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少年と復讐

 我が岩祭(いわまつり)家は、戦国時代より続く萩島(はぎしま)の豪家だ。もとは武家として栄えたが、江戸時代初期、萩島の象徴ともいえる飯倉(いいぐら)神社の家系が断絶されたことを機に、神職へと転身し、代々この地を治めてきた。岩祭家が萩島の安寧を祈る気持ちは今も昔も変わらない。お前もゆくゆくは飯倉神社の神主として、萩島の人々の心の拠り所となり、その発展に貢献しなさい―――――


 俺は幼少の頃から祖父にそう教わってきた。祖父はとても優しく、そして強い人だった。その言葉を胸に、私はこれまでどんな苦境に立たされようとも努力を惜しまず、次期岩祭家の当主としての自覚を保ち続けてきた。中学校を卒業する頃には弟もでき、そこに兄としての自覚も加わった。親からとやかく言われたからとか、世間体を気にしていたからとかそんなものではなく、岩祭家を守りたい、萩島の地を守りたいという純粋な気持ちの表れだった。弟の誕生で我が家には新たな活気が生まれ、笑顔の絶えない日々が続いた。これからもこんな平和な日常がずっと続くものだと信じていた。そんな岩祭家に、暗雲が影を落とし始めていることに俺は気づく余地もなかった。


          〇


 一か月前、祖父の善一郎(ぜんいちろう)が亡くなった。それはあまりにも突然のことだった。ようやく夏の暑さから解放され、少し肌寒さを感じさせるようになった秋の早朝。ドタドタと廊下を慌ただしく走り回る音で目が覚めた。何事かと下に降りた時、俺は状況をすぐに察した。いつも冷静なあの母が目に見えて取り乱している様を俺は初めて見た。


 享年76歳。心疾患による突然死だった。葬儀はその後、すぐに執り行われた。祖母や母は今朝とはまた違った意味で慌てていた。俺には弟の面倒を見るくらいしかしてやれることが無くて、こんな時に子供はつくづく無力だなと悔しかったのを憶えている。


 葬儀には多くの人間が参列したが、豪家とは言え、バブル時代の崩壊も相まって残された財産は限りあるものだったので、資産争いなんてものは起こりようもなかった。問題は飯倉神社の後継者だ。通常であれば、長男である父が神主を引き継ぐ手はずになっていたのだが、祖父の遺言に父・弥一郎(やいちろう)の名はなかった。代わりに書かれていたのは、二人でよく話し合えという内容だった。二人というのは、父とその弟である久彦(ひさひこ)叔父さんのことだ。叔父は大学時代に家を飛び出したきり、今日に至るまで萩島の地を離れ、大学で歴史学を研究していた。以前、何かの集まりで顔を合わせたことはあったが、叔父は一族のしがらみを嫌い、いつか当主になることを夢見る俺を憐れむような目で見ていたのを今でもよく憶えている。


 そんな叔父が、祖母によって遺言書(ゆいごんしょ)が読み上げられた後、「俺は当主を請け負うつもりだ」と静かに言い放ったのを聞いて、俺たちは言葉を失った。のちにそういう状況を青天の霹靂(へきれき)というのだと知った。叔父はもちろんそんなものには興味がないと一蹴(いっしゅう)するはずだと、一族の誰もが思っていたのだ。そこからは地獄のような言い争いが続いた。これまで家のことを何一つせず、自由に生きてきたくせに権力だけは欲しようとする。そんな叔父のことが父は許せなかったのだと思う。当たり前の話だ。あんな声を荒げて怒り狂う父を見たのはこれが最初で最後だった。祖母の鶴の一声でなんとかその場は収まり、後日、再び話し合いが行われる運びとなった。


 父は地元の商工会や知り合いの弁護士、中には代議士にまで話を持ち掛けて、入念に準備をしていた。最悪の場合、裁判を起こす気だったのだと思う。父の鬼気迫る顔に俺はそらおそろしいものを感じた。その矢先、事件は起きた。


          〇


11月6日 午後2時33分

 その日、高校受験を控えた俺はいつも以上に勉学に打ち込んでいた。こんなことで父に心配をかけるわけにはいかないという思いと、子ども特有の潔癖(けっぺき)から生じる、どろどろとした大人の争いから目を背けたいという二つの思いが、それを加速させていた。そんな中、教室で授業を受けていた俺を担任と教頭が慌てふためいて連れ出し、こう告げたのだ。


 父が自殺を図った、と。


 到底、そんなことは信じられなかった。数日前まであんなに意気込んでいたあの父が自殺なんてするはずがない。目の前が真っ白になった。それを見ていたクラスメイト達が一斉にどよめき始める。しかし、俺の耳には全く響いて届いていなかった。「とにかく今は一秒でも早くお父さんの元へ行ってあげなさい」という教頭の言葉になんと返事をしたかさえ覚えていない。


 おぼつかない足取りで帰宅した俺を待っていたのは、暗い顔をした祖母だった。まだ三歳にもなっていない弟は何が起こったのか理解していないようだった。お気に入りの犬のぬいぐるみを片手に、口をぽかんと開けてこちらを見ている。その無垢な様子が余計に辛くて、俺は歯を食いしばった。そんな弟に目もむけず、祖母は顔をしかめて言い放った。


「跡継ぎは久彦にやらせる」


          〇


 叫びにも嗚咽(おえつ)にもならない声を出して、俺は家を飛び出した。そのあとのことはよく覚えていない。気が付くと俺はベッドに横たわって、無機質な天井を眺めていた。そこは病院のようだった。左腕から点滴のチューブが伸びている。医者の話によると、俺は近くの川でおぼれていたところを通行人に発見され、一命をとりとめたらしい。意識がはっきりするにつれ、いっそ死んでいた方がマシだったという思いが俺の胸をいっぱいにした。


 しばらく経ったころ、俺のもとに警察がやってきた。こんな状態の俺に事情を話せと言うからその訳を聞いたところ、祖母が頑なに口をつぐんているらしい。木元(きもと)と名乗った刑事は、俺に続けてこう言った。


「君のおばあさんには口止めをされたんだけどね、これは伝えておかないといけない」


 今日の昼頃、父は母とともに夏目湖(なつめこ)近辺の崖から車ごと飛び降りたらしい。遺書などは見当たらなかったが、現場の状況からして事件性はないと警察は判断したようだ。不幸中の幸いともいうべきか、意識不明の重体というだけで、父と母は生きていた。市内の大きな病院で手当てを受けているという。面会にはまだ少し時間がかかると刑事は告げた。俺は少しばかり安堵(あんど)すると同時に、先ほどの祖母の様子を思い返す。身内から自殺者が出たとなれば一族の恥。それどころから母を道ずれにしたというのだから最悪、殺人者にもなりかねない。祖母が俺や弟にも冷たかった理由はこれだったのかと理解した。


「とりあえずまた後日、話を聞かせてください」


 そう言うと木元は足早に病室を後にした。木元が去ってから、俺は考えるのをやめられなかった。頭の中に黒々としたものが芽生えだす。父が自殺なんてするわけがない。あいつがやったんだ。あいつがやったに違いない。あいつが、あいつが父と母を・・・。


 その時、俺は復讐を誓った。


          〇

11月7日 午前10時41分

 特に目立った外傷も見られず、俺は翌日には退院することができた。金は寝ている間に祖母が払っていったそうだ。迎えには誰も来なかった。「若いっていいわねぇ。でも、こんなこともうしちゃだめよ?」という看護師の言葉に俺はうなずくことが出来なかった。

 

 家へ帰ると、見知らぬ車が二台、玄関先に停められていた。居間から聞こえてくる声に、それがすぐに叔父の車だとわかった。瞬間的に殺意が芽生えるのをぐっと抑え、俺は廊下を進んだ。


「やあ、紀一郎(きいちろう)君。オヤジの葬式ぶりだね」


 居間の横を通った時、叔父がこちらに手をあげて声をかけてきた。隣には叔母がいて俺に軽く会釈する。叔父の前には、祖母と弁護士の男が座っていて、机の上には様々な書類が並べられていた。この弁護士は父と懇意にしていた仲田(なかだ)という男だ。俺はそれを一瞥すると何も言わずに自室へ向かった。


「コラ紀一郎、挨拶くらいせんカァ!」


 祖母の怒鳴り声が後ろから聞こえてきた。それを無視して二階に駆け上がり、自室のドアを思いっきり閉めた。荷物を投げ捨て、ベッドに横たわる。思わず舌打ちをしてしまう。あいつらは敵だ。祖母は叔父に飯倉神社を引き継ぐ手続きをすでに進めているのだろう。自分の息子が死にかけているというのに、世間体ばかり気にしている。それにあの弁護士の男も気に食わない。金にならないとわかった途端、叔父に寝返りやがって。そんなことを考えていると、さっき閉めたはずの扉がゆっくり開くのが目に入った。何かと思って起き上がると、そこには弟の宗二郎(そうじろう)が立っている。


「にいちゃん、おとぉとおかぁは?」


 そう問う弟を俺は強く抱きしめた。

「大丈夫だ。お父さんとお母さんはすぐに帰ってくる。俺が、必ず連れ戻してやる」

 ほんとぉ?とニコニコと笑う弟に俺は強くうなずいた。

 

 俺は取り返さないといけない。岩祭家を、飯倉神社を。


           〇

 

 その晩、俺は明かりもつけず、自室にこもっていた。外の月明かりがぼんやり部屋を照らす。最初は意気込んでいたものの、復讐の計画はなかなかうまく立てられない。たかが中学三年生の俺にそんなことを考える力があるはずもなかった。


「はーあ」


 思わずそんなため息が漏れ出る。日本人は答えのない問題を解決するのが苦手だ。こないだテレビで見た自称評論家の言葉が頭の中で再生される。俺もその例にもれず、何もできない人間なのかもしれないと気持ちが沈む。


「じいちゃん、助けてくれよ・・・」


 もう届かないとわかっていながらそんなことを呟く。こんな時、祖父ならどうしただろうか。祖父を思い浮かべながら、回転する椅子の上で部屋を見回した。その時だった。本棚の上から二段目、左端にある本が俺の目に留まった。俺は椅子から立ち上がって、本棚に駆け寄った。


『よくわかる! 弓道の基本動作 小目書房(おめしょぼう)


 俺は大きく目を見開いて声をあげた。


「これだ!」


          〇


昔、祖父が語ってくれた逸話(いつわ)の中に火矢(ひや)に関する話があった。それは俺がまだ小学生の頃、祖父と縁側で将棋を指している時に聞いたものだった。


「いいか紀一郎。我々岩祭家の中にも、昔はわるぅい奴がいたんだ」

「わるいやつ?」

「ああ、そうだ。己が欲のために、親族を殺し、その地位を奪おうとしたやつがな」


 簡単に言ってしまえば、それは後継者争いの(もつ)れというやつだろう。一族のある男が後継者を殺し、自身が神主となった。奇しくもそれは今の状況と酷似している。しかし、大切なのはここからだ。


「名は確か宇之助といったかな。神主となったソイツは、手に入れた権力を振りかざし、暴虐の限りを尽くした。それはそれはひどいものだったそうだ。だが、そんなある時、宇之助が金を取り立てるため、村中の家々を回った帰り道でのこと。突然、目の前の地面に、どこからともなく飛んできた矢が突き刺さった。それもただの矢ではない。火矢だ」


 ここでいう火矢とは、火薬を詰め込んだ火箭(かせん)とは違って矢を直接、燃やした状態で飛ばす、少し原始的なものを指すらしい。


「宇之助は奇襲だと思い、あたりを見回すが身を隠しつつ矢を飛ばせるような場所など辺りには無い。おかしいと思いつつも、宇之助はそれを不気味に思って矢を置いて帰ってしまった」

 ここからが火矢の恐ろしいところだと祖父は続けた。


「それからしばらくしてからのこと。食物を保存していた蔵が火事になった。無論、それは男の所有する蔵だった。宇之助がそこに駆け付けた折には時すでに遅く、鎮火もむなしく、食物は全て灰になった後だった。だが、ヤツは奇妙なことに気が付いた」


 矢の先端に取り付ける(やじり)と呼ばれる部分が、灰の中に埋まってたんだよと、祖父は俺の目を見てそう話した。俺はその話にどんどん引き込まれていった。


「宇之助は前に見た火矢を思い出した。あれが今度は蔵を狙ったんだと、そう思ったらしい。だがな、当時は食物というのは今よりもずっとずぅっと貴重なものだった。特に宇之助の取り立てで村は飯に飢えていたからな。だから恨みがあったとしても、盗みこそすれ燃やすなんていうのはもってのほかだった」

 祖父がピシャリと駒を置く。桂馬(けいま)が俺の金と(ぎょく)、どちらも狙える形勢だった。


「宇之助はますます気味悪く思ったことだろう。そんな中、今度はヤツの家が燃えた。またしても、鏃が中から見つかった。次は神社の本殿が狙われるのではないか。そう考えた宇之助は、神社を守るどころか、自分の身を案じて山に引きこもったそうだ」

 俺は仕方なく玉を左に動かした。祖父はハッハッハと笑って俺の金を奪った。


「だがな、紀一郎。その後、宇之助はどうなったと思う?」


 俺はしばしの間考えてみたが、ついぞ何も思いつかず、首を横に振った。すると祖父がニヤリと笑って言った。


「宇之助はな、矢に撃ち抜かれて死んだんだ」


 衣服は燃え、体のあちこちがただれて倒れている宇之助を、給仕の女が見つけたそうだ。宇之助は誰にも隠れた場所を告げていなかったというのに、火矢に射抜かれたのだ。祖父は先ほど取った金を玉の前に置いた。


「王手だ、紀一郎」

 金を取ろうとしたが、その上には歩がいる。いやまだ左に空きがある。そう思って駒を動かそうとしたが、右上の角がそこを睨めつけているのを見て、俺は玉を静かに元の位置へと戻した。そんな俺を見て、祖父は少し微笑んだ。


「いいか、紀一郎。この男はなァ、神職の座を奪うような真似をした時点で死ぬことが決まっていたんだ」

 今思えば、祖父が桂馬をあそこに置いた時点でどうあがいても俺の負けは決まっていた。それなのに、俺は負けに気付かず、玉を逃がし続けていた。それはまるで宇之助の逃げ様にそっくりだった。


 さっ、終わりだと祖父は立ち上がった。そして、駒を仕舞い、盤を片付ける俺に祖父は言った。

「紀一郎、お前も私利私欲のために動く人間には絶対になっちゃいかんぞ。でないと、」

 

 火矢に呪われちまうからな


          〇

11月8日 午前5時23分

 翌日、俺は祖父が大切にしていた蔵へ向かうことにした。まだ空が少し明るくなったくらいで辺りは暗い。鍵は祖父の部屋の畳の下の窪みに隠されていた。小さい頃、祖父がこっそり教えてくれた秘密の場所だ。俺は鍵を拾い上げると、そっとポケットの中へそれを入れた。普段は耳が遠いくせに、何か隠し事があると祖母はそれをすぐに嗅ぎとって地獄耳に変容する。俺は細心の注意を払って、物音を立てないように外に出た。


 あいつの車はまだ玄関先に停められたままだった。昨日はそのまま家に泊まっていったのだろう。一晩でもあの男で同じ屋根の下で寝たのかと思うと俺は吐き気がした。蔵は、家から少し山へ入って竹林を抜けたところにある。そのずっと先の方まで岩祭家の土地らしいのだが、正直、広すぎて俺もどこまでが私有地なのかわからない。


 途中、木の上で休んでいた鳥や草むらの中にいたウサギが俺を見て蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げて行った。昨晩雪が降ったのか、ところどころ地面が白い。ツンと刺すような空気が俺の鼻を刺激した。そうこうするうちに、俺は蔵へとたどり着いた。なかなか立派な石造りの蔵で、祖父はなんとか石とかいう有名な石を使っているんだと話していた気がする。


「入るかなぁ」

 ここ数年は蔵に来ていない。もしかして鍵が変えられてしまっているんじゃないかという不安を抱きながら、俺は分厚い南京錠に鍵を挿した。


ガチャリ


 よかった。どうやらカギは変えられていなかったらしい。ということは、中身も恐らく持ち出されてはいないはずだ。ゲームやアニメでしか聞いたことがないような重たい音を立てて、扉が開く。屋根の近くに二つ、小さな穴が空いているのみで、外からの光はほとんど入ってこない。蔵の中は真っ暗で何も見えなかった。俺は手元の懐中電灯をつけると、ゆっくり蔵の中へと入っていった。わかってはいたが、蔵の中の埃でむせ返りそうになる。


「えーっと、たしか・・・」

 土埃でどろどろに汚れた(きり)箪笥(たんす)や幾本もの刀、何が入っているかすらわからない木箱を横目に俺は奥へと進んでいく。すると、虎のあしらわれた大きな屏風(びょうぶ)の横にきらりと輝くものが目に入った。


「あった!」


 俺が駆け寄った先にあったのは、深い赤色に染められた三日月のような形をした弓だった。ご丁寧にその横には矢が何本かおかれている。それを見つけた瞬間、俺はほくそ笑んだ。これで火矢の呪いが実現できる。思わず、声が漏れだす。あまりにも事が上手くいきすぎて、俺は笑いを抑えることが出来なかった。どっちが悪役なんだかわからないなと自嘲(じちょう)しながら、それを肩にかけてきたボストンバッグに入れようと手に取った時、俺は弓の大きさに愕然(がくぜん)とした。弓ってこんなに大きいものなのか。


「参ったなぁ」


 これは思わぬ誤算だ。地面に叩きつけられたような気分だった。せっかくここまで来たのに、骨折り損のくたびれ儲けとはまさにこのことだろう。しばらく呆然としてそれを眺めていたが、そのままじっとしていても弓の大きさは変わりやしない。もう諦めて帰ろう。そう思って俺が振り向いた時だった。


 屏風に立てかけられるようにして、十字の形をした弓?のようなものが置いてあるのが俺の目に留まった。これは恐らく、(いしゆみ)というやつだろう。最近ではボーガンとでも言っただろうか。俺はそれを手に取って、まじまじと見つめた。


「いける・・・」

 これなら簡単に持ち運びができて、隠れて使うのにも便利だ。口角が上がるのを抑えることが出来ない。これは復讐のためだ。父と母の(あだ)()つんだ。俺は心の中で、改めてそのことを認識すると弩をバッグに仕舞(しま)って蔵を後にした。鍵を閉めるとき、興奮で手が震えていたのを今でもよく憶えている。


          〇


 手始めに、俺は叔父の車のタイヤに矢を放った。練習のつもりで撃ったのだが、これが思いのほか命中した。音はほとんどしなかったように思う。矢の先に油で濡らした紙を巻いて、そこに火をつけて撃った。だが、(いしゆみ)の威力は相当なもので、飛んでいく最中に火は消えてしまった。だが、別にそんなことはどうでもよかった。なぜなら、これは俺の復讐のほんの序章に過ぎないのだから。


 自室に戻って、俺は何事もなかったかのように数学の教科書とノートを開いて、勉強を始めた。一時間ほど経った頃だろうか、外からなにやら騒ぐ声が聞こえる。多分、叔父がタイヤに突き刺さった矢に気付いたのだろう。俺は内心ざまあ見やがれと思いながら、何食わぬ顔をして勉強を続けた。ものの数分後、どたどたと階段を昇る音がして、勢いよくドアが開かれた。


「お前がやったんかアッ!」


 鬼のような形相をして祖母がまくし立てる。心なしか、その顔が殺されかけた父を思い出させた。


「お前、やっていいことと悪いことがわからんのか!」

「急になんだよ」


 俺は努めて冷静に答えた。


「久彦の車に矢を刺したのはお前だな?」

「何を言ってんのばあちゃん。もう少し落ち着けよ」

 俺の返答など一切聞こえていないようだった。祖母はその場で一喝すると、もういいと言って部屋を出て行った。


「なんなんだよ全く」

 そう言って俺が机に向き直ると同時に、聞きなじみのない女の声がした。


「ごめんなさいね、紀一郎君」

 俺はその声に驚いて、思わず仰け反る。


「つゆ子さん、いたんですか・・・」

 そこには叔父の妻であるつゆ子という女が立っていた。


「ええ、お義母様(かあさま)尋常(じんじょう)ならない様子で上にあがったものですから・・・」

 叔母は(うつむ)きながらそう答えた。


「あの、よそ者の私がこういうのもなんですけど、なんだか今回のこと変だと思いませんか」

 彼女は胸の前で右手を抑えて、何か言いたげそうにこちらを向いてそう言った。

 

 今回のこと・・・急に当主を継ぐと言い、自身のポリシーを180度転換した叔父。不祥事をもみ消していち早く事態を収めたい祖母。つゆ子さんはその間に挟まれて、どうしたらよいのかも分からず、困惑しているのだろう。そう言った意味では叔母も岩祭家の騒動に巻き込まれた犠牲者の一人と言える。だが、俺は長男の息子だ。この女の味方をすることはできない。


「さあどうでしょうか。別によかったんじゃないですか。あなたはこれで、晴れて岩祭家当主のお嫁さんだ。願ってもみなかったことでしょう」

 俺は机に目を移しながらそう答えた。自然と言葉に怒気がこもる。


「でも、紀一郎君、」

「いいから出て行ってください。あなたと話すことは無いです」


 余りの強硬な姿勢に叔母は観念したのか、そっとドアを閉めて、音もたてずに下に降りて行った。外では祖母のギャーギャーと騒ぐ声がまだ聞こえてくる。俺は脈打つ心臓の音を抑え込むように深く息を吸った。その日、またあの刑事が家にやってきたようだが、祖母が追い返したようだった。


          〇


11月15日 午後11時半過ぎ

 一週間後の夜。俺は県境のとある大学へと足を運んだ。次の狙いは、叔父が代表を勤めている研究室だった。一秒でも早く、あいつの家を燃やしてやりたいという気持ちで山々だったが、ここは逸話に(のっと)って少しずつ外堀を埋めていくことにした。無論、最後はあいつの胸を射抜いてやるつもりだ。大学と言っても活気があるのは平日の昼間だけで、深夜には人っ子一人いやしない。それに今日は休日で警備体制も甘くなっているはずだと踏んだ。監視カメラに写ってもすぐに身元が特定されないように、全身黒づくめの格好にフードを被り、首にネックウォーマーを身に着けて口元を隠した。案の定、大学は水を打ったように静まり返っていた。


 事前に学校でコピーしてきた大学の構内図をポケットから取り出す。教師に見つかった時は肝が冷えるような心地がしたが、咄嗟(とっさ)に「高校受験をするにあったって、その先の大学受験のことを見据えて進学先を決めたい」と話したら、いともたやすくごまかすことができた。我ながら口が達者になってきたと思う。


 地図に目をやり、改めて目標を確認する。この大学は理系学科と文系学科で南北に建物が分かれている。叔父の専門は歴史学。南棟の東側、三階のJ309があいつのオフィスだ。地図を仕舞い、俺は忍び足で南棟に向かった。叔父の研究室はネットで調べたら簡単に出てきた。大学の教授一覧から叔父の名前を探し、研究生募集のリンクをクリックするとそこに『見学は南棟三階J309へ!』とデカデカと掲載(けいさい)されていた。馬鹿な野郎だ。もっと自分の身を(かえり)みた方がいい。まあ、俺にとってはこれ以上に無い好都合だったが。


 南棟の入り口まで来て、俺は鍵が開いていないことに気が付いた。おかしい。3年前に起こった震災以来、俺の高校ではいつ何時(なんどき)災害が起きてもいいように、非常扉は常時解放されている。大学もそうではないのか。そう思って非常扉の窓をよく見ると、土休日祝日は閉鎖していますという張り紙がされていた。


「クソッ!」

 俺はドアを思い切り蹴飛ばした。


「俺の邪魔しやがって!」


 その言葉を叫んだとき、プツンと意識が途切れた。そして気づくと俺は、灰色の壁に囲まれた廊下に立っていた。同じような形をしたドアが整然と並んでいる。


「あれ・・・」

 そこは南棟の中だった。目の前にJ309という札が張り付けられたドアがあった。ドアノブのところに『岩祭研』と書かれた木のネームプレートがひっかけられている。いつの間に俺は校内に入っていたんだ?


 まあいい。とにかくこのドアに矢を放って、いち早くここを出よう。俺は(いしゆみ)を手に構えると、ギッという音を立てて(つる)を爪にひっかけた。あとは・・・引き金を引くだけだ。


シュバンッ!


 またも見事に矢が放たれた。矢はネームプレートを貫通し、ドアに突き刺さっている。俺はライターを取り出して、じっくりと矢とネームプレートを燃やした。逸話通りの火矢(ひや)ではないのが心残りだが、火事になると騒ぎが大きくなるのでここは我慢した。放火罪なんて下らない内容で、この計画を邪魔される方がよっぽど嫌だった。俺は周りに誰もいないのを確認して、静かに校舎から外へ出た。


 両鍵なのに非常扉はなぜか開いていた。


          〇


11月16日 午前7時19分

 大学の一件は地元紙の地域面に小さく掲載されただけで、誰も話題にすらしなかった。だが、それでいい。俺はあいつを恐怖に(おとしい)れられさえすればあとはどうでもよかった。


 あくる日の晩、またあの居間で祖母と叔父が話しているのが聞こえた。階段に隠れるようにして聴いていたのではっきりとは聞き取れなかったが「オヤジの言ってた・・・」「まさか火矢が・・・」とそんなワードが聞こえてきた気がした。計画は(おおむ)ね順調のようだ。俺はしめしめと笑って自室に戻ろうとした。一瞬、その会話の中に若い女の声が混じっていたような気がした。叔父に娘なんていたかな。まあ、気のせいだろう。


 そんなことより、次はいよいよあいつの家を燃やす時だ。実行にあたって、俺はちょっとした細工を施した。それは矢の中に火薬入れて、導火線に火をつけてから飛ばすというものだ。祖父が言っていた火箭(かせん)の話が大きなヒントになった。今回の計画は祖父に助けられてばかりだ。きっと、俺のことを草葉(くさは)(かげ)から見守ってくれているのだろう。俄然(がぜん)やる気が湧いた。火箭の作り方は図書館に行って調べた。火薬は蔵にあったが、湿気(しっけ)て使い物にならなかったので、駄菓子屋やホームセンターで爆竹を買った。ついでに花火も買ってそこから導火線を取り出した。何ともありがたいことに、うちの家の土地は気が遠くなるほど広大だ。市街地からもかなり離れているし、火矢の練習にはもってこいだった。それから数日、俺は学校から帰るとすぐに山へ行って火矢を飛ばした。何度も失敗したが、ようやく多少はいい塩梅(あんばい)に燃えるものが完成した。


「やったぞ!」

 両腕をあげてそう叫んだところで、俺はへなへなとその場に座り込んだ。ここ数日、ろくに飯を食べていない。心なしか最近、ちょっと運動をしただけで息切れをするようになった。


「ここで負けてたまるか」

 俺は勢いよく地面に手をついて立ち上がった。


 だが、俺はそこでまたもや気を失った。いや正確には、記憶が抜け落ちているとでも言うべきだろうか。気づくと俺は自室のベッドで寝ていた。慌てて時計を確認する。時刻は夜の8時を回ったところだった。よかった。計画の時間まであと2時間もある。俺はホッと安堵(あんど)して起き上がると、部屋の中をぐるっと見回した。ふと下を見ると、普段使っているスクールバッグが床に置かれている。中には三本の火箭(かせん)(いしゆみ)が一式そこに入っており、バッグの横には丁寧にも自転車の鍵まで用意されていた。


「自分でやったのか・・・?」

 ダメだ。何も思い出せない。最近、こういうことが増えた気がする。とりあえず小腹が空いたので、俺は下に降りることにした。


「―――――はい、はい。どうも。ええ、それじゃあよろしく。」

 カシャンという受話器を置く音が聞こえた。祖母が誰かと電話していたようだ。階段を下りる音に気付いたのか祖母がこちらを向いて言った。


「紀一郎、起きたのかい」

「ああ、ちょっと腹が減ってさ。なんかある?」

 祖母はため息をついて呆れた調子でこう返した。


「なァ紀一郎、お前、なんかあったのかい?」

 その言葉に俺は間髪入れずに答えた。


「なんかあったもなにもないだろ!」


 祖母は純粋に心配してくれているのだとわかっていながら、俺は声を荒げてしまう。

「・・・ごめん。なんでもない」


 もう寝るよ、おやすみとそれだけを告げて、俺は呼び止める祖母の声を無視して二階に上がった。


          〇


11月20日 午後10時ごろ

 俺は事前にまとめてあった荷物と冷蔵庫に入っていたおにぎりを一つ手に持って外へ出た。祖母はいつも夜9時には床に就くので、この時間に出かければ気づかれることはない。外の空気は(りん)と張りつめていて、吐く息が白い。俺は腹に入れることだけを考えて、おにぎりにかぶりついた。かつて、戦乱の世に奇襲を行った武士たちも、今の俺と同じ気持ちだったのだろうか。俺は武者震いをして自転車にまたがった。


 叔父の家はここから自転車で一時間半ほどのところにある。距離にして二十キロ弱といったところだろうか。別に何キロだっていい。何時間かかろうとも、俺はそこへ行くのを(いと)わない。計画は今、折り返し地点にある。最後は新神主を祝う祭りで、あいつを直接射抜いてやる。この祭りは岩祭家独自のもので、いわばお披露目会のようなものだ。開催は明日土曜日。祖母のカレンダーを見て確かめたので間違いない。俺はまだ参加したことはないが、父は祖父が神主になった際にその祭りに参加させられたとよく言っていた。地元の人間はもちろんのこと、全国各地から親族が集まることだろう。そんな大勢の人間に囲まれて、あいつは死ぬのだ。


「フッ、フヒヒッ」


 自分でも気持ち悪いと思うような笑い声が喉からかすれるように漏れ出す。ああ、なんていい気味なんだ。これで俺は、岩祭家の当主になれるッ!


 そんなことを考えながら、疎水(そすい)に架かる橋を渡った時だった。後ろからパトカーのサイレンが鳴ったと同時に、拡声器から発せられる雑音交じりの声で呼び止められた。本当に最悪なタイミングだと思った。自転車を停めて待っていると、黒のセダンがゆっくりと横に停車した。意外にもそれは覆面(ふくめん)パトカーだった。ドアウィンドウが下ろされる。


「きみ、中学生? こんな時間に危ないでしょう」

 そこにいた男に俺は見覚えがあった。確か、木元とかいう刑事だ。俺は鼓動(こどう)が激しくなるのを感じた。


「・・・すみません」

 どうやら相手は俺に気付いていない様子だった。俺は次に来る質問に備え、頭の中のギアをフルノッチで加速させた。


「あのね、最近ここらへんで妙な事件が立て続けにおきているんだよ。親御さんが心配するから早く帰りなさい」

「わかりました、すみませんでした」


 刑事はそれを聞くと、じゃあ気を付けてと言って車を発進させた。

 そうか、俺は今ネックウォーマーを身に着けている。それにここは街灯も少なくて妙に暗い。だから気づかれなかったのか。俺は今が冬であることを幸運に思った。それからは何事もなく、叔父の家までたどり着いた。途中、道の上にカカシが置いてあるのを見た気がするが、まあ気のせいだろう。叔父の家が見える高台を見つけ、そこで火箭(かせん)(いしゆみ)を取り出す。


「スーゥハァ、スーゥ」

 とっくのとうに自転車を降りたはずなのに息が上がったままだ。ここまで来て、俺は緊張しているのだろうか。気を紛らわせようと、俺は自分の頬を引っ叩いた。


 火をつける前に、(いしゆみ)火箭(かせん)をセットして、叔父の家を狙う。叔父がいると思われる二階の角部屋には、煌々(こうこう)と明かりが()れ出していた。大丈夫だ。俺にならできる。そう確信して、俺はライターを取り出した。シューッという音を立てて導火線に火が付く。


「ヨシ、いくぞ」

 俺は片眼を(つむ)って(いしゆみ)を構え、狙いを定める。距離はそこまで離れていない。引き金に手をかけ、人差し指と親指に力を込めた。


・・・おかしい。なぜか、それ以上力を入れることが出来ない。導火線はどんどん短くなっていく。寒さで体がおかしくなってしまったのだろうか。手が硬直して動かない。


「ああ、クソッ!」


 プツンとブラウン管テレビが消されたかのように視界が暗転した。意識が戻った時には、叔父の家には火の手が上がっていた。三本の火箭(かせん)は全て手元になかった。


          〇


11月21日 午前9時47分

―――――続いてのニュースです。昨夜、本蓮町(もとはすまち)五丁目、東蓮町駅付近にある住宅で火災がありました。この家に住む岩祭久彦さん、妻の岩祭つゆ子さんとは現在連絡が取れており、無事が確認されています。妻の岩祭つゆ子さんによると、昨夜、お湯を沸かしたまま外出してしまったとのことで、警察と消防はそれが出火原因とみて調査を進めています。


一夜明けた今日、さすがにあの火災はニュースに取り上げられてしまった。出火原因は全く()ってでっちあげだが大方、祖母がつゆ子さんに言わせでもしたのだろう。大事になるのはなるべく避けたかったが、致し方ない。それに計画は今日で全て完遂(かんすい)する。


 そんなこととはつゆ知らず、祖母や叔父は、今朝から祭りの準備に追われていた。俺と弟はまるで他人扱いだった。今日一日、家から出てくるなと言われて、朝食も食べず、ベッドで横になっていた。弟は昨日うまく寝付けなかったのか、部屋に戻るとすぐに寝てしまった。俺も正直、今すぐにでも寝たい。


 昨日、叔父の家を燃やすことに成功した俺はその高揚感とそれまで張りつめていた緊張感で、終始フラフラと倒れそうになりながら自転車をこいで帰宅した。あの高台を出る時、何か人影のようなものを見たような気がするが、そんなものに構っていられなかった。途中、気分が悪くて何度も嘔吐した。とてもまともな状態ではなかったので家に着く頃には、時刻はとっくに丑三つ時を過ぎていた。そのまま着替えもせずに寝た。


 そして今朝、体内の水分が不足しすぎて、喉がちぎれるような激痛で目を覚ました。文字通り最悪な目覚めだ。だが俺は全く不快ではなかった。俺の人生は今、あの計画を遂行するためだけにあると言っても過言じゃない。むしろ、このために生まれてきたのだとさえ感じるようになっていた。


 ああ素晴らしい。本当に素晴らしい朝だ。今日、今日こそこの手で、あいつを仕留めることができる。


 多分、笑っていたと思う。頭の中はあいつを殺めることでいっぱいでそんなことどうでもよかった。祭りが行われるのは午前11時ちょうど。開催までもう一時間ほどしかない。それはつまり、俺がこの岩祭家の当主になるまであとたったの一時間だけだということだ。今すぐにでも祝杯をあげたいところだが、それは後のお楽しみとしておこう。


「フフフ、フフ、フヒ、フヒヒヒ」

 こうしちゃいられない。早速準備に取り掛かろう。俺は全身の骨をゴキゴキと鳴らしながらベッドから立ち上がった。火箭(かせん)はもうすでに準備ができている。あとは(いしゆみ)(つる)。念の為、これを交換しておこう。俺は弩を片手に押入れの襖に手をかけた。


「ん?」

 襖の端から赤いものが飛び出している。よく見ると、それは(ほこり)が被らないよう中に入れておいた大判風呂敷だった。俺の中に何か引っかかるものがあった。俺はかなり几帳面(きちょうめん)な方で、机の上も勉強が終わるたびに教科書を並べ直しているし、衣服も洗濯が終わったらすぐに棚に仕舞うようにしている。そんな俺が、襖からはみ出した布をそのまま放置するだろうか。考えれば考えるほど頭が真っ白になっていた。


―――――誰かが俺の部屋に入った?


 次の瞬間には俺は勢いよく(ふすま)を開けていた。そして、倒れ込むようにして鳩サブレの缶を手に取ると、ものすごい速さでそれを開けた。

 替えの(つる)は確かにそこにあった。入れた時と同じように、新品の靴下やパンツに紛れて端っこにちょこんと入っている。


「なんだ・・・気のせいか」

 杞憂だった。そうだ。この計画は完璧なんだ。誰かにバレるなんてあるはずがない。だが何か嫌な予感がした。


「少し早めに行くか・・・」

 段取り八分仕事二分。これは母が料理をするときによく言っていたことだ。思えばこの計画も、準備に相当の労力を割いてきた。その努力ももう少しで報われる。俺は荷物をまとめると足早に家を後にした。


         〇


同 午前10時52分

 祭りはもう間もなく始まる。火矢の逸話が本当なら、あの男はこの祭りには出てこないはずだ。じゃあ、あいつはどうすると思う? 山にでも行くか? そんなわけがない。昨日、あいつの家は俺が燃やして、今は祖母の提案で一時的にうちに住むことになっている。あったとしてもうちに帰ってくることくらいしか、あいつには出来っこない。それに祖母とあいつは火矢の話を憶えていた。なら逆に『呪いに打ち勝つためには逃げずに神社に居ればいい』だなんて考えているはずだ。馬鹿な奴らだよ本当に。思わず口元が緩む。


 俺は神社を一望できる小高い丘に潜伏していた。この丘は、俺が昔よく遊んだ隠れ処だ。勝手は一番よく知っている。

 しかし・・・なんだかちょっと様子がおかしい。参加している人間に顔見知りがあまりいない。それに人数がかなり少ない。昨日の叔父の家の火災を見て、みな参加するのを恐れているのだろうか。


 全くことごとく馬鹿な連中だ。俺はお前たちには微塵(みじん)も興味はないというのに、オーディエンスが減るとこの計画のフィナーレに花がなくなってしまうではないか。


「クソッ、クソクソクソッ!」

 俺は身をかがめながら足を地面に叩きつけた。どこまで俺の華々しい計画を台無しにすれば気が済むんだ? まあいい。まあいいさ。俺はあいつを殺すことが出来るならなんだっていい。


「フフ、フヒヒ、フヒヒヒヒ」

 細い管を空気が通り抜けただけのようなそんな笑い声が俺の口から発せられる。その時、境内から神楽囃子(かぐらばやし)の独特な演奏が流れ始めた。


―――――ピーーーーーピーーヒャラヒャーーーーヒャーーピラピーー

―――――ドドンドドンドン ドドンドドンドン ドココドドンパンッ


 神楽笛の音色を皮切りに大太鼓や大拍子(だいびょうし)を叩く音がそれに合わさる。


 俺は舌なめずりした。ああ、なんて素晴らしいのだろう。

 この計画の最後が! フィナーレが! それを彩る素晴らしい演奏によってさらに美しさを増している。


「さあ、お前はもうおしまいだァ!」


 弦を爪にかけ、(いしゆみ)を構える。火箭にいつでも点火できるよう、ロウソクに火を点けた状態で待機する。(やじり)の先は真っすぐ、神主が登壇するであろう大舞台を見据(みす)えている。狙いはバッチリだ。全てのものが今この時、このためだけに存在している。そんな甘美な言葉が俺の脳内を駆け巡る。本殿の扉が開いた。烏帽子(えぼし)を被り、真っ白な狩衣(かりぎぬ)を身にまとった叔父が姿を現した。


 会場から拍手が湧き起こる。叔父が一歩、二歩と徐々に舞台に近づいていく。


 三歩、四歩・・・


 そして今、舞台の階段に足をつけた。一、二、さ



「紀一郎くん」

 突然後ろから声を掛けられ、俺は慌てて振り向いた。


貴様(きさん)だれじゃ!」

 そこにいたのは一人の少女だった。


「私は月待(つきまち)ミコ。あなたを・・・いいえ、あなたに掛ったその呪いを止めに来た」


 何を訳の分からないことを・・・


「ヒッヒッヒ、もう手遅れじゃ!」

 あれ、いま口が勝手に・・・

 そんな戸惑いを無視するかのように体がおもむろに動かされる。まるで誰かに操られているみたいに。そして俺は弩を掴みなおし、なりふり構わず引き金を引いた。その瞬間、ものすごい激痛が走る。


バシュンッ!




・・・あいつは、あいつは死んだか?

 

 目がくらんでよく見えない。数秒経ってから、俺はようやく目の焦点を合わせることができた。が、そこには何事もなく挨拶のスピーチを始めるあの男が立っていた。


「な、なぜだ!」

 啞然(あぜん)とする俺の手元に、真っ二つに切れた弦が落ちている。

 そして、その少女はこう言い放った。


「だから言ったでしょ。止めに来たって」


          〇


 そのあとすぐ、近くに待機していた警察によって、岩祭紀一郎は身柄を拘束された。器物損壊、建造物等損壊、放火、殺人未遂・・・と中学三年生が起こしたにしてはあまりにもセンセーショナルなその事件は、世間の話題を一気にかっさらっていった。


 普段なら決して目にすることがないこの閑静(かんせい)な町・萩島が、まさか連日ニュースで()沙汰(ざた)されることになるだなんて、たぶん誰も予想していなかったでしょうね。プライバシーなんてお構いなしに、彼の自宅から学校、学習塾、さらにはかつて通っていたというスイミングスクールまでテレビで流れた時には、さすがの私も呆れてしまった。最近のメディア様は天下でも取って気でいるのかしら。まあでもあと一年もしたら、萩島の名前なんてみんな忘れているわ。


 さて、岩祭家に関して、最近不穏な動きがあるという連絡を受けたのがほんの一か月前のこと。それから色々調べていく中で興味深いことが分かった。まずこの岩祭家の成り立ちについて。

 

 伝承では、元々飯倉(いいぐら)神社で神職をしてきた一族・御門(みかど)家が途絶えたから、それを引き継ぐ形で武家から神職へと転身したとある。でもこれは真っ赤な嘘。戦乱が終わって武士としての収入源を失った岩祭家は、武力行使で無理やり御門家から飯倉神社を奪い取った。その上、彼らは土地や財産まで奪い取り、御門家を領地外(りょうちがい)へ追放した。火矢の逸話は、御門家を乗っ取ったことの大義名分(たいぎめいぶん)として、二代目の貴一郎(きいちろう)が作らせたものだった。奇しくもその名があの長男坊の名前と同じ読み方なのは何の偶然なのかしらね。ま、それは置いといて。問題はここからだった。


 萩島を追放された御門家は当時の時代背景もあって、最初こそそれを受け入れていた。でもこの逸話を聞いて態度が一変した。そりゃそうよねぇ、自分たちを悪者扱いして・・・ちょっとひどいと思うわ。さて、そんな御門家が何をしたか。そう、岩祭家に呪いをかけた。一族同士で争わせて、ゆくゆくは滅亡へと追い込むという呪いをね。この呪いは本当に強力なものだった。でも彼らが思っていた以上に岩祭家は結束が強く、一族同士でいがみ合うなんてことはほとんど起こらなかった。だから呪いを掛けられても効果はなく、それどころか呪いの存在にも気づかない始末だった。御門家はさぞ悔しかったことでしょう。察するに余りあるわ。さて、ではなぜ今回のような一連の騒動が起きてしまったのか。


 紀一郎の叔父・岩祭久彦は、亡くなった元当主・善一郎から岩祭家の成り立ちと御門家の呪いのことを伝えられた。善一郎は自分の死期を悟って、歴史学を研究していた久彦にその真実を確かめて欲しかったのね。その結果、久彦は全てを知ることになる。そう、実は彼の妻・つゆ子は御門家の末裔であることがわかった。問題なのは、それを妻のつゆ子に打ち明けてしまったことだった―――――


          〇


12月19日 午前9時5分

供述調書 岩祭つゆ子 昭和三十四年五月十六日生(三十九歳)

取調官 木元重昭 一九九八年十二月十九日


「これからいくつか質問をします。まずあなたには黙秘権が認められています。言いたくないことは別に言わなくても構いません」


「はい」


「それは始めます。まず今年の11月6日、岩祭弥一郎氏の証言によれば、あなたは彼とその妻・岩祭美夜子氏に相談したいことがあると言って、夏目湖外周へドライブに誘いましたね?」


「はい」


「その後、道の駅『山代台(やましろだい)くまがみ』の駐車場において、休憩中の両氏の車に細工を施し、事故に見せかけて殺害しようとしましたね?」


「はい」


「その後、あなたは細工が警察にバレないよう、炎上している車からそれを取り外し、あろうことか二人を置き去りにした。右手のやけどはその時に負ったものだ。そうですね?」


「はい」


「わかりました。では次に、岩祭善一郎氏の遺言書について、彼の遺言書からあなたの指紋が検出されました。妻の岩祭タヱ氏の証言によると、遺言書は葬儀の際、彼女によって持ち込まれたもので自分以外の人間には一切触らせていないとのこと。つまり、あなたは葬儀で読み上げられる前、遺言書に何かした」


「はい」


「それは『後継者は兄の弥一郎に』という文言を『二人で話し合え』という文言に内容をすりかえることだった。そうですね?」


「はい」


「動機について聞かせてもらえませんか。あなたもご存知でしょう。あなたがやったたった二つのことが原因で今、岩祭家は壊滅状態。世間は蜂の巣を突いたように大騒ぎしている。ね、一体何が動機なんです?」


「はい」


「はいはいはいはい言ってねェで、ちったァ話してくれませんかね」


 被告人しばしの沈黙


「・・・知って、」


「え、なんです?」


「知って、しまったんです。」


「知ってしまった? なにを?」


「フ、フフ、アハハ」


「笑ってないで質問に答えてくれませんか? 岩祭さん」


「アハ、アハハ、アハ・・・・・・だからこれは、()()()()だったんです」


 その後、被告人はその場で発狂。会話の継続は困難であると判断し、取り調べを一時中断した。


          〇

12月22日 午後3時20分

 拘留されてから何か月が経ったのだろうか。看守のやつが言うには、俺は今、世間で最も注目されている中学三年生らしい。どうでもいい、そんなこと。俺は岩祭家の当主にさえなれればそれでいい。


「おい、672番」


 看守が俺に向かってそう言った。俺の名前は岩祭紀一郎だと何度も言っているのにこいつは聞く耳を持たない。脳なしだ。


「672番、面会者だ。さっさと立て」


 看守に無理やり連れだされて、俺は透明のガラスで仕切られた無機質な空間に放り出された。


「お久しぶり、紀一郎くん。元気してたかな?」

 そこには、あの時見た少女が座っていた。


「あぁ、ああああぁぁ、」

 そいつがいる場所めがけて思いっきり突進した。


ガンッ!


「おまえのせいで! おまえのせいで!」

 ゴンゴンと鈍い音だけがその空間に響く。


「コラッやめなさい!」

 看守に両腕を掴まれる形で引きはがされる。それでも俺は抵抗し続けた。そんな俺を見下すような目すると、その少女はため息をついて話し始めた。


「じっとしてられないなら、そのまま聞いてね。私は今日、あなたに真実を伝えに来た。普通、未成年かつ凶悪犯罪者である君とは、第三者である私はお話しすることはできないんだけど」


 そう言うと少女は立ち上がって一枚の紙を取り出して俺に見せつけた。


「あなたの祖母・岩祭タヱさんから委任状を預かっているわ」

 俺は何を言っているのか理解できなかった。少女は座り直すと話を続ける。


「単刀直入に言うけど、あなたのお父さんとお母さんを殺そうとしたのは叔父さんの久彦さんじゃない」

 一呼吸おいて、少女は言った。


「叔母のつゆ子さんよ」


「つゆこ・・・おば・・・」

 俺は部屋の前で弱々しく俯く彼女の姿を思い出した。


「この一連の事件は、つゆ子さんが岩祭家を崩壊させ、乗っ取るために(くわだ)てたものよ」


「・・・。」


「ま、正確には崩壊させるための()()()()()()()()っていった方が正しいかしらね」


 それからその少女は、岩祭家の成り立ちと御門家の呪い、つゆ子が御門家の末裔であったことを告げた。岩祭家が御門家から神職を奪い取り、今日まで何食わぬ顔で存続してきたこと。御門家はそれを恨んで、一族同士が殺し合う呪いを岩祭家にかけたこと。そして叔母のつゆ子が御門家の末裔であり、その復讐に俺はまんまと利用されていたこと。


 もう、十分だった。


「あなたはね、その呪いに踊らされた可哀想な犠牲者の一人なのよ」


「やめてくれ・・・」


「あなたは岩祭家を取り返すつもりだったんでしょうけど、元々は御門家の物を奪ってできたのが岩祭家」


「やめろ・・・」


「あなたは復讐する側じゃなくて復讐をされる側だったの」


「やめろォ!!!」

 断末魔のような叫び声が、面会室に反響した。


「もうわかったから・・・もう、いいから・・・」

 感情なんてとっくにどっかに落としてきたつもりだったのに涙があふれだしてきて止まらない。俺はとんでもないことをしてしまったのだ。悔やんでも悔やみきれない。本当に、本当に・・・。


「今の話を聞いて、」

 少女が立ち上がる。


「そんだけ泣くことができるなら、あなたは呪いなんかに負けたりしない。もっと強くなれるわ」

 それだけを告げると、こちらを振り向くこともなく少女はその場を立ち去った。


 扉の閉まる音と俺のむせび泣く声だけが、そこに残っていた。


         〇


「にしても、まさかこんな近くでこんな数奇な事件が起きているとはな」

 俺はおにぎりをほおばりながらミコにそう言った。


「ほんとよ。世の中、案外狭いものね」

 今回の事件で、飯倉神社は正式に解散されることが決まった。誰もあの曰く付きの神社を引き継ごうとするものなどいなかった。捕まった紀一郎の弟・宗二郎は、今ではどこか人知れないところで祖母と二人でひっそり暮らしているようだ。一方で叔父の方は、妻のつゆ子が逮捕されたあと、すぐに行方不明になった。大学にも顔を見せていないらしい。誰もその行く先は知らない。


 報道から数ヶ月後、紀一郎の父と母は一時的に意識は戻ったものの、その後、病院で亡くなった。彼自身については心神耗弱状態であったことが認められ、今では精神病院に入院して更生に向けて励んでいる。中学生には重たすぎる家庭事情と無差別ではなく怨恨(えんこん)から生じた事件であることを鑑みて、15歳ならまだ間に合うと司法が判断したのだろう。もちろん世間の批判が全く無かったと言えば嘘になるが。


 問題は叔母のつゆ子だが、一審で懲役7年の実刑判決が下されたものの、検察側が控訴し、これから二審へと判決が持ち越されるらしい。


「つゆ子を担当する裁判官はやだろうなぁ」

 俺がボソッと呟く。どこから漏れ出したのか、つゆ子が御門家末裔の復讐として、紀一郎を利用し、岩祭家を壊滅させたという話が週刊誌やワイドショーなどで取り上げられてしまった。今、世間では『世紀を越えた大復讐』としてこの事件が注目されている。あまりの話題性に、某有名作家がこの事件を元に長編ミステリーを書くなどと公言しているらしい。


「まあ、呪いなんてものに明確な罪状は無いからね。いっても15年くらいが関の山じゃない?」

 ミコはそう言うと、手に持ったホットティーラテを一口飲んだ。


「あ、そういえば、深山君に感謝しないといけないことがあるわ」

「え、なんだよガラでもない」

 フフッと笑ってミコは続けた。


「私が紀一郎くんを追い詰めた時ね、彼、やっぱり矢を放とうとしたのよ」

 ミコが俺の方を向く。


「だからね、深山君の提案で偽物の(つる)をあの部屋に仕込んでなかったら、もしかしたら久彦さん殺されちゃってたかも。ほんとに危ないところだったわ、ありがとう」

 そう微笑むミコに、たまには俺も役に立てたのだと少しうれしかった。しかし、俺の頭に一つの疑問が思い浮かぶ。


「あれ、だけどそれって紀一郎が弦を張り替える前提の話だよな? もし張り替えてなかったら、どうしてたんだよ」

「そんなもん、ハサミでちょん切ってたわよ」

 平然と答えるミコに俺は苦笑した。


 こうして事件は幕を閉じた。ミコは今回の事件について、忸怩(じくじ)たる思いが全くないということもないなどと、なんだか小難しい言い回しをしていたが、俺が思うに多分これがもっとも死亡者の少ない結末だったんじゃないかと思う。俺たちは十分よくやったよ、ミコ。


 そう思う俺をよそに、ミコはどこか遠くを見つめていた。

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