【落語】 飛脚
「ごめんよ、ご隠居いるかい」
「おや熊さんじゃないか。よく来たね、まあお上がり。で、どうしたんだい。元気がないようだが」
「へえ、それがですね。仕事をくびになっちまいやして」
「仕事って大工をかい。いったい何をやらかしたんだよ」
「大したことじゃないんですがね」
「大したことじゃなければくびにはならんだろ」
「呉服問屋三島屋の御屋敷建て替えをうちの親方のとこで請け負ったんですがね」
「三島屋さんか、大店じゃないか。お屋敷も立派なんだろ」
「へえ、ですから親方も張り切ったのなんのって」
「だろうね。それで」
「あっしは便所をこしらえたんですが。それがね、抜けちゃったんですよ」
「抜けた。なにが抜けたんだい」
「床が」
「え」
「便所の床が抜けちゃって、用を足していた三島屋の奥さんがどぼんと落っこちちゃって、もうえらい騒ぎ」
「ひどい話だね。それは溜まったもんじゃないね」
「床下にはたっぷりと溜まっていたそうですがね」
「ばかなこと言ってるんじゃないよ。それになにが大したことじゃないだい。三島屋さん怒ったろう」
「そらもう。親方はこっぴどく怒られたそうで。そんで親方はあっしに怒ったねえ。『おめえの顏はもう二度と見たくねえ。次に見かけたらその頭を金づちで叩き潰してやるからそう思え』だって」
「そらそうだろうねえ。でも親方もそこまで怒るのは大人気ないね。一度や二度の失敗くらいで」
「へえ。それが一度や二度じゃないんで」
「おいおい、度々やらかしてたのかい」
「上野国でして」
「なんだいそれ」
「上州」
「くだらないね。というと、仕事を紹介してもらいにわたしの所に来たんだね」
「さすがご隠居、話が早いね。無駄に歳を食っているだけあって顔が広いだろうと思ってね。で相談にやって来たというわけなんすが。どうでしょう、お願い出来やすかね」
「無駄に歳を食ってはないだろ。どうにも人にお願いする態度じゃないね。でもまあ他ならぬ熊さんの頼みだ相談に乗ってあげよう。で、お前さんやりたいことや得意なことはあるのかい」
「やりたいことねえ。そういえばこの前お不動さんにお参りに行ったとき境内に居たんですけど、飴売りは楽しそうでしたね。太鼓をとんつくとんつく鳴らして、子ども相手に飴売ってるの」
「飴売りかい、だめだめおよしよ」
「なんでです」
「お前さんのその顔じゃ子どもたちはおっかながって逃げちゃうよ」
「そうですかね」
「飴売りというよりは子どもを飴で釣ってかどわかす人さらいだね」
「ひどいなあ。となると、得意なこと得意なこと。あ、そうだあっしは足が速いんですよ」
「ほう、それは初耳だね。足が速いのかい」
「へえ、そらもう。この間も蕎麦を食いに行って勘定を払おうと懐を探ってみたら財布がない。しまった家に忘れてきたともう焦ったのなんの。そんで店を飛び出すと一目散にぴゅーっと」
「食い逃げじゃないか、だめだよそんなことしちゃ」
「家に着いてから蕎麦屋ではつけ払いだったと思いだしたんですがね」
「ばかだねえ。とにかく足には自信があるんだね。となると飛脚なんかいいかもしれないね」
「飛脚ですか」
「うむ、つても無いわけではないが。ただかなりきつい仕事だと聞くが、熊さんに出来るかねえ」
「大丈夫でしょう。出来ますよ」
「軽いね。どうも心配なんだよ。そうだねえ、試しにお使いを頼まれてくれないか」
「お使いですか」
「そうだ。なに簡単な話で手紙を届けてくれればいい。それが無事に出来たなら飛脚問屋に口利きをしてあげるとしよう」
「分かりやした。で、どこに届ければいいんで」
「小金宿の外れでわたしの親類が農家をやっているんだが、そこまで行ってきてくれるかな」
「小金宿ですか。松戸宿の先の」
「そうだ、その小金宿だよ」
「遠いなあ。千住あたりに負けてもらえませんかね」
「飛脚になろうとしている者が何言ってるんだい。それじゃすぐに手紙を用意するから待っていておくれ」
ご隠居は筆を用意すると紙にさらさらと一筆書いて熊さんに渡しますと、熊さんそれを懐に突っ込み「それじゃ行ってきます」とぴゅーっと駆け出した。
「これ、ちょっとお待ち。ばかだねえ、届け先の名前も住所も聞かずに行っちゃったよ。まあ手紙の表に書いてあるから大丈夫だろうけど。しかし速いねえ、もうあんなに小さくなっちゃって」
えいほえいほと駆けつづけ、ようやく小金宿にたどり着いた熊さん。道行く人に尋ねつつ、ようやくご隠居の親類の家をみつけまして、手紙を渡しますとその親類、お土産にと山のような取れたてのネギを熊さんに背負わせます。ネギの行商のような恰好で、よたよたとした足取りで江戸に帰ってきた熊さん、やっとの思いでご隠居の家に。
「ただいま戻りました。ぜいぜい」
「おやお帰り。遅かったね」
「遅かったはないや、これ見てくださいよ」
「ほう、ネギだね。ちゃんと手紙を渡してくれたようだ。それにしても沢山持たせたものだね、重かっただろう」
「重かったのなんのって。それに臭いがきつくってたまりませんよ。なんです、あの手紙はネギをよこせって書いてあったんですか」
「まあ、きちんと手紙を届けた証としてね」
「二、三本でいいって書いておいてくださいよ。たまんねえな」
「まあまあ、ご苦労だったね。そのネギで鍋でも作ってご馳走しよう。そうだね、つみれ鍋なんかどうだい。ちょうど魚屋さんがうちの前を通っていったばかりだから、お疲れのところすまないけどちょっとひとっ走りして買ってきておくれ」
「勘弁してくだせい」
「おや、もう走れないかい」
「走れますけど、青魚は足が速すぎて追いつけねえ」