もう勇者とかどうでもよくね
「農業とか、やってみようかな」
今や世界を手中に収めようという勢いの売れっ子魔王が、玉座の上でふと思い立ったかのように言った。
「もう勇者とかどうでもよくね」
これには側近の魔術師が即座に反応する。
「何を仰いますか魔王様! 暇すぎて気でも触れてしまったのですか!?」
「ひどい言い草だ。そういうわけではない。ただ、魔王という職はどうも先がないと思ってな」
「お言葉ですが、その様なことは決してございません! 魔王様は未来永劫、この世界を支配してゆく絶対的な存在なのですぞ!」
「それはそれでダルいわ」
「言葉遣いにはお気を付けください! 万が一、そのような言動が配下の魔物に目撃されたら大変です!」
「だってさぁ……」
魔王は玉座の上でへなへなと姿勢を崩す。
「一日こうして玉座に腰を下ろして色々考えているとだな、つくづく思うのだ。少しでも世のために働いた方が善いのではないかと」
「魔の王とは思えぬ平凡な発想! なぜそのようなお考えを……ああ、お労しい」
失礼を承知ながら魔術師は杖で床を叩きながら歩み寄る。
「そんな姿勢では憎き勇者に勝てませんぞ!」
「そいつ本当に来るのか」
「来るでしょ! 現に、各地で配下たちと戦闘をした報告が挙がっております」
「その報告っていつが最後だ?」
「……は、半年前です」
「もう来ないだろ」
側近はどう説得しようかと頭を掻く。
「未だ勇者の死亡報告は受けていませんから、恐らくここへ来るまでに着々と力を身に付けているものと思われます、はい」
「絶対強いだろ。負けるぅ……」
「自信を持ってください!」
「勝てねぇよ。我、座ってるだけだもん」
「魔王様は生まれながらにして強大な魔力を持っております。それゆえ、勇者がどれほど鍛えてこようとも……」
「魔力分からん」
「え?」
魔力が分からない?
幻聴かと思った魔術師は訊き返す。
「え?」
「だから、その魔力って何か分からん」
「……魔の力です」
「バカ。今の、ここ数百年で一番バカな発言だったぞ」
「魔法を使うための、内に秘められた力です」
「魔法って絵本の中の話じゃなかったのか……」
(絵本みたいな存在が何言ってんだか)
魔術師は毒吐きたい衝動を抑え、簡単な魔法を実演してみせる。
「このようにですね……」
魔術師は手の平の上で赤い炎の玉を作る。
「うわすご」
「新鮮に驚かんで下さい」
「それ熱くないのか」
「自分で作ったものですので温度は調整できます」
「マジシャンかよ」
「初めから魔術師を名乗っておりますが……」
続けてその炎を氷塊に変え、氷塊を解かして水に、雫が落ちた先で花を咲かせ、最後に突風で花を散らして見せる。
「どうですかな」
「その得意気な顔は気に入らんが、すごいな」
「これは初歩の初歩。魔王様なら朝飯前ですよ」
「朝飯は食わせろ」
「ものの例えです」
しかし魔王のうーんと唸る。
「せっかく面白いものを見せてもらっておいてなんだが、普通に直接相手を殴った方が強いのではないか」
「それはまぁ、敵によって相性がありますので」
「勇者が全然魔法効かない奴だったら?」
「私は手も足も出ません」
「よわ。側近のくせにそんなもんなのか」
「ぐっ」
相手が魔王とはいえ、魔術師にも魔の者としてのプライドがあった。
「では少し手合わせしてみますか」
「ほぉ。まさか我と手合わせしようというのか」
「そう言いました」
「面白い。闇のベールに隠された王の力、少しばかり見せてやろう」
激戦、そして二分後。
「え、よわ。全然話にならないじゃないですか魔王様」
ボロ雑巾のような魔王が謁見の間に倒れていた。
「ずるいだろ、宙を飛んで炎弾を撃つだけなんて……」
「魔王様がすごい形相で殴り掛かってくるから」
「必死だったんだぞこちとらぁ……!」
「いや、少しだけ力を見せるって話だったじゃないですか」
「ふっふっふ、そうだ、本番はここからだァ!」
魔王は怒りのパワーで立ち上がろうとするが、ダメージは重く、身体の節々がプルプルと震えて言う事を聞かない。
「生まれたての子鹿じゃないですか……」
「誰が馬鹿だ」
「言ってないです」
「くっ、なぜ貴様ごときが我を見下している?」
「急なドラマチック……何も誤魔化せてませんよ」
「無理か」
「え、なんか……え? 話変わってくるなぁ……」
「お、おいやめろ。そのような良からぬ考えは捨てるのだ!」
「私が今、何を考えているか分かりますか?」
偉大な魔王は明確な怯えの色を見せた。
「我の、魔王の座を狙っているのだな?」
「そこはボケないんですね」
「ふざけるな、我はボケたことなどただの一度もない」
「ここまで全部素材の味だったのか……まぁ、そうですね、少し違いますが、立場が揺らいでいる事を自覚してくれているなら話が早くて助かります」
「くぅ……そうか、そうだよな……」
ごろんと転がって天井を見上げる魔王。
たまらず、その瞳に水分がたまる。
「魔王、泣いているのですか」
「さりげなく呼び捨て……な、泣いてなどいない」
無様な自分を見られるのが恥ずかしくて、潤んだ両眼を左腕で隠す。しかし、その仕草が却って泣いていることを強調してしまった。
「ふっ、ずっと椅子にふんぞり返ってきたツケが、こうも早く回ってくるとはな。我ながら哀れなものだ」
魔王は口元で自嘲的な笑みを作るが、静かに唇を嚙んでいた。
「我には魔王の才などなかったのか……」
「今まで何もしていませんから。むしろその実力でよく魔王をやってこられましたね」
「王は図太いものなのだ」
「説得力がありすぎる……」
ようやくふやけた顔を晒した意気消沈の魔王へ、側近はそっと右手を差し出す。
「さぁ、貴方の魔王ライフはもう終わりです」
「……我を始末しないのか」
「先ほどの戦いで確信しました。貴方は生きていても脅威にはなり得ません」
「つい数分前まで玉座に居たのに……たった数分で立場が逆転した……」
悔しい気持ちを抱きながらも魔王は差し出された手を取る。不思議と、今しがたのダメージが嘘のように体が軽くなっていた。
「これを機に農業でも始めてみてはいかがですか」
「魔王も満足に勤まらなかった我にできるだろうか」
「適さなければまた別の職を探せばいいでしょ」
「……そうだな。貴様はどうする」
そして魔王は頬を引きつらせた。魔術師が見た目に合わぬウインクをしたのだ。
「もちろん勇者を迎え討ちますよ」
「配下にはどう説明する」
「お忘れですか。力を持った配下はみんな倒されました。勇者たちにとって残る標的はこの魔王城だけです」
「……そうか、その話題も随分前のことだったからマジで忘れていた。ギリギリだったのだな、我が軍は」
何も貢献できずに去ることしかできない自分が不甲斐なく思われた。
しかし元側近は穏やかに言う。
「魔王の経験を生かして、これから有意義な人生を送ればよいのです」
「うむ、随分と浅い経験だったがな」
魔王は自分が数分前まで座っていた玉座を見る。
深き闇より目覚めてから早三年、まさかここを巣立つ日が来ようとは。
「世話になったな、魔術師。達者でな」
「魔王様も……いえ、元魔王っちも頑張って」
「すごい馴れ馴れしい」
こうして魔王は自らその職を下り、新たな人生を探しに出た。
半年後、魔王城を訪れた勇者たちに魔術師は手も足も出ずボコボコにされることになる。
無様ながら命からがら逃げ切った魔術師は、近隣の村で静かに暮らしていた元魔王によって救われることになるのだが、それはまた別のお話。