ブロークン・プロジェクト
「今回のプロジェクトは、極めて単純な、力仕事みたいな部類に入る」
バスケ部が活動している体育館の裏手にて、僕は解説を始めた。
「まず、五条三年生がフラれたばかりだという事。心にはまだ恋心が残っているから、それの方向性をいじってやるだけで簡単に靡く」
「恋心ってそんな簡単に靡くの?」
そう聞いたのは雛子だ。
「靡くよ。失恋で傷心中の人は前に付き合っていた人の温もりとかが忘れられず、けれど温もりを感じる事が出来ない状態にあるから、酷く温もりに飢えているんだ」
失恋中の人は落としやすい、とは、恋愛業界では常識中の常識である。といっても、常識的過ぎて最近では失恋中の異性を慰めようと近付くだけで「こいつあいつの事狙ってんじゃね?」と思われるまであるため、乱用は危険である。
「子供におやつを与えると、おやつばかり求めるようになるのと似た原理だな」
見当違いとも正解とも言えない解釈をユリアがしていたけれど、僕はそれをどうともしなかった。このペースでは、部活動が終わるまでに今回のプロジェクトの説明を終わらせられないからだ。
「ともかく、五条三年生については、多少でも信用のある人から慰められれば簡単に靡く状態にある」
問題があるとしたら稲川のほうだ、と、僕は人差し指を立てた。
「稲川は最初から五条三年生を落とす気で居る。けれど、智樹から聞いた話では稲川はけっこう露骨にがっついているらしい。傷心中の人を癒すのには適度である必要がある」
あまりがっつき過ぎると良くないのだ。エロスの矢を使って二人を両想いにする事は簡単だが、しかし稲川にも五条三年生にも『別れたばかり』という対面上の問題がある。体裁的な問題として、いきなり『ラブラブいちゃいちゃにっこり幸せ』するのは、友達を失う恐れがあるのだ。
「ならどうするんだ」
とユリアが問う。
「心を削るのさ。鉛の矢を使ってね」
「成る程な。やはりそれも出てくるか」
ユリアは合点が行ったようだ。
「鉛の矢って?」
雛子が聞くと、説明したのはユリアだった。
「エロスの矢には二種類ある。ひとつは黄金の矢。これには、刺された相手に恋愛感情を抱かせる力がある。そして鉛の矢は反対で、嫌悪感を抱かせる力があるんだ」
やはり流石のユリア。博識だ。続きは僕が語った。
「鉛の矢を使って黄金の矢と同じ手順を踏めば、神に認められた犬猿の仲となって、一生互いを嫌悪しあう事になるんだよ。といっても、僕はそういう使い方をした事はないのだけれど」
「なら、祭吏っちはそれをどういう使い方してたの?」
「相手の心の一部を切り取って煙に戻る前に鉛の矢デルタを打ち込むと、その煙は主の元へは帰らず霧散して消えるんだ。つまり、感情が小さくなるってこと」
そこまで説明すると、雛子は納得したらしい。「今回にぴったしだね! さすが祭吏っち!」と大袈裟に感激していた。
体育館の中で「集合!」という声がした。どうやら、もうすぐ部活動が終わるらしい。
「作戦はこうだよ」
部員達が着替え終わって出てこないうちに説明しようと、僕は早口に言った。
「バスケ部員達は五条三年生の傷心を酷く気にかけている。だから必ず、誰かしらが五条三年生の近くから離れないだろう。そしてバスケ部員の多くは、稲川が五条三年生を狙っている事を察し、警戒している。そのせいで稲川と五条三年生が二人っきりになるのは不可能という事になる。これが一番の問題だ」
二人は何も言わずに僕の話を聞いている。
「そこで僕は、周りのバスケ部員達が居ても構わず絵画世界を展開する。稲川と五条三年生を僕が相手取るから、確実に邪魔してくるであろバスケ部員達を二人が足止めして欲しい」
バスケ部員達は必ず、五条三年生のために妨害してくるだろう。絵画世界の怪物は理性も知性も基本的にはなく本能の化身もとい獣のようにしか動けないけれど、つまりは本能に忠実という事だ。五条三年生の失恋を本気で憂いている生徒は邪魔してくるだろう。
「邪魔してくる連中を引き付けて逃げて欲しい。ちゃんと、安全は考慮してね」
「解ったよっ」と気合を入れる雛子。
「……見極めるためだ、仕方ない」と、何かを言い聞かせるようにして頷くユリア。
「じゃあ、任せたよ」
そして待ち構える。体育館の入り口で、じっくりと。
数分後にバスケ部員達がぞろぞろと出てきた。マネージャーである稲川の姿を確認。一番後ろで、隣の部員と談笑している五条三年生も見つけた。
「我が崇拝せし神話絵画『ジェラール・フランソワ』発動。世界に二人の愛の加護を」
時間が止まる。大勢の部員達が歩いている姿勢のまま硬直した。
色が反転する。校庭に生えていた木の幹は茶色からダークブルーへ。緑の葉は赤紫へ。
「懐刀を形成。これより、エロス&プシュケ・プロジェクトを施行する」
右手に短刀。左手に弓が出現する。隣のユリアは十字槍。雛子は魔法ステッキを構える。
怪人達が出現した。
「ユリア!」
体育館から離れるように左側へ走りながら、指示を出すわけではなく名前を呼ぶと、ユリアは先日と同様に槍を振りかざし、そして柄から幾本もの蔓といくつもの花を飛ばした。
二十体以上は居る怪物達がユリアのほうを見る。そして、ユリアと雛子が居るほうへ移動を開始した。僕は短刀を弓に装填し、五条三年生の心を探した。そして見つける。
全長はおおよそ二メートル。暗いモスグリーンの狼。それが五条の背中から出現していた。苔のような色は悲しみというよりも儚さと、そして気だるさを示しているように感じた。狼の形をしているのは、何かに飢えているからだろう。おそらくは愛に飢えているのだ。
弓に装填していた短刀をその狼へ放つ。狼の横腹に突き刺さったそれは、狼から小さなうめき声を上げさせた。そして、狼は必然的にこちらに気付く。怪物の群れから外れた狼が僕のほうへ向かってきた。僕も狼へ向かって駆けると、その距離はすぐさま無くなる。
狼が牙を剥いてきた。僕は前へ転がるように飛んで、攻撃を回避すると同時に狼の腹の下へ入り込む。穴を掘るような仕草の、後ろ足での攻撃が跳んでくる。おもいっきり横へ飛んでそれを避けながら、狼の横腹に突き刺さっていた短刀を引き抜いた。
何回か地面を転がってから受身を取り、すぐさま後ろへ飛んで狼との距離を取る。横目に見ると、調度、ユリア達が大群の先頭と戦闘を開始していた。いや、駄洒落ではなく。
その最後尾付近に稲川の心があるはずだ。短刀を弓に装填しながら探した。心の怪物達はある程度主から離れると、管のような物を伸ばして主と繋がっている。その管を攻撃しても透けてしまうが、管を辿れば、それが誰の心かすぐに解るようになっているのだ。
見つけた。
だが。
「…………は?」
思わず呆けてしまった。
大きさは人間と同じ。チャコールグレーの、地面を這う人形の影。殆どゾンビだ。
「なんだ……そ」れは。
最後まで言い切る前に、横から何かが迫る気配を感じた。緊急回避で横に飛ぶ。地面に数メートルほど引き摺られてから踏ん張って止まる。迫っていたのは狼の前足だった。鋭い爪の生えた前足だ。だが、目前の狼よりも、稲川の心のほうに気は取られてしまう。
なんだあれは。
あれが恋愛を軸にした心か? あんなに禍々しいものが? あんなにグロテスクなものが?
短刀を弓に装填し直しながら、狼から離れるように、そして人形の影へ近付くように走る。後ろから狼が迫っている。影はこちらに気付いていない。だが、あまり近付き過ぎては他の心にも気付かれてしまう。そうなっては、ユリアや雛子が引き付けてくれている意味が無くなる。
ある程度近付くと、おもいっきりブレーキをかけてスピードを落としながら短刀を弓から放った。
唸るような悲鳴を影が上げる。瞬間に僕は横へジャンプした。僕がさっきまで立っていた場所で後ろから迫っていた狼が空を噛む。
僕が使える武器は黄金の矢と鉛の矢と懐刀の短刀の三種類だけだ。黄金の矢と鉛の矢は特殊効果があるため乱発するわけにはいかない。戦闘は基本的に短刀しか使用出来ないという事だ。
影がこちらを向いた。あの影がこっちへ来て、そして刺さっている短刀を回収するまで、僕は攻撃出来ないのである。
だが。
こっちへ来るな。
そう思ってしまった。
影は笑っていた。嗜虐的に微笑んでいた。何かを嘲っていた。それが恐ろしかった。
こんな感覚は初めてだ。なにをして、どうすればそんなえぐい恋愛感情を抱ける? 何をもってすればそんな破滅的は心を築けるんだ?
這うようにこちらへ向かってくるその影に、背筋が凍った。それが隙となる。
何かが潰れる音がした。同時に、腕に強烈な痛みが走る。狼の攻撃を喰らったのだと気付いたのは吹き飛ばされて、そしてダークブルーの地面に叩き付けられてからだった。
「がはっ!」
木下の心ほどの攻撃力では無い。だが、隙が生じていた事もあり、ダメージは大きかった。
急ぎ立ち上がる。
噛み付こうとして大口を開けた狼の追撃が迫る。どう回避するか判断するため一瞬だけ後ろを見て、影がどこまで近付いているか確認した。
眼の前だった。
嗜虐的な笑みを浮かべたダークグレーの化け物は、泥に塗れたようにささくれだった手で僕を掴もうと両手を伸ばして飛び掛っている。
「っ!」
喉が鳴った。横へ倒れこむようにして、実質蹲っただけのような形で双方の攻撃を避けた僕は、さらに驚愕した。
狼が、影の腕を食いちぎった。
影が、狼の片目を潰した。
双方が同時に悲鳴を上げた。
僕はガタガタと震える自分の足を叩き、飛ぶように駆け出しながら影から短刀を引き抜く。
心が心を攻撃するというのも、何年も戦っておきながら僕は初めて見た。なんだかんだで今までのカップル候補達は、なんらかの形で互いを思っていたため、もしくは互いを思わせるように、僕が現実世界にて策を敷いたために、心は互いを傷付けないようにしていた。互いを傷付けないように僕と戦っていた。
だというのに、狼も影も、互いの事など気にも留めず攻撃し、そして相殺しあった。そして今も、その事に対してなんのアクションも起こさず、僕のほうを睨んでいた。
「弁明、出来ないな」
呆然と呟く。自分の失態に、失敗に気付いてしまったのだ。
「間違えていたんだ、前提が」
今回は、先急ぎ過ぎたのだ。
五条三年生がどれだけ傷付いているかも考えず修正可能だと決め付け、稲川がただの恋愛好きなのだと決め付けた。だがその実、五条は修正困難なまでに深く傷付いていた。稲川は恋愛好きなのではなく、男と恋愛をする事が好きなのではなく、男の事なんて何も考えておらず、ただひたすらに自分の欲求を満たそうとしていただけの、雛子が言う通りの女だったのだ。
『ひゃは……ひひゃひゃ』
甲高く、影は笑う。不気味な笑みを浮かべる。
僕は立ちすくんだ。身体に力が湧かない。代わりに、今まで感じた事の無い感情が湧き上がって競りあがって、喉を通して吐き気になった。
言い訳ならば山ほどある。ユリアと雛子が入って環境が変わってしまったために冷静さを欠いたのだとか、二人をプロジェクトから手を引かせるために急がないといけなかったとか、ユリアがいちいち突っかかってくるから焦っていたとか、そういう言い訳だ。でも、言い訳には意味が無い。過ぎた事だから言い訳したくなるのだ。後悔したって後の祭。
僕が間違えた。その事実だけが、今、ここにあるのだ。その事実が、この現状を作り上げた。
信じていたのだ。稲川は噂では嫌な人間だけれど、根っからの悪人なんて居ないと信じていた。だから五条三年生の相手に、稲川が調度良いと思っていた。
その勝手な信頼が、一番の間違いだった。
狼が爪を立てて殴りかかってくる。僕は横に身体を逸らして避けた――だけのつもりだったのに、身体を傾け過ぎて横転してしまった。
そこに、影が這いよって来る。気色悪い手をこちらへ伸ばしてくる。
「…………!」
溢れていた感情が、瞬間に爆発した。
短刀で伸ばされていた手の甲を突き刺す。そのまま抉るようにして、地面に串刺しにした。立ち上がりながら、短刀の柄を踏みつける。短刀はさらに深く地面に食い込む。影の化け物が悲鳴を上げた。
「……寝てろ」
どうせもう片方の腕は狼に食いちぎられて無くなっている。引き抜く事は出来ない。こいつはもうただの的だ。
狼の次の攻撃が横から迫っている。
反対側へ飛んで回避した。
「鉛の矢、アルファ装填」
右手に現れる、生々しい茨のようなシルエットの鉛の矢。対となる人を嫌悪するようになる矢。それを構え、そのまま待った。
狼が、大口を開けて僕を噛み付こうと飛び掛ってきた。その口の中へ鉛の矢をぶち込んだ。
狼は唸り声を上げ、痛みに暴れ回りながら後退する。
そして。
「黄金の矢ベータ、装填」
現れたのは鉛ではなく、いつも僕が使っている黄金の矢ベータだ。人に好意を抱かせるものである。
「楽しかったの?」
影を睨む。
影は笑っていた。痛みに上げる悲鳴と共に冷めた嘲笑を浮かべていた。
「六人だっけ? それだけの男を弄んで、楽しかったの?」
黄金の矢を構える。
僕には解らない。相手の事を一切考えないで、自分の事だけを考えて、それこそ交際相手なんて自分を満たすためだけの道具に過ぎないとでも言うようなその心の有様が、僕には理解出来ない。
「愛に苦しむっていうのがどういう事か教えてやる」
そして、至近距離からその矢を影に突き刺した。
溢れ出るダークグレーの煙。それは、既に飛散していたモスグリーンの煙と混じって、不安定な楕円形へと姿を変える。
「鉛の矢デルタ、装填」
影から離れて、狼も未だ苦痛に悶えている事も確認して、二人の心の集合体へと矢を向ける。
鉛の矢の力で、五条三年生は稲川を嫌悪するようになる。絶対に交際なんてしないし、それどころかなんとしてでも突き放すだろう。しかし稲川は、黄金の矢の力で五条三年生を好きになる。近付きたいと想うようになる。けれどそれは絶対に叶わない恋だ。太陽が月から逃げているように、どこまで追いかけたところで成就しえない恋だ。これは、エロスの矢の製作者、エロスがアポロンとダフネという神に対し、実際に使ったことのある手法だ。
「恋愛を汚すな、馬鹿女」
そして、薄気味悪い色のマーブルだった楕円を、鉛の矢が貫いた。
絶叫。
モスグリーンの狼も、チャコールグレーの影も、この世の終わりを迎えたかのように叫び回る。モスグリーンの狼も抵抗しているという事は、稲川に好意を抱き始めていたという事かもしれない。それこそ稲川の魔性の手に乗っかって、掌で踊らされる寸前だったのかもしれない。
それももう終わる。
楕円と、狼と影は、主の元へと帰っていった。
真実の愛で世界を満たす事がこのエロス&プシュケ・プロジェクトの力だというのなら、偽りの愛を排除する事もまた、ひとつのミッションだ。
だから、ミッション・コンプリート。そう言えるだろう。
あとは、バスケ部員達を引き付けて戦ってくれているユリアや雛子と合流して、安全なところまで逃げて、元の世界へ帰れば終了だ。
今日はもう疲れた。酷くくたびれた。早く帰って、休みたい。地面に刺さっていた短刀を引き抜き、足を踏み出す。が、その足は震えていた。
「……なにやってんだろ」
不意に、そんな言葉が口から漏れた。
中学までは、ほんのこの間までは、回りが皆子供だったから、なんだかんだで純粋だった。けれどいつか、本当にいつか、大人になって、こういう汚い恋愛事情が絡んでくる事は解っていたはずだった。覚悟していたはずだった。
そのために、中学の時のように行き当たりばったりで施行していても間に合っていたこのプロジェクトの効率化なんかを計っていたのだ。こういう事があって身動きが取りにくくなっても平気なように、そうしたはずだ。
解っていたはずだった。
覚悟していたはずだった。
だが今は、悲嘆している場合では無い。それを思い出す。早くユリアと雛子を安全にしてあげなければ。
僕は走る。心の群衆へ向かって。ユリアと雛子へ向かって。




