関係性
週末の金曜日、巴が私の家に来る予定だった。
私は巴のために、甘いお菓子を買ってきたりした。しかし帰ると、彼女の姿は無かった。
スマホを見ても、巴からの連絡は無い。私は心配になって、電話をかけた。
3回目のコールで、電話が繋がる。
「巴?どうした、どこにいるの」
「こずえ…」
巴の声は、震えていた。泣いているのかもしれない。
「今いるところ教えて。迎えに行くから」
「いい。あたしが行く」
「…ちゃんと来れる?」
「うん。行く」
「分かった」
電話の向こうから、電車の音が聞こえた。巴が私の家まで来るには、電車を使わないといけないから、もう来ようとしていたということだ。
自殺しようとしていたかもしれないが。
「泣いてる?」
「うん。てか泣いてた」
「なんかあった?」
「着いたら話す」
「うん」
巴が家に着くまで、私は電話を繋ぎっぱなしにした。そして家を出て、最寄り駅まで巴を迎えに行く。
電話の向こうから、私の最寄り駅をアナウンスする音が聞こえた。こちらからも、電車が近づいてくるのが見える。
改札を見ていると、巴を見つけた。私は電話を切って、彼女を迎える。
「巴。こんばんは」
「……」
巴は黙って、私の腕に抱きついてくる。身長が同じくらいだから、顔が近い。
「巴が好きなお菓子買っといたよ。早く帰って食べよう」
「…あたしのこと、好き?」
「好きだよ」
「どのくらい?」
「今のところ人類イチかな」
「今のところとかやめて」
巴が私の腕に爪を立ててくる。地味に痛い。
「永遠にって言って」
「分かった。永遠に巴だけ」
「…言わせただけじゃん」
「あはは。めんどくさ」
冗談ぽく言ったが、巴は傷ついた顔をした。それにゾクっとしてしまう。
「…今日は、冷たいこと言わないで」
「いつも通りじゃん」
「うん。でも嫌なの」
「分かったよ。お姫さま」
「……キモ」
「めっちゃ冷たいじゃん」
私が巴の顔を覗き込むと、彼女はぶっと吹き出して笑う。
「あはは!まじウケる」
「ひどいな」
そう言いながらも、私はつられて一緒に笑った。
家に着いたら、一緒にご飯を食べた。巴にせがまれて、お風呂も一緒に入った。
巴の左腕には、新しい傷ができていた。
興奮してしまうのを抑えるため、私はなるべく傷を見ないようにした。
そうしてお風呂から出た後、その傷を消毒してやることにした。
「巴、腕出して」
消毒液とティッシュ、それからガーゼを用意して言った。
「はい」
巴は綺麗でツルツルな右腕を出してくる。私はそこに、消毒液を塗ってやった。
「あははは!ちょっと。まさかなんだけど」
「これがノリツッコミってやつ」
「上手いわ」
巴は右腕を引っ込めて、左腕を差し出してくる。私は改めて傷を見ることになった。
カッターでつけたその傷は、痛々しいと言わざるを得ない。なのに、私は興奮していた。
自分が嫌いだ。
消毒液をティッシュに付けて、そっと傷口に当てる。
「いだだだだ!」
巴は目をぎゅっと瞑っている。その表情も良かった。
消毒して、今度は薬を塗ったガーゼを傷口に当て、医療用のテープで固定した。
「はい、終わり」
「消毒痛すぎ」
「深く切るからじゃん」
「死ねなかったんだもん」
「あのね、死のうとしないで」
私は手当てした道具を片付けて、ついでに家の合鍵を持ってきた。
「とりあえず、死のうとする前に、うちに来な」
鍵を巴に手渡すと、巴は嬉しそうな表情になる。
「え?まじ?めっちゃ嬉しいんですけど。恋人じゃん」
「恋人でしょ」
「死ぬときはここで死ぬわ。梢のこと犯人にして人生終わらせる」
「ひど」
「そしたら梢も自殺して、天国で幸せに暮らすの」
「生きてる間も幸せになればいいじゃん」
「……無理だもん」
巴は鍵を握りしめて、泣き出した。
私は、そんな巴を眺めていた。
「あたし、精神病、治らない」
「いいよ、無理して治さなくて」
「何よ。ずっと辛いままでいろって?」
「ばか。そんなこと言ってないでしょ」
こうなったら巴は、とことんマイナス思考だ。どう慰めても無駄だし、どう優しい言葉をかけても、すべてマイナス思考に変換してしまう。
だから私は、いつも通りに会話を続けるだけ。何も特別なことはしない。
巴はしばらく泣き続けた。私はそんな彼女の前に座り、ただ見つめていた。
時間も遅くなってきたので、私は巴をベッドまで誘導した。巴の隣に、私も寝転ぶ。
巴は泣いていても、寝転んでいても、綺麗だった。こんな人に抱かれたなんて信じられない。
そっと頬に手を当てると、彼女はトロンとした目でこちらを見てくる。
「梢。どこにも行かないで」
「行かないよ」
巴の頬はフニフニで柔らかい。
「約束して。永遠に愛してるって」
「うん。愛してる。永遠に」
「あたしがジャガイモになっても?」
「あはは、なにそれ。じゃあ私がコブダイになっても愛して」
「こ、コブダイ…何そのチョイス」
巴が笑い出した。
彼女はさっきまで泣いていた顔で、嘘みたいに可愛く笑う。雨が降って花が咲くみたいに。
「落ち着いたんなら、もう今日は寝な」
「うん。ありがと、梢」
「どいたま」
どういたしましての略だ。
「あたし、梢がいないと死ぬ」
「分かる」
「大好きよ」
「うん」
少し会話をして、巴は眠りについた。
私は彼女の寝顔を見ながら、考えていた。
私は本当に、巴を愛しているのだろうか。
巴は、頻繁に私の家に来るようになった。もはや半同棲状態だ。
「なんか、懐かしいね」
私の言葉に、巴は首を傾げる。
「なにが?」
「高校生の時みたいじゃん」
「あー。放課後、ほぼ毎日梢の家にいたもんね」
「で、彼氏いる時だけ来ないんだよね」
「そりゃね」
「ちゃんとゴムしてヤってたの?」
「もー!サイテー。死ね!」
巴が床にいる私の上にのしかかってくる。私は彼女を受け止めながら、押し倒された。
私は笑いながら、言う。
「ごめんて。ちょっと下品だった」
「ちょっとじゃない。すごい下品」
「ごめんごめん」
「ちなみにゴムはしてた」
「そこはちゃんとしてるんだ」
「本命がいたから」
巴が、私の顔を覗き込んでくる。誰もが認める可愛い女の子が今、私だけを見ていた。
私はどうなんだろう。産まれてこの方、顔を褒められた事なんてない。むしろ、高校生までは、自分の顔がコンプレックスだった。
「梢、可愛いよ」
心を読んだような巴の言葉に、私はドキッとする。
「巴ほどじゃない」
「あたしと梢じゃない人間はみんなブス」
「あはは。巴ってたまにすごいこと言うよね」
こうやって、楽しい会話ができる日もあれば、できない日もあった。
家に帰ったら、部屋は真っ暗で、巴はいないのかと思いきや、風呂場にいたことがあった。
いつもドアを開けて、換気して家を出るのに、その日はドアが閉まっていた。
おかしいなと思い、中を確認すると、巴がいたのだ。
「もう、びっくりするでしょ」
巴は風呂桶に水を張って、そこに左腕を浸していた。彼女を引きずり出して、机の前に座らせて、温かいココアを用意してから、私はそう言った。
「死にたかったらうちでって、言ったもん」
巴は震えながら言った。
そんなことを言った覚えはないが、彼女が言ったというなら、言ったんだろう。
風呂を見に行くと、桶の中の水は、少し赤くなっていた。それに少し、生臭い匂いもする。これだけ血が抜けても、人間って死なないんだなと思った。
風呂桶を掃除して巴の元に戻ると、彼女は大人しくココアを飲んでいた。
「何か栄養のある食べ物買ってくるよ。ちょっと待ってて」
「……うん」
巴はこちらを見ず、返事だけを返してくる。心配だったが、私は彼女を残して家を出た。
近くのコンビニで、鉄分が豊富な食べ物を買った。帰る時は、少し怖かった。巴が死んでいたら、どうしよう。
家に着くと、私は心配で心臓がバクバクしながらドアを開けた。それは巴の姿を見るまで続いた。
彼女は私が家を出た時と同じ様子で、そこに生きていた。
ホッとして、私は買ってきたご飯をテーブルに置く。
「はい。ご飯」
「…食欲ない」
「食べないと死んじゃうよ」
「死にたい」
「私は死んでほしくない」
「………」
巴が黙ってしまったので、私はコンビニ飯を開封していった。
ホカホカの良い匂いがして、私のお腹が鳴る。
「食べるよ巴。ほら、これだけでも」
私は鉄分が採れるとパッケージに買いてある飲み物を差し出す。
巴はそれを受け取った。
私は自分用に買ってきたカレーを食べた。コンビニのカレー、けっこう美味しい。しかし、意外に辛かった。
辛くて鼻水が止まらない私を、巴はじぃと見ていた。見ながら、渡した飲み物を飲んでいる。
「…私、おかずじゃないんだけど?」
私が言うと、巴は一瞬固まり、ジワジワと笑顔になっていった。
「何よ、おかずって」
「私のこと見ながら飲んでるから」
「梢見ながら飲むと美味しい」
「ノッてくんな」
「梢も美味しいかも」
飲み終わった巴が、ジリジリと近寄ってくる。私はカレーを飲み込んで、身構えた。
巴が、動きを止める。
「やっぱ、食べ終わってからにする」
「ありがとう。巴も何か食べな」
「……うん」
それから、一緒にご飯を食べた。
結局、巴は先に寝た。
一人になった私は、精神病の治し方を調べた。
いろいろ調べているうちに、他人のリスカの画像まで出てきた。巴のより酷いものもある。しかし全く、何も思わなかった。