雪女達
夜遅く、みんなが寝たのを確かめて、ぼくはランドセルを背負って外に出た。
ランドセルの中には、お姉ちゃんの赤い長靴と、100円均一で買ったスコップが入っている。
雪が固く凍って乗っても沈まないので、ぼくは滑りやすい道を歩かず、雪の上を真っ直ぐに、昼間行った家の跡地へと走った。
昼間の花は、凍って霜の花になってた。ぼくはスコップで穴を掘り出した。
雪も、その下の土も思ってたよりずっと固くて、汗だくになって掘ったのに、半分も掘らないうちに、スコップが折れてしまった。
「バカ!」
ぼくは、折れたスコップをたたきつけて、座りこんだ。
涙と鼻水がとまらず、ホッペに張り付く。体がどんどん冷えていった。
「なにやってんの?」
突然声をかけられて、びっくりして振り向くと、赤いヤッケを着た、ぼくと同い年ぐらいの、女の子が立っていた。
「きみだれ?」
「アタシ、近所に住んでるの。長靴無くしちゃって、探してるんだ。
でも、見つかんなくて。ねえ、手に持ってるその長靴、ちょっと貸してよ。
アタシの家に着いたら返すから。すぐそこなんだ」
見ると、女の子は長靴を片方しかはいてなかった。寒そうにケンケンしてる。
「すぐ返してよ」
ぼくは、しぶしぶ靴をかした。
「サンキュー、こっちだよ」
女の子はサッサと雪の上を歩き出し、ぼくは後をついて行った。
お月さまが真上にきて、昼みたいになんでも見えた。
あとはサクサクって足音だけが聞こえる。
「ね、なんで穴掘ってたの? 宝物でも埋まってた?」
「ちがうよ、お墓掘ってたんだ」
「なんのお墓?埋めるような物なかったけど」
「その長靴、死んだお姉ちゃんのなんだ。お姉ちゃんのお墓作ってたんだ」
「もしかして、3・11の震災?」
「うん。でも、おばあちゃんは、死んだって絶対言わない。
お葬式もしないで、その長靴見て泣いてばっかりなんだ。
おばあちゃんは、ぼくよりお姉ちゃんの方が好きだから。
死んだのがぼくならきっとあんなに泣かないよ。」
「えー? 何でそう思うの」
「だってそうだから。ぼくは、おばあちゃんの嫌いなお母さん似なんだ。
“男のくせに、泣き虫で、あの女ソックリだ”って。
お姉ちゃんは、おばあちゃん似で、強かったんだって。
ぼく、ずーっとお姉ちゃんがうらやましかった。
だからお父さんから『お姉ちゃんが、空色のランドセル選んだ』って聞いて、ぼくも同じの欲しくて、ねだって買ってもらった。
そうしたらおばあちゃん、泣いちゃって、あんなに泣くなんて思わなかったんだ。
それで、お父さんが、“けじめをつけよう”って言いだした。
岩手に行って、お葬式して、お墓立てようって。
きっとお墓があれば、あきらめて、おばあちゃん泣かなくなるんだ。
でも、岩手にきたのに、まだ嫌だって聞かないんだ。
だから、長靴無ければ、きっと泣かなくなると思って、それで長靴でお墓作れば良いって思った。うまくいかなかったけど」
「ふーん。おばあちゃんの事、そんなに好きなんだ」
「うん」
なんで、知らない女の子にこんな事話してんだろ?
鼻水すすりながらぼくは不思議だった。
そのくせ心がなんだか軽くなっていた。
「ほら、ここアタシの家」
いくらも歩いてないのに、家についた。
昼に見たとき、この辺に家は無かった気がしたけど……。
「ほら、入って」
女の子はさっさと家に入った。
「長靴返してよ、ぼくもう帰るよ」
玄関でランドセルを下ろして、ぼくは手を差し出した。
女の子はにやっと笑うと、ぼくのランドセルを取り上げて、ひょいと背負った。
「にあうでしょー?」
「何すんだよ、返してよ!」
「取り返してごらん」
女の子は、さっと廊下の向こうへ消えた。
あわててぼくは追いかけた。
それから後は、もう鬼ごっこだ。家中逃げ回る女の子を必死で追いかけた。
おかげで冷え切った体が、すっかりぽかぽかしてきた。
不思議な家だった。夜中に子供が騒いでるのに、大人が誰も出てこない。
そして、とても古い感じがする。おじさんの家は新品だったのに。
そのせいか、どの部屋もどこの空気も、とても安心できて、幸せな匂いがした。
南向きの縁側。ソファーと、おっきなTVと、ストーブのあるリビング。
片っぽ目玉のダルマさん、水戸の偕楽園のハガキ入れ。
重くてすごく大きい食器棚の上の、干支の置物はうさぎ。
カレンダーは二○一一年の三月(あれ?)。
台所の下の物入れには、梅干しと、梅酒がたくさん入ってて、上の方に神棚。
隣の部屋は、仏壇のあるおばあちゃんとおじいちゃんの部屋で、昔、おじいちゃんが取った、ゴルフのトロフィーと、賞状。コタツがあって……
(へんだなぁ、どうしてぼく知ってるんだろう?)。
階段上がると、右がお父さんとお母さんの部屋。
左が……お姉ちゃんの部屋。
あの子はそこにいた。
「みーつけた!」
ぼくはあの子の手を捕まえた。でも、そこに手はなかった。何も無かった。
「残念、お終いかぁ。タッくんに捕まっちゃった」
途端に家が消えて、ぼくはもとの家の跡地の、掘りかけの穴のところに戻ってた。
家の石の内側の雪に、ぼくの足あとだけが、グルグルと回って着いていた。
ランドセルも、何もなかったみたいに、もとどおりぼくの背中にあった。
女の子の服と、体が白く透きとおっていた。
「ランドセル貸してくれてありがとうね。私、一度も背負えなかったの。
お店に着く前に津波にのまれちゃったから」
女の子は赤い長靴をぬいだ。
両方に“いわいはるか”とマジックで書いてあった。
「これで、お墓作ってね。迎えが来たから、アタシもう帰るね」
気がつくと、白い、沢山の女の人と子供達に、ぼくはかこまれていた。
雪女と雪ん子達だった。そのうちの一人が、ぼくの方へ、滑るように近づいて来た。
連れてかれる、どうしよう!
「タッくんは、連れてかないでください」
別の雪女が割って入った。あの写真の顔の女の人だった。
体は、激しくぽっちゃりだったけど。
(ぼくは、父さんが昔の写真を、大事にしてた訳がやっとわかった)
あの雪女は、残念そうにゆっくり下がって行った。
そのうち雪女たちは、月の方へ向きを変えて歩き出した。
あのぽっちゃりの女の人も、いわいはるかちゃんも。
「タッくんバイバイ」
はるかちゃんが、白い手をふる。
「お母さん、お姉ちゃん……行かないでよう」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりなから、ぼくはおばあちゃんのように長靴を抱きしめて大声で泣き続けた。
ぼくを探しに来たおじさんが、その声を聞きつけて、見つけてくれてもまだ泣き続けた。ぼくはおばあちゃんの泣く気持ちがやっとわかった。
ぼくの目も、次の日まぶたが腫れあがって、開かなくなった。
ぼくの話を聞いて、おばあちゃんは、ぼくの見た家は、3・11でツナミにさらわれた、ぼくの生まれた家だと教えてくれた。
ぼくは家も幽霊になるのかと、おどろいた。
次の日、遅れてやってきたお父さんは、おじさんの娘さんと一緒だった。
二人は初めから示し合わせて、おじさんに結婚を許してもらうために今日来たのだ。
「何が『区切りをつけんとな』だよ」
あきれ果て、おばあちゃんはへたり込み、ぼくもビックリしすぎて、涙が引っ込んでしまった。
おばあちゃんは、やっとみんなのお葬式をあげて、納骨壇という、小さなお墓を買い、お母さんの写真とお姉ちゃんの長靴を、そこに納めた。
東京の仏壇には、新しく位牌が二つ増えて、おばあちゃんは、毎日ナムナムと線香をあげてる。
あれから二年。僕は空色のランドセルを背負って、毎日学校に通ってる。
新しくきたお母さんは、今九ヶ月で、お腹が大きくてすごく大変そうにしてる。
「また男なのかい」
おばあちゃんはため息をつくけど、ぼくは来月、弟に会うのがたのしみだ。
お父さんは、産まれてくる弟のため、タバコとお酒をやめた。
お母さんが、「赤ちゃんを岩手で育てたい」と言ったから、お金を貯めてるんだ。
イロイロあるけど、いつか岩手に帰ろうと、みんなで頑張ってる。
おばあちゃんは今でも、夜に星を見上げて、ツナミに消えたみんなの事を思い、
ぼくは、お月様を見て、お母さんとお姉ちゃんを思う。
※2019年3月11日放送の、NHK震災ドキュメンタリー「あの日の星空」を参考にしました。亡くなられた方々の冥福をおいのり申し上げます。
原案 遠野物語一〇三「雪女、小正月の行事」