願望
精神病についていろいろ調べた結果、私は巴と同棲することにした。
巴は喜んでくれた。同棲すると決めて、一週間後に、彼女は私の家へ引っ越してきた。
今の家では狭いが、駅が近いということで、卒業まではここで住むことにした。
巴は、調子が良い時はご飯を作ったりして、私の帰りを待っていてくれた。
調子が悪い時は、真っ暗な部屋で床に寝っ転がっていたり、座って虚空を見つめたりしていた。
その日は、私が帰ると、巴は真っ暗な部屋で床に座っていた。
「ただいま」
スイッチを押し、ぱちっと音がして電気がつく。
光は、巴の左腕から流れる、赤い血を照らし出した。
私はごくりと息を呑む。
たぶん、切ったばかりの傷だ。光が反射してキラキラと輝くそれに、私はどうしようもなく興奮した。
私はそれから目をそらし、鞄を置いて、スーツを脱ぐ。
「巴、今日はペペロンチーノだよ」
「……」
「にんにく臭くなっちゃうね」
「………」
「でも元気になるよ。にんにくだし」
私は気を逸らすために、一人で喋り続ける。喋りながら、ペペロンチーノを作った。
出来上がったそれを、お皿に盛り、私と、巴の席に置く。
「ほら、巴、食べよう」
私は彼女の傷を見ないように、顔を覗き込む。
巴は涙に濡れた瞳で、私を見返す。
「梢…ごめんね…」
「…巴は悪いことしてない。早く食べよ」
「あたし、生きててごめん…」
それは私の方だ。
「もう。大丈夫だから」
「うぅ…」
巴はのそのそと動き出し、席についた。私も食事の前に座って、二人で夕食を食べた。
巴の傷に異様に興奮しているからか、食事の味が分からなかった。
結局、人の本質は変わらないものだ。
私の本質は、残酷で、人にとって害になるもの。では、巴の本質は?
「こーずえ!」
今日は二人で、ショッピングモールへ来ていた。
巴は上機嫌で、試着室から出てきた。
着ていたのは、フリルのたくさん付いた、黒い服。
「似合う?」
「似合うよ」
「もー。何着てもそう言うんだもん」
「巴は可愛いから」
「それは付き合う前から言ってくれてたよね」
巴が付き合う、というワードを出したところで、店員がこちらを見た。その視線を感じながら、私は彼女の額にキスをする。
「巴はずっと可愛い」
「あははっ。あたしも梢の顔大好き」
巴が、私の首に手を回し、抱きついてきた。私は彼女を受け止めながら、店員がそそくさと去っていくのを見ていた。
試着した服は、買うことした。私たちを見ていた店員が会計をしてくれて、にっこにこの笑顔で「ありがとうございます」と言われた。
ショッピングモールを歩いていると、フォトスポットなるものを見つけた。そこで巴の写真を撮った。それを巴がインスタに上げると、すぐにいいねがたくさん着いた。
「…すごいね」
素直な気持ちを呟くと、巴は可愛く笑う。
「へへ。女の子と付き合ってるって言ったら、すごいフォロワー増えたの。見て」
巴がスマホの画面をこちらに向けてくる。確かにフォロワーの数字が、ものすごいことになっていた。私は少し、怖くなる。
「有名人じゃん。こんな無防備で歩いてていいの?」
「大丈夫だよー。ヒカキンほどじゃないし」
「比べる対象、でかすぎ」
私はそれから、周りの視線が気になるようになってしまった。少し早めにご飯を食べて帰ろうと、モールに入っているパスタのお店に入った。
私が頼んだのは、トマトクリームパスタ。巴は、ペペロンチーノ。
巴はしばらく食べたあと、言う。
「梢ってさ、何気に料理上手だよね」
私はパスタを咀嚼しながら、「そう?」と首を傾げた。
巴が続ける。
「梢の作ったやつのほうが美味しいもん」
「そりゃどうも」
「これからもずっとあたしの為だけにお料理して」
「強欲だなぁ。いいけど」
「女同士だから、子供もできないしぃ」
私は巴の顔を伺う。いじけたような表情だった。
「子供、欲しいの?」
私の問いに、巴はしばらく間を空けて、頷く。
「なんていうか、憧れなんだよね。幸せなカテー。家庭科の教科書みたいな」
「教科書、か」
私は記憶を辿って、義務教育を思い出そうとした。しかし、なかなか思い当たらない。巴は家庭環境が複雑だから、そういうものに何か強い思いを抱いたのだろう。
「梢は?欲しい?」
問われて、私は首を横に振る。
「私は、産みたくないし、欲しいなんて思ったこともない」
「…そ、か」
巴は、またパスタを食べ始めた。
私も彼女の様子を見ながら、何か言おうとしたが、やめた。
この時何か言っていれば、この先の何かが、変わっていたのだろうか。