3-8.白髪の青年の物語 承(3)
ルイナが落ち着くまでしばらく。ようやく涙の止まったルイナを引き連れ、イオと一緒に村へと戻る。
直線距離にして徒歩1時間ほど。森を知らない女の子が1人で歩いたにしては相当な距離だ。よっぽど無我夢中で走ったに違いない。
それでも最後は心細さと恐怖に負けて動けなくなってしまっていた。多分、僕たちが駆けつけていなかったら普通はそのまま野垂れ死ぬか魔物の餌になっていただろう。
「イオ、先に戻っておいて」
「ん―――分かった、また後でね」
村の門までたどり着いた。ルイナの安全を確認して、僕は振り返ってまた森に向かう。
訳は話さない。でも、イオは察してくれたようで短く応えてくれる。
「ジャックさん?」
代わりに、ルイナが不思議そうに声を上げる。
「ああ、ごめん。食糧を獲ってこようと思ってるんだ」
「あ……ごめんなさい、私のせいでお時間を取らせてしまって」
「ううん、ルイナとああしてきちんと話すのは、僕にとっても必要なことだったから」
「……ありがとうございます」
お礼を言われる。僕はそのまま背中越しに手を振って、森の中へと入っていった。
―――森を歩いてしばらく。それまで感じなかった大きな気配を急に感じる。
そしてそれは、のそりと動いた。森の影と同化でもしていたのか、僕の目には突然影が実態を持ったようにしか見えなかった。
『ありがとうございます、ヒトの雄よ』
影が瞬きし、黒い瞳が生まれる。そこにいたのは銀狼だった。僕は驚きもそこそこに、首を振って応対する。
「お礼を言うのは僕の方です。ルイナのところまで案内して頂き、ありがとうございました」
『いえ、その感謝は必要ありません。私ではあの御方を救えなかった。私は初めから、あなた達を案内するつもりでいたのです』
「そうなんですか……でも本当は少し、案内してくれたのを意外に思っています。良かったのですか? 僕はルイナを傷つけてしまっていたのに」
思い出す。狼は僕の言葉を聞き、一度は首を振った。あれは僕から期待に応えられる答えが出てこなかったからじゃないかと、今でも思っている。
だけど、狼は再び首を振って答える。
『あなた達はあの御方を同じヒト族として扱って下さっている。その上で傷つけあうこともありましょう。その度に、私が介入していてはあの御方の平穏は守られない。ですからあなた達が追ってきて下さって、本当に助かったのですよ』
「そう、ですか。なるほど…」
言われて、納得する。
つまり、僕は彼に出会ってすぐ事情を話し始めたけど、彼はそんな話を聞かなくても助けるつもりだった。首を振ったのは、そんな話聞かなくても分かっているという意思の表れだった、とか?
……そうだとすると何となく恥ずかしい。これ以上この件を聞くのはやめておこう。
「それにしても、やっぱり僕たちのことを見ていたんですね。もしかして半年前からずっとですか?」
『私の使命はあの御方にヒト族として、このまま平穏に過ごして頂くこと。それを叶える為にずっと見守っておりました』
「それは―――」
ごくりと、喉が鳴る。聞いていいのか? 聞いてしまっていいのか?
それを聞くために来たのに、少しだけ覚悟が揺らぐ。だが、聞かなければならない。この狼の立ち位置を。
「監視、なんでしょうか?」
棘を持って放った言葉に、しかし狼の瞳は微かにも揺れなかった。
『そうですね、そう捉えて頂いても構いません。あの御方の平穏が崩れるようなことになれば、私はすぐにでも介入し障害を排除します』
「………」
“障害を排除”―――それがどんな意味を持つのか、容易に想像できる。
僕には後ろめたいものは何もない。だけど、背中にひやりとしたものを感じてしまう。
ただ、そんな僕の不安を感じてか、狼は短くフッと息を漏らした。もしかしたら笑ったのかもしれない。
『安心して下さい。私が介入する可能性は、このままであればそれほど高くありません』
「そうなん、ですか…?」
その言葉だけで安心してしまうのはどうかと思う。だけど、彼の声音が存外柔らかいもので僕の緊張は解かれた。
―――だから……
『ええ、例えばあの御方へ怪我をさせたり殺そうとしたり、その類では私は介入しないつもりです。いっそ、敵うなら殺して頂いて構わないと思っています』
「……、……」
―――絶句してしまった。この狼は今、なんて言った?
あまりに暴力的なその言葉。急に襲ってきた衝撃に耐えきれず、眩暈を感じる。
……僕は、この狼がルイナの保護者、あるいは守護者にあたる者だと勝手に思っていた。
それを、完膚なきまでに否定されてしまった。混乱して、しばらく次の言葉が継げなくなってしまう。
「……いや、少し待ってください…! あなたは、ルイナを守っているんじゃないんですか?」
『はい、見守っております』
守ると見守る。その微妙なニュアンスの違いは、僕の疑問に正しく答えてくれていた。
「いや、それじゃあ、あなたが介入する場合とはどんな状況なんですか?」
『その答えは、既にあなたに伝えております』
なんだって? 慌てて記憶を遡る。
だけど、それに直接該当する記憶はない。であれば間接的に伝えたということだろうか?
―――“私の使命はあの御方にヒト族として、このまま平穏に過ごして頂くこと“―――
「……つまり―――」
『口に出して頂かなくて結構ですよ。言われれば、困ったことになりますから』
ひやりと冷たい空気が身体に纏わりつく。いつの間にか、再び殺気の中に捕らえられていた。
「っ……分かりました。言いません、あなたに確認することも、もうしません」
『ありがとうございます。それがお互いの為でしょう』
ふっと、殺気がなくなる。知らないうちに強張っていた肩から力を抜く―――でも、“お互いの為”か……
「……ちなみに、これも聞いていいのか分からないのですが、ひとまず聞かせてください」
『なんでしょう?』
狼は至って気にした風なく問い返してくる。
多分、核心を話すつもりはないけれど、ある程度僕が事情を知っておくことが“お互いの為”になるからだろう。
「もしあなたが介入した時、ルイナはどうなりますか?」
『………』
答えは沈黙だった。これも口に出してはならない質問だったかと考えていると、狼は長い沈黙の後、ようやく口を開いた。
『考えられる可能性は2つあります。“今のまま”か、“そうでないか”です』
「………」
とても具体性に欠ける答えだった。でも、それが口に出せる限界なのだろう。彼は首を振って息を吐いた。
『私の使命は先ほども申し上げた通り、それだけです。ただ、それを果たせなかった時のことまでは考えられていないのです。そして、私個人としては“今のまま”であることを願うしかない……これで、答えとしては十分でしょうか?』
「……はい、ありがとうございます」
僕の感謝を聞くやいなや、狼はのそりと立ち上がった。“お互いの為”に必要な情報は、既に開示したということだろう。
そしてその場でくるりと方向転換し、鼻を鳴らした。
『―――村から南東の方角に1体、群れからはぐれたコボルトがおります。それ以外近くに魔物はおりませんので、狩りをするなら参考にして下さい』
「……まさか、そこまで面倒を見てもらえるとは思っていませんでした」
『あの御方を救って頂いた、ささやかなお礼です。言っていませんでしたが、私は仕事仲間としてあなたを好ましいと思っています』
「それは―――どうも、過分な言葉で」
『ふっ。それでは、また会いましょう』
そうして狼は去って行った、つむじ風のように―――
「………」
残された僕は、今まで交わした会話の内容、そしてその裏に見える事情を勘案して―――
「……っ、あ~…」
頭を抱えた―――どうしたらいいんだ、これ?




