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孵る日

作者: オードリー
掲載日:2010/11/05

「五島、一緒に帰ろう」



声をかけると、五島は、おうと答えた。



教室を連れ立って出ていく時、何人かのクラスメイトがちらりと振り返った。



「明日になったら、噂になってるかもね」



重苦しい雰囲気を払拭したくて、軽口を叩いた。



「どうでもいい」



五島は、素っ気なく言った。



相変わらず、愛想のない男だ。



私は、隣を歩く男を見上げた。



剣道をやっている五島は、背が高く、筋肉質のしっかりした体つきをしている。



左右対称な整った顔立ちをしているが、大抵仏頂面をしているので、台無しだ。



小学生の頃のよく笑い、いたずら好きだった少年は、今ではすっかり鳴りをひそめている。



「なんだよ」



私の不躾な視線に気が付いた五島は、怪訝そうな顔をした。



「五島のお兄さんて、五島に似てたのかなと思ってさ」



「よく似ていると言われたけど、自分ではよくわからない」



五島は、そう答えながら、歩調をゆるめた。



やっと私の足の長さが五島よりずっと短いことに気が付いたようだった。



五島は、しっかりと一歩一歩を踏みしめるように歩く。



姉は、この人によく似た人を好きになったのだ。



胸の奥で何かがカタコトと動く音がした。



その音は、五島を見かける度に聞こえたけれど、私は、気付かない振りをしてきた。



それも今日で終わりだ。



私達は、肩を並べて、ゆるやかな坂道を上っていった。


 


坂道を上りきると、大きな鉄門が見えてくる。



五島の家だ。



五島家は、江戸時代から続く由緒正しい家柄だ。



本家は、大きなお屋敷を構えていて、東京にもいくつかビルを持っているという話を聞いたことがある。



サラリーマンの娘で中流家庭に育った私には、想像できない世界だ。



五島がブザーを鳴らすと、大きな鉄門は、鈍い音を立てて開いた。



門をくぐると、高そうな外車が何台も停まっていた。



敷地内をしばらく歩いて、ようやくお屋敷に辿りつくと、玄関の前で、中年の女性が立っていた。



最後に会ったのは、5年以上前だけど、五島のお母さんだとすぐに分かった。



いつも着物を着ていて、物静かな女性だ。



五島のお母さんは、私を見ると、小さく微笑んだ。



きっと、少しほっとしたのだろう。



微笑んでいるのに今にも泣き出しそうな表情だった。



そういえば、この女性は、夫を亡くして、息子も亡くしたのだ。



「久しぶりね、冬実ちゃん。わざわざ、来て下さってありがとう。」



「いえ。両親にも頼まれましたから」



私は、小さな声で答えた。



「春菜さんには、奥の部屋を使って頂いていたの。千博、案内して差し上げて」



「こっち」



五島は、私を手招きした。




姉の部屋には、ベッドと化粧台とクローゼットしかなかった。



元々、物に執着がない姉は、洋服も化粧品も必要最低限のものしか買わない主義だった。



それは、資産家の御曹司の愛人になっても変わらなかったらしい。



そう、姉は、五島のお兄さんの愛人だった。



私の姉と五島のお兄さんである一志さんは、東京の大学で知り合い、恋人同士になった。



二人は、結婚を考えていたらしいが、五島のお父さんが猛反対した。



結局、一志さんは、資産家の娘と結婚することになり、姉は、身を引いた。



一度は終わったと思われた2人の関係がまだ続いているということを私の両親が知ったのは、5年前だ。



激怒した両親は、姉を勘当した。



そんな時、五島のお父さんが亡くなった。



五島家を継いだ一志さんは、五島の本家の一室に住まわせた。



一志さんの奥さんは、東京に住んでいたし、奥さんの方もなぜか姉を黙認していたようだった。



一志さんは、東京とこの町を行き来しながら、生活していた。



そして、先月の終わり、ドライブに出かけた姉と一志さんは、山道から車ごと転落して亡くなった。



今日は、両親の代わりに姉の私物を片づけるため、五島の家に来たのだ。




化粧台の引き出しを開けたら、大きなダイアモンドがはめこまれた指輪が出てきた。



婚約指輪になれなかった可哀想な指輪をじっと見つめていたら、姉が笑った顔を思い出した。



姉は、朗らかで優しい性格をしていて、頭も良かった。



両親も私も姉を誇りに思っていた。



何を間違えたら、こんな結果になってしまったか。



父が夜中にお酒を飲んで泣いているのも母親が洗い物をする時の水音に時々嗚咽がまじっているのも、私が携帯を持たせてもらえないのも、きっと全部姉のせいだけれど、私は、姉を憎めなかった。



嫌味なほど、きらきらと輝くダイアモンドをもう一度眺めると、部屋の前に座っている五島を呼んだ。



近寄ってきた五島の手のひらに指輪を乗せると、五島は、驚いた顔をした。



「もっていけよ。兄貴が春菜さんにやったものだろ」



「お父さん達、五島の家からこういう物は絶対に受け取らないと思う」



五島は、私と指輪を見比べた後、指輪を上着のポケットにつっこんだ。



クローゼットの中の姉の洋服を取り出して、段ボールにしまうのを五島に手伝ってもらいながら、この5年間のことを思い返した。



大人が何を考えているのか、私には理解できない。



きっと、五島も同じだったのだろう。



私と五島は、姉と一志さんの不倫が発覚して以来、ほとんど口を利かなくなった。



五島は、どんどん無口になっていったし、私もなんとなく話しかけづらかった。



でも、変なの。



姉と一志さんが亡くなって、私と五島は、こうして二人で姉の部屋を片付けている。



最後の段ボールにガムテープを張った時、虚脱感みたいなものが私をのみこんで、しばらくぼんやりしていた。



「冬実、どうした」



五島は、突然、私の名前を呼んだ。



小学生の時みたいにとても自然な響きだった。



また、何かがカタカタと揺れた。



震える。



まって、割れないで。



耐えきれなくなった私は、大きく息を吐いた。



その途端、目から水滴が落ちた。



一瞬のことだったから、止めようがなかった。



慌てて、手で顔を隠そうとしたけれど、五島の動きの方が早かった。



もう、色々手遅れだった。



五島は、私の肩を掴むと、自分の胸に私の顔を押しつけた。



それから、私の頭をそっと指先で撫でた。



五島の腕は強引だったけれど、頭を撫でる指先は、とんでもなく優しかった。



「話して。5年間、冬実が考えてたこと、今感じていること。なんでもいいから」



耳元で囁かれる低い声は、呪文みたいに私の頭の中に響いた。



私は、口を開いたけれど、言っていることは、支離滅裂だった。



「私、変なの。お姉ちゃんがいけないことしていたのも、そのせいで、お父さん達が傷ついたことも知っている。でも、お姉ちゃんが好きだったの。一志さんのことを話すお姉ちゃんの笑顔も好きだった。だから、本当は、こんな風に五島の家からお姉ちゃんがいた事実を消すようなことをしたくない。でも、しなくちゃいけないの。そしたら、五島がいるでしょう。5年間ずっと、話しかけたくても話しちゃいけなかった五島がいるでしょう。一緒に帰ったり、坂道を並んで上ったりするでしょう。なんか、もう苦しいの。ごめん。こんなこと言って。でも、もう今日で終わりだから。全部終わりなの」



「終わりって、どういう意味なんだ」



五島は、私の顔を上げさせると、頬を伝う涙を拭いながら、私の顔を覗きこんだ。



「明日、東京に引っ越すの。お姉ちゃんが死んじゃったから、もうこの町にいる必要がなくなったから。もうお姉ちゃんが帰ってくるのを待たなくていいから」



「もう会えないってこと」



「うん、そう」



私は、しゃくりあげながら、頷いた。



もう全部ぶちまけた。



五島は、私に好かれてるなんて知ったら、大いにびびったに違いない。



それでも、いいかなと思う。



私は、なんだか調子づいていた。



「五島はさ、私のお姉ちゃんみたいに、かわいくて、性格のいい子と結婚してね。それで大きなダイアモンドがついた婚約指輪をあげるの。幸せな結婚をするの。この陰気臭い家を明るくして、五島のお母さんに孫をたくさん抱っこさせてあげるの。あの世にいる五島のクソ親父が地団太踏んで悔しがるほど、幸せになるの」



怒るかと思っていたのに五島は、なぜかゲラゲラ笑い出した。



いつもむっつりした顔が嘘みたいだ。



「馬鹿だな」



五島は、涙目になったまま、呟いた。



「どうせ、馬鹿だよ」



むっとして答えると、五島は、ちがうちがうと首を振った。



「お前じゃなくて、俺。あと、兄貴も春菜さんもクソ親父も母さんも兄貴の奥さんもお前のところの両親も皆すごい馬鹿。でも、お前は、違うんだな」



「よく分からないけど」



私が首をかしげると、五島は、にやっと笑った。



「いいよ。もう少し経てば、きっと気付くから」



「何、それ。私が子供っぽいってことじゃん」



強い口調で言い返すと、五島は、私の頭をくしゃくしゃにした。



それから、私の顔を両手で包んで、引き寄せた。



あっという間に唇と唇が重なった。



五島の舌の先端が、私の歯茎に少しだけ触れた。



ぬるっとしていて、不思議な感覚だった。



でも、嫌じゃないなと思った。



「子供は、こんなことしない」



五島は、またにやっと笑った。



昔の五島は、こんな風に意地の悪い笑い方はしなかった。



でも、もう以前の五島を思い出そうとしても難しいような気がした。



この時、やっと私は、自分の中に隠していた気持ちを覆っていた殻が割れたことに気がついた。



「好きだ。冬実のことがすごく好きみたいなんだ」



そう言って、五島は、私を強く抱きしめた。



嬉しかった。



だって、私も五島が大好きだから。



私の中に孵ったばかりの生々しくてどろっとした感情は、多分、姉が持っていたものと同じ種類なんだろうなと思う。


その内、私も馬鹿になるのだろうか。



五島と一緒にいたいと思うほど、姉のしでかしたことを疎ましく思うかもしれない。



それでも、やっぱり、姉のことを嫌いにならないだろうなと思った。



孵ると帰るをかけてみました。

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