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銀と魔法使い  作者: あっちいけ
第1章 銀が世界を終わらせる、その時まで
18/54

1-14.二

 

「………」


 娘を幽閉してより2日が経つ。アーデルセンが政務を終えて居室に戻ると、妻であるリリスフィーが部屋の前で待ち構えていた。


 嫌な予感を覚えつつも妻を部屋へ招き入れる。そうして話された事の顛末を、彼はただ聞くことしかできなかった。


『アリスちゃんと一緒に、地上で暮らしましょう、あなた…』


 妻より語られた内容は、重罪であった。まずもってナトラサを捨てること自体、許されることではない。


 吸血鬼が未だ生き続けていることは人間種へ勘づかれてはならない。吸血鬼が生き残っていることを知られナトラサへ攻め込まれたが最後、『輝ける陽光(マディラータ)』の前に吸血鬼は敗れ絶滅するのだ。


 その絶滅の一手が、ナトラサより抜け出たたった一人の吸血鬼によって打たれてしまうかもしれない。故にナトラサは、ナトラサを捨てる吸血鬼を許容しない。


 ましてや、異端がナトラサより出ていくことなどもってのほか。異端とは、ナトラサで生きていけない者のことである。人間種へナトラサの情報を渡すことに何ら躊躇いはないだろう。故に掟は異端が外へ出ることを決して許していない。


 つまりはその2点において、妻リリスフィーが口にした内容は許されざる暴挙であり、裁かれるべき罪であった。


 しかし、それでも妻は打ち明けたのである。つまりは、そういうことであろう。


「……ふぅ」


 やがてアーデルセンは口を開き、大きく息を吐いた。


「リリスフィー。君は私がここで君を捕らえるという可能性を考慮しなかったのか?」

「勿論、考えたわ」


 水色の瞳がアーデルセンを見つめ返す。妻は凛とした声音で彼の問いに答えた。


「でも、アリスちゃんに諭されて思い直したの。ここで私達を見捨てるようなひとじゃ、あなたはないって」

「…なるほど」


 アーデルセンは深く掛けていた椅子より腰を上げた。


 そうして一瞥するのは窓の外の景色。薄暗がりの平らな街。彼が愛した、吸血鬼の楽園である。


 そして部屋の内へ向き直る。そこにあるのも彼が愛したもの。何よりも誰よりも美しく愛しく、何に代えても守りたい己の妻である。


 ……この場においてその2つを両立させる道がいかに険しいか。彼もまた、その苦悩を口にした。


「……私も考えた。今まで受け継がれてきた王の血、そして責務。これを十分に継ぎ、次代へと継いでいくことこそ使命ではないかと。娘1人の命とナトラサに住む民の命、どちらを脅かすか天秤にかけ、悩む必要もないと言い聞かせてきた」

「………」


 リリスフィーは夫の言葉を黙して聞く。意志の強さを象徴する切れ長の瞳が、思慮の果てに揺れ動いている様を、口を出さずに見守り続ける。


「だが―――やはり、夫婦だな。考えることはどうやら同じだったらしい」

「あなた……」


 アーデルセンは腕を広げ、リリスフィーを包み込む。妻は夫の抱擁に顔を傾け応じた。


「リリスフィー。私もお前とアリスの3人で共に生きたい。地上で何に縛られることもなく、普通の家族として暮らしたい」

「ええ」

「私が何に代えても守りたかったのは民ではなく―――お前達なのだ、リリスフィー」

「……ええ」

「……だからこそ―――」


 刹那、衝撃。リリスフィーの視界がぶれる。


「……ぇ…」


 声を漏らす。なぜか足が床から離れている。慣れない浮遊感の次、リリスフィーを襲ったのは息苦しさであった。


「ぐっ……ぃ…」


 首を絞められている。誰に? なぜ?


 そんなことは分かり切っていた。


「ど……しっ、て―――!」

「…すまない」


 夫は力なく謝る。しかし息苦しさは解消されない。それどころかますます首は絞めあげられていき、とうとうリリスフィーは呻き声すらも上げられなくなった。


「……! ……っ!!」


 必死にもがいた。首を絞めてくる腕へ爪を立てる。爪は易々と衣服を切り裂いていくが、決して肌へ食い込んでいかない。


 当然である。夫の右の瞳が淡く輝いていた―――スキル使用の証であった。彼の肉体は今、魔術師の才覚によって最強を謳われたリリスフィーの爪では、到底傷つけられぬものに強化されている。


 それでも足掻いた。自分の失敗とは即ち、愛すべき娘の窮地に他ならない。負けるわけにはいかない、諦めるわけにはいかない。


(あ―――)


 しかし、その時は呆気なく訪れる。


 ふっと視界が暗くなった。手足の感覚が遠のき、息苦しさも掻き消える。


 自分は気を失ったのだと、意識が埋没する最中に悟った。体を動かしていた抵抗の意思は行き場を失い、やがて無念と変えて頬を伝った。


(―――アリス、ちゃん……)


 何に換えても叶えたかった夢。普通の親子として普通の幸せを享受するという、慎ましく純粋であった彼女の夢。


 その夢は、後悔と自責の念でもって今塗り潰された。







「……本当に……本当にすまない、リリスフィー」


 アーデルセンは気を失った妻へ言葉をかけ、ベッドの上に寝かせ、部屋を出た。


 意識が失われただろうと思われてからも数分間は首を絞め上げ続けた。吸血鬼が窒息ごときで死ぬことはない、ただ意識を失うだけである。


 此度、まかり間違っても彼女の意識を残しておくわけにはいかなかった。気を失ったふりでもされて背を向けた瞬間、魔術行使の隙を与えれば意識を刈り取られるのはこちらである可能性もあったのだ。


 もう、これ以上失うわけにはいかない。彼はベッドの上で横になっている妻へシーツをかけ、裂かれた服を変えて部屋を出る。


 ……最後にもう一度妻の顔を見る。


「っ……!」


 胸の奥で暴れまわるものがある。それは苦悩と葛藤―――しかしそれでも覚悟を決めた。彼は意を決して扉を閉め、部屋を後にする。


 足取りが重い、後ろ髪をひかれる思いとはまさしくこのこと。ただ、それでも行かねばならない。彼は表情を無に落とし、歩を進める。


「心中お察し致します、王よ」


 しかし部屋を出て数歩のところ、突然背より声をかけられ足を止める。


 低く、しわがれた男の声であった。聞き慣れた声である。そもそもが自分の背後を取れる者に心当たりは少なく、アーデルセンは振り返らずに名を問うた。


「ハヴァラ老か?」

「いかにも。夜分、勝手ながらに失礼しております」


 そうしてアーデルセンの背後から側面へと移って姿を見せ、頭を垂れたのは漆黒の燕尾服を纏った、執事然たる老紳士であった。


「これも御身とナトラサを守る為―――と、主より命があった故。何卒ご容赦頂けますれば」

「構わん。私は今宵貴殿を見ておらん。良いな?」

「おお、有難きご配慮。感謝致します―――かしこまりました。勿論私めも何も見聞きしておりませねば、そのように主へ」


 老紳士はそれだけ告げると闇に消えるように姿を掻き消した。


 それだけでアーデルセンには、彼が言葉通りグーネルへと報告に戻ったのか、もしくは未だ近くに潜んでいるのか分からなくなってしまう。


「………」


 吸血鬼最強とはいったい何なのか。アーデルセンは己が冠する称号を思い浮かべ、それを小さく鼻で笑った。


 そうしてアーデルセンは邸宅を後にし、振り返らずに歩みを進める。目指すは娘のもとである。


「………」


 ……妻と娘、2人を同時に救える道がないのであれば。


 恨まれようと、片方だけでも生かしてみせる…!


「覚悟は、決めた…っ!」


 真紅の瞳に固い決意を乗せた父は、郊外への道を迷いなく進み始めた。














「なん、だと…?」


 そうして娘を捕らえた監禁部屋に辿り着いたアーデルセンは驚きに声を漏らした。


 部屋が血で汚れていた……が、そのこと自体はリリスフィーより聞かされていた故、驚かない。


 娘が、アリスがいないのだ。妻に理想を語られ、未だ幸福な夢を見ているはずの娘がそこにいなかった。


 アーデルセンは思考を巡らせた。ここにいないのが娘の意思によるものなのか、それとも他人からの強制によるものか考えた。


 結果、異端である娘へ誰かの強制が働くよりも、自分の意思で出て行った可能性の方が高いと断じた。


 そしてここへ監禁した際に娘から懇願された言葉を思い出した。


『でしたら、父様。今すぐ私を死なせてください』

『………』

『太陽の前に身を曝す覚悟は出来ております。地上へ連れて行ってください』

『………』

『どうか』


「……っ!」


 アーデルセンの脳裏に閃きが走る。


 娘は、リリスフィーの話を聞いてなお夢に溺れず、死を求めて地上に向かったのだ。


 なんたる、洞察力。女吸血鬼最強と言われようが個の力では揺るがぬナトラサの力を鑑み、己が生き残れる道はないと確信して至った道であるならば、齢幼くしてなんたる聡明であろうか。


 あるいは、絶望。いかに夢や希望を語られようと既に拭えぬ絶望が心を塗りつぶし、諦めて選ばせてしまった道であるならば―――己が犯した罪は、果たしていかに償うことができるだろうか。


 どちらにしても、彼にとっては想定外の決断であった。アーデルセンは踵を返し、疾く地を蹴った。


 娘が地上へ出られる可能性は万に1つもない。地上へ出る為の道は迷宮のように入り組んでおり、初めて通る者が案内人なしに行こうものなら彷徨うこと確実である。


 そして万が一その迷宮を踏破できたとしても、地上に繋がる渓谷の道には監視者が大勢いる。登る者も下る者も彼らの監視下で道を行く。そこを許可なく異端が登るなど、決して許されない。洞窟を出てすぐに捕らえられるだけである。


 故に王が心配していたのは娘が洞窟の中で行方不明になることだけであった。それも監禁部屋から続く真新しい靴跡を彼の優れたる眼が捉え、不安はなくなった。


 その小さな靴跡は間違いなく娘のものであった。それを追えばやがて娘を見つけられる。彼は駆け、地上へ続く洞穴に入った後も靴跡を辿った。


「っ……」


 しかし、辿るうちに嫌な予感が芽生える。靴跡は導かれるように、地上へ続く道の一つを辿っていく。娘がこの道を通るのは初めてのはずである。なのに、何故?


 疑問が芽生えようが、王は更に道を駆け進む。疲れ知らずの身体であるのに、進めば進むほど汗が滲んでいく。


 そしてとうとう、彼はその臭いを嗅ぎ取った。


「ぐっ! これは…っ」


 アーデルセンは漂ってきた悪臭に顔を歪め、思わず足を止めてしまいそうになる。


 その臭いは吸血鬼が唯一嫌う血のにおい―――同族(きゅうけつき)の血のにおいであった。


 吸血鬼の血は近づくことすら躊躇われるほど異臭を放つ。飲むことなどもってのほか。そこに含まれる魔素が高濃度で、飲めればヒトの血より何千倍も効率が良いはずであるが、誰しも飲もうと思わなかった代物。あるいは、飲もうと考えてもいけない禁忌の対象。


 その臭いが、地上へ近づけば近づくほど濃くなっていく。


 そして、()()()()()()()()()()の痕跡がそこへ続いていく。


「……っ」


 まさか、まさか…とアーデルセンの脳裏に最悪の光景がよぎる。もはや汗はとめどなく、彼の頬を垂れては落ちていく。


 それでも彼は駆け続けた。前へと進んだ。


「………」


 そうしてアーデルセンが洞窟を抜け、渓谷の最下層に至った時。


 最悪の予想が現実になってしまっていたことを彼は悟った。


 ―――渓谷の道。地上へと至る道。


 そこは血で紅く染まり、四肢が飛び散り悪臭漂い、おびただしい数の骸が転がる……地獄であった。


 それを誰が為したか、アーデルセンは思い浮かぶただ1つの可能性に、背と唇を震わせた。


「アリ、ス……」


 そうして彼が名を1つ呟く合間に、渓谷の遥か上の方から悲鳴が聞こえてくる。


 やがてそれは止み、時を待たずして渓谷の上から何かが降ってくる。ぐしゃりと音を立てて地に潰れたのは、乾き切った同胞の亡骸であった。


「……っ!」


 アーデルセンは震わせていた唇を固く結び、今一度駆け始める。


 悪夢は今なお続いている。それを止められるのは……否、止めなくてはならないのは己であると。


 彼は地獄を行く覚悟をし、悪夢のような光景が広がる渓谷を上り始めた。




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