vs三間坂 八代 (2)
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ドサリ、と机の上に投げ落としたビニール袋を見て、その重さ同様に自分の精神も酷く落ち込むのを感じた。 いや、重量じたいはたいした事は無いのだが、問題なのはその中身だ。本当にコレで何かが撮影できるのかと思えるほど小さいレンズに、無機質であじけない黒いケーブルが数本。何かの基盤なのか、やたら平べったい電子機器やら、果てはハンディサイズのビデオカメラまで。
けっして安いモノではないだろうその数々のアイテムは、夕べ徹夜で俺が家捜しした成果だった。
まったく、よくもまぁコレだけの量を家主に知られずに取り付けたものだ。想像するだけで鳥肌が立つ。入手経路も気にはなるが、主に使用された際のその用途に寒気が走った。
「やぁやぁ、おはよう諏訪くん」
能天気に声をかけてくるアビ子が近づいてくるが、今の俺にはとてもじゃないがそのテンションに付き合える気力はない。視線だけ返すのがやっとだった。
「朝から随分とお疲れな感じだねぇ。 ん?なんだいその物騒なアイテムの数々は。諏訪くんもとうとうソッチ側に逝っちゃったのかな?」
「ソッチにもアッチにも逝ってねぇよ。いや、行ってねぇよ。こりゃアレだ。俺の家に仕掛けられてたんだよ」
不機嫌の権化と化す俺を見て、要領を得ないといった感じのアビ子が首を傾げる。
「え~っと、うん。ごめん分かんない」
「だから、このカメラやら盗聴器やらは、つい昨日まで俺のプライバシーを包み隠さず二十四時間監視してたってことだ」
そう。昨日、三間坂 八代との衝撃的というには表現が甘すぎる出会いを経て、自分の置かれている危機的状況を知った俺は、年末でもないというのに自宅の大掃除を無理やり敢行するハメになった。
そりゃもう、天井の裏からコンセントカバーの裏まで隅々と。一つ発見する度に小さく悲鳴を上げ、最後の方には「むしろ見られるのも悪くないんじゃないか?」なんて新しい扉を開きかけるくらいの大仕事だった。おもわず最高にハイってやつだぁ!と頭に指をつきさしかけたからな。
「ぁ、アハハ、昨日の結局どうなったのか聴こうかと思ったんだけど……止めた方がよさそうだね」
「そうだな。今はそっとしといてくれると助かる」
お大事に、とそれだけ言って去っていくアビ子を横目に、俺は疲労と眠気で鉛のように重い頭を机の上に投げるように突っ伏したのだった。
******
ああ、気が重い。爆睡したままの一限目が終わってすぐ、ちゃっちゃと用件を済まそうとビニール袋に詰め込んだカメラやらを返すため、俺は隣の教室まで脚を伸ばしていた。いっそその辺に捨ててもよかったのだが、流石に値段が値段だろうと思い留まった。自分の善良な心が憎い。
2-Cと書かれた表札が突き出す教室の前。休み時間の喧騒が漏れ聞こえる扉を開け、目当ての人物を探せば、それはすぐに見つかった。アレだけ目立つ容姿をしていれば当然とも思えるのだが、何と言うか、その意外な光景を前にして俺は思わず教室内に踏み込むのをたじろんでしまう。
教室のやや奥まった場所。クラスメートの女子達に囲まれ、楽しそうに談笑する三間坂 八代がそこに居た。その様はなんとも華やかであり、高校生活楽しんでますっていう空気が無差別に垂れ流されている。属性的に闇に属する可能性が高い俺が、もしあの場に近づこうものなら一瞬で灰になる自信があった。というかあの中に入って声をかけるなんて無理だ。 なに?なんなの?なんで輝いて見えんの?俺の罪はそんなに重いの?
作戦変更だ。俺は近くにいた男子生徒に声をかける。
「なぁ」
「あ、ひぇ!? す、諏訪君!?な、なんですか?」
「悪いんだけど、コレ、三間坂に渡しといてくんない」
そう言って、ビニール袋を名も知らぬ男子生徒に手渡すと、俺はそそくさと自分の教室へと戻るため踵を返した。
道すがら、先程の八代の様子を思い返す。仲良さそうにクラスの連中と笑いあうアイツの姿は、十分に楽しそうだった。なんなら、あれこそが理想の高校生活だろって感じの場面。いったいソレ以上の何を求めるのか。考えるだけ無駄か。
「お、無事に愛しの彼女とは会えたかい?」
自分の教室に戻って早々、アビ子がひやかしにやって来る。
「別に彼女じゃねぇし、ニュアンス的に言えば、敵って感じだけどな」
昨日の放課後の経緯をまだアビ子に話していなかったせいもあり、明後日な方向に勘違いをしているらしい。話すのが面倒というか、話たくないというか、自分の恥部を曝け出すようでどうにも口が重くなるのだ。
「またまたぁ。ラブレター貰って、次の日には教室にまで通っちゃう仲になってんじゃん」
二ヒヒ、と勘ぐるような目線を向けてくるアビ子に対し、俺の態度は万年雪の氷壁並みに冷たい。いや、コイツがそう勘違いするのも無理はないのだろうが、相手が相手だけに全然うれしくない。というか、あの文面を一緒に見ていてまだラブレターの言い張るのかコイツは。眼球に乙女フィルターかかりすぎて失明してるんじゃなかろうか?
「つぅか、何なのアイツ。なんだってあんなリア充全開みたいな女が俺に近づいてくんだよ」
さっきの場面を目にしてから、どうにもその疑問が俺の頭に付き纏う。そもそも、本当にアレは三間坂 八代だったのだろうか?昨日の放課後に俺が会った八代は、非常識の皮を被った大災害って感じで、イメージが噛み合わないのだ。
「さぁ? アタシはただ、諏訪くんに手紙を渡してくれって言われただけだしねぇ。むしろ驚いたのはアタシの方なんだけどね。あの三間坂さんが、なんだって諏訪くんなんかに手紙なんか出すんだって」
「なんかってなんだよ。 つぅかなに?アイツって有名だったりすんの?」
「あの三間坂さん」という言葉を聞き、そんな疑問がつい口から漏れる。
「うん。そりゃあんだけ美人でスタイル抜群なわけじゃん? おまけに性格も良いし、この学校じゃ知らない人の方が少ないよ」
「その情報には重大な誤りがあるな。性格は最悪だし、おまけに頭のネジが全部ぶっ飛んでるって付け加えとけ」
見た目が良いのは認めるが、その他の要素については到底納得できない。性格が良い? 冗談にしては笑えなさすぎる。聞きたい事は聞いたので、俺はアビ子との会話を切り上げ、ふたたび睡眠をとろうと寝に入る。
アビ子の「いきなり寝るなよ!」という文句を聞き流し、徹夜で重い瞼を閉じれば睡魔はすぐにやってきた。
******
授業を受けた記憶がまったく無いにも関わらず、目が覚めると時間は昼休みになっていた。空きっ腹がぎゅるりと一鳴きし、人はどれだけ心に傷を負っても腹は減るのだとニヒルに笑ってもみたが、虚しかった。
いい加減気分を変えようと机の横に引っ掛けていた鞄に手を伸ばす。登校途中に購入していた昼飯を取り出し、ワイワイと昼食に勤しむクラスメート達の脇を抜ける。
弁当の匂いが漂う教室を出て廊下へ、目指すは資料室というのは名ばかりの無人の倉庫だ。本校舎の隣に併設された実習棟の一室。渡り廊下を挟むため距離的には不便ではあるが、人も少なく静かなので昼休みはだいたいここで過ごす。多少埃っぽいのが気にはなるが、慣れれば快適な場所だった。
持参した紙袋をガサガサと開き、昼食を取り出す。芳沢ベーカリーのおみくじサンドイッチと、紙パックのカフェオレ。俺の鉄板メニューである。
芳沢ベーカリーのサンドイッチは、その名の通り日替わりでその中身の具材が変わるというちょっと変わった品なのだが、わりと好き嫌いの多い俺でもいまだにハズレを引いた事がない。
「おお! 今日はスモークチキンじゃねか。またまた当たりだな」
ビニールの包装紙をピリピリと剥がし、中身を確認するこのドキドキ感も、このサンドイッチならではの楽しみ方といえるだろう。
まったく、粋なものを作りやがるぜ。沈んだ気持ちも晴れるってもんだ。
「ほう。スモークチキンか、私も嫌いじゃないぞ」
カフェオレの紙パックにストローを突き刺した直後、突然背後から聞きたくない声が聞こえた。晴れかけた気分が途端に暴風吹き荒れる雷雨に変わる。ちなみに資料室の扉が開いた音は聞こえていない。
「まったく。せっかく一緒に昼食をとろうとお前の教室までわざわざ迎えに行ったというのに。 私を置いて、そのうえ先に食事を始めるとはな。それでもお前は私の友達か?」
やや拗ねたような顔を作り、声の主は俺の背後から、正面へと移動する。さもそれが当然であるかの様に。
「――なんでこの場所が分かった?」
それだけをひり出すのがやっとだった。安息の聖域に突如あらわれた闖入者は、ガガッと音をたてパイプ椅子にその腰を降ろす。
「愚問だな。言わなかったか? 私はお前のストーカーをしていたと。ことさら、この学内に関してのお前の行動範囲の全ては、既に把握している」
二ヤリと擬音が聴こえそうな笑みで、俺と向かい合わせに座る闖入者。三間坂 八代は答えた。
今朝方、こいつの教室で見たあの爽やかな笑顔とは似ても似つかないその笑みに、またしても俺の容量の少ない脳みそは混乱しかける。いったいどっちがコイツの本当の顔なのだろうか。
「ん?どうした?そんな死にかけの疫病犬みたいな顔をして」
「例えがひどすぎんだろ!つぅか、荷物はちゃんと受け取ったのか?」
手渡ししたわけではないので、一応確認してみる。値段を考えれば、貴重品の部類に入るだろうし、何より無くなったなんて事になれば気分が悪い。
「ああ、ちゃんと受け取ったぞ。 いや、それより、わざわざ届けてくれたのなら、私に直接渡してくれれば良かったじゃないか」
「嫌だよ。知り合いと思われたくないだろ」
八代が「なぁぁぁぁ!?」と奇声を上げるが、本心なのだから仕方がない。 いや、確かに照れもあったのだが、やっぱりあんな雰囲気の中に入る度胸は俺にはないのだ。いや本当マジ無理。
余程ショックを受けたのか、八代は不機嫌そうに肩肘をつきながら、俺にジト目を送ってく。非常にうざったいが、黙ってるぶん静かなので俺は昼食を再開しようと、カフェオレで喉を潤した。
「それで、何か面白いことはやってきたか?」
不機嫌オーラをこれ見よがしに垂れ流しながら、八代がそんなことを言う。
「こねぇよ。嫌なことなら今、目の前に現在進行形で来てるけどな」
そもそも友達とやらになったのが昨日である。俺はそんな毎日波乱万丈な人生は送っていないし、望んでもいない。
「おいおい、約束が違うぞ! これではお前と友達になればハチャメチャな毎日が送れるという私の希望的観測はどうすればいいんだ!?」
「知るかっ!勝手にそんな希望的観測を打ち立ててんじゃねぇ!」
まったく勝手な話だ。政府は何故こんな危険な変態を野放しにしているのか。早急に対策会議を開き、どっかの孤島にでも幽閉すべきだろ。もっと危機感を持てといいたい。
「違うぞ秋葉。お前はどうしてそんなに無自覚なのだ?せっかく私が、わざわざお前の才能を教えてやったというのに。もっと視野を広げろ。世界は面白いことで満ちているんだ。そしてソレを漏らさず掬い取るのがお前の仕事なんだ。 ――ん、このサンドイッチ美味いな。粒マスタードが良い味を出してる」
鼻息荒く偉そうな講釈を垂れながら、俺のサンドイッチを何の躊躇もなく食う八代。俺のサンドイッチを。
「あの、八代さん。何してんの?」
いつのまにか八代の右手に握られている食いかけのサンドイッチを指差す。
「見て分からないか?昼食をとっている」
「そうじゃねぇよ!そういうことじゃ無ぇんだよ!それは俺のだろうが!」
一パック三個のサンドイッチは、量的には必ずしも多くは無い。普段俺は小食とはいえ、そのうちの一つが無くなれば、午後からの授業を空腹のまま過ごすハメになる。
憤慨する俺を見て、「やれやれ」とでも言いたげに、八代は足元からガサリと袋を取り出した。
「私の昼食だ。仕方ないから特別に、お前にも分けてやろう。何が良い?私のお勧めはサラダ味だが」
八代が取り出した袋には、ゴッソリと色取り取りの包装紙に包まれた棒状の駄菓子が詰まっていた。一本十円というリーズナブルな値段で、パッケージには国民的人気アニメの某猫型ロボットに類似したキャラクターが印刷されたアレである。五百円分はありそうだった。
「お前、もしかしてそれ全部お菓子か?」
「ああ。うまい棒だ。私の昼食はうまい棒で始まり、うまい棒で終わる」
「いや、俺のサンドイッチ食ってんじゃん」
「五月蝿い! あんまり美味そうだったからちょっとつまみ食いしただけだ! いいからさっさと好きなのを選べ!」
「いらねぇよ。んなもん腹に貯まるか。育ち盛り舐めんな」
別に嫌いじゃないが、さすがにメシとして駄菓子を喰う気はない。というかコイツ、栄養バランスとかどうなってんだ?その巨乳は駄菓子では維持できんだろう!!知らんけども。
残り二個となったサンドイッチに齧り付き、騒がしい昼食を再開する。普段は一人で済ますせいか、どうも他人が近くにいるのが落ち着かない。マジ消えてくんねぇかな。
「それじゃ~アタシが代わりに、そのめんたいこ味を貰おうかな」
唐突にそんな声が耳に入り、どこからともなく現われたアビ子が、机の上に並べられたうまい棒の一本を取った。どうして俺の知り合いの女子は、みんなこう突然現われるんだ。
「む、日野山か。仕方ない。お前には例の件で世話になったからな。そのめんたいこ味はその礼として譲渡しよう」
アビ子がいきなり現われたことに、微塵も驚く素振りを見せない八代。何だろう?音も無く現われる事は当たり前の事なんだろうか?俺がおかしいのか?
「いやぁ、カップルで仲良くゴハンしてるとこ悪いねぇ。あと、アタシを呼ぶ時はアビ子でいいよ。みんなそう呼んでるし」
「うん。了解した。私のことも八代でかまわない」
「オッケェ~」
のほほんとそんなやり取りを交わす二人を見て、俺は思う。もう何を願っても無駄なんだろうなと。
そもそも、何気にこの二人の組み合わせは、俺的には最悪の組み合わせな気がする。登場から嫌な予感しかしないし、終わりにかけてまでやっぱり嫌な事で終わるという共通点が酷似しているからだ。なぜ神はこの二人を引き合わせてしまったのか。俺は精一杯の恨みの念を天上におわす神に送るため、小汚い資料室の天上を睨んだ。
「ん~、久々に食べる駄菓子ってのもなかなか良いねぇ」
うまい棒をシャクシャク食いながら、人懐っこい笑顔を浮かべるアビ子。この笑顔にみんな騙されるんだ。こいつはそんな爽やかキャラじゃないんだぜ?どっちかと言えば腹黒い黒幕キャラだ。推理モノで言えば登場人物を皆殺しにして、そして誰もいなくなったとかモノローグを呟くキャラだ。
「ん? 諏訪くん、なんか今、アタシにとって、めちゃくちゃ失礼なモノローグいれなかった?」
「いや、気のせいだろ。あとモノローグとかメタな発言やめてくんない?ほら、世界観とかあるじゃん」
ほらな?コイツはこういう、へたすりゃ世界が崩壊しかねない危険なことをサラリとやりやがる。まったく気が進まない。おまけに今は、常にハチャメチャを待ち望む三間坂さん家の八代さんも同席している最悪の状況だ。
それでも。それでも俺はこう言うしかないんだろう。そうしないと話が進まないからな。
「それで、なんでお前までここに来たんだアビ子」
「ん、実は諏訪くんにアルバイトのお話を持ってきました!喜べ~!」
「おお!さっそく来たな秋葉っ!ワクワクな予感が!」
わいわいと騒ぐ二人の女子を見やり、俺は深い嘆息をついた。どうやら、今回も嫌な予感は的中しそうだ。残りのサンドイッチを口に放り込むと、ピリリと粒マスタードが俺の舌を刺激した。




