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魔女は一本の幸せ屋  作者: キオ


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11/24

誰かを不幸にするなんて 3


 初日の夜は、会社に置かれた簡易ベッドで眠ることになった。


 オープン前の忙しさで草臥れた社員がいるにも関わらず、一室を少女のために貸し切るという大層なもてなしだった。加えて、扉前には屈強な護衛付き。申し訳なさから、少女はどうやって上手く断れたものかと一晩中頭を悩ませていた。




 ほとんど一睡もできないまま朝を迎えた。




「……水道、どこだっけ」




 ブーツに脚を通し、扉のノブを下げる。




「よう、早起きだな嬢ちゃん」




 次の瞬間、少女の寝ぼけた頭の中は、恐怖一色に染まった。


 壁に背を預けたその男は、少女の二倍弱はあるだろう、筋骨隆々の巨躯。顔の彫りの深さと目つきの悪さは、故郷で危険とされていた灰色熊を連想させた。




「おっ、おお……おはようございます、ザダグ様」




「あんまし寝れなかったみてぇだな」




「とんでもないです、おかげさまで……ずっと、ここにいらしたのですか?」




 困り事があったら、いつでもなんでも彼に聞けばいいとトラッドから言われていた。ゴキブリが出たら食べてくれると笑っていたのに、少女は愛想笑いしていた。




「社長からしつこく言われたからな。何かあったらウカイスの森に放り捨てるってよ」




「それは、さすがに……」




「凍死する心配はねぇなら別にいいけどな」




 遠慮なく床に座り込むザダグに、少女は困り顔を浮かべた。




「昔は傭兵だったもんでな。森で熊殺して、ゴキブリ食ってた時期もある」




 なるほど、あれは冗談ではなかったらしい。




「そう怯えんな、取って食いやしねぇよ」




 起きたなら用済みだと、ザダグは真新しい木床を軋ませながら離れていく。


 角で姿を消そうとしたその間際、一度足を止めて、片目だけで振り返った。




「やること済んだら、応接室に行きな。社長が待ってる」




「トラッド様がですか?」




「残念ながら、うちの社長はあいつ以外いないな」




 地を這うような低い声でそう言うと、今度こそ、ザダグは去っていった。




 □




 窓の外に朝霧のカーテンを見つつ、少女は応接室の扉を叩いた。




「やあ、おはよう」




「ひぅっ」




 その声が聞こえたのは、少女の背後からだった。




「驚かせるつもりはなかったんだけど、ごめんね。ザダグから起きたって聞いて、もう少し支度に時間がかかると思ってたから資料を整理してたんだ」




「お客様をお待たせするわけにはいかないので……」




「ストイックだなぁ、嫌いじゃないよ。朝食を用意させてるから入って」




「し、失礼します」




 中ではちょうど準備が終わったところらしく、秘書の一礼が出迎えてくれた。




「今日の予定は作ってる?」




 朝食は野菜をたっぷり使ったサンドイッチ。みずみずしさを口いっぱいに堪能しながら頷くと、ふと、少女はトラッドの窺うような視線に気づいた。




「特に急ぎではないので、御用があればそちらを優先させていただきますが……」




 窺い返す少女に、トラッドは恥じ入るように笑った。




 □




 太陽が昇り、朝霧が晴れてもなお、そこは霧がかったように視界が霞んでいた。


 それは温められた結露ではなく、砂塵だ。




 クヤート西部、貿易や漁業のための港とは別で海岸部に面した場所。トラッドはそこを工業区域だと少女に説明し、こうも言い直した。




 貧民街。




 行政機関こそ工業区域と呼称し、それは決して誤りではない。生産工場やそれに必要な資材の積載場の設立案が施行され、正式に完成させられた地域だ。結果として、立ち退きと地価の上昇で行き場を無くした市民が住み着くようになってしまっただけで。




 色褪せ灰色にまみれた煉瓦の家屋。変色した工業用潤滑油。垂れ流しの汚水。


 窓を閉めても防げない汚臭に、少女は身を捩って車窓から離れる。




「クヤートのことを知りたいなら、新市街を見るだけで事足りる。けど、新市街だけがクヤートじゃない。奇麗な部分だけを見せるのは卑怯な気がして声をかけたんだ。僕のエゴで気分を悪くさせてしまってごめんね」




「いえ……」




 見かける人の誰もが力なく、屍のように地べたに座り込む人さえいた。いや、と少女は口元を押さえた。蝿が集り、烏がつついているあれは、もう。




「この街は背中についたほんの少しのシミから目を背け続けて、気づいたら真っ黒になっていた。それでも、わかった上で無視を続けた。半分も汚れたら、落とすより染め上げるほうが楽だからね」




「そんなの、街の一部を捨てたも同然です」




「その通り。けど、行政はそれでいいと判断した。皮肉なことに、人は生きたがる。どれだけ劣悪な環境でも生きるために働き、それで物資が回ってしまう。街は潤いを得て、着飾ることができる」




 目を背け続ければ、シャツの表が汚れることはない。


 真っ黒に染まった背中は、もういくら汚れても関係ない。




「でも、それではいつか、倒れてしまいます」




 汚れて、破れて、使い物にならなくなったら。




「それすらも、上は想定内だったんだろうね。いずれ浄化するときが来るとしても、ブラシで擦るには濃く広すぎる。けれど大量の漂白剤を流し込むには、住み着いた人は妨げになる。だから、斃れるのを待っていた……の、かもしれない」




 一役員の憶測だけれどね、とトラッドは後置した。




「もちろん、そんなことをすればこの街は人殺しの汚名で落魄れる。そのための市長選。そのための新市長だよ。彼の政策はあくまで前向きに発表されているけど、その背後を覗けば悪い顔をした大人でいっぱいさ」




「……それで救われる人がいるのであれば、他に問うものはないと思います」




 神妙な面持ちの少女に、果たして、トラッドは納得いかなさそうに頷いた。




「そうだね。もうじき、この工業区域一帯で区画整備が始まる予定だよ」




 車を走らせ、一般人が立ち入れる最奥部に着き、引き返そうとしたときだった。




「トラッド様、あれは」




 少女の視線をトラッドは追う。そこにあったのは、倉庫というには小さい、やや大きなガレージがあった。




「あれは、自動車……でしょうか」




 けれど。この世界に溶け込むように、歪みを帯び、左右非対称で、薄汚れた、




「塗装前のフレームだね」




「トラッド様の会社のものでは」




「僕のところのは港で部品を仕入れて、そばの工場でそのまま組み立ててるから」




 劣悪な環境と治安ゆえに、車からは降りないほうがいいと少女は言われていた。




 しばらく見ていると、反対車線に黒塗りの自動車が停まり、中からスーツの男が二人姿を見せた。途中まで上がったガレージのシャッターを頻りに叩くと、中からガタイのいい作業着の男が出てくる。作業着の男は明らかに歓迎していない様子だった。野良猫を追いやるふうに手を払い、しかしスーツの男らは遠慮なくガレージに入っていく。




 見る見る溜まっていく憤りがついに溢れたのは、金髪の男がフレームに触れようとしたときだった。細腕を折れんばかりに払い除け、胸ぐらを掴み上げる。空いたもう一方の腕を目一杯引き、しかし、男の顔目掛けて打ち出されることはなかった。




 苦悶の表情を浮かべながらスーツの男が何か言うと、作業着の男がぴたりと動かなくなったのだ。さすがに掴まれた方の男は怯えて後ろに退がり、残った眼鏡の男が二、三言言い残して、スーツの二人は去っていった。

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