(Side)侍女カリーナの話
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Side:侍女カリーナ(1-1.半年前)
余計なことをしてくれる。
部屋の窓から落ちそうになった無能を助け、爽やかな表情と言葉で無能の心を癒す少年を見て、思わず舌打ちをしてしまった。
どうやらそれがいけなかったようで、少年が無能の部屋を出た後に私の方を見て言った。
「そこにいるだろう? 出て来いよ」
「………」
先ほどまで無能に見せていた表情を崩し、忌々し気にこちらを見ている。
仕方がない。私は潜めていた身を現し、少年の前で頭を下げる。
「カネル様、何か私に御用でしょうか?」
「分かってて聞いてるだろ?」
「申し訳ございません、心当たりがなく」
瞬間、少年から殺気が零れる。だけど動かない。
当然だ。彼我の差は歴然。彼が私を傷つけるには命を賭しても足りない。
やがて少年の方から、悔しそうな気配が滲む。堪えて、私を見上げてくる。
「―――見ていたんじゃないのか? アリスが窓から落ちそうになっていたところを」
見ていたに決まっている。あのまま落ちればよかったものを。
そうは思いつつも、表情にはおくびにも出さない。
「そうだったのですか。それはそれは———ですが、何か問題がございますでしょうか? あの高さから落ちたぐらいで吸血鬼が死ぬわけでもございません」
「それでも———」
「それでも、もしお怪我をされたのであれば。それこそ良かったのではないでしょうか? 人前に出られない程に怪我を負ってくだされば、成人の儀に出ずとも済むかもしれません」
「………」
少年もその可能性を考えてか、口を噤む。
それは打開できる方法がない現状、唯一取り得る逃げの手段。主やリリスフィー様が自らその手段を取ることは恐らくない。
私がそれを積極的に行うことも許されない。訓練中に不幸な事故でも起こせば別だが、やはりそれは許されないだろう。であれば、だからこそ———だというのに。
黙ってしまった少年を前に、私は息を漏らす。
「まあ、その程度で大怪我でもなされたら吸血鬼として情けなさ過ぎて、逆に成人の儀どころではないかもしれませんね」
自分で言っておいて、声を漏らして笑ってしまいそうだった。今生では侍女として役割を授かっている身だから、そんなはしたない真似は決してしないけど。
「…アーデルセン様やリリスフィー様に、お前の言動を伝えるぞ」
「あはっ!」
笑ってしまった。あぁ、いけない、いけない。どうして、どうして———こんなに面白い。
いかに強かろうと、賢かろうと、所詮はガキ。取れる手段が親に言いつけるだなんて笑ってしまう!
あぁ、いけない。思わず素が出てしまいそうになった。淑女たらんと静かに笑みを浮かべ直す。
「どうぞカネル様がお考えになられた通り、ご自由になさって下さい。私はアーデルセン様やリリスフィー様の意に従います」
「………」
ほら。ほらほら、どうした? 言葉が止まってるぞ。私を追い詰めようとしてたんじゃないのか?
何を言っても無駄なんだよ。私がどれだけ長いこと仕えてきたと思ってるんだ?
「もしアーデルセン様に御用がございましたら少々お待ち頂ければ。ご都合を伺ってまいります」
「……結構だ」
ダメ押しで言うと、すねたように背を向けられる。
まあ、諦めてくれたようでなによりだ。こんな瑣末なことで主の心を僅かなりでも煩わせるなど、あってはならない。
「お帰りになるようでしたら、ご案内いたします」
「それも結構だ」
そうは言われるが館内を客人1人歩かせるのも侍女の名が廃る。勝手に侵入してきた客ではあるが。
「ご案内いたします」
重ねて言って先回りし先導する。
エントランスに向かうまでピリピリとした視線を背中に感じたが、結局少年が何かすることはなかった。
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Side:侍女カリーナ(1-2.5か月前)
最近、無能の様子がおかしい。
「ぐっ…!」
今朝も鍛錬場で戦闘訓練を行う。何度も叩きのめし、何度も転がし、幾度となく詰ってみたが素早く立ち上がってくる。
常の諦観を感じない。失敗したらそのまま為されるがままであった今までと違い、一挙手一投足の何がいけなかったのか反省し、工夫をもって果敢に攻め入ろうという気概を感じる。
「やああぁっ!!!」
そしてこの一撃だ。未だ弱い。呆れるほどに弱いのだが、成長が感じられる。
12年間、この無能に付き従ってきた。リリスフィー様からの乳離れが遅く、なかなか血を飲み始めないと思っていた初めの3年間。思えば平穏な時期はそのくらいしかなかった。
そこからの更に3年間。リリスフィー様から乳が出なくなり、完全に食事が飲血一択となってから発覚した無能の血嫌い。忌避感で血を飲みたくないという者もたまにいると聞くがそれとも違う。
周囲の反応から、血が飲めないことはいけないことなのだと知って無能は傷ついた。それを見て主やリリスフィー様は心を痛められた。私がお嬢様をお支えしなければ、と息巻いていたのも今や懐かしい。
そこから経ること更に6年間。つまり今に至るまでの記憶は薄い。忘れたわけではない。この無能が全く成長をしなかった為に、乾燥したような毎朝毎晩しか迎えられなかったからた。
血を飲まず、不貞腐れるだけで、誰の顔を見ようともしない。
生きているだけで迷惑をかける無能が。
生きているだけで主から愛を授けられる存在が。
それを無碍にしてのうのうと生きているこいつが。
許せなかった。
「っ、あ!?」
振るわれた短剣をはじき返す。目の前で驚きの声が上がり、隙だらけの下半身が晒される。しかし、弾かれた剣を持つ手に力が込められたのを咄嗟に感じた。
深紅の瞳も、まだ諦めを宿していない。
「っ、ふっ!」
「ぐっ、げほっ!」
予感がして、いつもなら転ばすところを、胴へ蹴りを突きさす。その際加減を誤り、想定外に数メートルは吹き飛ばしてしまった。
無能は飛ばされた先で転げまわり、腹を押さえて呻き声をあげている。私はその首へ一旦ナイフを添えて鍛練上のとどめを刺し、刃を下げてから聞いた。
「お嬢様。今何を為されるおつもりでしたか?」
「げほっ、げほっ———か、カリーナに転ばされると思ったから、けほっ、だから倒れながら切ろうとしたの」
「なるほど」
やっぱりそうか。ただ弾かれただけにしては刃先が不自然な方を向いていると思った。
これも成長か。転がされる前提で、且つ人読みが入っていること自体は褒められるものではないが、決して敵わない相手に一撃入れてやろうとする気概は好ましい。
———それにしても、やはり咄嗟のことで力を入れすぎてしまった。さっきのは“一般的な冒険者レベル”すら越える攻撃だった。
「申し訳ございません、お嬢様。加減を誤ってしまいました。少し早いですが休憩を」
「ううん、カリーナ」
首を振られる。立ち上がって、まだ痛むだろう腹から手を離し、握り続けていた短剣を構える。
「まだやる。私は、まだまだ弱いから。強くならないといけないから」
「っ……かしこまりました、お嬢様」
変化に、ときめきを感じる。
この変化のきっかけは紛れもなくあの夜。主が我々従者に、無能の食事の場への立ち会いを禁じられてからだ。
何があったのかは知らない。それ以来無能は血が飲めるようになったらしい。禁じられているが故に盗み見ることも自重しているが、無能の様子を見るにそれは紛れもなく事実なのだろう。
「それでしたらお嬢様。これからはもう少し強めの設定に致します」
「え、うん。でも、今までの設定でまだ一回も勝てていないけど、いいの?」
「もちろん。その方が早く強くなれるでしょう」
「! …分かったわ! じゃなかった」
構え直し、無能は言う。
「分かりました、先生。お願いします!」
「かしこまりました、お嬢様」
まだだ。まだ、これは無能の吸血鬼だ。
それでも、恐らく。そんな予感を感じる。そしてそれは十数年来、確かに望んでいだ未来であった。
だから力の限りお伝えしよう。戦う技を、殺しの極意を。
それしか取り柄の無かった、私なのだから。
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