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銀と魔法使い  作者: あっちいけ
第1章 銀が世界を終わらせる、その時まで
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1-2.5か月前 誕生日


 吸血鬼にとって12歳とは【第一成人】と呼ばれる特別な歳であり、本格的に吸血鬼の仲間入りを果たす大切な時期である。


 アリスは今宵で12歳となる。そして来月には今年第一成人となった者を集めて行われる催しがあった。


 吸血鬼としてふさわしい力を備えているか確かめる“闘争の儀”。


 新成人同士で家畜の血を分かち飲み、種族内での絆を結ぶ“血飲みの儀”。


 闘争の儀での働きに応じて、【第二成人】までの役割を決める“選別の儀”。


 それら3つの儀式は同日中に行われ、まとめて“成人の儀”と呼ばれている。


 そんな成人の儀を前にして12歳となったアリスは、いつもと変わらない日常を過ごしていた。


 鍛錬でなじられ、朝晩の食事で血に苦しみ、部屋に戻って1人食事をする。


 1人でいる時、彼女が纏っているのは沈黙の空気だった。何の音も立てず、何にも興味を持たず、何にも心を動かさない。


 周りに他人がいれば彼女は空気に応じる。身体は痛くて胸も苦しいが、薄皮一枚纏えば心を保つことが出来た。


 叱られたなら“ごめんなさい”。


 命じられたなら“分かりました”。


 慰められたなら“ありがとう”。


 周りから評価されるままに彼女は形成される。故に、1人である時に纏うのは沈黙以外何もない。


 “成人の儀”において、自分は第一成人としての義務を何も果たせないだろう。そういった思考がちらつくが、彼女の心をこれ以上蝕むことはない。


 そんな勝手なこと言われても困るだとか。

 どうせ自分には何もできっこないだとか。


 怒りも諦めも、とうに生まれてこない。


 自分がしっかりしないと両親や国中の同族が困るだとか。

 叱られるのは自分にまだ期待してくれているからだとか。


 荒唐無稽な責任感や願望を持つことによって、自分をかろうじて保ちながら。


「ふっ、ふふ……」


 ただ稀に笑いを漏らす。


 陰気な部屋で、アリスは宙を見上げた。


「……あぁ…」


 死んで、さっぱりしたい。


 この身が突然壊れて、崩れて、消えてくれるのなら、どんなにいいか。


 誰の手を汚すことなく、誰に迷惑をかけることもなく、誰の目に止まることなく消えられるのであれば、どんなにいいかと———


「………」


 アリスは見上げた視線を横にずらし、窓の外を見た。


 そこは遠くに岩の天井があるばかり。しかしアリスはその更に向こう側へ思いを馳せた。


 地上を照らしているという陽光が、自分の全てを崩してくれるのではないかと。


 跡形もなく消えられるのであればそれが最上ではないかと。


 そんな詮無い夢想を描いたのだった。









 そうして12歳となった今宵。別段特別な催しが行われるわけでもなく、いつも通りに食卓へついたアリスは、


「……?」


 周りを見回して、いつもと様子が違うことに気が付いた。


 父と母が卓についているというのに召使がいない。いつもは卓についてから運ばれてくるボトルとグラスも、この日は既に卓上に置かれている。そして部屋以外では常にアリスの傍に控えている侍女カリーナも席を外していた。


 静か過ぎる。これまでの記憶にない食卓の様相であった。


 が、それだけではない。見えるところ以外でも確かに何かが違う。


 アリスを襲うのは生まれてこの方抱いたことのない感情。じわりじわりと込み上げてきて苦しい。


 苛立ちとも焦燥とも似ている胸の痛み。だが不思議と嫌ではないこの気持ちは、何?


「アリス」

「っ、はい、父様」


 気を取られ、いつもより返事が遅れてしまった。アリスは声音に応じて硬い表情を作り、父アーデルセンを見る。


 父は呼びかけたにも関わらずアリスを見ていなかった。瞼を重く閉ざし、深い皺を眉間に作っている。


 しばし食卓に沈黙が下りる。その後とうとう父が卓上のボトルに手を伸ばした。


 母が、小さく息をのむ。


「アリス、今宵でお前も12歳となった。もはや成人の儀まで時間がない———故に、今宵は試しにこれを飲んでみよ」

「試しに、ですか?」

「ああ、試しにだ」


 父が繰り返し使った言葉に、アリスはどう反応すればいいのか咄嗟に判断がつかなかった。父から『試しに』などという消極的な言葉が出てくるのは初めてだった。


 食卓の様相がいつもと違うこともあり、これは何かあると勘ぐり母リリスフィーを見る。母は神妙な顔をして頷くのみであった。


 父が重たく息を吐きながら言葉を続ける。


「アリスよ、今からお前には不快な思いをさせるかもしれん。それは今までの血と比べてもだ。それでもそれはお前のことを思ってのことだと理解して欲しい。本来なら―――いや、これ以上の弁解は止そう」

「………」


 アリスは何も答えられない。


 いったい父は自分に何を飲ませようとしているのか。あまりに不穏な物言いに、反応の案が消されていく。


「……。父様」


 しかし、アリスは引かずに言葉を紡いだ。


 父の意図は掴めない。ただ不穏な言葉の向こうで、何かを求めていることだけは分かった。


 そしてそれはきっと、悪い事ではないんだと、アリスは願った。


「父様がいつも私の為と考えてくださっているのを知っております。ですから、今宵ももちろん口をつけさせていただきます……期待に応えられるよう、努めます」


 それは嘘偽りはない、本心であった。


「……うむ」


 アリスの覚悟に父は頷き、ボトルのコルクを外した。


 溢れてくる臭気に父は顔をしかめ、母も顔をそらした。


 そして。


「……ぇ…」


 アリスの口から戸惑いの声が漏れた。


 コルクが外された瞬間に漂ってきたこの臭い―――いや、匂い。


 甘い香り、それは食卓の向かい側にあるはずなのに、すぐ目の前にあるかと錯覚するほどに濃厚な匂いを発していた。


 ボトルの口からとくとくとグラスに注がれていくのは、赤い液体―――朱に若干の黒が混じっている。間違いなく血の色だ。


 だけど、なんでだ、なんでだと、アリスは戸惑う。いつもと違う感覚に。いつもと違う心の動揺に戸惑い、目を泳がせる。


「……ぁ…」


 やがてアリスは理解した。先ほどから感じているこの焦燥感、苛立ち、しかし嫌ではないこの衝動―――


 『食欲』だった。それも飢餓感から嫌々絞り出されたものではない。生まれて初めて感じる、能動的な情動。


「これだ。無理をして飲もうとしなくても良い。これに比べればいつもお前に与えているものがどれだけ良いものであるか、分かってくれるはずだ」


 そう言って父はアリスにグラスを差し出す。その顔が険しくしかめられ、言葉もとても飲むのを薦めているものではなかったが、アリスはそこに気づけなかった。


 目の前に差し出されたワイングラス、赤い液体。そこに全神経を集中させていた。


「…………」


 喉奥を鳴らし、アリスは手を伸ばす。緊張のあまり閉ざされていた口は、グラスが近づくにつれ開いていく。


 やがて口がグラスと触れ合い、赤い液体が唇を伝って、喉の奥へ―――


 ゴクッ―――


 飲みこまれた。喉が鳴って、胃の中へ血が落ちて行く。


 瞬間、アリスは今までに感じたことがない多幸感を味わった。舌が、喉が、胃が、脳が―――全身を甘く柔らかい刺激が走り、背が震える。


 アリスは果てた。熱い刺激が腰から脳へと貫き走り、刺激がおさまった後には天へも昇るような、あるいは地にどろどろと溶けていくような、そんな幸福感を味わっていた。


「あぁ……」


 しかし、幸せな時間も終わりを迎える。グラスの中身を全て飲み干した後、彼女の意識は現実へと戻ってきた。


 手には空のグラス。自分を幸せに導いてくれた赤い液体はもう無い。


「あ……」


 だが、同時に別のことにアリスは気が付いた。今のは紛れもなく血であった。それを自分は飲めたのだ。


「や、やった! やりましたっ、飲めましたよ私! ねえ、父様、母様!!」


 12歳にしてようやく血が飲めるようになり、アリスは作為的な意思なく、数年ぶりとなる自然な笑顔を咲かせた。


「―――よくやった、アリス。素晴らしいことだ…」

「え、ええ、そうねアリスちゃん、おめでとう……」


 しかし、だからこそ彼女はまた気づけなかった。


 その赤い液体を飲み干した自分を見て、両親が顔を引きつらせていることに。








【Tips】第一成人、第二成人

 吸血鬼にとっての第一成人とは12歳を指す。それは初代国王が吸血鬼たちをまとめ、世界征服に向けて侵攻を開始した歳にあやかってのことと伝えられている。

 また、第二成人とは20歳を指す。これは初代国王がナトラサを拓き、王に就任した歳にあやかってのことである。

 今の世の吸血鬼たちにとって、若い世代の子らには第一成人になるまでに吸血鬼としての自覚を、第二成人になるまでに吸血鬼としての本分を持ってもらうべく、それぞれの時機に『成人の儀』を執り行う決まりとなっている。

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