1-3.4か月前 成人の儀(1)
そうして迎えた成人の儀当日。
「ふふっ」
アリスは吸血鬼の伝統的衣装―――シルクのワンピースと漆黒の外套を身に纏って姿見越しの前に立つ。
満足そうに微笑んでいる少女がそこには映っていた。
今日は第一成人を迎えた者が集って儀を行うハレの日である。今までは憂鬱であったこの日も、今のアリスにとっては待ちに待った日であった。
生まれて初めて血が飲めたあの日以来、アリスは毎日の毎食を血だけで済ませてきた。身体の成長・維持に必要な【魔素】は血から摂取できる。もう味の感じない食事なんてとる必要もなくなった。
来る日も来る日も血を欲した。彼女は血を1日4杯しか許されぬ現状に不満すら覚え、両親により多くの血をねだった。彼女が他人に何かを求めることは、物心ついて以降初めてのことであった。
そのねだりに当初は難色を示していた両親であったが、それでも娘の懇願に負けて1食あたり3杯までの摂取を認めた。それ以上は身体に悪影響であると諭され、アリスも仕方なしに我慢した。
血が飲めるようになっただけで、彼女の世界は色づき始めた。街の明かりや大篝の灯も、常より煌めいたものに見えた。
第一成人は、望まれるほどの良い結果は出せないと思う。幼い頃から血を飲み続けてきた他の新成人と比べて、力が劣っているのは自覚している。
それでも、血呑みの儀では共に血を飲み絆を結んで。
第二成人までには父と母の娘として恥じない力を手に入れて。
皆から期待されて、褒められて、求められる姫として生きていく―――生きていきたい。
血が飲めるようになっただけで、アリスは理想を抱けるようになった。
世界は変わった。灰色から、色鮮やかな方へ。
「アリスちゃん。ちょっといいかしら?」
「あ、はい、母様!」
そんな風に浮かれてずっと姿見を覗いていたところ、扉が軽く叩かれた。遅れて母リリスフィーの声がする。
アリスは扉を開けて母を部屋に招き入れた。
「アリスちゃん、ごめんなさいね。準備で忙しいでしょう?」
「いいえ、母様。カリーナに手伝ってもらって、もう支度は終わりました。見てください!」
アリスはその場でくるりと回ってみせる。普段着より上等なワンピース、黒の外套には紅の刺繍。吸血鬼たる証の銀髪は、さらりと肩の上で踊る。
それらを纏ったアリスは母を見て、にこりと笑ってみせるのだった。
「どうでしょう、母様。おかしなところはないでしょうか?」
「……ええ、アリスちゃん。大丈夫よ。本当によく似合っているわ」
母は目を細めて笑い、感極まったように娘の身体を抱く。抱かれた者は温もりに甘える。
……母は影で、目を薄く滲ませた。
「アリスちゃん。これをつけていきなさい」
そして抱く力を緩めてから、指輪を1つ、アリスの指へ通した。
「母様、これは……?」
「お守りみたいなものよ。母様の祈りが、いつでもあなたを見守ってくれるようにって……でも、ん〜、人差し指もダメね。仕方がない」
色んな指を試してみたが、小さな身体のアリスにはなかなか指輪のサイズが合ってくれない。少々見た目が大仰になるが、リリスフィーはアリスの左手親指に指輪を嵌めた。
「うん、これでいいわ。綺麗よ、アリスちゃん」
「ありがとうございます、母様!」
装飾品の類を身につけるのは初めてではない。ただ、今は指輪の中で輝く翡翠のきらめきに、アリスは高揚感を感じて仕方がなかった。
だから―――
「……アリスちゃんのことは、絶対に守ってみせるから……」
小さく呟かれた母の覚悟は、誰の耳にも入ることなく消えていった。
「これより、闘争の儀を執り行う!」
街の奥―――ナトラサの街よりさらに奥へと続く洞穴を前に、若人が集う。
今年の新成人は延べ48人。その多くが6人一組の隊を為し、吸血王アーデルセンの演説を聞く。
「新たに成人を迎える者達に試練を与える! 過酷な試練になるだろうが立ち向かってみせよ!
その身に宿す力と知恵、勇気を発揮し見事その役目を果たし、我らに新たなる仲間として汝らを迎えさせて欲しい!」
アーデルセンは目の前に並ぶ新成人たちの顔を見回し、彼らの覚悟を目で問う。それを受けた新成人たちは一度頭を下げ、そして真摯な瞳で王へ視線を返した。
その中には、憂いの色が消えた娘の瞳もあった。
(……アリス…)
アーデルセンは心に巣食う憂いを想い、しかし決して顔には出さず、奥底へと繋がる洞穴を指した。
「己の力を余すことなく発揮できればこの試練に打ち勝つことも出来よう!
さあ若人達よ、いざ行け! 吸血鬼としての力と誇りを我らに示してみせよ!」
その力ある命を受けて新成人たちは列を組み、監督官である付添人に率いられ、隊ごとに割り振られた洞穴へそれぞれ入っていった。
「ねーねー。アリスって、もしかしてお姫様ー?」
闘争の儀の戦場となる洞穴に入りしばらく歩いた後。今宵は監督官である侍女カリーナの背について歩いていると、アリスは間延びした声をかけられた。
振り返ると、先ほど顔合わせの際にリカと名乗っていた少女が、まん丸な橙色の瞳で見つめ返していた。
この場にいる以上彼女たちは同い年であるはずだが、リカの顔はアリスよりも10センチほど高い位置にあり、女子たる身体的特徴も顕著である。
その歴然とした差に、魔素不足による成長の遅れの結果がまざまざと表れていた。
「ええ、そうよ」
「うわー、本当にお姫様だったんだー! 同い年だったんだねー!」
リカは目の前にいるのが姫と聞き、きゃぴきゃぴと興奮の声を上げる。
アリスは姫であるものの、今まで公の場に姿を現したことはほとんどない。故にリカはアリスを初見では姫と気づけなかった。
それでも姫の名前はアリス、とだけ知っていた彼女は自己紹介を交わした後に悶々と悩み、とうとう目の前の人物が姫であることに思い至ったのであった。
リカにとって『お姫様』という単語は非常に輝きを持って感じられた。そうして興奮冷めやらない様子のリカに対して、どのように反応すべきかアリスが悩んでいると、後ろから冷ややかな声がかけられる。
「ふん、血をまともに飲もうとしない無能がどの面下げて姫だなどと言えるのだ。我ら吸血鬼にとっての恥だ」
唇を尖らせアリスの背を濡羽色の瞳で睨む少年―――先程ソーライと名乗った彼はライドン男爵家の次男である。
かの男爵は爵位を持っているだけあり王族の話を耳に入れやすく、貴族の間で実しやかにを囁かれているその噂を耳に入れてしまっていた。
『今代の姫は血を飲まないらしい』……もしそれが真であれば大事件である。が、その噂を本当だと思っている者はほとんどいない。
多くの貴族や民は、王が姫を公の場に出さないのは期待されているほどの力を持っていないからであろうと推測している。それほどまでに生まれる前から周りが期待してしまっていたのだ。王が姫の為を思いお隠しになっても仕方があるまい。
そんな中で生まれたその噂である。過剰な期待に応えられなかった姫を揶揄し、『かの姫は血を満足に飲めないに違いない』と貶めるなど、愚か者の妄言である。よって、ほとんど誰もその噂を真に受けていない。
ライドン男爵はそうではなかった。冗談まじりに囁かれたその噂を存分に真に受けてしまい、ついついその話を家族に愚痴ってしまっていたのだ。ソーライもそれを真に受け、アリスのことを見下し、罵る。
「お前…っ!」
「えー、血、飲まないのー…?」
無遠慮―――無礼とも言えるソーライの言葉に、アリスの幼馴染であるカネルが突っかかる。そして『血を飲まない』という言葉を聞き、リカはアリスを不安げな顔で見る。先導するカリーナは一瞬視線を後ろへそらしたが、変わらず歩みを進める。
そうした中アリスは特に気にした風もなく、そっけなく答えるのだった。
「飲むわ、血くらい。毎朝毎晩3杯ずつ飲んでいます」
「……嘘じゃないだろうな?」
「こんなことで嘘はつかないわ」
「…ふん」
アリスの言葉にソーライは疑わし気な目で見てくるが、やがて気勢がそがれたとばかりに視線を逸らした。
その様子を見て、リカは『血を飲まない疑惑』がただの冗談であると思い安心し、カネルも事前にアリスから血が飲めるようになったと聞かされており、アリスが怒っていない様子から話を混ぜ返すのも違うと思い、矛を収めることにした。カリーナは、我関せずを突き通している。
―――カネル、ソーライ、リカ、そしてアリスの4人で一組。監督官であるカリーナを含めて彼ら5人は洞穴の奥へと歩み続ける。
【Tips】魔素
世の生物全てが身に宿す力のこと。彼らは体内及び血中の魔素を消費して魔術やスキルを行使する。
魔素は様々な手段によって摂取が可能であるが、ヒト族のみ過剰摂取してしまうと魂や心に悪影響を及ぼす毒ともなる。
一方、吸血鬼を含む魔族や魔物たちにとっては身体を成長・維持させる為の栄養素となる。