでなどいない!!」


 ナギは大声で叫んで今にも騎兵たちの前に踊り出しそうになる山吹の口を塞いだ。そのまま細い路地に引きずり込む。


「今出ていけば、宮中の輩の思う壺だ」


 暴れる山吹の耳元でナギはひそひそと囁いた。

 それで聞くような山吹ではない。力が緩んだ隙をつき、ナギの腕を振り解いて語気を荒げた。


「今すぐ予を宮城へ連れて行け!」


 宮城に戻れば侍中じちゅうや郎官が待ちかまえているだろう。しかし同時に、鵬皇である自分の味方として盾となってくれる者もいるはずだ。第一、何もせずして死んだことになるよりもましである。


「願い事は一つだけだ」


 ナギは頑として受け付けないと、静かにしかしはっきりと頭を横に振った。山吹はなおも食い下がる。


「ならばこれは勅命だ」


「命令なら、なおさら聞けない」


 山吹は怒りで頭が真っ白になった。勢いでナギの襟首に取り付く。


「監門府に属する門衛であろう」


「あんたを襲った輩だって中郎府ちゅうろうふの郎官と侍中職じちゅうじきの侍中だろう」


 山吹はぐっと言葉に詰まる。感情的な山吹と対照的にナギは動じた様子もなく、力を失っていく山吹の手を着物からゆっくりと外した。

 臣下であるはずの侍中や郎官たちに襲われていなければ、宮城から逃げ出す事もなかったはず。彼らにとって、またナギにとっても、鵬皇は絶対ではないのだ。つまりそれは、奉台国ほうたいこくには鵬皇よりも優先すべき主がいるということなのか。


「何故だ。予は太祖の血を引く正統な国の主である鵬皇なのだぞ」


 何を以て彼らは山吹を奉台国の鵬皇にはふさわしくないと判断したのだろうか。

 納得がいかないと、俯いた山吹の口から軋んだ心の悲鳴が言葉となってぽつりと零れ出していた。


「鵬皇には鵬皇の分がある。それを知って初めて真の国主となる」


 ナギの要領を得ない言葉に山吹は首を傾げた。ナギは何が言いたいのだろう。

 今の自分はその鵬皇の分とやらが分かっていないということか。ならば、鵬皇の分とは何なのだろうか。足りないところがあるのは自覚しているが、自分では良い鵬皇になろうと精一杯振る舞っているつもりである。宮城の賢人達の言葉と照らし合わせてみても、ナギに責められるようなことはしていないはずだ。


「それに、今のあんたは萌黄という名の一人の民だ」


 ナギは力なくがっくりと肩を落とした山吹の手の中にある手形を指す。山吹は木札の表面に書き付けられた墨に目を落とした。

 魯州の小作人という偽りの身分。山吹が気に入らなくても、今はこの手形だけが自分がまだこの世に存在しているという証なのだ。


(生きて、鵬皇として宮城に戻ることができるだろうか)


 山吹は俯いたまま唇をぎりりと噛んで、固い木の札を力一杯握りしめた。



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