ファースト・ネーム
翌日の事である。ともかくしてこれからは三人でエロス&プシュケ・プロジェクトを施行する事になった僕らだけれど、日常的な日常生活を送ってはいけなくなったわけではない。
「E組にひっでぇ美女が転校してきたってのは知ってるか?」
学校の休み時間、友人の高瀬智樹がそんな話を持ち出してきた。当たり前のようにA組の教室へ入ってきているけれど、彼はB組の人間だ。バスケ部に所属し、委員会も体育委員、成績は座学では赤点のオンパレードだけれど、体育の実技は常にトップクラスの成績を誇っている、根っからの体育会系である。
体育よりも座学派の僕からすれば、より明確には理系人間の僕からすれば、性格も得意分野も正反対の人間だが、智樹と僕は中学から割と深い繋がりがある。
「まぁね。ユリア・A・マリアベルさんでしょ?」
「おう、フルネームまで知ってんのか。流石生徒会長だな」
「そりゃあ、今日も昼休みに学校を案内するように先生に言われているから」
これは裏工作は何もしていない事実だ。ただし名前を知っている理由については嘘を吐いた。
「昼休みって今じゃねぇか」
「まだちょっと時間があるんだ」
確か、先生が僕を呼びに来るはずだ。
「なんでまっちゃんが案内すんだ? 普通はクラスメートか先生が案内するもんじゃね?」
体育会特有のざっくばらんな、けれど快活な口調で質問をぶつけてくる智樹。僕は、今朝、生徒会顧問である飯島先生に告げられた事をそのまま説明する事に。
「なんでもユリアは、前の学校ではかなり成績が良かったらしくて、編入試験もかなり良い成績だったみたいなんだ。それで今、生徒会役員が僕だけでしょ? 飯島先生は、ユリアを生徒会役員にしようとしているみたいなんだ」
そこまで言うと、智樹は「なんじゃそりゃ」と大袈裟に驚いてみせる。
「確かに生徒会役員は早めに補充したいと思うのは当たり前かもしれねぇが、だからって転校生にいきなりやらせるかねぇ」
智樹の意見ももっともだ。普通なら生徒会役員は、学校の事をよく知っている人間が任されるものだろう。しかしそれはあくまで普通なら、の話だ。
「今のうちの生徒会は訳有りだからね」
僕が苦笑して答えると、智樹は舌を出しておちゃらけた顔をした。
「訳ありも何も、三年の先輩様共が『二年の下でなんて働いてられっか』っつって役員を投げ出しただけじゃねぇか」
そうなのだ。まず前提として、普通なら生徒会長というのは最上級生がやるものだ。まだ五月にもならない今なら、三年生が任されている事が自然だろう。けれど、今は二年生である僕が生徒会長だ。それは単に生徒会長選挙で僕が三年生を押しのけて当選したためである。
最初は生徒会長たる僕と、副会長には同じく会長選挙に立候補していた、三年生の皆瀬三年生がなり、その応援者代表だった山本三年生が書記で、さらに同じく生徒会長に立候補していた戸野上三年生が会計を勤め、その応援者代表である細田二年生が庶務となる予定だった。
どうなったかは智樹が言った通り。
『二年生の下でなんて働けるか』と言って、皆瀬三年生と山本三年生が生徒会を辞退した。それに続いて戸野上三年生は『一人だけ三年生は、気まずい』と言って辞退。『戸野上先輩の居ない生徒会なんて動物の居ない動物園だ!』と、敬愛する先輩を動物扱いしてから、細田も辞退した。
そういうわけで生徒会は僕一人となったのである。
「状況が状況だから、三年生が生徒会に入るのは難しい。けれど生徒会を全員二年生にするのなら、メンバーには相当拘らなければならないんだよ。学校を引っ張る生徒会役員が経験不足だと、話にならないからね」
そういうわけで成績優秀で性格もしっかりしていると判断された人間でなければ、今の生徒会は勤まらないのだ。
「ユリアの面接をした先生が飯島先生に推薦してきたという実績もあるから、性格はクリアーしていると思――」
途中まで言って止めたのは、僕が座っている机の向こうからひょこんと、タケノコのように雛子が生えてきたからだ。
「……祭吏っちが私とは違う女の話してるのはどうして?」
「そんな質問をするのはどうして?」
僕は雛子以外の女の人の話をしてはいけないのだろうか。
「よう、日向。相変わらず神出鬼没だな」
僕と同じ中学出身である智樹は当然、僕と同じ中学出身である雛子と顔見知りだ。
「うん、おはよう。今から私が祭吏っちとお話するんだけど、高瀬君はどうする? 帰る?」
つまり帰れという事だろうか。
「帰んねぇ帰んねぇ。休み時間はまだあっから!」
笑いながら雛子の棘発言を受け流す智樹。智樹はなかなかにメンタルが強いのだ。
「でも、高瀬君が帰らないなら私と祭吏っちが二人っきりになれないよ。……あ、そうだ、天国に行こう」
「京都に行こう、みたいなノリでカッターを取り出すのは辞めようね」
ひょこ、と机の影に隠れていた雛子の手にはしっかりカッターが握られていた。僕はその腕を掴んですぐさまカッターを没収。智樹に預けた。
「でも祭吏っち。天国なら二人っきりになれるんだよ?」
ひょこん、と反対の手に握られていた鋏が僕に向けられる。
「雛子。僕は天国ではなくて地獄に落ちる予定だから、それは無理なんだ」
鋏も没収。智樹に預けた。「お前ら元気だなー」と言いながら、智樹はなごやかな面持ちでそれを受け取る。
「私に考えがあるんだ。祭吏っちを殺してから高瀬君を殺して、それで私も死ねば、私も地獄に行けるよね?」
「さらっと俺を巻き込むんじゃねぇよ!」
新たに取り出された工具ナイフが僕の目に向けられる。
「駄目だよ雛子。智樹を殺しても君は地獄へは行けない」
工具ナイフもすぐさま没収。「俺の命ってどんだけ軽いんだ!?」とか言っている智樹に預けた。
「むー」
凶器が尽きたのか、それとも理屈が無くなったのか、雛子は攻撃の手を止めた。
「高瀬君、その武器返してくれる?」
「智樹、絶対に返しちゃ駄目だよ?」
「返したら俺の命も狙われるからな。ぜってぇ返さねぇ」
智樹は武器達を大事に抱えて守ってくれた。うん、これで今日の昼休みの安全は確保した。
その時。
「斎野は居るか?」
教室の入り口から、気だるげな声がした。見ると、そこには背の高い黒髪の女性、生徒会顧問である飯島先生が立っている。
「はい」
返事をして立ち上がると、僕を見つけた飯島先生はつかつかとこちらへ歩み寄ってくる。その背中に、銀髪の女の子、ユリアが隠れるようにして続いていた。
「これからあたしは職員室に戻るから、マリアベルをお願いするわね」
今から学校を案内しろ、という事だろう。事前の打ち合わせ通りの流れだ。
「解りました」
答えて、ユリアの前に立つ。
「いんやー、まじで美人だな」
と、関心したように智樹が呟いた。
「そうね。あたしも最初に見た時はびっくりしたわ」
飯島先生は頷きながら、自然な手付きで智樹が抱えている武器達をひったくる。
「あ」
間の抜けた声を漏らす智樹。先生は工具ナイフが本物かどうかを見極めるためだろう、じっとりとを見つめてから言った。
「とりあえず高瀬はあたしと一緒に職員室に来なさい。それじゃ斎野、任せたわね」
「ちょ、待ってくれって先生! これは俺の所持品じゃねぇ!」
先生に首根っこを掴まれてなお抵抗する智樹を他所に、雛子がにょきっと手を挙げる。
「先生! 私も祭吏っちに学校を案内されたいです!」
「好きにしなさい。高瀬、無駄な抵抗しないで」
「ええええええええ!? 違うって! これまじで俺のじゃねぇんだって! つーか真犯人がさらっと逃げんなよ!」
「はいはい。犯人は皆そう言うって、相場が決まってるのよ」
「犯人じゃなくても言うだろ!」
抵抗むなしく職員室へ連行されていく智樹。ドンマイとしか言いようが無い。彼の犠牲を無駄にしないためにも、僕はしっかりとユリアを案内しなければならない。
「それじゃ、行こうか」
そう言って微笑みかけると、ユリアはやはりと言うべきか、昨日と同様に嫌そうな顔をした。
「不本意だが、それが教師の指針ならば致し方あるまい」
僕も嫌われたものだなぁ、と、改めて実感した。ファーストコンタクトがとんでも無かったのだから仕方ないけどね。
「それじゃぁ祭吏っち。最初は焼却炉に行こうかっ!」
「一番案内する必要の無い場所だね」
どうせ僕を燃やすとか言うのだろうけれど、そうはさせない。にこやかに選択肢を排除した。
「おい。斎野祭吏」
「何? 最初に行きたい所とかあるのかな?」
「いや……」
まるで索敵する野生動物のように辺りを窺い、ユリアはどこか疲れた面持ちで言った。
「――この学校、おかしくないか?」
へぇ、と関心しつつも、僕はわざと首を傾げた。
「どこかおかしいの?」
「どこがと言われるとまだなんとも言えないが、何かがおかしいんだ。何かが狂っている」
ああ、行ってもそこまでか。
「何がおかしいかとかが解ったら教えてよ。生徒会長として相談に乗るから」
にこやかに言うとしかし、ユリアはやっぱり、僕を怨敵のように睨むのだった。
トイレや保健室、体育館までの近道や特別教室の効率的な覚え方等など、必要最低限の案内した。途中で「保健室は私と祭吏っち専用なんだよ」のように血迷った事を雛子が何度か言っていたけれど、基本的には華麗にスルーした。
「それで、ここが生徒会室だよ」
今の僕にとって最も馴染みのある場所を最後に紹介した。といっても、
「ここは昨日も使っただろう」
じっとりとした目で睨まれてしまった。
「体裁上、案内しておこうと思っただけだよ。先生から聞いてないかな。ユリアに生徒会を薦める、みたいな事」
「それは聞いた」
めんどくさそうに眉をひそめ、ユリアはため息を吐く。
「貴様の監視にはもってこいだから前向きに考えておくとは言っておいたが、もしかしたら監視が必要なのは貴様だけでは無いかもしれないからな。生徒会に入るかはまだ未定だ」
なかなか合理的な考え方をするものだ。聞いていて窮屈に思うほどの都合主義だな、と。ちなみに、僕以外に監視が必要そうなもの、というのは、この学校全体の事だろう。さっきも「この学校はおかしい」と言っていたくらいだしね。
「前向きに考えて貰えると僕も助かるよ。ほら、生徒会が一人って、結構大変だからさ」
社交辞令を言いながら生徒会室の扉を開け、ユリアと雛子を中に入るように促す。
「ふん、各委員会にも顔を出して、プロジェクトに神経を費やすほど余裕があるくせに」
嫌味を言われてしまった。
事実、生徒会は一人では大変、というのは表面上そう思われているだけで、少なくとも僕はそう思っていない。一人でも特に問題は無いのだ。文化祭や体育祭、遠足や修学旅行などの一大イベントさえ無ければ、充分にこなせる。なんであればそれらの業務と並行して、プロジェクトとアルバイトを両立させられるくらいだ。
ユリアと雛子は昨日と同じ席に座った。僕は時計を確認。昼休みはまだ十五分はある。
「ここで何かするの?」
やっと雛子がそんな質問をしてくれた。聞かれるのを待っていた僕としては嬉しい事だ。答えようと口を開いたところで、ユリアに先を越されてしまう。
「プロジェクトの話だろう」
「うん、正解」僕は一番奥の席に座って手を組んだ。「もう一度確認するけれど、本当に協力してくれるの?」
その問いを、ユリアは「くどい」と一蹴する。
「貴様はおかしい。だから監視する。そう言っただろう」
僕がおかしいというのは初耳な気がする。
「私も、祭吏っちのためだったらどこまでだって行くよ?」
雛子が言うと説得力があるから困ったものだ。
「まぁ雛子はともかく、ユリア。君には『おかしな人間を監視しなければならない』という義務でもあるのかな。この学校がおかしいというのも、初日で気付いたみたいだし」
ユリアは怪訝そうな表情をしつつも頷いた。
「私の家系は代々、神を信仰してきた。ひとつの宗教に限らない広義な意味での神だ。世界は神が作った秩序の元に成り立っていると信じている。自然なものこそが美しさだと思っている。しかし、貴様もこの学校も、私には不自然に見える。だから監視する。ちなみにだが、不自然という点において私は、貴様のエロス&プシュケ・プロジェクトにも不審を抱いているぞ」
射抜くように睨まれ、
「エロス様は愛の神だ。その母であるアプロディテ様は愛と豊饒、そして美の女神とされている。そんな二人が世界の愛の枯渇とやらを嘆くのはよく解る。エロス様の妻であり不死の神であるプシュケ様が貴様に一時的な命を与え、旦那であるエロス様の嘆きの原因となっている愛の枯渇をなんとかしようというのも、無理矢理ではあるが納得した」
しかし、とユリアは続ける。
「貴様のやっている事が神の遣いらしいかと問われれば、私は頷けない」
成る程、と思った。
つまりは程度の問題なのだ。程度、というよりも、力加減の問題かもしれない。歴史に名を遺す神の遣いと思わしき人物達は、誰もがなんらかの偉業を成し遂げている。神の声を聞いたというジャンヌ・ダルクは戦争を終わらせ、イエス・キリストは死から復活してみせた。海を割った英雄も居る始末だ。それに比べて、僕の参加しているプロジェクトはあまりにも低俗だ、とでも言いたいのだろう。
「そう言われても、事実なのだから仕方ないよ」
苦笑して答える。
「仕方なくなどない」ユリアはやはり僕を睨んだ。睨まないでよ、とはもう思わない。慣れというのは怖いものだ。「精神病院に行ったほうが身のためだぞ」
「未だにそのネタを引き摺っているの?」
昨日で終わったよ、そのネタは。
ともかく、ユリアはまだ半信半疑だと言いたいのだろう。
「なら、今日も目処を着けているカップル候補が居るから、もう一度プロジェクトに参加してもらうよ。そこで色々と納得してもらおうかな」
百聞は一見に敷かずとも言うからね。
「解った」
と、ユリアは頷く。僕もにこやかに頷き返して、次は雛子のほうを向いた。
「それで、雛子はどうする?」
着いて来ると予想は出来ているけれど、念の為に確認する。
雛子は意を決した面持ちで答えた。
「――やっぱり高瀬君を殺してから祭吏っちを殺す事にしようかな」
「流石にその解答は予想外だったよ」
それは十分程前に終わった話だと思っていた。