マキシマム・プロジェクト~後編
作戦決行日である金曜の放課後。僕と雛子は生徒会室でユリアを待っていた。
「やはりこの学校はおかしいっ」
相変わらず不機嫌そうな表情で、乱れた銀髪を手串で直しながらユリアが生徒会室に入ってくる。
「どうしたの?」
と雛子が尋ねると、ユリアは不機嫌そうに唇を尖らせながらも、落ち着こうと深呼吸を吐いた。そして言う。
「男子生徒達が蛆虫になったのだ」
冗談なんて言っていない、と言外に伝えるような真剣な眼差し。しかし僕は思った。この子はいったい何を言っているのだろうか、と。
「ユリア。冷静になって説明してくれるかな?」
と僕が促すと、ユリアは何かを思い出したかのように唇を噛む。屈辱的な事でもあったのだろうか。
「見ての通り、私は美しい」
「あ、自分で言うんだ」
しかも当然のように。
「転校初日に騒がれる事は想定の範囲内だった。だが、纏わりつかれるのが嫌いな私は早々に距離を置かれるべく、集まってくる群衆共を冷たくあしらっていたのだ」
「自称常識人の行動とは思えないね」
自分の掌を見つめ、慄くようにユリアは続けた。
「だがこの数日で私にまとわりついてくる連中の数は見る見る増えていった。『今度は俺を冷たくしてくれ』『いいえ私を足蹴にして』『ユリア様に蹴られ隊を創設しようと思っている』だのなんだの……こうして奴らは蛆虫となった……」
「うん、もう一回深呼吸しようか」
言っている事が若干意味不明だ。蛆虫になる過程とかぶっ飛んだよね。
ユリアが再び深呼吸をする。その正面に座っている雛子が「違うよユリアさん深呼吸はひっひっふーだよ」と間違った知識を教えていた。
「とにかくだ! この学校はやはりおかしい! 生徒達がおかしいのだ!」
うん、そうだねおかしいよね。おかしい人が沢山居るよ。
「相談、受け付けようか?」
何がおかしいのか解ったら相談を受け付ける、という約束だったからね。そう思って確認すると、ユリアは首を横に振る。
「まだ元凶が解らないからな。他言は控えよう」
と言いつつも僕達には漏らしてるけどね。
「なら、プロジェクトを始めても良いかな?」
確認すると、二人が頷く。
僕は立ち上がって、最近はめっきり使われなくなったホワイトボードの前に移動する。
「今日の部活終了後、実は古典部部員を生徒会室に呼び出している。名目は部費の管理についてだ。古典部は消極的な部活動で、自分達から部費を増やしてと言って来ない。多分、今ある少ない部費でも充分賄えているからだろう。けれど去年、戸野上三年生が公式の大会で立派な成績を残しているんだ。交通費は自己負担で、何度か県外の大会にも参加している」
すらすらと、適当な図式を書きながら説明していく。
「その成績を考慮して、部費を増やせるかもしれない。だから生徒会室に来て欲しいと言ってあるんだ。条件として、去年の大会で最も成績が悪かった人を同行させる事、と付け加えた」
「部費をちらつかせるとは、完全に職権乱用だな」
呆れた口調で呟くユリア。
「そのために生徒会長になったんだよ」
僕は簡単に答えた。
そこでふと、雛子が首を傾げる。
「祭吏っちは、なんでそんな条件を付けたの?」
「去年の夏の公式戦で最も成績が悪かったのは細田なんだ。成績上位者と最下位を集めれば、それが戸野上三年生と細田っていう組み合わせになる」
そこで、と、僕は続ける。
「僕が二人に言うんだ。『戸野上三年生の成績は良いけれど、細田は成績が良くないよね。成績に期待をして部費を上げたいという申し出だったけれど、細田のような成績を残されてしまっては部費が無駄になってしまう』とね」
何か質問は? と微笑みかけると、ユリアが小さく挙手した。
「その悪辣な言葉になんの意味があるのだ?」
「大有だよ。細田は自分が足を引っ張っているという事実に落ち込むだろう。そして戸野上三年生も、細田に感情移入して落ち込むはずなんだ。細田を庇うか、もしくは細田を慰めようとするかのどちらかのアクションは起きるだろうね」
「それでは戸野上とやらが細田とやらを足手まとい扱いする可能性もあるだろう。そうなってしまっては、恋愛がどーのと言えなくなる」
その反論に、僕は首を横に振る。
「そうはならないんだ。絶対に」
ユリアが眉をひそめた。
「何故言い切れる?」
僕は微笑みながら答える。
「それは戸野上三年生が、色んな人から『この人に生徒会長をやってもらいたい』と思われる程の人望に溢れた人物だからだよ。そんな戸野上三年生が、自分をあからさまに敬愛している細田を貶めるはずが無いんだ」
作戦が開始された。僕一人と見せかけて、ホワイトボードと長机で作ったバリケードの裏側にユリアと雛子が隠れている。生徒会室の扉がノックされたのは五時半になってからだ。
「失礼しやす」
先行して細田が扉を開ける。しかし扉を開けただけで、戸野上三年生が入室するまでそのまま待機した。
「この部屋に入るの、久しぶり」
部屋に入るや否や、柔らかい口調で戸野上三年生が言う。
「そうですね。もし愛着があるなら、生徒会に戻ってきませんか?」
社交辞令で聞いてみると、戸野上三年生は一瞬だけきょとんとしてから、すぐに口元に手を当てて笑った。
「愛着があったら辞めてない」
それもそうだ、と僕も笑った。ふと、戸野上三年生の後ろで、細田が唇を尖らせているのが見えた。
「挨拶は程ほどにして、部費の話をしましょう。ささ、座って下さい」
僕と対面する位置の椅子へ促す。僕の正面に戸野上三年生。その隣に細田が腰を降ろす。
「早速ですが、部費を増やす条件を確認しますね」
そして僕は、事前に戸野上三年生に伝えておいた条件を述べた。条件というには心もとない口約束のようなものだ。簡単にまとめれば、今年の大会では細田も良い成績を残すと断言して欲しい、というような内容である。
言い終えると、初めて知らされた細田は息を呑んだ。部費が自分の成績に掛かっているのだから、当然といえば当然だ。
「去年は色々と自己負担したんですよね。部費が増えると、大分ラクになると思うんですよ。次の大会で細田が醜態を晒さないって約束してくれるなら、僕がなんとしてでも部費を増やします」
追加して言うと、戸野上三年生は即答した。
「うん。余裕」
僕にとっては予想通りの反応だけれど、隣で青い顔をしていた細田は「え?」と、戸野上三年生を見る。
戸野上三年生は続けた。
「譲二は成長してる。去年より良い成績を残す程度なら余裕」
「ちょ、ちょっと待って下さい小海先輩」
淡々と語る戸野上三年生に、細田が席を立って割って入った。
「俺、その……」
「どうしたの?」
何かを言いよどんでいる細田のほうを向いて小首を折る戸野上三年生。自然体で可愛らしい仕草だと思う。細田は顔を紅潮させ、一視線を泳がせて、唇を震えさせながら答えた。
「俺、その……古典部に入ったのは、百人一首やるためとかじゃ、ないんすよ」
「?」
さらに首を傾げる戸野上三年生。細田は泳がせていた視線を戻し、真っ直ぐ、戸野上三年生と向き合った。
「お、俺はっ、百人一首とか、古典とか、そういうのじゃなくて……こ、小海先輩に近付くために、古典部に入ったんすよ……。そ、そんな邪な事考えてる俺が部の責任を負うとか……考えられないから……」
細田の震えはピークに達し、言葉は聞き取れるか取れないかの絶妙なラインをさ迷っていた。しかし、一字一句聞き逃しはしまいと、戸野上三年生は真っ直ぐ細田を見つめる。
「もし、大会で俺が醜態を晒すのが駄目だって言うんなら、俺が、たい、た……退部、すれば」「譲二」
細田の言葉を、戸野上三年生が遮る。
「そこから先は言ったら怒る」
柔らかい、けれど棘のある声音だった。
「…………」
細田は立ったまま押し黙った。それを確認した戸野上三年生は僕と向き直る。
「とにかく、譲二は余裕だから。次の大会には結果を残す」
やはり断言する戸野上三年生。
「だからっ、俺、そんな自信は無いです!」
不安に負けて、再び割って入ってくる。対して戸野上三年生は、さっきとは比べ物にならないほど柔らかい笑みを浮かべて細田を見た。
「譲二は、百人一首、好きじゃない?」
「いや、そういうわけじゃないですけど……」
「なら、譲二の変わりに私が譲二を信じる」
「っ…………!」
沸点に達したのか、細田の顔はさらに赤味を増し、茹蛸のようになった。
美しい、と思った。
戸野上三年生のその笑顔が、その言葉が、声音が、美しいと感じた。そのせいでしばしの間、放心してしまう。しかし既に宴もたけなわ。僕はなんとか口を開いた。
「うん、意思表明はばっちりみたいですね。約束通り、部費は必ず増やさせてもらいます」
すると、「うん、よろしく」と、戸野上三年生は三度、僕と向き合う。
話は着いた。だが、話は終わらなかった。
「最後にひとつ。譲二に謝って」
柔らかいその瞳が、包み込むようにして僕を捉える。ユリアのような鋭さは全く無いのに、息苦しく感じてしまうような、気迫のある瞳だった。
「譲二は今まで頑張ってきた。沢山練習した。そんな譲二が戦って残す成績はどんなでも、それは全部譲二の戦果。万が一惨敗だったとしても、醜態になんかならない。醜態なんて言葉を使った事を、譲二に謝って」
「先……輩」
細田は涙目だった。
ああ、これは惚れるよね、こんな人が近くに居たら、惚れてしまうのは自然な事で、そして美しいものだ。
「解りました」
僕は立ち上がり、腰を折った。
「……ごめん、細田。デリカシーの無い発言をした事、謝るよ」
「え、いや、ちょ……お、おっけー。全然許す」
かたり、と、戸野上三年生が立ち上がったのだろう椅子の音が聞えた。
「じゃあ、帰るよ、譲二」
「あ、はい」
僕が顔を上げるより先に、ふたつの足音が生徒会室の出口へ向かう。
「「失礼しました」」
ふたつの声が重なり、扉が開く音。僕が顔を上げた時には、扉は既に閉まっていた。
「もういいよ」
と僕が言うと、ホワイトボードの裏からユリアと雛子が出てきた。雛子は両手を組んで、目を輝かせている。
「殺したい程ロマンチックだったねー」
「リア充爆発しろ、と同じ意味かな?」
良い感じだった雰囲気が台無しである。
続いてユリアが呟く。
「あれに手を加える必要があるのか? ありのままであったほうが、美しいと思うのだが」
天然育ちと養殖培養の優劣について言いたいのだろうけれど、天然の話を持ち出されると僕が困るのだ。
「まぁまぁ。とりあえず、今、二人は良い具合に興奮状態にあるはずだ」
言いながら移動して、生徒会室の扉をゆっくり開ける。廊下の向こうで、小さくなった二人の背中が見える。外はもう殆ど黒に近いが、遠くの山脈のラインに沿って、まだオレンジが残っていた。戸野上三年生が去り行くには申し分ない、美しい光景。
「我が崇拝せし神話絵画『ジェラール・フランソワ』発動。世界に二人の愛の加護を」
その美しい世界が反転する。
黒は白へ。遠くのオレンジは緑みの混じった青へ。淡いクリーム色だった廊下の壁や天井、床達はほの暗くて薄い青紫へ。そんな薄気味悪い世界へ塗り替えられる。
だが。
「すごいな……」
「綺麗……」
僕の後ろでユリアと雛子が呟く。そしてその呟きは僕の心境でもあった。
細田と戸野上三年生が居た場所。そこには真っ赤な球体状の怪物と、黄金と見間違うような強烈なオレンジ色をした、マリア像を模写したかのような、そんな母性溢れる姿の巨人が居た。スライム状の怪物はちらちらとマリア象を見ている。だがマリア像は一切気にかけず、ただ前だけを見ている。
あれが、戸野上三年生の心か。
「二人共。懐刀を形成しておいて」
指示を出すと、雛子は「うん」と返事をし、ユリアは無言のまま、しかし指示通りにそれぞれが武器を形成した。僕も短刀を形成し、それを逆手に握る。ずきり、と、得体の知れない痛みが胸部に生じる。もしかしたらあの怪物達の特殊能力かもしれない。
「これよりエロス&プシュケ・プロジェクトを施行する。ミッションスタート」
左手に弓が出てくる。
「黄金の矢アルファ、装填」
小指と薬指で短刀を握ったまま、中指、人差し指、親指で矢を摘む。まずは赤いスライムへ狙いを定め、放った。
見事に命中する。
赤いスライムが篭ったような悲鳴を上げると、マリア像の怪人がこちらを向いた。
「雛子。戸野上三年生の心に魔法をかけて」
「え? あ、う、うん!」
赤黒いともピンクとも言える色の光がマリア像に降り注ぐと、マリア像の怪人は俯いた。順当に呪いのダメージを受けたようだ。
マリア像が攻撃されている事に気付いたらしい赤いスライムは悲鳴を雄たけびに変え、こちらへ突進してきた。
「ユリア。細田の心の足止めを」
「…………」
ユリアは答えない。しかし指示通り槍から発生させた蔓で叩き、動きを止めさせる。その隙に僕は、短刀を弓に添えて、マリア像へ向けて放った。雛子の呪いのおかげで身動きが取れないマリア像の胸に、それは命中する。強烈なオレンジの煙がそこから霧散していく。
「黄金の矢ベータ、装填」
ずきり、と、再び胸が痛んだ。だがそれを無視し、現れた矢を構え、迷わず放った。
短刀が与えた傷に沿うようにして突き刺さるベータ。
第二段階完了だ。
そしてアルファは赤い煙を、ベータはオレンジの煙を空気中にばら撒く。ばら撒かれたそれらはひとつに塊り、球体へと姿を変えていく。情熱的な赤と強烈なオレンジのコントラストは、まるで抽象的な太陽を表しているかのようだった。
「黄金の矢デルタ、装填」
これで最後だ。その球体へ狙いを定める。ずきりと胸が鳴いた。痛みが強まっている事にそこで気付いた。構わず矢を放つ。身体のどこが痛もうと、小学生の時から何百回も繰り返してきた流れ作業だ。狙い澄ませば当てられる。
思った通りに球体を捉えるデルタ。
ミッションコンプリート。
小さな悲鳴を上げるオレンジの怪物。赤いスライムも蠢くように鳴いている。抵抗しているということは、純粋に相手を思いやっていたわけでは無いという事だろうか。だとしたら細谷は、いったい何に抵抗したのだろうか。
これ以上相手を好きになりたくないと、そう願った理由はなんだろうか。しかしそれはもう関係の無い事だ。それぞれの怪物が主の元へ返っていく。
「いやぁ、三人居るとラクだね。ほんとに」
振り返って言う。
「私、ちゃんと祭吏っちの役に立てた!?」
嬉しそうに魔法ステッキを抱きしめる雛子。
「うん、すごく助かったよ」
そう言って頭を撫でてやると、雛子は気持ち良さそうに目を閉じた。
「ユリアも、ありがとう。助かったよ」
雛子の頭を撫でながら視線を向けると、ユリアはしかし、勝者に相応しくない怪訝そうな表情を浮かべていた。
ユリアとしては、ありのままとやらにしておきたかったのだろう。だから彼女は苦虫を噛んでいるのだ。
「貴様は」
ユリアが何かを言いかけた所で、世界が元に戻った。元の美しい光の世界だ。
「…………」
ユリアが何を言おうとしたのかが気になって少しの間待っていたけれど、なかなか続きを紡がない。何も言わず、ただ廊下の向こうを見つめている。何があるのだろう、と思い僕も廊下を見ると、そこには猫背になって涙を拭いながら歩く細田の背中と、その細田の頭を撫でている戸野上三年生の背中があった。
細田が泣いているのはきっと、僕に言われた事が屈辱的で悔しくて、でもその通りだから反論出来なかった自分が恥ずかしくて、そしてなにより戸野上三年生に庇われた事が申し訳なくて嬉しくて、だから泣いているのだろうと思う。戸野上三年生が何か言っている。しかし言葉は聞き取れない。でも多分、頑張ろう、そんな感じの事を囁いているに違いない。
「……美しい心の持ち主というのは、美しいものだな」
そんな感じの、正直らしくないことを呟くユリア。
「……うん、そうだね」
多分始めて、ユリアと気があった瞬間である。