ディファレクション・プロジェクト
「――ミッションスタート」
駆け出す。
巨人達との距離はすぐさま無くなる。
まず攻撃をしかけてきたのは男のほう、つまり青の巨人だった。
大きな拳が前面に迫る。それを回避し、巨人の懐へ入り込む。無防備な腹部へ攻撃を仕掛けようとしたけれど、黄色い巨人の拳が横から迫っている事に気付き、回避を優先する。しゃがんで避けている間に、青い巨人は僕から距離を取っていた。しかし、昨日と変わらず動き自体は鈍い。すぐさま再び距離を詰めて、青い巨人の腕へと刃を走らせた。
傷は浅い。が、刃は確かに青い巨人の腕に傷を与えた。
青い巨人が後退しようとする。入れ替わるように、黄色い巨人の攻撃が横から迫る。今度はしゃがまず、身体を捻って回避する。そのまま駒のように回転し、その威力に沿って短刀を振るうと、黄色い巨人の腕にも傷を与える事に成功。こっちは結構深い。
「黄金の矢ベータ、装填」
回転は未だに止まらない。
右手に握っていた短刀を逆手に持ち替え、出現した黄金の矢を人差し指、中指、親指の三本で摘んで、黄色い巨人の傷口へそのまま突き刺した。黄色い巨人は甲高いうめき声を上げながら後退。僕も回転の流れに沿って横へ飛び、一旦距離を取る。
黄金の矢、アルファとベータは昨日も刺したけれど、誤作動防止のため、デルタまで到達出来なかった矢は一日で効力を失ってしまう。そのため、日を跨いでしまっている以上はアルファとベータを打ち込むところからやり直さなければならない。だから今、僕はベータを黄色い巨人に打ち込んだのだ。
傷口を狙ったのはただ単に、より心の深くに打ち込むためだ。そうしたほうが矢の効力は強まるし、抜けにくくなる。といっても、そもそも一度刺されば抜ける事自体が少ないのだけれど。
青い巨人が先行して、反撃を開始した。
大きな青い拳が、左右から同時に迫る。後ろへ飛んで回避すると、青い巨人はそのまま突進してきた。体当たりをする気なのだろう。僕は逆手に持ち直していた短刀を順手に持ち直し、突進してくる青い巨人へ刃を向けた。
巨人が体当たりしてくるより手前で短刀が巨人の腹部へ刺さり、巨人は悲鳴を上げながら、前のめりになって止まった。
刃を引き抜くと、そこから青い煙が血のように噴き出す。その煙に包まれ、視界が青に阻まれた。
「黄金の矢アルファ、装填」
呟きながら短刀を軽く上に投げる。そして空いた右手で出現した黄金の矢を掴み、弓に当てて上空へ、さっきまで青い巨人の胸があった場所へ向けて構える。そして放つ。
青い巨人の野太い悲鳴がさらに大きくなる。見えないが、命中したらしい。
落ちてきた短刀を引っつかみ、煙の中から飛び出すため横へ駆けた。しかし、それが間違いだった。煙から抜けたその瞬間、僕の視界を覆い隠すほどの距離に、つまり目前に黄色い巨人の拳があった。
「しまっ――」言い切るよりも先に、強い衝撃が僕を襲う。真正面から殴り飛ばされたのだ。
大きく後ろへ飛んで、再び煙の中に舞い戻らされる。しかし攻撃の威力はそれだけには留まらず、反対側から煙を抜け出した。
「がはっ!」
ビルの壁に叩き付けられ、背中にも衝撃を感じる。ビルの壁を這うようにして下に落ちた僕は、そのままコンクリートの地面に倒れた。
(攻撃力、高っ……!)
嗚咽を漏らしながら思う。今までもこれくらい攻撃力の高いターゲットは居たけれど、まさか木下がそうだとは思っていなかった。黄色い巨人の、ひいては木下の攻撃力の源は、間違いなく現状維持を願う心から抽出されたものだ。
そこまでして今の雰囲気を壊されたくないのか。変えられたくないのか。隣に居る渡会だって変化を望んでいるのに、進展を望んでいるのに。
とにかくそれでは困るのだ。僕はよろめきながら立ち上がる。
そして体勢を整えた時には既に、黄色い巨人は今にも追撃をせんとする姿勢になっていた。青い巨人はまだ揺らめいている。その胸部に黄金の矢アルファを確認。ちゃんと当たっている。黄色い巨人の片腕にもベータが刺さったまま。これで第一段階は完了だ。
心の煙が形成した怪物は、ダメージを負う事で形が崩れ始める。形は崩れた箇所から煙へ戻っていくのだが、それが肝だ。黄色い巨人の腕に刺さった矢、ベータからは黄色い巨人から漏れた煙が今も出ている。青い巨人の胸からも然りだ。そして、アルファとベータによって漏れた煙は、ひとつになる。
黄色い煙と青い煙が混ざり合って、形を成し始めた。青と黄色のマーブルの球体が作られていく。あの球体をもう一本の黄金の矢で突き刺せば、ミッションコンプリート。ゴールは間近だ。しかしその前に、球体と僕の間に黄色い巨人が立ち塞がっている。
短刀を構え、一歩前に踏み出した。そのまま距離を詰めようとした僕はしかし、不意に体制を崩してしまう。踏み出した足が何か硬いものを踏んだのだ。
何を踏んだのだろう? 体勢を立て直す事に失敗した僕は、倒れながら足元を確認した。僕が踏んだのは、青い花を模した謎の固形物だった。ユリアが懐刀から放った投げナイフ然の飛び道具である。
(ユリア……っ)
こんな時に最初の弊害を喰らうとは思ってもみなかった。
倒れる直前に腕立て伏せみたいな体勢を取ってダメージこそは免れたけれど、隙が生じたのは間違い無い。視線を上げて黄色い巨人を睨み直すよりも先に、側頭部に衝撃を感じた。そのまま横へ吹き飛ばされ、僕は再び、ビルの壁に直撃する。
まずい。これはまずい。
ダメージが思ったよりも大きい。今度は倒れずに着地出来たが、足がふらついている。
黄色い巨人が三度迫っている。距離を取ろうにも足元がおぼつかない。この場で反撃するしかないと悟った僕は、短刀を弓に添えてそのまま放つ。
短刀は真っ直ぐ黄色い巨人の肩に突き刺さった。
黄色い巨人がよろめく。だが、僕の体制もよろめいた。追撃が出来ない。
「祭吏っち! 今回復させてあげるからね!」
離れた場所から雛子の声がする。
いや、待って、それは駄目だ。そう言う事も出来ないまま、ほの暗いピンク色の光が僕を包み込む。途端に異様な寒気が身体中を襲う。まるで酷い風邪を引いたみたいに、身体から力が抜けていく。息が苦しくなり、視界がぼやけて、耐え切れなくなった僕はついに膝をついた。
(毒だぁぁぁぁぁぁあああああああああ!)
予想はしていたけれどまさかここまで即効性のある毒魔法だったとは思わなかった。雛子の魔法は回復魔法の正反対、俗に言う『呪い』だ。
(気付いてくれ雛子……僕は君の魔法でダメージを受けているんだ……その魔法を解除してくれ……!)
構わず降り注ぐピンクの光。苦しさと痺れは増す一方だ。
そして僕は納得した。僕は中学の時に何度も雛子の心へ勝負を挑んだのだけれど、毎回返り討ちにされていた。途中から数えるのは辞めたけれど、百回以上は負けている。その一番の理由は、僕が全力を出し切れなかったからだ。
雛子との勝負では懐刀が上手く形成されなかったり、矢の命中率が異常なまでに悪くなったりしていた。それはきっと、雛子が齎す特殊な力にあったのだと。今になって思い知らされた。
神の領域たる絵画世界ということもあり、割となんでも有なのである。ただし今のユリアと雛子を例外として、僕のこのプロジェクトに携わっていない人間で心が特殊能力を使った場合、というのを、僕は雛子でしか見た事が無い。
つまりは雛子は異常に異常だという事だ。今になって確信した。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、黄色い巨人は僕の真上に立っていた。今すぐ立たなければ、と自分を奮い立たせ、起き上がろうとする。起き上がれなくはないが、間に合いそうにない。黄色い巨人は既に拳を振り上げていた。
(やばい……!)
そう思った矢先。
「危ない!」
ぐわん! と、黄色いの巨人の背後、少し離れた所で、ユリアが槍を振るうのが見えた。
数本の蔓が伸びて、黄色い巨人を通過し、真っ直ぐに僕を襲う。
「ぐばふっ!」
弾き飛ばされる。
同時に、黄色い巨人の拳がコンクリートを叩く音が聞こえた。
数メートル程地面に引き摺られてなんとか止まると、雛子の呪いからも抜けていた。
「ユリア……どうして僕を攻撃したの……?」
立ち上がりながら喚くと、ユリアは首を鳴らすような仕草をした。
「手が滑ったんだ」
「そのわりには真っ直ぐな攻撃線だったけれど!?」
でもまぁいい。最初なのだから、多少のアクシデントは仕方ない。むしろ、ユリアはよくやってくれたと思う。問題なのはユリアじゃない。
「大丈夫だよ祭吏っち! 私が今すぐ回復させてあげるから!」
「雛子の力は回復魔法ではないことに気付いて欲しい」
雛子の呪いを受けながら戦うのは流石に無理がある。
声を張り上げなければ届かない程度には遠くに居る二人。有無を言わさず魔法を発動させようとした雛子を、ユリアがどうどうと抑えている。ありがとうユリア、と心の中で呟き、もう一度黄色い巨人と向き合った。
「黄金の矢デルタ、装填」
呟くと、右手から煙が溢れる。それが黄金の矢へと姿を変える。
アルファのように雄々しく角々しいわけではなく。
ベータのように丸みを帯びているわけでもなく。
それは、乱れひとつ無い、美しいとさえ思えるほどの直線だった。
ただ真っ直ぐに伸びた矢。切っ先だけが鋭い円錐になった、シンプルな形の黄金の矢。それを弓に装填し、構える。黄色い巨人に向けて弦を引く。
黄色い巨人は構わず僕へ近付いてきている。そして僕は、さっき吹き飛ばされたおかげで僕と黄色い巨人との延長線上から外れた、青と黄が入り混じった球体に狙いを変更した。
距離はそう遠くない。狙い澄ませれば外れない。
視界の隅で黄色い巨人が拳を上げた。
僕は球体へ向けて矢を放つ。
巨人が拳を振り下ろしたのが見えた。
横へ飛んで回避した。
コンクリートにヘッドスライディングした僕は、痛みに一瞬だけ目を閉じる。同時に、黄色い巨人の悲鳴が聞こえた。視線を上げると、黄色い巨人が悶絶している。だが、デルタは黄色い巨人に当たったわけでは無い。狙い通り、球体のほうを貫いている。
少し離れた場所に居る青い巨人のほうは、悶絶まではしていない。僕が負わせたダメージに苦しんでいるだけだ。しかし黄色い巨人は、木下の心はそうでは無い。
渡会と木下二人の心の集合体であるマーブルの球体。それをデルタにて貫いた事で、二人の両想いは確定した。まさしく神が認める仲となった。エロスの矢が効力を発揮したのだ。
デルタが突き刺さったマーブルの球体は、マーブルでは無くなって行く。青と黄色がひとつの色へと交じり合っている。
黄色い巨人が、木下の心が、それを拒んでいるのだ。
それはつまり、木下が恋していた対象は渡会では無かった事を意味している。心が本来の状態から遠ざかっていくために、木下は悶絶しているのだ。木下が恋に恋していただけだったから。恋では無い何かへ好意を寄せようとしている変化に苦しんでいるのだ。
しかし、その状態も終わった。
苦しんでいた黄色い巨人が沈黙した。石のようになって固まったかと思うと、瞬く間に煙り戻り、そして木下の身体へと帰っていく。
気付いた時には球体も消え、青い巨人も度会の心へ戻った後だった。
「……ふぅ」
無事に終わった。
雛子とユリアが駆け寄ってくる。
「祭吏っち! 大丈夫!?」
心配そうに声をかけながら僕を抱き起こす雛子。
「大丈夫大丈夫。元の世界へ戻れば傷も消えるから、あんまり乱暴に扱わないで」
痛みに耐えながらそう言うと、雛子は申し訳なさそうに「ご、ごめん」と言った。けれど抱きかかえた僕は離さない。そのまま抱きしめられて視界が真っ暗になった。ねぇ雛子、僕の顔が異様に柔らかいモノに包まれている気がするのだけれど、これは何かな。
「……終わったのか?」
ユリアの声がして、なんとか雛子から離れる。
「うん。今、絵画世界の発動を解いたから、あと十秒くらい経てば元の世界に戻れるよ。ちなみに元の世界に戻った時、僕達は絵画世界を展開した時に居た場所へ戻る事になる」
いちち、と傷口を押さえながら説明すると、ユリアは「成る程な」と、さっきまで黄色い巨人の居たほうに視線を運んだ。
「……思っていたよりも危険な事のようだが?」
さっきの戦闘を思い出しているのだろう。確かにパッと見、結構派手だと思う。
でも。
「どんな致命傷を負っても、元の世界に戻れば癒えるからね。絵画世界は元の世界とは次元が違うから、ここでの負傷は現実の負傷にはカウントされないってこと。死ななければいいだけの簡単な流れ作業さ」
にっこりと微笑んでみせる。
瞬間、ガバッ、と、雛子が僕を、さらに強い力で抱きしめてきた。抱き絞めてきた。
「がぐっ……い、いたい、たい、いたいぃい!」
全身が、軋む……!
「死んじゃうかもしれないなら充分危ないよ!」
「たった今、雛子に、殺される……っ」
「私が殺すんなら本望だよ!」
「誰の、本望……なのさっ」
ようは僕の事が心配なのだろうけれど、これで、このプロジェクトが危険だという事は伝わっただろう。少なくとも、女の子が参加すべきものでは無いということと、こんな事をやらなければならない僕とは極力関わり合いにならないほうが良いという事も伝わってくれたら嬉しい。
ともかくそうこうしているうちに十秒が経過したらしい。一瞬だけ意識が暗くなると、次の瞬間には絵画世界を展開した時に隠れていた場所に立っていた。姿勢もその時の状態に戻っているから、雛子の締め付け抱擁からも開放されているし、なにより傷もちゃんと消えている。
「びっくりしたぁ」
いきなり視界に映っている全てが変わったからか、雛子がそんな事を呟く。
「だろうね」
僕はにこやかに言って、そしてすぐに気持ちを切り替えた。
「多分だけれど、あの二人はすぐに動き出すよ」
物陰から顔を出し、度会と木下のほうを見る。二人は歩いていた。気付かれないように近付いてみると、不意に、度会が立ち止まった。
少しの間それに気付かなかった木下はそのまま歩き続ける。
「なぁ、佳世」
歩き続ける木下を呼び止める渡会。ようやく立ち止まった木下がゆっくりと振り返る。
「……どうしたの? 卓君」
小首を傾げる木下。なんでもないかのような問いだが、その頬は僅かに紅潮していた。夕日のせいで赤く見えるだけかもしれないが、すくなくとも、度会が何を言い出すのかは、もう解っているはずだ。感じ取っているはずだ。
度会は自分の胸に手を当てて、震えた声で言った。
「俺、一年の時から佳代が好きだったんだ。その……付き合って欲しい」
木下は目を見開く。多分、驚いたふりだろう。だが次の瞬間には、待ってましたと言わんばかりの、満面の笑みに変わる。
「うん」
小さく頷く。
僕の後ろで、雛子が「ひゃー」と小さな悲鳴を上げている。
「ま、まじで?」
震えた声のまま渡会が確認すると、
「うん。私も、卓君が好きだから」
と、木下はもう一度頷いた。頷いたついでに、そのまま俯いた。恥ずかしいのだろう。
数秒後、度会が大きく身を屈めてガッツポーズした。それを確認した僕も小さく拳を握った。
「ミッション・コンプリート」
数分その場に立ち尽くした後に歩みを再開した渡会と木下。その背中を見守る僕と雛子とユリア。
「こんな感じだよ」
僕は二人と向かい合い、そう告げた。雛子はさっきの告白を目撃したせいで興奮し過ぎたのか、ラマーズ呼吸法で落ち着こうとしている。対してユリアは、気持ち悪いものを見てしまったかのような目で僕を睨んでいた。
「どうしたの?」
さっきの戦いで協力が嫌になったのだとしたら狙い通りなのだけれど、ユリアの口から紡がれた言葉はそうでは無かった。
「貴様は、自分が何をしたのか解っているのか?」
それは、糾弾するような口調だった。
深読みしようとすればどこまでも深く捉えられるその質問に対して僕は、しかし考える事を放棄する。
「さあね」
だから僕はそう答えた。
ユリアは僕のその解答を予想していたのか、大したリアクションはせずにため息を吐く。
「これは確実に、監視が要るな」
呟く。
「監視って……」
まさか、協力するつもりだろうか。僕は口でこそああ言っていたけれど、本当にユリアは、命賭けの戦いに参加するつもりだろうか。
「このユリア・マリアベル。エロス&プシュケ・プロジェクトに参加させてもらおう」
堂々と、彼女はそう宣言した。
冗談でしょ、と思っていたら、隣から雛子に肩を掴まれた。
「私も参加するよ! 祭吏っちの戦いの傷は、これからも私が癒してあげるからね!」
「雛子は癒された人間がうずくまるとでも思っているのかな」
あの戦いの中で何が一番危険だったかと聞かれれば、即答で「雛子の呪い」と答えるだろう。それほどまでに、あの呪いは強力だった。
「ねぇ、もう一度」考え直してみない?
そう言いきる事が出来ずに途中で言葉を切ったのは、二人があまりにも真っ直ぐな目をしていたからだ。
これは説得は難しいかな、と思い、僕は口を閉ざす。
しくじったな、と自責する。最初の戦いが二人に見つかった時点で、遠回しに距離を取らせようとするのではなく、正直に突き放せばよかったのだ。まぁ、それが出来たら苦労はしないわけで、突き放せばユリアは睨んできただろうし、雛子に至っては暴走して何をするか解ったものではなかった。
そういう言い訳は山ほど浮かんでくる。でも、この言い訳に意味は無い。
「……うん、まぁ、よろしくね」
そのうち向こうから「もう嫌だ」と言ってくれるまでは、一緒に戦う事になりそうである。
こうして、小学校の時から一人で戦い続けていた僕に、二人の仲間が出来た。