vs三間坂 八代
0
諏訪 秋葉という人物を語るにおいて、避けては通れない、いくつかの項目が存在する。
それは例えば、人生に置いての矜持だったり、人格を決定付けたであろう様々な記憶や過去の出来事だったり、複雑な人間関係だったり――まぁ色々ある。
そんな、誰にでも共通する個人としての概略みたいなものの中で、ひときわ異彩を放つ説明文。カテゴリーとしては友人関係に当たる項目。油性マジックで塗り潰したいどころか、バケツ一杯の墨汁をブチ撒けてでも消し去りたい名前がその中に存在する。
とはいえ、この名前――諏訪 秋葉。すなわち、俺という人物を語る上ではどうにも外せないらしく、また、残念なことに説明ツールとしては一番優秀な項目なのだ。
馬鹿で天才。美人で変態。ドリーマーなリアリスト。まるでカオスの塊であるその人物の名前は……。
――それでは、ゆっくりと語らせてもらおう。
まぁ、コーラでも飲みながら、気楽に聞いてくれると助かる。なんなら聞き流してくれてもかまわない。
コレはそんな感じのスタンスで聞いてもらうのが一番なんだから。
1
「わたしと友達になろう」
こともなげに、まるでそうするのが当たり前のように、三間坂 八代はそう言った。
一瞬、幻聴でも聞こえたのかと自分の鼓膜を疑うと同時に、俺はこの『オトモダチ』という単語を脳内で検索にかけるのだが、基本的に出来の悪い脳みそなせいか、出てきた結果はそう多くはなかった。
一番近い所で言えば、オトコダチだろうか?「私が野党で君が任侠だ!そぉれ、全身ナマス斬りにしてやる!」「……まだ、やるかい?」と、ぶしつけに自分が切り刻まれろところを想像してみたが、何だこれ。恐ろしすぎる。
もちろん、目の前に立つ女子生徒が放った言葉にはそんな意味も無いだろうし、差し出された右手の中に銃刀法に引っかかる様な物騒なブツが握られてるなんて事もなかった。なら、これは俺の鼓膜が正しく機能しているのであり、さっきの言葉はそのままの「オトモダチ」という意味で間違いない事になる。この差し出された右手はアレだ、万国共通の友好の証。握手というやつなのだろう
「嫌だ。断る」
あまりにも突然な申し出に面食らいつつも、数秒にも満たない間に俺はそう返答した。俺の口から出たその言葉と、握手に応じる気すら無いとポケットに突っ込んだままの両の手と相まって、断固とした拒絶の壁を作りあげる。
「ふむ……何故だ?」
心底不思議だと言わんばかりに八代が疑問の顔で問いかけてくるが、こちらとしては当然の拒絶だった。別に女の子の手を握るのが恥ずかしいからだとかいう思春期特有のシャイなあんちくしょうでもなければ、俺が特殊な宗教の熱心な信者で、その戒律により女性との身体的接触はタブーである。――とかいう理由では断じてない。
あえて理由をつけるとするなら、今のところ俺は、友達を作るつもりはまったく無いのだ。作らないと決めていると言ってもいい。そして、その理由をわざわざ話す気もなかった。
「――何だっていいだろうが。話がそれだけなら、もう行くから」
そう言い残し、背を向ける俺に対して、八代はしつこく追いすがってくる。
「ちょっと待て!!こんな美人で可愛い女子生徒が友達になろうと提案しているのだぞ?お前のような年中発情期の男子学生なら、喉から内臓をブチ撒けてでも欲しがるはずだろう!?むしろ私の差し出した手を舐めしゃぶりながら懇願してきてもいいはずだ!!」
「いやいやいや、ブチ撒けねぇし、舐めもしねぇから」
困惑しつつ、そんな事を口走る八代に思わず返事を返してしまう。というか今こいつ、平然と自分を「美人で可愛い」とかぬかしやがったな。あえて否定はしないが、どうなんだそれは?もうちょい謙遜を覚えようぜ。慎み深さを美徳とする日本男児としては一言申させていただきたい。言わないけど。あと俺に女の手を舐めしゃぶるなんて性癖は無い。
そんな事を思ったのが顔に出てしまったのか、八代は突然ニヤリとした笑みを浮かべる。
「成る程……。只ではなびかんという訳か。意外としたたかな奴なんだな。この欲しがり屋さんめ!いいだろう。交換条件といこうじゃないか」
いったい何をどう勘違いしたのか、八代はそう言い、やたらと発育の良い胸を寄せ抱くように腕を組む。こぼれんばかりにポヨンと張り出されるその両胸……否っ!!ここはあえてオッパイと呼ばせてもらおう。そのオッパイを見せ付ける様にゆっくりと歩を進め、俺の正面へと回り込んできた。当然、俺の視線はそのオッパイに釘付けになってしまうわけなのだが、いったい誰がそのことを責められるだろうか?世界中の誰もが俺に非難の声を揚げようが、そんなものは関係ない!俺はオッパイを見る!見るんだっ!!
「――ひとつ言っておくが、わたしは相当にエロい。自分でも割と引くくらいに、『そういう事』にも興味津々だ。なんせこの身体だからな。もて余していると言ってもいい。……そうだな。大人しく私の友達になるというのなら、この胸をお前の好きにしても構わないというのはどうだ?胸だけでは不満なのなら、他にも――どうだ、なかなか魅力的な条件ではないかな?」
「な、なん……だと?」
「意義在りっ!!裁判長!それはもう友達という枠から大分飛び出して、成人指定に片足を突っ込んだ発言であります!!」 「意義を却下します」 「馬鹿なっ!!法はエロスの前では無力だというのかっ!司法は死んだ!」 「言葉を慎みたまえ、下半身には誰も逆らえはしないのだ」 「そんな事はない!俺が正義を証明してみせる」 「何をする気だ、いかん!早まるな!」 「うわぁぁぁぁぁぁ!!」――激しい脳内裁判はこのあと弁護人の暴走により、裁判長(下半身)の撲殺死で幕を閉じた。
「クソっ!なんてエゲツない精神攻撃だ」
「フハハ、さぁ、どうする?なんなら、今ここで少しだけ試してみるか?」
八代は悪魔の囁きを漏らしながら、その形の良い口唇をチロリと一舐めする。ピンク色にぬめった舌が、健康的な色艶をもった唇に潤いを与え、やたら淫猥な光を帯びた。
なにこいつ、エロ過ぎるんですけど。気の早い奴なら、先走りどころか本気汁までだだ漏れしかねないその光景に、俺の理性がマッハで悲鳴をあげる。揉んでしゃぶれと轟き叫ぶっ!!思わず無意識にシャイニングフィンガーばりに輝きを放つ掌をオッパイへと伸ばしかけるが、俺はなけなしの理性で何とか抑え込んだ。確実に脳内の血管が数本は切れた気はしたが、クール&ハードボイルドを信条とする俺である。当然、そんな心情などおくびにも出すわけにはいかない。 しかし……くそっ!マジでデカいぜ!ボーリングくらいできそうだ!
一瞬、八代の胸からむんずと取り出したボーリングおっぱいボールを、これ以上ないほどの綺麗なフォームで投げ、見事にストライクをとった自分を思い浮かべてしまう。もちろんターキーだ。
「は、はぁ?別に俺、そんな胸とかオッパイとかボーリングとか全然興味ねぇし?むしろ邪魔っていうか、無い乳派って言っても過言ではねぇと言っておこう」
俺は嘘をついた。ここは素直に認めよう。だが漢には、せい一杯の虚勢を張ってでも守らなければいけない何かが在るんだ!
「フハハ、この私の誘いを受けて、そこまで強がって見せるとはな。いいぞ、ますます気に入った!やはり私はお前が欲しい。諏訪 秋葉!」
どこぞの悪の女幹部の様な台詞を吐き、八代は尊大に笑い声をあげる。俺としては、「お前が欲しい」なんて言葉が自然と出る女とはちょっと距離を置きたい。いや、ちょっとどころか無関係な赤の他人として、末永く今後を過ごしたい気持ちで一杯だ。
「ククク、さて、冗談はこのくらいにして、真面目な話をしようか。別に交渉通りこのままオッパイ契約を結んでも良かったのだが、どうやらお前はそれはお気に召さないようだ。故に私は、次の交渉カードを使おうかと思うのだが、いいかな?」
「何を言われても答えはNOだ」
「……その虚勢がいつまで続くのか楽しみだよ」
あからさまに雰囲気を変え、八代は凄味を効かせながら何やらスカートの中に手を差し込みゴソゴソとやり出す。スカートのポケットじゃなく、スカートの内側でだ。その際にチラチラと、きわどい部分(具他的には太ももの付け根周辺)が見えた気がするが、俺は男らしく見なかった事にする。俺は無罪だ。
「てか待て!いったい何をおっぱじめる気だ!?」
「ん?何って、もちろんパンツに手を突っ込んでいるんだが?一応、大事なモノだからな。落とさないように一番安全な場所に隠していたのだ」
何がもちろんなのだろうか?いや、そもそも俺が知る限りパンツが隠すモノなんて一つしか思い当たらないのだが、女性用下着には男には知らされていない隠された機能があるのだろうか?だとすれば俺は、下着メーカーの陰謀ともいえる秘密を目の当たりにしている事になる。まったく、世界は広い。こんな身近に世界七不思議にも匹敵するであろう神秘があるとは。まさに不思議発見だ。
「ンっ……角が引っかかって、あっ、痛っ――ああん」
やたら艶っぽい声をだし、右手をスカートの中から引きぬいた八代の頬は、心なしかほんのりと紅くなり、瞳は薄っすらと潤んでいた。……なんだろうなコレ。もう何て言っていいのか分からんが、とりあえずコイツは国から規制を受けるべきなんじゃないかな。非実在性痴女子高生とかそんなんで。保護ではなく、禁則として処理するべきだろう。
「なにを呆けた顔をしている。ほら、コレを見ろ」
そう言い、先程取り出したブツを俺の目の前に差し出してくる。取り出す経緯を見ているだけに、若干そのまま手渡されることに躊躇いを感じてしまうが、まぁ、なんだ。挑まれたのならば、正面から向かえ討つのが礼儀というものだろう。
俺は遠慮せずに堂々とソレを受け取った。うん。ほんのり生温かい。
長方形に白無地のソレは最初、何かのメモ用紙かと思ったのだが、どうやらただ裏側だっただけらしく、ツルツルした手触りの表の方を見てみればコレは写真なのだと認識できた。ただ、認識できたのはソコまでであり、その先の被写体が俺の網膜に投影された瞬間、意識が現実を拒絶した。闇が、闇が俺を侵食する
絶望、反転、意味不明、羞恥、唖然……。あらゆるネガティブな感情が、その瞬間に頭の中を埋め尽くしたのだ。一番でかいのは「何故」と「?」であり。次にきたのは湯で立つ様な羞恥である。
「お、おおおおおお前っ!!な、ナニ、何でこんな写真を!?」
「どうだ、よく撮れているだろう?正面からでないのが残念な限りだが、それでも自慢の一枚と自負している」
狼狽どころではない。憔悴すら超え、心臓の鼓動すら止まりかけた。誰もが知られたくない姿。見せたくないモノ。禁忌の領域。そういうものを持っているはずだ。
いうなれば個人としてのトップシークレットであり、ファイヤーウォールの向こう側。国家機密。それを、その国家機密にも匹敵するであろうその姿を。あろうことかこの女は己のパンツの中から取り出しやがったのだ。
「――何故だ?場合によっては、俺はお前を殺さなくてはならない。そう、今すぐにでも」
「フハハ、なかなか怖いな。だが私が死ねば、その写真が自動でネットにばら撒かれるよう、既に自宅のPCにセットされてある。それがお前にとって何を意味するのか、言うまでもなかろう?」
「な、なんてテンプレートな仕掛けをっ!!」
「セオリーというやつさ。美学といいかえても良い。さぁ、理解しただろう?いい加減諦めて、我が軍門に下れ、諏訪 秋葉。お前はどうあっても、私の友達になるしかないんだよ」
色仕掛けの直後に、有無を言わせぬ脅迫である。どこぞの国のハニートラップもびっくりだ。いったいコイツはどこの女スパイなのか。
「安心するがいい。お前がわたしの友達になると自ら宣言すれば、その写真も、元のデータも全て処分することを約束しよう。ちなみに、それは写真用に切り出しているが、元データの方は動画だぞ」
コレが――動くというのか?自分でさえ客観的に見たこともないこの姿がっ!!
絶望に屈する俺の足元に、ハラリとその写真が落ちる。下半身を露出し、あぐらをかいたままテレビ画面を凝視する人物の背中が写るソレは、言わば死刑宣告だった。その膝元にはそっとボックスティッシュが添えらており、見つめているテレビ画面はやたら肌色で埋まっている。つまり、まぁ、男の子なら誰もがやるあの時の姿であり、その被写体は言うまでもなく俺だった。そう、俺なのだ。 いったい何時こんなモノを?と叫びたいのだが、見れば見れるほど「俺、こんななのか?」という自問自答の波に声も思考もかき消されてしまう。なんという醜態。時代が時代ならば切腹ものだ。
「いや待て!つぅうかコレ、普通に犯罪だろうが!!盗撮じゃねぇか!」
「馬鹿をいうな。それは小汚い変態がやった場合のみ適用される法律。私のように美人で可愛い、綺麗な変態がやった場合は法令の範囲外だ。可愛いは正義という至言を知らないのか?」
「無茶苦茶言うな!!変態に綺麗も汚いもあるか」
「ふむ、想像してみるといい。いくら私が綺麗な変態だからといって、お年頃なのには変わりない。おまけに私はさっきも言ったように、性欲を持て余している。そんな私が、そんな写真をここ数日、毎日持ち歩いていたんだぞ?フフフ……我慢するのが大変だった」
「な、何を我慢するんだよ……?」
性欲を持て余す――だと。俺は生唾を飲み込む。ゴクリという音がやたら頭に響いた。
「正直、そんな写真をパンツに入れてたら角がチクチク下腹部や内ももに刺さって痛くてな。いっそ、その辺に捨ててしまおうかと何度も思ったが我慢した」
「そこは我慢して当然だろうが!!というかこんなもん毎日持ち歩くな!!」
この女は危険だ。主に頭が。
「さぁ、いい加減、勘念してわたしの友達になれ!諏訪 秋葉!」
勝ち誇った顔で、まるで自分に非などないかのように言い放つ。そう、これが俺の友達。
――三間坂 八代という人物はこんなヤツなのだ。
2
さて、序盤から急展開すぎて意味不明な流れになったが、こうなった経緯はちゃんと存在する。 結果があれば原因があるのは自然の摂理だ。ただ、三間坂 八代に限って言えば、そんな大いなる自然の摂理でさえ意味をなさない。
なんせ原因から結果に至るまでの全てが支離滅裂、不協和音、混沌無秩序なのである。だから、俺はアイツが、何で俺のようなはみ出し者に興味を持ったのかさえ今だに理解出来ないでいる。類は友を呼ぶなんて諺もあるが、アイツと同類の人間が何人もいるなんて考えるだけで恐ろしい。そして俺は断じて同類なんかではない。ここ重要。
それでも事の始まりを語れと言うのなら、それはその日の放課後。時間にすれば、俺が八代に友達になれと『脅迫』される、せいぜい30分前ぐらいだろう。
――事件は一通の手紙から始まった。なんて、お決まりのミステリー小説風な出だしになってしまうが、本当なんだから仕方がない。場所は教室。時間は放課後。それは一人の女の手によってもたらされたのだ。
「はいよ諏訪くん。ラブレターの出前です」
ラブレターというものを知っているだろうか。想い人へのアレやコレやを、情感たっぷりの詩的な文にしたためて、ファンシーな便箋なんかに包んだアレである。携帯電話が普及し、電子でできた手紙が見えないままビュンビュン飛び交う現代においては、悲しくも廃れた文化のひとつと言えるだろう。その廃れ方は目を見張るほど凄まじく、生まれて17年、俺には一通も届かなかった程だ。
俺がラブレターを貰ったことが無いのは、お手軽に送受信できる電子メールの普及のせいか、それとも電通の陰謀かだとも言える。そう思いたい。
そんな、今や想像上の存在ともいえるラブレターである。この幸せを具現化させたような物質を俺に差し出してきたのは、この春日山第三高校の一生徒。日野山 安毘子。通称『アビ子』その人であった。
「悪いなアビ子。俺はお前の気持ちには答えられない。さっさと帰って、歯ぁ磨いて寝ろ」
「いやいやぁ、これアタシが書いたわけじゃないし。それに何?今もしかしてアタシフラれた?振られちゃったわけ?諏訪くんなんか好きでもなんでもないし、ましてや告白する気なんてサラサラあるわけ無いけれど、ここまでナチュラルにフラれちゃうアタシってどうなの?」
「うるせぇよ。もしかしてじゃ無い。今、ナウお前は確実に俺にフラれたんだ。言ってみりゃ喪女だ。モテない女だ。分かったら一人で枕を噛みちぎって泣きながら寝るんだな」
「うわぁ~、フった相手によくそこまで言えるよね。諏訪くんってもしかしなくてもドSな人だったり?」
「いや、どっちかっつーと、ハードボイルドな人」
「古っ!! キモッ! 臭ッ!!」
「うっせぇ!臭くねぇよ!微妙に傷つくだろうが!……それで、そのラブレターはなんの冗談?なんかの罰ゲームか何かだったりすんの?」
「ラブレターを貰って罰ゲームを疑うなんて、諏訪くんの青春がいかに寂しいものであるかが伺えるねぇ。安心していいのよ諏訪くん。世の中全てが悪意のみで成り立っているわけじゃないの。この世は悪意とお金とちょっぴりの愛で構成されているのよ!」
「それ悪化してんじゃん。夢も希望ねぇな」
「希望なら、今ここにあるじゃない。大丈夫、怖くないわ。そんなに怯えなくていいんだよ」
諭すようにそう言うアビ子の顔は、慈悲に満ちていた。いや、憐れみか?そりゃ、俺だってラブレターなんてものを貰うのは素直に嬉しい。なんせ生まれて初めての経験なんだ。 それが下校時の靴箱やら、しらないうちに俺の席の机の中にそっと忍ばせてあったモノなら、たぶん今ごろ小踊りしながら喜んでるだろう。
しかし、その受け渡し人がこのアビ子というなら話は別だった。こいつの持ってくるモノに俺が喜んだことなど一つもなく、むしろ面倒なことにしかなった事がない。
『何でも屋』もしくは『ワンコイン探偵』。アビ子には、この学校において、彼女への認識をそのまま表したような肩書きがいくつか存在する。あらゆる仕事を客の言い値(大抵がワンコイン)で請け負う何でも屋。部活のヘルプから、迷子の猫探しまで、この学校の生徒を相手に手広く商売する銭ゲバ女子高生。それがこの日野山 安毘子なのだ。
かく言う俺も、その仕事のうちの一つを手伝った縁があり、以来なにかとこうして話をするようになったわけだ。
「いやぁ、モテモテだねぇ諏訪くん。お姉さん妬けちゃうよぉアハハハ」
「嫉妬心の欠片もない爽やかな笑顔じゃねぇか」
笑いながら、セミロングよりやや短い髪を俺宛てのラブレターで扇ぎ、サラサラ揺らすアビ子。華奢な細腕に不格好なゴツイGショックが、「花より現金」がもっとうの彼女の性格をよく顕していた。
「それはそうと、コレ、ちゃんと受け取ってくれないかな。料金前払いで、もう受け取り済みなんだから、貰ってくんないとアタシが困るんだよね」
「お前が困ろうと俺は一切困らねぇな」
「ふふん。そんな強がり言ってて大丈夫かい?アタシは依頼人の顔を知ってるんだぜぃ?」
「だから何だよ?」
「言っとくけど、諏訪くんには勿体ないくらいの美人さんだよ。オマケにスタイルも抜群!これを逃せば、諏訪くんなんか後は一生脳内彼女としか恋愛できないんだから」
ボンッ! キュッ! ボンッ! と両手でボディラインをジェスチャーするアビ子なのだが、悲しいかな彼女自身の謙虚な胸を見てしまった俺に、そのイメージは上手く伝わらなかった。ああ、うん。 コイツは何も悪くない。悪いのは遺伝子だ。
「つぅか、酷いことをサラッと言うな。俺の頭に脳内彼女なんか居ねぇよ!」
「いや、酷い事を言われた気がするのはアタシの気がするんだけど。でもしょうがないじゃん、アキバなんて名前してるからだよ」
「別に俺が名づけたわけじゃねぇよ。それと、むやみに敵を作るんじゃねぇ。全国の秋葉さんと某電気街の住人の方々に謝れ」
「いいのよそんなの。冗談はさておき、本当に受け取ってよ。大丈夫、絶対後悔させないから」
「そのセリフでバリバリ後悔フラグがたった気がするんだが」
「フラグなんて現実には存在しないわ。要は認識よ。幸せだと認識すればどんな不幸なことだって、幸せに思えるものよ。昔の人も言ってるじゃない、本当の幸せは無知であることだって」
「それ全然フォローになってないからな」
逆に言えば、幸せなんか無いってことじゃねぇか。それともお前は愚か者だと遠まわしに馬鹿にしてるのかな?
しかし、こんなやり取りも時間の無駄なのでさっさと手紙を受け取る事にする。あくまで、ストーリー進行の停滞を阻止する為であり、美人からのラブレターが気になったとかそういう事では無い。いやマジで。
手紙を受け取り、封筒の表面を見てみる。白いだけで差出人の名前すら書いてない。封止めに使われている猫のシールだけが、辛うじてファンシーな演出を――していなかった。
よく見れば、猫の額に「殺」という文字が描かれており、その瞳は怯える鼠を見据えるようにカッと開いている。口はこれでもかと言わんばかりに開き、二本の牙と舌が威嚇する様に飛び出ていた。どこでこんなシールを購入したのかも気なるが、何よりラブレターにこのチョイスは無いだろう。
「おい、なんだこの斬新すぎるラブレターは?そもそもこれは本当にラブレターなのか?恋心の欠片も伺えねぇよ。むしろ殺る気満々なオーラが溢れ出してんだけど」
「駄目だよ諏訪くん。人の感性を否定するようなヤツは将来クズかヒキニートにしかなれないよ?」
こんな感性を理解するくらいならクズでもヒキニートにでもなってやろうかと思うのだが、やっぱり将来のことを考えて俺は思いとどまった。しかし、コレはどうしたものか。
「感性うんぬんの問題より、明確な敵意しか感じられないんだが。つーかコレ、差出人の名前すら無ぇじゃねぇか」
「まだ中身も見てないのに何言ってるのさ。手紙は風体より中身が肝心!きっと素晴らしく感動的な恋心が綴られてるはずだよ」
やたらと煽ってくるアビ子にせがまれつつ、俺は敵意剥き出しの猫シールを剥がす。剃刀でも入ってるんじゃないかと用心して中身を取り出せば、外見同様、味も素っ気も無い便箋が一枚だけだった。俺はソレを無造作に取り出し、折りたたまれた文面を読み上げようとしたのだが。 ――絶句した。驚きである。ここまで引っ張り、「それでもこれはラブレターなんだよ!」と強調してきたアビ子も流石に目が点になっている。
結果から言おう。これはラブレターではない。以下、その内容である。
『 よぉ、マザコン。
最近調子こいてるお前を叩き潰してやるから、今日の放課後体育館裏まで一人でこい。
俺、超強いから。いっとくけどお前なんて指先ひとつで木端微塵だから。開始三秒で終わらせっから。
まぁ、これを読んでビビりすぎて座り小便しちゃったら、来なくてもいい。 その時点で、明日からお前のあだ名は負け犬に決定だ。
by正義の味方』
手紙を読み終えた時点で、俺がソレをビリビリに引き裂いたのは言うまでもないだろう。「あ……あはは」とアビ子の乾いた笑い声だけが教室内に虚しく響いた。
「素晴らしく感動的な文章だったな。涙が溢れそうだわ」
白々しく言う俺に対し、アビ子は何ともバツが悪そうに頭を掻く。
「こ、こんなはずじゃなかったんだけどねぇ……。まさかあの子がこんな手紙書くなんて思いもしなくてさ」
「で、俺はどうすりゃいいんだろうな?この正義の味方様に木端微塵にされりゃ良いのか?」
「う、う~ん、それはどうなんだろう?」
ほらな?コイツが持ってきたモノで俺が喜ぶわけがないんだ。こうして、俺の平和な放課後は、ラブレターを装った果たし状により、いっきに血なまぐさい放課後へと変貌した。
「体育館裏ねぇ」
「あ~、やっぱコレ、あれなのかな?荒事てきなやつ」
「だろうなぁ。最近はこれ系のお誘いはパッタリ止んでたのにな」
中学時代。今では、こうやって語るのも恥ずかしい思い出なのだが、俺はわりと荒れていた。「斜に構えていた」なんて言えば聞こえはいいが、まぁ、ただ捻くれてただけだ。盗んだバイクで走り回ったり、渡り廊下で先輩を殴ったり。 往年の思春期ソングみたいな事も一通りやったりもした。今では思い出したくもない過去だ。
てなわけで、そんな中学時代を過ごしていたせいか、この手の荒事には多少の心得はあるつもりである。ましてや入学間もない一年生の頃、アビ子と共にある事件に関わってからは本当に静かなものだった。俺が高校生活において、友達どころか知り合いと呼べる奴すら皆無なのは、アビ子せいなんじゃないだろうか?まぁ、それで助かってる所もあるので文句はないのだが。
「アタシが言うのも何だけどさ、本当に行くの?」
なんの悪びれた素振りもなく、アビ子が聞いてくる。
「行くさ。この手の奴等は無視したって無駄だ、ならとことんやるのが一番。 それに、舐められんのは好きじゃねぇ」
「そっか。んじゃまぁ、ガンバってね」
実に軽い。なんだコイツ?そもそもお前が持ってきた手紙でこんな事になったというのに微塵も悪気がなさそうとはどういう事だ。
文句の一つも言いたくなったが、心配されるよりは無関係を気取られた方が楽なのでそのまま無視する。あくまで、アビ子と俺はドライな関係なのだ。慣れ合いなんて、お互いガラじゃない。
俺はそのまま教室を出て、目的地である体育館裏を頭の中に思い浮かべた。普段めったに生徒なんか行かない場所だ。俺だっていまだに立ち寄ったことさえない。その手のシチュエーションには悪くない場所だろう。
手紙には正義の味方とだけ書かれていたが、こういう場合、十中八九あいては複数人で待っているのがほとんどだ。凶器だって用意しているかもしれない。それでも、不安なんて感じないのは、ただ俺が楽天的なだけなのか、それとも平和な日常ってやつに飽きてきたせいなのか。ともあれ、久々の荒事の予感に俺のテンションは少しだけ上向きになっていた。
心なし足取りも軽くなり、俺は目的の場所へと急いだ。
******
「遅かったな、諏訪 秋葉」
放課後の体育館裏。 やや日も傾き、紅いというよりはオレンジ色の太陽を背にした一人の女生徒が、腕を組んだまま俺を見据えていた。
腰までとどきそうな黒髪の長髪。気の強そうな釣り目がちな瞳。逆光なせいか、やたら強調されて見える恐ろしく均整のとれたボディライン。間違いなく美少女と形容されるであろうその女性は、俺を見やり開口一番にそう言った。
おかしい。俺の予定では、ここに居るのは手紙の差出人であるどこぞのアホであり、こんなロマンチックが止まらなくなるような美少女との逢瀬ではないはずだ。 俺は油断することなく周囲に視線を配るのだが、視界に入るのは湿気で黴た体育館の壁と、無造作に伸びっぱなしの雑木林のみだった。武器を構えた男がどこかに隠れ潜んでいる様な気配もない。
「なんだ?何をそんなにキョロキョロしている?」
女子生徒を無視したまま、周囲を警戒する俺に対し、その美少女は不思議なものでも見るような眼を向けてくる。いや、それは俺も同じだろう。なんせ、このままだとあの手紙の差出人はこの美少女ということになり、俺はコイツに木端微塵にされるという事になる。そんな質の悪い冗談、想像するのもアホらしかった。
「あ~、ちょっと待ってもらえるか。いまいち状況が理解できねぇんだけど」
「私が正義の味方だ」
混乱する俺に、目の前に立つ美少女がそうキッパリと言い切った。おや?幻聴かな?いいえケフィアです。なんて現実逃避は通用しない。
「もう一度言おう。私が、正義の、味方だ!」
「いちいち句切って強調しなくてもいいんだよ!!」
よほど正義の味方と言いたいらしい。なにやら満足そうな笑みを浮かべフフンと鼻を鳴らす少女を見て、俺はこう思った。 あ、コレ電波さんや、と。
とはいえ、その人物が美少女であることに変わりわなく、その笑顔が普通に可愛くて、ちょっとドキッとしたのも秘密だ。
「それで、その正義の味方がなんで俺に喧嘩売ってくるわけ?正直迷惑なんだけど」
ややぶっきらぼうに、威嚇しない程度の口調で問いかける。相手の出方が分からないのもあるが、正直、女と殴り合いの喧嘩なんかゴメンだった。別にフェミニストを気取るつもりもないが、女を殴って気分が良いものではない。
「いや、別に本当にお前を木端微塵にするつもりは無いんだ。あんな挑発的な文章にしたのは作戦なのだよ。ここ数週間、私はお前を監視し、観察した。 その結果、ああいう文章にすれば確実にお前を呼び出せると踏んだわけさ」
美少女が得意満面でそう語る。いや、実際この場にノコノコ来ている以上その作戦は大当たりなのだろうが、いや、待て。 監視?観察?この女は今なんと言った?
「は?言ってる意味が分からないんだけど」
「ぶっちゃけ、お前をストーキングしていたんだ」
ぶっちゃけすぎである。これがバラエティ番組なら、いきなり場面が優雅なヨットの光景に切り替わり、ネットの掲示板にはナイスボートの文字が乱れ飛ぶだろう。
会話とはキャッチボールだとよく比喩されるが、これでは投げる球がミサイルみたいなもんだ。キャッチどころの話じゃない。俺はいつから戦場に足を踏み入れていたのだろうか?
案の定、俺の耳と脳はその意味を理解できずにいたので、ここは避難回避の一手を打つことにした。いわゆる聞いてないこと作戦だ。
「聞こえなかったか?私はお前を付け回し、その一挙手一踏足を観察し、食事の内容からトイレの回数に至るまでの全てを監視し、本棚の裏に隠してある成人指定図書の冊数まで把握するほどに調べ上げたのだ。その証拠としては何だが、その数冊ある本の傾向として、スクール水着ものにえらく偏った内容になっていたのだがお前の趣味か?」
無理だ。聞いてないこと作戦は早くも失敗に終わった。今度こそ、このミサイルは俺の耳と脳に着弾し、爆発したのだ。 まさに木端微塵。
「ふざけんな!なんだそれ? 本当にストーカーじゃねぇか!」
「だからそう言っているだろう。気を悪くしたなら謝ろう、ほれこの通りだ」
ぺこりと頭を下げるが、そんな謝罪など無意味だ。そんな形にもなってない誠意では、俺の純真な男子心は救われない。
「だいたいお前は誰なんだよ!? なんで俺なんか付け回したりしてるんだ!」
その言葉を聞き、ストーカー女は二ヤリと笑う。まるで待ってましたと言わんばかりに。
「私の名前は三間坂 八代。今日からお前の友達になる者だ!」
友達。そう八代は言い放った。聞き間違いではないだろう。なんせ今の俺は、この目の前にいるストーカーの動きを何一つ逃すまいと神経を集中させている。 俺の48のスキルの一つ。コンセントレーションマックスだ。もはや喧嘩の腕がどうの、凶器の所持がどうのという話ではない。
この三間坂 八代と名乗るストーカーの存在そのものが俺にとっては危険なのだと察知し、認めた。
「友達……だと?」
「そう、友達だ。知らないか? 富士山の頂上でおにぎりを食べたり、光る指先を合わせあったりする、あの友達だ」
お前は宇宙人なのか?なんてツッコミを入れたくなったが自重する。今の俺に課せられた使命は、いかにこの危険人物との接触を断ち、今後の穏やかな生活を取り戻すかである。友達など論外。俺はこの因果を断ち切る!
「何で俺なんだよ? 友達くらいその辺にいる奴等でいいじゃねぇか。ましてやお前は女だろ?異性間の友情は成立しないなんて説もあるぜ。俺はその説を全力で支持してるから残念だが他を当たってくれ」
俺なりに核心を回避しつつやんわりと、だが全力で断りを入れてみる。しかし、そんなものはこの電波女には通用しなかった。
「女では駄目だと言うのなら性転換しよう。今日から私は三間坂 八男だ。それに、その辺にいる奴等などでは駄目なんだ。もちろん、私はお前に行き着くまでにも学校中を探しまわった。それこそ、入学してから一年がたつ今までずっとだ。――だが、私が求める才能を持つ者はなかなか居なくてな。それを持つ者をやっと見つけたのさ」
「それがお前だ!」と背景に落雷でも落ちた様なシーンで、ビシャァァァン!!と八男いや、八代は俺を指差した。いやいや、才能って。いよいよコイツの頭が心配だ。やばいよやばいよぉ、この人本物だよ~。
「そんな簡単に性別を変えんな。それに悪いけど、俺にそんなたいそうな才能なんか無いから。あと前世とかソウルメイトだとか、実は隠さた超能力だとか、そういう設定も無いから」
ついでに言うと八男も無い。
「フフフ、何を勘違いしている。漫画やアニメの見すぎではないか? 私が言う才能とは、そう『トラブルに巻き込まれる力』だ」
現時点での俺の最大のトラブルがそんな事をのたまう。なんだトラブルって。toLoveるの主人公になら喜んで代替わりするが、コイツが言ってるのは間違いなくソレではないだろう。
「いや、本当、意味わかんねぇから。もう帰っていいですかね?」
「察しの悪い男だな。意味なら言った通り。私が探しまわりやっと見つけた才能。 本人はおろか、その周囲に存在する者達までゴタゴタに巻き込む力。言ってみれば主人公体質。 そう、私が欲して止まない力だ」
迷惑にもほどがある。譲渡できるなら喜んで差し上げたい才能だし、それを欲しがるコイツとも関わりたくない。それに俺は主人公より、サブキャラの味を重視するタイプだ。
「私は! ハチャメチャが押し寄せてきて! パーティーの主役になりたいんだ!!」
もう勝手になってくれ。できれば俺が預かり知らない所でハチャメチャしてくれれば助かる。なんだか頭が痛くなってきた。
……とまぁ、ここで冒頭に戻るわけだが。もちろん俺はこの自称『正義の味方』がやった警察沙汰になってもおかしくない行為に屈することなくもなく、毅然とした態度でお断り――できれば良かったんだが。
悪が強いのが世の常とはよく言ったもので、俺は泣く泣くこの提案を受け入れ、例のデータやら何やらを即この世から抹消せたのは言うまでもないだろう。
ちなみに、後に自宅を調べたところ、盗聴器四個、盗撮カメラ三台が見つかった。ガチで身震いしたのはこの時が初めてだったと思う。どうやって仕掛けたのかも問いただしたのだが、良い子に悪影響なのでここでは伏せさせてもらおう。
そんなわけで、主役になりたい女、三間坂 八代。 こんな奴が隣にいるせいなのか、俺の生活がここを起点に激変したのは多分気のせいではなく。俺は今でも友達解消のアイデアを考えたりしてるわけだが……。なぁ、なんか良い案ないか?