『待つ』『命の水』
『待つ』
太宰は待った、ゴドーを待った。
花鳥風月、動物たちも、
老若男女も、ひたすら待った。
それは惨禍の、終わる時。
血の流れない、平和な世界、
誰も死なない、黄泉の国。
素晴らしい新世界、
誰も生まれぬ、天の国。
ちがう、ちがうよ、そうじゃない。
わたしが待つは、愛し君、
けれどあなたは、来はしない。
では何を待ち、誰を待つ?
わたしの胸は、知っている。
そしてこの身も、感じている。
『命の水』――柳田國男「遠野物語、奴ノ井」より
太古なるわだつみは、
雷電に打たれ俄に息つぐ。
命の兆し未だなし。
今は昔か遠野の郷で、
東禅寺にて伽藍建てんと、
篤く願いし僧ありき。
無尽和尚と呼ばれたり。
老僧は境内にこそ、
泉欲しきと思いたり。
見守るは峨々たる峰ぞ、
早池峰山ぞ、その神に、
祈らんと、和尚はそこに、
据えられた、丸石へ飛び乗りて、
願立てし。
その夜半、霊験ありて、
十五夜の月、見上げし和尚が、
目にしたは、白馬に乗った女神なり。
据えられた石、後に名づいた来迎石に、
白馬ともども、ひらりとばかり、舞い降り給う。
かくて女神は誓い交じわし。
「ここに授くぞ霊泉を、
違わぬものぞ、わが口伝。
しかれども、そちの心いかにぞや」
女神それだけ言い残し、
夢の如くに消え失せし。
そのあいだ和尚は慌て、
筆と墨もち験をば、
残さんとせしがところが、
どうしたことか、字を忘れ、
苦し紛れに筆走らせて、
馬の耳まで描いたなら、
女神はすでに消えしなり。
その馬の耳、神意などかと
和尚さま、来迎石のその上で、
日々に誦経に励んだと云う。
その厳粛な姿と声を、時に女神は、
目にし、耳にし感心したり。
これが遠野の古伝なり。
早池峰山は今も厳とし、
寂れた古寺の、東禅寺をば、守りたり。
今も湧きつるその井戸は、
奴ノ井や、開慶水と呼ばわれり。
その水面にて、映す人影は凶事なり。
たまさかの、大雨降らすと伝えられたり。
井戸端に据えられたるは、長柄の杓。
泉に影を、落とさんする、知恵なり。
わだつみの息は継がれて、
ここにありしは奴ノ井戸。
命の水は今も枯れまじ。