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人間検定

作者: おてんば男




 私には本当に全く、なんの理屈があってこんな訳の分からないことになっているのかさっぱりなのですが、我が幼気な肉体はいま、冷たい馬小屋のような場所の隅っこで、卑屈に背中を丸めて、ぷるぷる震えているのです。

 ことの発端となったのは、私が外国へ行ってきて、いろいろな文化を学び、多くのトラブルなどに見舞われながらも、やっとのことで帰国した、先月の二日のことになるのですが、空港にやってきた私は、ふぅ、と一息つく間も与えられず、いきなりやってきた青服の警官に取り押さえられ、車に乗せられてしまいました。自分で言うのもなんですが、私は元来が温厚なたちで、子どもの頃などは、近所から「男だか女だか、分からぬ」なんて言われているほどでございまして、まあようするに、気弱ということなのですが、さすがにこの時ばかりは、本当に訳がわからなかったので、少しでもその青服たちに抵抗してみようなどとも思ったのですが、結局私の口から飛び出たのは、なんだかよく聞きとることのできない、蚊の鳴くような、もそもそした声だけなのでした。

 車が止まったのは、大きな大きな、なんというのでしょう、体育館のような図書館のような、しかしどこかもっとお堅い感じのする、不思議な建物でした。門の入り口には、桜の季節に学生たちが目にするような、あの、真白な四角い看板があって、赤い達筆でただひとこと、


 「人間検定」


 と書かれておりました。背中から、なんとも言いようのない、嫌な汗が流れてきまして、私は泡を食いながら、後ろについてきていた青服に「なんなのですか、これは」と尋ねるのですが、青服は小さく鼻をならすだけで、ぎろりとこちらを睨みつけるだけでした。私はいよいよ恐ろしくなってまいりまして、足を止め、駆け出そうと努めましたが、青服に腕を、ぎゅう、と掴まれてしまい、意気消沈、ただその言い知れぬ不安を胸に抱えながら、その建物に入って行くのでした。

 扉を開ければ、そこにはみっつの椅子にひとつの長机、そしてその上に一枚の紙というセットが、いくつもいくつも、それこそ卒業式の生徒たちのように、背筋を伸ばして並んでおりました。私は、指示された席に座らされ、辺りをきょろきょろ、どこかの阿呆のように見まわしながら、ただひたすらに狼狽して、ともすれば笑ってしまいそうになり、しかしすぐにその可笑しさも消え去って、ただ小さくため息をつくことばかりして、ゆっくりと時間は過ぎて行きました。

 しばらくそうして待っていると、突然、スピーカーから、壮年らしき女性の声が流れてまいりました。

「それでは、始めてください」

 何を。

 と私が疑問に思うまもなく、右も左も、一斉に目の前に置かれた紙をひっくり返し、狂気の形相で、一心に何事か、がりがりと書きなぐり始めました。

 恐る恐る、私がそれをひっくり返してみると、そこには小さな文字で、何かの問題のようなものがびっしりとプリントされてありました。


《第一問、あなたは、大丈夫ですか?   Y/N》


 はぁ? と私の頭の中には当然のごとく疑問符が浮かびましたが、周りを見れば、皆さんはそんなくだらない、訳のわからない質問の書かれた用紙に、ともすれば鬼のような、いかにも真面目な顔をして、挑むようにむかっているのです。これはただごとではない、と私は恐怖しまして、努めて真剣な顔を作り、自分の中の小さな皮肉や、嘲りや、不満をすり潰しつつ、先ほどの問題の、イエスのところに丸をつけました。

 そんな問題も、十問やら二十問ならまだしも、五十問も六十問も、延々と続くものですから、さすがに私の恐怖も萎えてきてしまいまして、最後の辺りでは、もう、どうにでもなれ、の心で適当に丸をつけておりましたら、やっとスピーカーから、あの、壮年らしき女性の声がやってきて、我々に終了の旨を伝えました。私はやっと救われた面持ちで、さあ、早く家に帰り、するめでも噛みながら酒を飲もう、と立ち上がってみれば、辺りの人々は着席したまま、いまだ緊張の面持ちを崩さずにいるのを見て、私は戦慄し、いそいそとまた席につくのでした。

 しばらくすると、試験官らしき、背広姿の男が群れなしてやってきました。彼らが用紙の回収を始めてすぐ、私の右側、やや後ろの方で、わあ、と声が上がりました。見れば、背の高い痩せた男が立ち上がり、それを青服の警官たちが押さえつけているところでした。

 いったいなんだというのでしょう。

 私たちは他にも、様々なくだらない、しかし青服たちのおかげで従わざるをえない、子どものお遊びのようなことを、いくつかやらねばなりませんでした。

 頭から足先まで変な機械をつけて映画のようなものを観たり、目隠しをされてどこの国のものともつかない言葉を聞かされたり、真っ赤なライトが照らす部屋の中で、大きな丸テーブルの真ん中に置かれた物体を、ぼーっと眺めたりしました。

 それらが行われ、終わるまでに、やはり何人かの男や女が、奇声を発したり、暴れだしたりして捕まりました。また、何もしていないように見えた人も、数人捕まりました。

 全てが終わると、私たちはやはり何の説明も受けぬまま、ひとつの部屋に集められました。細長い部屋にいくつかの丸椅子があって、我々はそこに座らされました。

 全員が着席したのを見て、青服は満足そうに溜息をつき、名前を呼ばれたら隣の部屋に来るように、と言い残して外に出て行きました。

 私はしばらく、左右を見回したり、部屋中に漂っている何かの薬品のような匂いに閉口したり、貧乏ゆすりなどして待っていたのですが、一向に誰も名前を呼ばれる気配がなく、また、どうしても自分のおかれた状況に納得することができず、ついに隣の人に向かって尋ねてみることにしたのです。

「あのぅ、これは、その、どういうことなのです?」

 私の隣に座った男は、少し驚いたような顔をすると、小包の蓋を開けるかのような、少しもったいぶった、しかし悪意の感じられない所作で「知らんのかい?」と、私に語りかけました。

「それは、お前さん、災難だったねえ」

 彼の話によれば、私が外国へいって、その、いろいろの文化を学んでいた間に、我が国の内で大きな変革があったということでした。どうやら、二酸化炭素だの、食糧の自給だの、医師の不足だのという問題の解決のために、人の数を減らしていこう、という法案が可決されたらしいのです。国側で「人間検定」という試験問題を作って国民をテストし、点数の著しく低い者や、その過程で異常者と思われた者を間引き、良い人間社会を作っていくとともに、人口も減らせる、画期的な法案なのだそうです。そしてこの会場は、テストを受けることを拒んだ者や、事情があって受けられなかった者が集められる場所なのだそうです。私はその話を聞いて、開いた口を閉じることができず、そのまま馬鹿みたいにぽかんとしているしかありませんでした。

 話を聞いていると、青服が帰ってきました。

 誰かの名前が呼ばれまして、どうやらそれはその男の名前らしく、彼は笑いながら席を立ちました。「俺は、まともだからね」と卑しい笑みを浮かべて、彼は扉の向こうへと消えて行きました。

 この試験で取った得点は、日本中に張り出されるそうです。

 人間の順位や評価なんて、いったい誰がつけるのでしょう。誰につける権利があるのでしょう。たとえば、私の愛読書は、聖職者の読んでいる、あの、聖書などではなく、また、何らかの崇高な文学作品でもございません。漫画です。世間でくだらないと評判の、しかし私は本当に面白いと思うコミックです。では、私は聖職者よりも劣った人間なのでしょうか。その漫画は、お馬の秀ちゃんという漫画ですが、では、くじらのポンちゃんが好きな人は、私よりも優秀な、あるいは、劣った人間なのでしょうか。

 名前が呼ばれ、私は立ち上がり、扉を開けて中に入りました。結果は不合格。最初の試験で、適当に答えた問題が原因でした。私は部屋を出ることも許されず、牢屋へと連れてこられました。中には映画を観ているときに捕まった、若い少年がうずくまっていました。三日後から再教育カリキュラムというのが始まり、私たちを更生させてくれるそうです。そこで失敗すると殺されるそうです。ありがた過ぎて、歯ぐきから血が出ました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人事とは思えませんでした [一言] 国が行っているから、怖い話になりましたが、すでに現在は社会がこの選別を行っているような気がしました(T_T)
[良い点] サスペンスのようで展開を楽しみに読むことができました。 ヒトがヒトの価値を決める世界観。 その不条理さが現れていると感じました。 [気になる点] ・作品内の時系列が気になります。 冒頭…
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