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誰かを不幸にするなんて 1


 ようやく見つけた少女は、涙を流していた。


 頬を赤く腫らし、足からは血を滲ませ、顔を涙と鼻水でくしゃくしゃにして。


 自分ではない者を想って、泣いていた。


 君のせいではないと何度も言った。


「違います。違うんです……」


 ただの偶然だと何度も諭した。


「わたしは、わたしは……なんで」


 その度に少女は首を振った。


「幸せ屋が、誰かを不幸にするなんて」



「トラッド様、こ、この度は幸せ屋をご利用いただき、ありがとうございます」


 トラッド・ベーヴェエムが幸せ屋と初めて会ったときの正直な印象は、おどおどとした気弱そうな少女だった。


 応接室の身体の沈むほどのソファに浅く座り、秘書が運んできた紅茶と茶菓子には一口もつけない。時折伏し目がちな顔を上げてはトラッドの顔色を窺い、目が合えば途端に逸らす、ただの人見知りの少女。


 気まずい沈黙を続けまいと、トラッドはソーサーとカップを打ち鳴らした。


「正直、少し驚いているよ。てっきり怪しげな占い師の老婆が来る者だと思っていた」


「も、申し訳ございません……わたしみたいな子供で……信用できない、ですよね」


「そんな、いい意味でさ。君のような可愛い子が来てくれて嬉しいよ」


 空気が緩んでくれればと巧むトラッドだったが、少女はもはや照れも謙遜の一言を発することもできないほどに固まっていた。


「うん、美味しい。よかったら君も飲んでくれ。紅茶は温かいのが一番だからね」


 食用のために餌を与えられていることを悟ったうさぎのようだ、小刻みに震えながら紅茶を口に運ぶ様子に、トラッドはひとり思う。


 覚えたやりづらさは心のうちに留める。おそらく、これが最善策だろうと続けた。


「とりあえず、仕事の話をしようか」


 □


 静か過ぎた応接室とは打って変わって、一階のエントランスは喧騒に包まれていた。


「もっと右寄せたほうがいいんじゃない?」


「発注した数とテーブルの数合わないんですけど」


「空いてる人ゴミ外に出して!」


「地べたに部品ほったらかすんじゃねえぞコラ!」


 トラッドが満足げに頷くのは、それが皆の熱心さゆえだから。


 正面扉が開いていない今、裏口から入った少女はその景色を初めて目にしていた。


「改めて、ようこそトラッド・カー・カンパニーへ! 社長のトラッド・ベーヴェエムだ、来てくれてありがとう」


 エントランスの中央、表玄関からの客を出迎えるように配置された四台の自動車。


 活気と熱意と自信に溢れた空間に圧巻されながら、少女は差し出された手を取った。


「とは言ってもまだ準備中だけどね。開店は三日後、開所式をする予定なんだ」


「伺っております。それで、依頼内容についてですが……」


 言いながら少女がトランクケースから取り出したのは、一通の手紙だった。トラッド・カー・カンパニーから、幸せ屋に仕事を依頼する手紙だ。


「オープンを盛り上げてほしい、とのことですが」


「うん。もしかして、難しいかな?」


「いえ、ただ……もう少し具体性を出していただけると、ありがたいです。成功の基準ですとか、『こんなことがあって欲しい』というようなことでも構いませんので」


 ユーモアに富んだ、怒り方を知らない大人、それが少女がトラッドに抱いた印象だった。


 だから、彼が頬を掻いて言い淀んだのは意外だった。


「気を悪くしないで欲しい……そうだな、子どもが誕生日パーティーを派手なものにしたくて捏ねる駄々だと思ってくれ」


「?」


 一息。トラッドは言った。


「僕は君の魔法とやらを疑ってはいないけど、信じてもいないんだ」


 革靴を鳴らして歩く彼の背に、少女は黙って続いた。


「幸先のいいオープンになりますように、そう願ったことを形に残したくて呼んだ。敢えて悪い言い方をすれば、盛り上げ役のような認識だった」


 カツンと、最後の音が一際大きく響いた。トラッドが少女に振り返る。


「仕事なのは忘れて、気を悪くしたら帰ってくれて構わない。ここまでにかかった分のお金は出すよ」


「……いえ」


 少女には、トラッドが私利私欲の権化とも、開き直る気障な人間とも思えなかった。


 嘘がつけない。嘘をつくのが有効だと理解していて、それが許せない。


 生きづらいとわかっていながら、素直に生きることしかできない。


 哀しく、正しい人。


「最初から信じてもらえるとは、私も思ってません。けど、幸せ屋の仕事はお金だけが目的ではないです。お客様への礼節を気遣っているのでもなく、わたし個人の目的があるので……最後までやらせていただきます」


 真っ直ぐ目を合わせてきた幸せ屋に、トラッドは目を瞠った。


 少女が強がって意地を張る子どものように見えて、けれど、呆れも嗤えもしなかった。


 肩身を狭くしてでも、まっすぐ生きづらそうに生きる少女がいた。同情と、それゆえの少しの哀れみと、大きな嬉しさが入り混じった末に、トラッドは小さく笑んだ。


「……疑ってはいないから、信じないのもやめよう。ぜひ頼んだよ」


 優しく強い眼差しに、少女は身体に力を入れて頷いた。


「ありがとうございます……それでは、いくつかこちらで案を出して選んでもらう形にするので……会社のこと、それから、出来れば周辺の事情について、詳しくお聞きしてもいいでしょうか?」


「周辺。街のことかい?」


「はい。忙しいようであれば、私が直接見て周るのですが……」


「いや全然まったく。言ってて悲しいけど、今はスタッフが優秀で暇なんだ。いくらでも説明するし質問には答えるけど……そうだ」


 思いつくや否や、トラッドは近くで指示を出していた秘書を呼んだ。短い会話の後、秘書はどこかに姿を消して、上機嫌なトラッドだけが残った。


「せっかくなら、自動車会社らしくドライブに行こうか」

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