灰の花嫁 2
空には薄く雲がかかり、冬の匂いが漂っている。どこからか運ばれてくる乾いた花の香りを頼りに、やがて幸せ屋は一軒の花屋を見つけた。小さな木製の看板には『エイヴァリーの花束屋』と書かれている。扉の向こうからは誰かが鋏を落とす音が聞こえた。
コンコン。
「すみません。開いていますか?」
程なく扉が開き、現れたのは長い黒髪を低く結った女性だった。青いエプロンドレスを見に纏い、痩せ細った頬に微笑みを浮かべていたが、その目の奥には深い影がある。
店の中に彼女以外に誰かがいる気配はなかった。
「わたしは幸せ屋と言います。ミリア・エイヴァリーさんは……いらっしゃいますか?」
「あなたが幸せ屋さん?」
「はい。ミリアさんから依頼をいただいて参りました」
「私がミリアよ。ミリア・エイヴァリー」
女性を前にして幸せ屋がミリアを探したのは、依頼者が若い女性だと知っていたからだ。まさか目の前の女性がミリアだと思えないくらいに、彼女はひどく老けて見えた。
「どうぞ。こっち」
案内された店の中では季節外れのラベンダーが静かに香っていた。一階は花屋として使っているようで、沢山の種類の花が咲く大小様々の植木鉢が並び、壁際には装花用の背の高いテーブル、その下に水桶が置いてある。
幸せ屋は二階に通され、テーブルを挟んで一対の木製の椅子に腰掛けた。
背もたれに赤いマントケープを畳んで掛け、部屋を見渡す。一人で暮らすにはやや広く、物が少なく簡素なわけではないが、棚や小物、装飾のどれもが、まるで息を潜め死んでしまっているように幸せ屋は感じた。冬の寒空と同じ、灰色で乾ききった部屋の空気が肺に入ってくる。棚の上には倒された写真立てと懐中時計、それから何枚もの手紙が積み重なっている。
しばらくして、紅茶を淹れたミリアが部屋に戻ってきた。花の香がする紅茶だった。
「依頼のこと、読んでもらえてるかしら」
一息つき、朝が始まって間もない時間なのに、疲れた様子でミリアは言う。
「はい、いただいたお手紙で」
ミリアは立ち上がると、棚に伏せられた写真立てを上げた。その指先の震えは、ひどく重いものを持つかのようだった。
「……一年前よ。炭鉱の崩落事故に巻き込まれて死んでしまったの」
名はカイ。短い金髪の若い青年で、白い歯を見せて写真の中で笑っていた。生きていればミリアと同じで、今年で二十三の年だったという。
「それで、貴女にお願い……彼との記憶を消してほしいの」
その声は驚くほど静かだった。
気が抜けきった、諦めたような声音。
「構わなければ、理由をきいてもいいですか?」
ミリアは短く鋭い息を吐いた。
「彼のことを思い出すと苦しいのよ」
夜に目が覚めて隣にいないことが。
一人食事を摂るときの空いた椅子が。
何をするときも、何処に行くときも彼がいた。
だから何をしても、何処に行っても彼の姿が過ぎり、彼のいない現実が息を苦しくさせる。
「新しい恋をしても比べてしまう。いい人だった、優しかった……もうずっと、前に進めていないのよ」
幸せ屋は黙って頷いた。
「思い出が、辛いのですね」
「ええ……だから、お願い。彼の記憶を、私の中から消して」
テーブルの紅茶の上から、湯気がすうっとのぼっていった。
「記憶を消すことは、簡単にできます」
「そう。なら、」
「……カイさんのことを忘れて、ほんとうに、それで幸せになれますか?」
ミリアは答えなかった。ただ唇を固く結んで、溢れ出しそうな何かを堪えるようにコップを両手で包み込んだ。
けれど、その沈黙こそが、答えだった。




