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銀と魔法使い  作者: あっちいけ
第3章 純粋で純朴で純情な彼は黒に染まる
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(Side)銀色たちの話

 

 Side:ルイナ


「ルイナ、こんばんは」

「あ、ジャックさん。こんばんは」


 夜。イオさんが見廻りに出かけたタイミングで庭に出て星を眺めていた。


 するとイオさんに見回りを引き継いだジャックさんがやってくる。当然だ、村の門からジャックさんの家の間に私たちの家があるのだから。


 そして今晩もジャックさんは声をかけてくれた。私は庭の柵まで近づいていく。


「今晩も空を眺めていたの?」

「はい、私、空が好きみたいなので」


 ジャックさんも近づいてくる。柵に手をかけ背を預けて、同じ空を眺めてくれる。


 綺麗だった。濃紺の空が山々の額縁に納まって、宝物のように光る月や星が好きだった。


 手を伸ばしても届かない。でも、両手いっぱいに広げればその宝物たちは腕の中に落ちてきそうで。


 そんな夜空が、私は好きだった。


「ルイナは記憶を失う前もこんな風に空を見上げてたのかな?」

「分かりません。でも、きっとそうだと思います」


 答えると、ジャックさんは「ははっ」と笑い声を上げた。


「ルイナ、やっぱり君はお姫様みたいだね」

「あ、莫迦にしてますね?」

「まさか。でも、そんな明け透けに空が好きだなんて、ルイナらしいなと思っただけだよ」

「……やっぱり莫迦にしてる」


 唇を尖らせてみる。そうするとジャックさんは「ごめんごめん」と言いながら、やっぱりまだ笑っていた。


「あはは———うん、ごめん、笑っちゃって。怒っちゃったかな?」

「別にこれくらいで怒ったりしません。でもちょっと不愉快です」

「ごめんごめん」


 満たされている時間。


 幸せなんだろうと思う。色んなものが失われている世界でも、こうして笑っていられることが。


 私は記憶を失っている。だけど、だからこそ純粋に今だけを見つめていられる。


 ジャックさん達は違う。過去を持ち、大切なものを失った傷を負っている。


 楽しいけれど、胸の片隅に棘がある。それは私とジャックさん達では性質が違う。


 悲しい気持ちもある。だけれどそれを表に出すのは間違っている。


 私はジャックさん達に救われているのだから。


 そうして今晩も他愛無いやり取りを交わす。ジャックさんとワンクスさんの狩りの話。私が村の人と交わした話。


 そんな話はすぐ終わる。必要に迫られて、ほとんど毎朝毎晩同じようなことの繰り返しなのだから。


 そうしてほんのひと時のジャックさんとの時間は終わり。今晩もお別れ、おやすみなさい———と、なるはずだった。


「何かありましたか、ジャックさん?」

「え? んー、どうして?」

「いえ、なんとなくです」


 今晩のジャックさんはいつもよりちょっとだけ饒舌だった。あと、遠くの方を向くのがいつもよりちょっと多かった。


 何か悩んでいるんだろうなと、何となく分かった。そして多分、悩ませてしまっているのは私のことなんだろう。でなければ今頃イオさんの方が先にジャックさんの悩みに気づいて解決しているに違いない。


 私のことで悩ませてしまっているのは、心苦しい。ジャックさんは優しいから私に気づかせないように振る舞っているつもりなんだろうけど。


 それであればこちらから踏み込んで、悩みを共有したいと私は思った。


「んー、そうだね。何かあったというかこれからあるというか……」

「……?」

「ん? あっ、ははっ。ごめん、大したことじゃないんだ。だからそんなに気負った顔をしないで欲しいな」


 ジャックさんはそう言って笑った。嘘ではなさそうだ。


 どうやら、悩みがあるというのは私の勘違いだったみたいだ。


「ごめんなさい、変なことを言ってしまって」

「ううん、ありがとうルイナ。心配してくれて———それで、さ。悩んでいたというか話すタイミングを考えていたというか…」

「……?」

「え〜っと———うん、ルイナ。今晩は君に話しておきたいことがあったんだ。まだ起きてられるかな?」

「あ、はい。大丈夫です」


 私は頷く。ジャックさんは居住まいを正して、視線を山の向こうへと移した。


 話すのであれば家の中で落ち着いて、とも思ったけど。ジャックさんは遠い目をして、そのまま話し始めた。


「話したいのは、僕たちの生まれの話なんだ」

「はい」


 言われて、唐突な話題だなと思った。それでいて、確かに今まで聞いたことがなかったなとも思った。


「僕たち、実は孤児院育ちなんだ。イオとワンクス、僕とニーナ。4人は同い年でいつも一緒に遊んでた」


 ジャックさんは語る。途中出てきたニーナさんというひとの名前には聞き覚えがなかった。


 それでもジャックさんは話を進める。私はそれを黙って聞く。


「その孤児院では10歳を超えると運営費のために働かないといけなくなる。得意なことがあればそれぞれそれで稼ぐんだけど、僕たちみんな体力莫迦でさ。みんなで冒険者の手伝いをしてたんだ。荷運びとか野営設置とか、雑用をね」


 聞いていると大変な話だと思うけど、ジャックさんは楽しそうな表情を浮かべて語っていた。


「雇ってくれたパーティーがいいところだったこともあって誰一人死ぬことなく順調に稼げて、たまに鍛錬もしてもらったおかげで体も作られていった。だから僕たちが15歳になる頃にはみんないっぱしの戦力を持っていた。僕なんかスキル使えるようになってたしね」


 スキルというのは戦う者の才能を強化するものだと聞いている。


 強い者がスキルを使えるわけではなく、スキルを使える者が強くなれる。使えるひとと使えないひとの間には絶対の隔たりがあって、さらにそのスキルの中にも順位付けがなされていると聞く。


 ジャックさんが語ったそれは自慢げであり、少しだけ自嘲気味でもあった気がした。


「それで僕たち4人は成人を機に迷いなく冒険者になった。10歳から5年間も冒険者みたいなこともやっていたから4人だけでもやっていけると思ったんだ。だけど元々面倒みてもらっていたパーティーから1人、僕たちのパーティーに引っ越してきたんだ。妹もちょうど成人して一緒に組めるところを探していたって言ってね」

「あ……」


 そこまで語られてようやく分かった。


 この話はジャックさん達の———


「それで入ってきたのがアレスとコレット。僕たち6人パーティーが結成された瞬間だ」


 ジャックさん達の、仲間かぞくの話だ。





 ———それからジャックさんは家族で過ごしてきた時間の話をし始めた。


 冒険の話、仲たがいした話、絆を強く感じた話、そして叶わなかった将来展望の話。


 ジャックさんはそれを淡々と話していって、でも視線は憂げに下がっていた。


「―――それで王都で暮れの災厄に遭って、アレス、コレット、ニーナの3人はいなくなった。孤児院も地割れでなくなっちゃって僕たち3人は何もかもなくしてね。そんな時に王国とギルドから招集をかけられてやけっぱちみたいな指令を受けて、国外へ逃げ出す冒険者たちも大勢いた中で僕たちもやけっぱちになってね。そこからは知っての通り、この村に来てこんな生活をしてるってわけ」

「………」


 最後の話は、呆気なく終わった。


 分かっている。語るにはまだ早すぎる。だからこそ家族の話をしてもらえるだなんて思っていなかった。


 ジャックさんの横顔はつらそうで、薄く寂しげに笑っていて。


 助けたいと思った。だけど何もすることができなくて。手を伸ばすことも、何か言葉をかけることもできなくて。


 ……苦しくて、痛いよ。あなたと私を隔てるものは、こんなにも深くて広い。


 癒してあげられるわけがない。その傷を私は負っていない。


 だって、私は、部外者なのだから……





「それでさ」


 だけど、ジャックさんは話を続ける。


「こんな村にまで来ちゃったんだけど、そこで新しい家族に巡り合えてさ」

「え……」


 驚いて、見る。ジャックさんの目は、また村の遠くを眺めていた。


「新しい家族の名前は、ルイナ」

「…!」


 驚きで固まってしまった。家族、というのはジャックさん達にとってとても特別なものだと知っていた。


 なれるわけがないと思ってた。そんな近くまで、傷みを知らない部外者が近づいて良いわけがないと思っていた。


 何かが奥から溢れていきそうだった。私は無意識に口元を手で押さえていて……でも感情が溢れてきたのは別のところからだった。


 それに気づかずジャックさんは話を続ける。


「暮れの災厄が起きてから、もう家族なんて新しく作らない!って思ってた。失うのが怖くて、失うものをこれ以上増やしたくなくて。だけどさ。新しく家族を迎え入れることはきっと楽しいことなんだって。つらい過去を引きずってばかりじゃなくて、楽しい先のことをちょっと考えてもいいんじゃないかって、その子が僕たちに思わせてくれたんだ」


 ジャックさんは柵にもたれかかり、空を見上げていた。


 今、私は同じものを見上げられない。その横顔を見て、言葉を聞いて、溢れてくるものを抑えられない。


「その子は記憶がなくてちょっと不思議な子なんだけど、僕が出会える世界の中で、きっと一番優しい子。だから僕の———いや、違うかな。僕たちの目を覚まさせてくれたんだと思う」


 違う———違うの。違うんだ。


 私が優しくいられたのは、あなた達がいてくれたから。


 あなた達が、私に優しさをくれた。だから、私が見ている世界は優しいんだ。


「そんな感じ。そう。これは僕たちの新しい家族に、僕たちのことを知ってもらおうと思って———うぇっ!?」


 そう言ってジャックさんはようやく私の方を見て、驚いて目を見開いた。


「あ、あ~。ルイナ、泣かないで。ごめん、急にあんな話、つらかったよね…」


 首を振る。言葉は、まだ出せそうになかった。それでも言わなければと思って、堪えた。


「……ありがとうございます、ジャックさん」

「え?」


 涙が治まらないままに向きなおる。濡れたまつ毛の向こうに、戸惑いを浮かべるジャックさんの顔が見えた。


「私、皆さんの家族で、いていいんですか?」

「え、勿論。っていうか、え、もしかしてそれって嬉し涙?」

「ふふ、どうなんでしょう」


 私にもよく分からない。


 でも、多分、すごく嬉しいんだと思う。


「えぇ…何それ?」


 ほら今も。困っているジャックさんの顔を見る度に嬉しさが溢れてくる。


 ———幸せだと思う。色んなものが失われた世界で、こうして大切なひと達と泣いて、笑って過ごせることが。


 大切にしたいと思った。時間も、ひとも、思いも、全部。


 生きるって素晴らしいことなんだって、私は思えた。












 Side:ルイナ


 夏の陽気が肌を焦がしてくる。この村に来てもうすぐ7か月が経つ。


 とは言ってもそのうちの大半が記憶にない。私がきちんと自分を自覚して、言葉を紡げるようになったのはまだ2か月前のこと。


 5か月間。何をしていたのか朧気だ。ただ目の前で何者かが話しかけてくれているのをたまに感じていた。その何者かが輪郭を持ち始め、名前を認識し、初めて相手の名前を呼んだ時、私は私を取り戻した。


 イオさんと、ジャックさん。曖昧ながらも覚えている。2人にはすごくすごくお世話になってしまった。


 2人に助けられた命と身体なんだ。2人のために役立てたい。そう思った。


 だから―――


「ん? わたしたちのお手伝いがしたい?」

「はい。私でも何かでお役に立てないかと思いまして」


 ジャックさんとワンクスさんが狩りをしている間、留守番役のイオさんに相談してみる。


 イオさんは慣れた手つきで魔物の肉を解体している。今も私の方を、ほけーっとした顔で眺めつつ手元はせわしなく動いている。


「んー、そうだな~……ねえ、それってわたしたちの手伝いじゃないとダメなの? 村のひとたちじゃなくて」

「はい。我が儘を言うようで申し訳ないんですが、そうであった方が嬉しいです」

「ん~、そっかそっか」


 イオさんの手が魔物の体の奥底に突っ込まれる。そして何か引きちぎる動作をした後に出てきたのはぶよぶよとした内臓だった。


 視線は相変わらず私の方。だけど今は思案気にちょっとだけ上を向いている。


「それだとすると何があるかな。狩り、はジャックが止めるだろうなぁ。見回りもルイナにさせるのは厳しいだろうし。解体もちょっと難しいかなぁ」

「あの。解体の作業って、私ではお手伝い難しいでしょうか…?」


 意を決して聞いてみる。


 どうしてわざわざ魔物解体中のイオさんに声をかけたか。それはイオさん達の仕事の中で唯一私で代われそうなのがそれではないかと目を付けたからだ。


 危険はないし、やり方さえ教えてもらえれば何とかなるんじゃないかと秘かに思っていたのだ。


「ん~。これ? 実は結構大変よ?」

「分かっているつもりです!」


 むしろそうでないと困る! 大変な仕事を引き受けるからこそ恩を返せるのだ。


 ―――なぜかイオさんが若干引き気味に目をそらしていた。意図せず縋り付いて手まで握ってしまっていた。


「ご、強引なのね、なかなか」

「す、すみません! 無理強いするつもりはなかったんです…」

「いやいや、いいことじゃない。ちょっと前までのあなたなら遠慮してここまで言ってこなかったでしょう?」

「えっと、多分、そうでしょうか…?」

「きっとそうよ。でも、うん、いいじゃない、いいじゃない。逆にそれくらい強引な方がお姉さん、好みだわ」

「はぁ……ありがとうございます…?」


 褒められたと受け取っていいのだろうか? ひとまず感謝しておいた。


 …あ、お姉さんって言われたけど、そういえば私って何歳なんだろう。イオさんは今年で17歳らしい。それよりは年下なんだろうか? 全然分からない。


 身長だけ見ると私の方が高い。でもイオさんの方がしっかりしている。だから、うん。きっとイオさんの方が年上だろう、うん。


「でも、解体ねぇ。ルイナにできるかな? 例えば―――」


 そう言ってイオさんは解体途中の魔物に手を付ける。


 足の付け根の部分を掴んでぐっと力を込めて、ミチミチッと音を鳴らしてもぎ取った。


「———ふぅっ。まあこんな風に、ナイフで捌いたり、削いだり、手でもぎ取ったり。結構力仕事よ?」

「……や、やってみます!」


 試されている。これができなければ手伝いは難しいということだろう。


 であれば何とかこなしてみせたい。イオさんがもぎ取ったのと反対の足。私はその付け根と胴の部分を掴む。


 実をいうと自信はあんまりない。冒険者稼業でずっと戦ってきたイオさんに力で勝るとは思っていない。


 だけど、やる前から諦めたりはしない。


「あ、そっちはまだ切れ込み―――」

「んっ!!」


 気合を入れて引き抜くと、ブチブチッと肉が切れる音が鳴る。それはイオさんが鳴らしたのよりも豪快な音だった気がするけれど、まだ足はもぎ取れていない。


「んっ、くっ―――!!」


 結構力を入れたつもりだけど、もっと頑張らないといけないらしい。いきんで足をもぎ取ろうとすると更にメリメリッ、ともゴリゴリッ、とも形容しがたい音が鳴る。


 そして。


「———っ、ぷはっ、やった! イオさん、取れましたよ!」


 息を止めてさらに力を入れると、ようやく足をもぎ取れた!


 でも、もぎ取った足を見てみてすぐに分かった。イオさんが取ったのと比較して肉の付き具合があまりよくない。途中から裂けてしまっているようだった。食べられる部分が少ない。


「あ———すみません。力任せにやってしまって……あまりよくない取り方でしたよね?」

「……ううん、そんなこと、ない。全然、ないデスヨ?」


 聞くと、イオさんが何故かあらぬ方向を向いていた。手に何故か持っていたナイフも後ろ手に隠される。口調もちょっとおかしい。


「……イオさん?」

「ええと―――うん、待ってね。ちょっとだけ落ち着かせて。ええと―――」


 様子がおかしい。その後イオさんはこめかみに指を押し当て、深く目を閉じたまま、息を大きく吸って吐いて。


 その様子を首をかしげて見ていると、やがて不意に両肩をバンッと叩かれた。


「うん、分かった! ルイナは、うん、いいね! 教えがいがあるよ!」

「そ、そうですか? 本当ですか?」

「勿論だとも、本当だとも!」

「で、でしたら、私でも皆さんのお役に立てますか?!」

「勿論だとも、立てるとも! あっはっはっは!」


 その後、また変なテンションになってしまったイオさんだったけどやがて落ち着いて、解体する前に毛をどう処理するとか、肉を傷めずにもぎ取るには切れ込みを入れた方がいいとか、懇切丁寧に教えてくれた。


 それ以降、たまに加減を間違えて内臓が飛び散ってしまうこともあったけど、解体は私に任せてもらえることになった。


 こんなことで受けた恩を返しきれるとは思っていないけれど、私が解体したお肉が食卓に並んでいるのだと思うと。


 ちょっとだけ得意げな気持ちになれて、嬉しかった。味はいつも通り、かなり薄味だったけれど。













 Side:???


 私の使命は、あの方にヒトとして平穏に過ごしていただくこと。


 ―――はたして、それはどれほど滑稽な使命だろうか。


『ふ……』


 じっと身を潜め、ヒト族の暮らす村を見下ろしながら、この夜何度目になるかも分からぬ笑いを吐く。


 前世の記憶に囚われ、ルイナと自らを偽る者。その正体は吸血鬼の姫アリス。


 血も飲めず何もできず、根を腐らせていた無能の吸血鬼だった者。


 ―――だが、私は知っている。あの方は吸血鬼を弄ぶように殺し、世界を壊し得るほどの力を手に入れた。入れてしまった。


 危うい力が宿るその精神も、また危うい。いつ記憶を取り戻し、再び絶望に堕ち、その力を破壊のために振るわないとも限らない。


 今世界は壊れかけ、再度の破壊には耐えられない。


 今すぐに殺すべきだ。私の真っ当なところはそう主張している。


 世界―――いや、あるじに再び危害を及ぼす可能性のあるものは排除すべきだ。そう考えている。


 ……だが。


 村の中心の家、その庭先。あの方と彼が仲睦まじく語り合っている。


 話していることはなんてことはない。いたって普通の男女の会話。


 片や世界を滅ぼしかけた存在。片やそれによって最愛のひとを失った者。


 ちぐはぐだ。今見えているのは薄氷のうえに敷かれた仮初の平穏であって、少しでも傾けばあるのは破滅のみ。


 その際、破滅するのが誰か個人で済むのか。あるいは世界なのか。静観するにはあまりに恐ろしい状況だ。


 ……だが。


『ふ……』


 また、笑ってしまった。


 ああ。この平穏のなんたる滑稽さ。これが奇跡的な塩梅で成り立っているのを彼ら彼女らは知らないのだ。


 彼らは仲睦まじく語り合い、互いの距離を縮めていく。


 『平穏に暮らしてほしい』と『ヒト族として扱われたい』という、2つの願い。


 それらが合わさって生み出された滑稽な願い。叶える我が身のことなど案じる気もない、無理無体な望み。


 ―――それが叶えられているのは、彼がいたからこそだ。


『お変わりないのですね』


 目を細め、白銀の少女を見る。


 (⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)の記憶の中では、ほとんど寝たきりであった彼女。そんな彼女のそばに寄り添っていたのは、今隣にいる彼とどことなく雰囲気が似ている者だった。そして、植え付けられた記憶を見ても、やはり幼少の頃から彼女を支えていたのはその者だった。故に、今彼女が彼に惹かれるのはなるべくしてなったということだろう。


 生涯報われることのなかった少女が、心穏やかに過ごせる場所をやっと見つけたのだ。どうかこのままで過ごしてほしいと安易に願ってしまうのは、必要以上に知恵がついてしまった代償なのだろう。


 ……もし彼女の記憶が戻ってしまったら。


 あるいは彼女こそが恋人の仇であると彼に知られてしまったら。


 平穏は崩れ、その時こそ使命を果たさなくてはならなくなるだろう。


 だからこそ願う。


 今この時が少しでも長く続くことを。願わくば、永く、永遠とわに。





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