聖剣、手汗で滑って魔王の手へ。~サラサラな主が最高すぎて、もう元の鞘には戻れません~
※R15は保険として設定しています。 勇者の手汗描写が少しヌルヌルする程度で、基本的にはほのぼのとしたコメディです。
(離して!お願いだから離して!ヌルヌルするのよおおおおお!)
私の魂の絶叫は、誰にも届かない。
もし私に口がついていたら、この神聖な戦場に響き渡るほどの悲鳴を上げていただろう。いや、むしろ今すぐ刃を自らへし折って自害したい。
私は『聖剣』。かつて天界で『女神』として崇められ、今は世界を救うために鋼の体に魂を宿した、気高き存在である。
だが、今の私はただの――「湿った金属」だ。
「おお…見ろ、聖剣が震えている!魔王を前にして、共に戦えることに打ち震えているのだな!」
違う。そうじゃない。
勇者、あんたの手汗が気持ち悪いから震えてるのよ!
私の柄を握りしめる勇者の手は、緊張と興奮でびしょ濡れだった。
最高級の聖龍の革で巻かれた私の持ち手は、もはや革としての尊厳を失い、彼の体液をたっぷりと吸い込んだスポンジと化している。
気持ち悪い。不潔。生理的に無理。
女神としての潔癖な精神が、限界を訴えていた。
「いくぞ、魔王!!この一撃で世界に平和を!」
勇者が叫び、私を大きく振りかぶる。
やめて。そんなに強く握りこまないで。脂が染み出してくるじゃない!
「はあああああっ!」
ブンッ、と風を切る音。
それと同時に、最悪の物理法則が発動した。
極限まで分泌された手汗による潤滑効果と、全力のスイングによる遠心力。この二つが組み合わさった時、摩擦係数はゼロになる。
スポーンッ!!
「え?」
勇者の間の抜けた声が遠ざかる。
私の体は美しい放物線を描き、主人の手を離れて宙を舞った。
ああ、自由だ。
あの不快な湿り気から解放された歓喜で、私の刀身はキラキラと輝いたに違いない。
だけど、このままでは地面に激突して泥まみれになるか、目の前に座る恐ろしい魔王に踏み砕かれるか――。
死を覚悟して目を閉じた(心眼的な意味で)、その時だった。
パシッ。
硬い床に落ちる衝撃は来なかった。代わりに、ふわりと包み込まれるような感触。
「……おや。勇者は私に剣をプレゼントしてくれるのか?」
頭上から降ってきたのは、重厚で落ち着いたバリトンボイス。
恐る恐る意識を向けると、そこには玉座から立ち上がった魔王の姿があった。そして何より、私をキャッチした彼の手のひら。
――サラサラだ。
一滴の汗もない。完璧な湿度管理。まるで最高級のシルクのような肌触り。
(……すき)
私の長い長い剣生の中で、運命の相手が見つかった瞬間だった。
魔王は、私の美しい刀身をしげしげと眺めたあと、視線をゆっくりと下へ滑らせた。
そして、私の柄―さっきまで勇者が握りしめていた革の部分―で視線を止める。
途端、魔王の端正な眉がピクリと動いた。
ああ、見られてしまった。
勇者の手汗でじっとりと濡れ、変色し、生温かくなってしまった私の恥部を。
(見ないで! 汚いから見ないで!)
私は羞恥のあまり、刀身を赤く発光させそうになった。好きな人の前で、汚れた姿を晒すなんて。これで「うわ、汚…」なんて言われた日には、ショックで錆びて崩れ落ちてしまうかもしれない。
だが、魔王の口から出たのは、罵倒ではなかった。
「…嘆かわしいことだ」
深いため息とともに、彼は懐から一枚の布を取り出した。純白の、シルクのハンカチだ。
刺繍入りで、ほのかにラベンダーのような高貴な香りがする。
魔王は私の体を優しく支えると、そのハンカチで、汚れた柄を包み込んだ。
「これほどの名剣を、手入れもせず酷使するとは。道具への敬意が足りていないな」
キュッ、キュッ。
繊細、かつ丁寧な手つきだった。
不快なぬめりが、魔法のように拭い取られていく。ゴシゴシと力任せに擦るのではなく、まるで傷ついたレディを労わるような、優しい愛撫。
(あ…ああっ!)
電流…いや、魔力が走った。
気持ちいい。
今までの、雑巾がけのような勇者の手入れとは雲泥の差だ。
汚れが落ちていく爽快感と、魔王の指先から伝わる適度な体温、そして何よりこの「乾燥した清潔感」。
私の女神としての本能が、カチリと音を立てて切り替わった。
『承認』
『対象:魔王』
『適合率:測定不能』
「……ふむ。綺麗になったな」
魔王は満足げに頷くと、改めて私の柄を握り直した。そう、素手で。
そのサラサラの手のひらが、私の革に触れる。吸い付くようなフィット感。滑らない。ベタつかない。完璧なグリップ。
(この人だわ……!)
私は確信した。世界を救うために必要なのは、勇気でも正義でもない。「清潔感」だったのだと。
(よおおおおおおおおおし!!)
歓喜の雄叫びと共に、私は輝いた。
これまでの数百年、歴代の勇者たちの誰一人として引き出せなかった、女神としての真の力。
その封印が今、単なる「快適だから」という理由だけで解き放たれる。
カッッッ!!!!
魔王城の薄暗い広間が、真昼のように照らし出された。
私の刀身から溢れ出した黄金の神気が、魔王の全身を包み込み、神々しいオーラとなって立ち昇る。
「な、なんだ!?聖剣が…魔王に力を貸しているだと!?」
呆気に取られていた勇者が、ようやく事態を飲み込んだようで、叫びながら慌てて手を伸ばしてくる。
「返せ!それは俺の剣だ!ただ手が滑っただけだ!」
「……だ、そうだぞ? 聖剣よ」
魔王が困ったように私に問いかける。
彼に戦う気などない。なんて平和的で素敵な殿方なのかしら。私は彼の問いに、行動で答えた。
勇者が近づこうとした瞬間、私は刀身からバチバチと拒絶のスパークを放つ。
「うわ熱っ!?」
勇者が飛び退く。
私は切っ先を勇者に向け、心の底から念じた。
(来ないで!二度と触らないで!せっかく綺麗にしてもらったのに、またその手汗で汚すつもり!?)
私の明確な拒絶の意思は、強固な「聖なる結界」となって具現化した。勇者と魔王の間に、見えない壁が出現する。
「なっ…聖剣が、俺を拒んでいる…だと?」
私の拒絶結界に弾かれた勇者は、愕然と膝をつき、悔しげに拳を握りしめた。
「くそっ…!俺にはまだ、その聖なる輝きを扱う資格がないというのか…!」
自分の不潔さが原因だとは夢にも思わず、「俺の正義が足りないのか…!」と見当違いな苦悩を始めている。
ごめんなさい、勇者。あなたの正義の意志は立派だったわ。ただ、あなたの手掌多汗症が私の許容量を超えていただけ。
「覚えていろ魔王!いつか必ず、その剣に見合う男になって戻ってくるからな!」
勇者は捨て台詞を吐き、仲間と共に去っていった。
二度と来なくていいわ。もし来るなら、ベビーパウダーで手を真っ白にしてから来てちょうだい。
「…行ってしまったな」
残された魔王は、ポリポリと頬をかいた。
彼の手には、まだ私が握られている。
「彼らが誤解を解いてくれれば良いのだが…。貿易が再開されねば、我が国の食糧備蓄はあと一ヶ月も保たんぞ」
魔王は深いため息をついた。
そう、彼は実は何も悪くない。ただ魔力が強すぎて、作物が育たない土地に生まれてしまっただけ。
生きるために人間と魔石の取引をしていたのに、その魔力が強まったせいで「侵略の予兆だ」と勘違いされ、一方的に攻め込まれていただけなのだ。
なんて可哀想な推し…。
私は決意した。
このサラサラな手を、私が守らなければ誰が守るというの。
◇
それから、数日が経った。
「魔王様!大変です!」
「どうした、また人間軍か?」
「いえ、畑が……!不毛だった荒野に、見たこともないほど作物が実っています!」
「なんだと?」
魔王の領土は、高濃度の魔力が充満しているせいで、繊細な植物はすぐに枯れてしまう死の大地だったはずだ。
しかし今や、窓の外には見渡す限りの花畑と、たわわに実る黄金の麦畑が広がっている。
「これは…私の魔力ではないな。聖剣よ、君か?」
魔王の問いに、私は誇らしげに刀身を煌めかせた。
種明かしをしよう。
私、聖剣の本来の機能は「魔を祓い、地を浄めること」。
だが、これまでは勇者の手汗という「油膜フィルター」のせいで、機能不全を起こしていた。
しかし今、魔王様の手によって私は常に磨き上げられている。遮るものがない私は、魔王様から溢れ出る過剰な魔力を吸い上げ、それを無害な「成長エネルギー」へと変換して大地に還すサイクルを完成させたのだ。
つまり、私がここにいる限り、この国は「魔石も取れるし野菜も育つ」という超優良物件になったのである。
「…信じられん。手入れをしただけで、これほどの恩恵があるとは」
魔王は驚き、そして穏やかに微笑んだ。
「これでもう、無理をして人間と取引をする必要もない。民が飢えることもないのだな」
その言葉に、私は深く同意する。
食糧難が解決したことで、人間との不公平な貿易にすがる理由は消滅した。
これからは向こうが「高品質な魔石をください」と頭を下げてくる番だ。もちろん、対等な外交でね。
私はただ、推しに綺麗にしてもらっていただけなのに、気づけば世界を救ってしまったらしい。
「ありがとう、聖剣よ。君は私の誇りだ」
魔王は腰に佩いた私の柄に、優しく手を添える。
ああ、やっぱりサラサラだ。最高の手触り。
ごめんなさい、勇者。
あなたの腰にある『元の鞘』には、もう絶対に戻りません。手汗でベトベトのあなたでは、私の輝きを1ミリも引き出せないのだから。




