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ユアー・プロジェクト

 ユリアや雛子と合流し、心達を撒いたのは十分程走り回ってからだった。学校の屋上にて、三人が倒れこむ。赤味の混じった黄色い空を見上げて、ただ息を切らす。武器を戻す事もせず、セメントの地面の上には僕の短刀と、ユリアの槍と、雛子の魔法ステッキが転がっていた。


「ま、祭吏っち……傷だらけ……私が、癒して、あげる……」


「待って……駄目、今、あれ喰らったら、本当に、死ぬ……」


 絶え絶えの呼吸でなんとか会話する。


 そして数秒、そのままで居た。大きな戦いの後だからだろう、今すぐ帰ろうとは思えなかった。今現実に戻ってしまったら、現実にまで今の感情を持ち込んでしまうような気がした。こんな事を感じるのは、プロジェクト開始以降初めてだ。


 数分が経過した。誰もが黙っていた。このままでは埒が明かないと思った僕は身体を起こす。呼吸はもう戻った。身体中は痛むけれど、今まで絵画世界で何度も致命傷を受けている。痛みには慣れているのだ。


 僕と同じように、雛子、ユリアの順に起き上がった。


 そのまま立ち上がって、短刀を拾いあげる。わざわざ消さなくても、現実世界へ戻れば勝手に消える。僕はその手間を省いて、そのまま握った。


「それじゃ、戻ろうか」


 微笑んで言う。


 だが。


「まぁ待て」


 ユリアがそれを止めた。


 僕は首を傾げる。


「貴様に相談したい」


「生徒会室に戻ってからでは駄目かな?」


 確認すると、ユリアはおもむろに首を横に振る。


「今、ここで、この世界でだ」


 断言する。その口調はなんらかの強制力を伴っており、断る理由も特に無かったため僕は頷いた。


「いいよ」


「でも、祭吏っちは怪我し」


 止めようとした雛子を掌で制する。


 雛子は物言いたげな表情を浮かべたが、すぐにステッキを抱きかかえ、引き下がった。


 それを見届けたユリアは、僕に背中を向けて語り出す。手には、しっかりと槍が握られている。


「転校してきた時から、この学校はおかしい、何かが狂っていると思っていた」


「うん、言っていたね」


 生徒会室でよく聞かされていた事だ。


「その正体は、土日考えを纏める事で解った。この学校は、理性と欲望のバランスがおかしくなっているんだ」


 その通りだ。カップル達の多くは人目を憚らないし、恋愛において特殊性癖を隠そうとする者は少ない。


「成る程。それで?」


 促すと、ユリアは続けた。


「世界は、理性と欲望の狭間で成り立っている。これをやりたい、ああしたい。しかしそれは出来ない。相手を思いやるが故にやってはいけない。そのジレンマに苛まれ、それでも欲望を果たしたいから、人は努力する。出来ない事を出来るようにする事で、新たな技術や装置や理念が創られる」


 淡々と語っている割には、その背中には、感情が篭っているように感じた。けれど僕には、彼女の心が見れない。


「少し大袈裟じゃないかな。ここでおかしくなっているのは、恋愛における事だけのはずだよ?」


「同じ事だ」


 僕の言葉をユリアは切り捨てる。


「人は、悩んで、悔やんで、時に病んで、傷付ける事を恐れて、傷付く事に恐怖して、それでも互いに手を取り合える者を探して、出会って、惹かれて、近付こうと努力するから、いつか真実の愛に辿り着ける。だから美しいんだ。だから私は、戸野上と細田の二人を見て、美しいと思えたのだと思う」


 その通りだと僕も思う。それが理想だと、それがあるべき姿だと、故にこそ奇麗事だと、僕は思う。けれど、その気持ちは言葉には出さないでおいた。


「この学校にはそれが無いのだ。誰もが欲望に導かれるまま、大した苦難も試練も無く掴んだ、いや、掴まされた幸福に浸り、悦に入っている。そんなのはおかしい。狂っている」


 そして、と呟き、ゆっくり、ユリアが振り向いた。


「――狂わせたのは、貴様だな?」


 一瞬。


 止まっていた状況が動いた。


 僕が認識するよりも先に。


 ユリアが握る十字槍の刃が僕の首元に突きつけられ。


 雛子のステッキがユリアの側頭部へ撫で付けられていた。


 数秒の沈黙。


「なんのつもり? ユリアさん」


 虚ろな目で雛子が問う。


 ユリアは僕を睨んだまま、何も言わない。


「雛子、やめろ」


 身動きの取れない僕はしかし、雛子のほうを止めた。


「止めない。ユリアさん、その槍、降ろして。じゃないと殺す」


「雛子!」


「やめない」


 誰も誰にも従わない。雛子はステッキを構えたままで、ユリアも僕に槍を突きつけたまま動かない。


 再びの沈黙と睨み合い。


 ようやく、ユリアが口を開いた。


「貴様のこのプロジェクトが全ての原因だろう。人の多くが、誰かに受け入れられようと自分を抑えている。隠し事は誰にでもある。そうやって人と関わりあって、そうする事で結ばれる。だが貴様のプロジェクトはその我慢を必要としない。ありのままの自分でいられると言うとなかなかに素晴らしいようだが、そうじゃない。そうあるべきじゃないだろう。人工的に創られた感情が、本物の恋愛だとお前は言えるか?」


 冷や汗が垂れた。


「貴様も、気付いているんじゃないのか。このプロジェクトは、破綻していると」


 射抜かれた。


 身体でも、心でも無く、僕の中にあったなけなしの倫理観を射抜かれた。


 たった今さっき見せ付けられたばかりのものだ。


 解っていた。気付いていたんだ。このプロジェクトは僕のエゴでしかない。プシュケとエロスの命という大義名分の元に実行された、僕のエゴが全てを左右するプロジェクト。


 破綻している。解っている。


「何も言わないのか」


 嘲笑も、軽蔑もせず、ユリアはただその瞳に怒りを乗せて言葉を紡ぐ。


「答えろ」


 真っ直ぐ僕を睨んでいる。


 今までのどの視線よりも、それは鋭く僕を突き刺す。


 ああ、そうか。


 潮時か。


 そう思った。


「雛子」


「なに、祭吏っち」


 ユリアからステッキを離す事なく、雛子は答える。


「ごめん、先に帰ってて」


「やだ」


 拒否されてしまった。けれどここは僕が作り上げた世界だ。雛子には悪いけれど、強制送還させてもらう。


「やだよ、また、私が知らないうちに祭吏っちが死んじゃうなんてやだ。絶対帰らない。絶対離れない」


 ずきり、と胸が痛む。戸野上三年生と細田に矢を放った時と同じ痛み。その正体が罪悪感なのだと、その時になって初めて気付いた。


「……ごめん」


「なんで謝るの? 私は祭吏っちを守るの。もう死んで欲しくないの、死ぬなら一緒。絶対一緒」


「…………ごめん」


 十秒が経過した。そして、雛子の姿が消える。魔法ステッキも一緒に姿を消す。すると、ユリアはようやく十字槍をどかしてくれた。


「聞かせろ。貴様は何故、この破綻したプロジェクトを良しとしている? 辞めたら死ぬからというのは納得だ。だが、貴様一人が生きるために、大勢の人間の感情が人工物と化している。それについて、罪悪感を覚えた事は無いのか」


 言葉がいちいち僕を突き刺すもんだから、あまりの苦痛に、腕の怪我以上の痛みに顔を歪める。それを隠すために僕は笑った。


「僕の命は安いから、さっさと諦めろ、と言いたいのかな」


「そうではない」


 僕の皮肉に、ユリアは首を横に振ってから続けた。


「貴様がやっている事は破綻していると、私は思う。だから死ねと言いたいわけではない。だが、人の心を勝手にいじくっている割には、酷く他人に無関心だと思った。いや、違うな、全てにおいて無関心なのか。言い方が解らないが、まるで自分の感情を押し殺しているように見えた」


 ユリアの言う通りだった。とはいえ、僕は意図的に感情を殺しているのではない。自分がやっている事がやっている事だから、無関心でなければプロジェクトを施行出来なかったのだ。罪悪感に押しつぶされてしまうから、感情は不要だった。


 そうやって苦難したのは小学校を卒業するまでだ。中学に上がって少ししてからは、もう慣れた。それが当たり前になっていた。だから今は、無意識に自分の感情を殺せるようになっている。


「貴様が自分の感情を殺しているのは、罪悪感に苛まれないためではないのか、と、私は思ったのだ。だとしたら貴様は、このプロジェクトが破綻していると知っているはずだ。何故、そこまでする? 自分の感情を殺して、他人の心を弄繰り回して、そうまでして生きる理由はなんだ」


 見透かされすぎて、気持ち悪くて、どこか心地よかった。初めて鏡で自分の姿を知った化け猫は、きっとこういう気持ちなのだろうと、何故かそんな事を考えた。


「……ちょっと長くて、暗い話になるけれど?」


「構わない。聞かせろ。懺悔であろうと言い訳だろうと聞いてやる」


 それは助かる。僕は、凍りついたみたいに重たい唇を動かした。


「勿論、解っているよ。このプロジェクトが破綻しているという事も、全ては僕の身勝手なのだという事も」


 自嘲気味になってしまったかもしれない。けれど、今はこれ以上、平静を装え無かった。本当は既に終わっている僕一人の命を長引かせるためだけに、大勢の人の心をコントロールする。それが狂っているなんて、ずっと前から気付いてた。自分が死ねば、命を諦めれば、全て終わるという事も。


 でも、と、僕は続けた。


 もう、笑みを浮かべる事は出来なくなっていた。


「僕が死ねば、雛子も死ぬんだ」


 ユリアが眉を潜めた。


「小学校の時、僕が死んだ時、プシュケから力を授かった後、目覚めたのは病室だった。トラックに轢かれたのだから、当たり前だよね。眼の前には雛子が居た。幼馴染だった雛子。ずっと仲が良かった雛子。雛子は泣きながら、目を覚ました僕を抱きしめてくれた。よかった、よかったって何度も言ってくれた。僕が死んだら自分も死ぬつもりだったって、目を覚まさないから何度も屋上から飛び降りようとしたって、そう言ってくれた」


 ユリアは割って入らず、ただ聞いた。


「冗談に見えてた? 雛子は本気だよ。僕が死ねば雛子も死ぬ。一緒に死んでくれる。僕を一人にしないって、そう言ってくれている」


 そこまで語って、少し黙った。


 風の無い世界。温度も何も無い、けれど冷たい、無機質な世界。情緒も何もない、薄気味悪い黄色の空を見上げる。


「……そんなの、認められるわけないじゃないか」


 雛子が僕のために死ぬなんて事があっていいはずがない。僕が死ぬとしても、雛子の死だけは絶対に認めない。認めたくない。


「雛子が死ぬのだけは嫌だった。雛子を巻き込みたくなかった。僕がやっている事は破綻している? 解ってる。でも、辞めたら僕は死ぬ。僕が死ねば雛子も死ぬ」


 そのジレンマに気付いたのは中学に上がってからだった。


「こうなったら、雛子に他の人と結ばれてもらうしか無いと思った。その時に調度、雛子の事が好きだっていうやつが現れた。僕は、そいつと雛子を結びつけようとした。その二人が結ばれれば、雛子が僕の事を好きじゃなくなれば、雛子は死なないでいてくれる。 そうすれば僕も、この破綻したプロジェクトを辞める事が出来る……」


 智樹の事だ。


 智樹の恋愛相談に乗るという形で、僕は智樹を利用しようとしていたのだ。それだって充分破綻している。僕にとっての苦肉の策だった。


「でも……でも勝てなかった!」


 不意に、得体の知れない何かが、僕の内側から溢れ出てきた。


「雛子のあの呪いみたいな力のせいだ! 雛子と戦おうとすると、矢は当たらないし、懐刀もまともに形成出来なくなる! そんな状態で勝てるほど、雛子の心は弱くないし単純でもない! 何度も何度も何度も何度も挑んだ! それで解った事は、僕は雛子には絶対に勝てないって事だった!」


 言葉が津波になって流れ出る。今までいったいどこにこんな感情が隠れていたのか、自分でも驚いた。


 得体の知れない感情達。押し殺して棚の引き出しの一番奥に仕舞いこんでいた僕の心。感じないように気付かないように解らないように見ないふりをしていた。


 けれどもう限界だった。見つけてしまった心は主張を強めて、今だ今だと外へ出てくる。


「なんで僕が死ななきゃいけない!? 全部あのトラックのせいだ! でも起きた事は戻らない! 神にだって時間は戻せない! なら、僕が死ぬか人工の恋愛感情を作り続けるかのどっちかしかない! どっちも嫌だった! 雛子に死んで欲しくない、でも辞めたい……なのにその権利がもう僕には無い……僕が死んでるから! とっくの昔に終わっている命だから!」


 瞬間。


 ばちん、という心地よい音と共に、頬に強い、けれど温かい衝撃を感じた。ユリアが僕を平手打ちしたのだ。


 僕は言葉を失い、ただ目を見開く。


 僕を叩いたユリアは無言で、僕に背を向けて、何歩か離れた。そして十メートル程の距離を取ってから立ち止まる。


「ところで、その左手はどうした」


 振り向かないまま聞かれ、僕は自分の左手を見た。僕の左手は真っ赤に真っ赤に染まっている。血だ。そして、親指の付け根が抉れて、何箇所か切れていた。腕の痛みが大きすぎて言われるまで気付かなかったが、この傷がどうして着いたのかはよく解る。いつもの事だからだ。


「矢の形が、アルファもベータも歪だからね。中学に上がった頃から、気をつけながら矢を撃たないとこうなるようになってしまったのさ。それに、矢の変わりにしている短刀も、本来は弓で射るためのものでは無い。失敗すると指に当たってこうなってしまう」


 とはいえ、困った事は無い。なにせ一度の戦闘が終わり元の世界に帰ればすぐに癒える傷なのだから、次の戦闘で弓矢が使えなくなるなんて事は無いのだ。そもそもそんな失敗も、最近では殆どしていなかった。さっきの戦闘では動揺し過ぎていたため、こんな失態を晒してしまっただけである。


「そうか。なら、まずはこうしよう。流儀は、貴様に習うとするか」


 そしてユリアは振り向いた。


 振り向きながら、呟くのだ。




「我が崇拝せし美と愛の神話絵画『サンドロ・ボッティチェッリ』発動。神の召すままに、世界が美しさと愛に溢れている事をここに示し賜え」




 全身から痛みが消えるのと同時に、世界が塗り替えられていく。


 色が反転していた世界は元の色を取り戻した。


 だが。


 天地が逆転していた。


 頭上にあるのは空ではなく海だった。海水は落ちてくる事なく、空に留まっている。


 さらに、僕達の居る場所、学校の屋上、その足元には、びっしりと大量の植物が生い茂っており、全ての壁が、建物が、薔薇と茨によって作られた物に変わった。


 どう見ても。


 どう弁解しようにも。


 ここは間違いなく、僕のではない絵画世界かいがせかいだった。


「貴様の思いはよく解った。ちゃんと聞き届けた。その懺悔と言い訳に免じて私も、私の思惑を示そう」


 くるん、と、槍を振り回し、彼女は言う。


「私の名前はユリア・アプロディテ・マリアベル。アプロディテ様より一時的な力を借り、貴様の監視、及びプシュケ様、エロス様のプロジェクトを監視するよう仰せ付かった者だ」


 その瞬間、僕の中で全てが繋がる。


 最初、ユリアが僕の絵画世界の中に入り込んだのは、間違いでも偶然でもなく、意図的なものだったのだと。


 その後は何も知らないふりをして、僕の傍に居続けていたのだと。


 プロジェクトの実行犯である僕の心をへし折るために、今の尋問を敷いたのだと。


 ユリアは仕事で海外からこちらへ来たと言っていた。その仕事とは、神から与えられた任務の事だったのだ。直接的に僕を邪魔しろと言われたのか、エロスやプシュケの要害をしろと命じられたのか、それとも、ただとりあえずどこどこに行けと言われたから来てみたらここだったのか、それは解らない。


 少なくともただ一つ。もしかしたらユリアとなら、ユリアや雛子となら、こんな僕でも上手くやっていけるのではないだろうかと思っていたのは、ただの幻想だったのだという事だけは確かだ。


 僕は、強く短刀を握り締めた。


「僕の名前は、斎野祭吏。プシュケ及びエロスの命の元、世界に作り物の愛を撒き散らす者だ」


 ユリアに習って名乗りを上げる。するとユリアは、何がおかしかったのか、槍を構えたまま笑った。


「そう悲観的に名乗るな。貴様の行いは確かにおかしな事で破綻している。狂っている。だが決して、間違いではない」


「間違えてないなら、どうすればいいんだよ……」


 問うと、ユリアは簡単そうに答えるのだ。


「正義は勝者が語るものだ。正論は勝者が示すものだ。なら、勝った者を正論としようか。私が勝てば私が正義だ。貴様の作り物の感情は悪だ。貴様が勝てば、貴様が正義だ」


 そうか、と、呆然としてしまった。


 答えるのに、数秒を要してしまった。


 そういう答えの出し方もあるのか、と、感動さえした。


「ありがとう。そうさせてもらうよ」


 それで、トラックに轢かれて以降行方不明だった、僕の中の信じるものが取り戻せるのなら、乗らないわけにはいかない。


 僕は、ユリアと睨み合った。

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