城下に溶け込む狩人の娘。
目を覚ましたアースノアは肺一杯に空気を吸い込むとベッドから飛び起きた。今日の予定はもう決まっている。家具の裏に隠した自分の弓と矢筒を取り出して、服装は安値な物に着替え、短剣を腰に穿く。上着のフードを深々と被って、書き置きを残す。
「黒の道化師。来て。」
名を呼べば、背後の椅子にいつの間にか人外が座っていた。にんまりと口角を引き、言葉を待つ。今までこの道化師が一定の調子を乱すことは無かった。
「またショボい小遣い稼ぎに行くんだな」
何故か日本にいた事を見ても、この道化は移動能力に特化している。弓を使えるようになった頃、城を抜け出す方法を思い付いた。
「ショボいとか言うな。」
世の大部分の人間はその慎ましやかな賃金で生きているのに人間性の無い道化師め。脚を組んだ人外が返事の代わりに喉を鳴らし、第三王女の視界は唐突に民家と民家の間の路地裏に変化する。
ここは既に城下町の一角で、商店街を抜けて大門に向かう革靴が地面を踏む。フードを被っていなかろうが誰も気付きそうにない。誰も私を知らない。
馬を借り、近隣の森で仕留めた鹿や小型の魔物を背に乗せて城下町に戻る頃には夕暮れが空に広がっていた。雨雲が出始めた空に明日は雨の予感を抱く。
「やあ、お嬢さん。久しぶり」
「今晩は。もう店じまいですか?」
「いや、まだ構わないよ」
口髭を蓄えた顔見知りの店主は渡した肉を計りに乗せ、グラム数を紙に書いた。
肉屋で鹿肉を売り、魔物の毛皮は鍛冶屋で売って、城門へ向かう。跳ね回る動物を追い、森を駆け回ったのでもうクタクタ。動く標的は中々に射づらく、最初の半年は何も取れない猟が続いたのはいい思いではある。大体八千円。小さな袋に儲けを入れた。
「お入り下さい。」
衛兵の男性が少し呆れた様子で私を招いた。乳母から連絡でも伝わったのか、毎度の事ながらすんなり帰れた。前に新兵に止められて城内に入るのに二時間もかかった事がある。
「程々にしろと伝えたよな。アースノア?」
城の中央部の大広間で、豪奢なソファーを横切った時、真横から腕を掴まれた。太陽のような金色の短髪の美丈夫が妻を伴って其処に座っていた。大国の第一王女シシリア様は今日も生ける翡翠と唄われる髪を結い、宝石のような美貌を晒しており、目に眩しい。
「クルス兄様。シシリア様」
「ほら、行くぞ」
「シシリーとお呼び下さいませと申したでしょう?晩餐が整っていましてよ」
外向性溢れる似た者夫婦は半ば私を引きずるようにして晩餐が整えられた離宮に連れ添う。まず室内に踏み入ると同時にギロリと刃物のような視線を投げつけてきた赤毛の兄の姿が目に映る。
「戻ったか」
「御父様」
今しがた訪れた父王が通り抜け様に第三王女に声をかけ、長男の嫁に案内された席に腰を下ろした事で各自席に付き、晩餐は始まった。
まさか、この段階ではこの後自分の運命を左右し兼ねない口論が発生するとは思っても見なかった。